2010年6月 5日 (土)

告白

5月の終わりのとある火曜日。
私は朝からやきもきしていた。

お給料日に届いた試写会の当選はがき。
当然ありがたく使わせてもらうつもりでいたのに、
その日の朝は、なんだか怪しい雲行き。
(いや、天気がどうこうじゃなくて)

最近の政権みたいに、その日の予定は刻一刻と
変わっていき、そのたびに、「試写会だめかも」
「試写会いけるかも」とやきもきしていた午後5時。

「やっぱり国会は延期します」という
お知らせがやってきた。

政権が変わらないなら特に今日はもうここにいる
必要がない、と即判断し、1時間休、という斬新な
仕組みを使って会社を飛び出した。

向かった試写会は、松たか子主演「告白」

本屋大賞を受賞したという本作品は、新宿じゅうの
本屋で平積みになっていたが、あんだけすごい勢いで
平積みされると、こちらも萎えてしまうもので、だから
いつも予習重視の勤勉な私が、原作を読まずに
映画を鑑賞するという、珍しいパターンとなった。

雑然とした教室で、誰も聞いていないスピーチを、
松たか子がやっている。

最初は取り留めもない話が、だんだん核心に
迫ってきて、そして言うのだ。

「娘は事故で死んだのではありません。
このクラスの生徒に殺されたのです」

これが、松たか子の告白。

と、ここまで、私の話すあらすじを聞いた友達はみんな
声をそろえて聞く。

「え?なんでそんなこと分かったの?」

違う。みんな違うんだって。
そういう謎を解いていくサスペンスじゃないのだこれは。

この話は、ここから始まる、松たか子による
娘を殺した「犯人」たちへの復讐劇

あ、ちょっと違う。
正確には、この話をしているときには、もう1つ目の
復讐劇が封を切られた後であったわけだが、松たか子は、
「犯人」たちに、殺すよりももっとひどいかもしれない
「生き地獄」をじわじわと与えてゆくのだ。

そしてこの後は、「犯人」であるところの生徒や
それを取り巻く生徒、またはその家族などが、
それぞれの立場で順番に、時には折り重なるように
「告白」をしていくのだが、やっぱり圧巻は、
松たか子の「告白」である。

決して噛まず、決して泣かず、決して声を荒げない。
(いや、最後の最後で1回だけ荒げるけど)

なのに、彼女の告白には、なんていうか、戦慄
してしまうのだ。

「下妻物語」とか、「嫌われ松子の一生」とかの
監督の作品であるため、ごてごてこってり演出過多で
音楽過剰であるわけだが、そんなもの、ものともしない
ほどの、松たか子の朗読力(告白力?)。

2時間弱、次から次へと繰り広げられる絶え間ない
復習劇には、始終鳥肌立ちっぱなしで、その辺の
ホラー映画とかより全然怖い。

と、映画はとにかく、復讐の嵐を肌で感じる
エンターテインメントの世界である。

一方、映画の興奮が忘れられずに、ついに平積みから
1冊抜き取って購入してしまった文庫本のほうは、
本であるからして、スピード感というものとは無縁の
作品である。

ただ、話の構成は、映画と同じく、ト書きは一切ない、
オール「告白」で成り立っている。

映画なら、まだ、相手がしゃべらなくても、反応が見えるから、
まったく一人になることはないわけだが、本になると本当に
一人で勝手にしゃべっている状況である。

でも、反応が見えない分、その人の言い分をはっきり
「聞ける」というか、「読める」

そして、映画では完全に意味のわからなかった少年たちの
正体が、少しだけ見えてくるのだ。
(結局、幼い子供を最終的に殺してしまう、その心情は
どんなに考えてもよくわからないけども)

一番悪い、というか、一番狂ってるのは、犯人の
生徒たちであるが、その周りの一見「フツーの」生徒たちも、
周りの大人たちも、みんな少しづつ頭おかしい。

いや、おかしいっていうのは、周りから傍観しているから
分かるのであって、当事者になってみたら、私だって
きっと頭おかしくなるのだと思う。

最初は、少年法の穴をつつく目的のお話かなぁ、とは
思うけど、きっと、この話の本質は、そんな回りくどい
ことじゃなくて、もっと単純に「身近にある狂気」
描いた物語。

最近、ドラマでも映画でも「どーせこうなるんでしょ?」と
予想のついてしまう話の多い中、久しぶりに、結果の
わからない話に翻弄される楽しみを感じるお話であった。

告白 告白

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2010年4月12日 (月)

元祖あかりさん

その日、年度末祭りが終わって途端に暇に
なった私は、久しぶりに心から会社を休んで、
いろんな引っ越しの手続きをするべく、とりあえず
化粧をしていたのだった。

と。
テレビからふと気になる言葉が聞こえてくる。

「・・・つながれ、想い。3月のライオン

え?

このとき、化粧をしていた私は、ちょうどテレビが見えづらい
場所にいたわけで、あまりにも急な展開に頭が着いて
いかない。

そして昼間は仕事をしているわけで、この時間帯の
テレビもみないので、3月のライオンが日常的に
CMをやってるもんなのかなんなのか、ということも
全く分からない。

でも、今確かに3月のライオン、って言ったよね?

化粧が終わって出かけようと思うものの、さっきの
幻聴が耳に残って離れない。

ちょちょ、ちょっとだけネットしてから出かけてもよいでしょうか。

誰にともなくつぶやいて、検索する。

と。

「最新4巻好評発売中!」

ハツバイチウ?

え!私そんなこと聞いてない!私の知らぬ間に
売ってるなんて。

と、よく見たら、その日が発売日だったわけだが、
私はもうとっくに発売しちゃってるもんだと思って、
急いで家を飛び出す。

買わなきゃ!泣かなきゃ!

早々に引っ越し手続きを済ませた私は、とにかく
近くの本屋さんに飛び込んで、ガンガン平積みに
されている新刊をつかんで近くの喫茶店に飛び込むのだった。

3月のライオンは言わずと知れた、
中学生でプロになった孤独な将棋青年と、
近くに住んでいるあったかい家族との交流を
描いた、感動巨編
であるが、この「家族」と
いうのは両親がいない3姉妹であって、3姉妹、と
聞けば、やっぱり長女のあかりさんに目が行って
しまうのはもちろん、こっちも長女だから。

と思っていたのだが、最近、もう一つの理由に
気付いた。

私は知っている。
このあかりさんに似た人を知っている。

このあかりさんという長女は、両親がいないので、
妹たちからしてみれば、半分お母さんみたいな
存在で、家事は完ぺき、お料理上手、そして
なんといっても面倒見がすごく良くて、近所の猫に
餌をやり、ついには孤独な将棋少年、零君の
面倒も見るようになる。

…前半のところは似てるかどうか、ぶっちゃけ
よく知らないけども、後半の部分が、そっくりなのだ。

私の祖母に。

長生きしなかったうちの祖父母の中で唯一生き残っている
うちの祖母は、やたらと面倒見がよくて、祖母のうちの
裏口には、いっつもどこの誰のものとも分からない、いや、
おそらく誰のものでもないニャーたちが寄ってたかって
餌をもらいに来ていたものだ。
(だからいつも祖母の家はツナ缶臭かった)

母の話によると、この現象が猫だけじゃないから
大変なのだそうで、材木屋、という自営業をやっていた
母の家には、従業員の若者がたむろっていたらしく、
そういう若者に祖母は餌をやり、自営業やってるから、
ブラウン管のテレビを近所で一番最初に買ったことも
あり、テレビを見に集う近所の大人子供にもまた、
祖母が餌をやる。

そのうちに、近所のお金のない若者が、どんどん
母の家に集まるようになり(従業員の友達とか?)、
誰かれ構わず、祖母はそいつらに餌をあげていたようだ。

「うち寄ってけや~、ご飯食べてけや~」

そんな、面倒見すぎな祖母に、母は若干呆れている節も
あるようで、昔、「ばあちゃんは猫が好きなのよね?」と聞く
私に母は冷たく言い放った。

「あれはね、別に好きなんじゃないのよ」

え!好きじゃなきゃどうして餌あげちゃうのよ。

「ああいうの見ると、ほっとけないだけなの。だから、
好きとか嫌いとかそういうんじゃないのよ」

(ちなみに、そんな母は猫が大っきらいだ。襲われたことが
あるらしい)

この、「好きとか嫌いとかじゃなくて、
ほっとけない」
というころが、祖母とあかりさんの
共通点だと思うのである。
母性とも若干違う気がする・・・本能でほっとけない、のでは
なかろうか。

ちなみに。

そんな祖母が餌をあげている若者リストの中には、
なんとうちの父もいたのだそうで、あのころ痩せていた
父をふくふくにしたのは、実は祖母なんだそうな。

将棋好き青年でもあった父は、もしかしたら元祖零君
だったのかもしれない。
零君のファンであるところの私はあまり認めたくないけども。

2009年12月28日 (月)

ブラックペアン1988と医療報酬UP

もう今年は本を買わないって決めてたのに、
東のエデンを観るか観ないか迷いながら
立ち寄った本屋さんで、衝動的に本を2冊も
買ってしまうことになろうとは。

だいたい、あんな薄い本、わざわざ上下巻に
分ける必要もないというのに、どうして最近の
文庫本というものは、すぐに本を分けてしまうのか。

まぁそんなこと言ったって、結局、文庫本2冊と
映画の鑑賞代を天秤にかけたら、あっさり文庫本が
勝ってしまい、久しぶりに私は英会話から早々に
家に帰って引きこもり読書と相成ったわけだ。

1988年。
田舎でトンボを追いかけていた私には全然そんな
雰囲気を感じることは出来なかったけど、東京と
いう大都会では、人々は超高景気に、それが
泡になって消えるだなんて微塵も思わずに浮かれ
狂っていた、らしい。

そして浮かれ狂っていたのは一般ピーポーだけではなく、
もちろん医者も同じであって、MRの金で毎夜毎夜宴会に
明け暮れ、そのお返しと言っちゃなんだが、そのMRの
持ってきた薬を使ってやる、という具合だ。

(そして、私みたいに薬疹で苦しむ一般ピーポーが出てくる
というわけだ)

この話の中心は、そんなMRのご相伴にあずかって、
毎晩遊び歩くチャラ外科医の渡海と、そんな渡海と
対立する、アメリカナイズド外科医の高階

この物語では、この2人と、この2人をある意味冷静に
見つめる新米研修医の世良君、そしてその周りの
医局の皆さんを通じて、このバブル期に生まれて
今社会問題になっている医療のいろんな問題を並列に
並べていく。

(そしていつもながら、このよわっちい海堂ワールドの
進行役君
が、またしても私の心をくすぐるというわけだ)

あ。話が若干脱線してしまったが、この話の大きな
テーマは、医者は職人か、それとも職員か
というところだと思う。

渡海はチャラいけども、天才外科医。
練習なんてしなくたって、患者に思い入れなんてなくたって、
技術力があるから、手術は常に成功。
だから、彼は、医者は「職人」であるべきだと言い切る。

一方、高階はアメリカナイズドされており、非常に組織的な
考え方を大事にする人間であり、新しい手術器具を持ち出して、
これがあれば、どんなしょぼい医者でも難しい手術ができると
のたまっている。
つまり、医者は「職員」である、いや、今は職業になっていないが、
これからは「職員」であるべきだと。

そうして、対立構造が崩れないまま、渡海と高階はクライマックスで
最後の患者に向かい合うわけだが・・・

話を読んでいる限り、どっちが正解かというと、この時点では
ふたりの主張があまりにも極端だから一概には決められない
けども、あえていうなら、医者は「職人」だ、と認めざるを得ない
終わり方をしている、と私は思う。

最後は、佐伯教授の常識を逸脱した「職人技」が患者を
救ったのだと。
(あの技が必ずしも合っているとは言えないけども)

しかしながら。

しかしながら、あれから20年以上たった今、日本の医療は
大変なことになってしまった。

どうやら日本は、医者は「職員」であるという判断を下して
しまったようだ。

だけども、実際のところは「職人」であるところの医者に
なるのはとっても大変で、そんでも、日本の社会は医者
(ってか勤務医)を「職人」とは認めず、「職員」であると
してしまったから、どんだけ患者を救っても、技術の鍛錬を
積んでも、それに見合っただけのお金はもらえずに、
もらえないから医者は減り、医者が減るから医療ミスは増え・・・

そして、私のように結局病気の原因が分からずじまいのまま、
薬が合わなくて湿疹出まくる
という大変な事態が起こると
いうわけだ。
(あ、話がぐるぐる回っている)

そんな事態を、日本という政府はやっとこさ認識したようで、
来年からは日本人1人あたりが1年に数百円多めに負担することで、
お医者さんのお給料が若干ではあるが、改善されるのだそうな

これで、私がかかってしまった潰れかけの病院は、
このお金を元手に、緊急外来を復活させることができるんだろうか。

日本の「職人」たちは、MRたちの接待に頼らなくても
よくなって、技術の鍛錬に明け暮れることができるように
なるだろうか。

忘年会のカラオケを抜け出して、「先生」方の接待に出向く、
MRの友達を見送りながら、彼の会いに行く人たちが
「職人」でも「職員」でもどっちでもよいから、私の数百円で
来年からこういう場面に出合わなくなることを願った。

あ。そうそう。
1988年の東城大学病院には、まだ学生のときの
田口をはじめ、速水や島津といった同期の皆さん、
そして、新人の頃の花房師長にネコちゃん、そして
現役バリバリの藤原さんまで。
まるで海堂ワールドの同窓会みたいになっており、
ファンとしてはかなりツボである。

ってかジェネラルルージュでは完全に強い
看護師長さんだったはずの、花房さんが、可憐でかわゆい。
ってことは逆に、20年で女はこんだけ強くなるってことだ。

…まぁ仕方ないよな。
バブル後のこの20年はきっと、女が強くならなきゃ生きていけない
時代だったんだから。

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2009年11月15日 (日)

過去と未来とゼロの焦点

その日、チェロ教室のあと、先生が不思議な
楽器
を弾いていたので、みんなでしばらく
鑑賞し、なんだか貴族のような気分に浸ったところで、
向かう先は、結局映画館。

だってあらかじめ予習しておいた松本清張の
ゼロの焦点が今日初日なんだから、行かない訳に
いかないじゃないか。

そういえば、この前太宰も生誕100周年とか言っていて、
このゼロの焦点も「松本清張100周年記念」とか
言っているから、つまるところ、太宰と松本清張は
同い年だってことだ。

そして、そんな同い年2名の作品の両方に、
広末涼子が出ているという、この摩訶不思議。
こういうのが運命っていうんだろうか。

なんて思いながら、始まった映画を見始めて20分。
私は気づいた。

この映画の主人公は、実は広末じゃない。
中谷美紀だと。

小説では、広末演じる禎子ばかりに視点が置かれていた、
「ゼロの焦点」であるが、映画では、広末だけでなく、
中谷美紀、木村多江演じる他の2名の女性にも、
それぞれ「焦点」をあてており、3人3様の、戦後の女の
生き様が描かれている。

その中でも、中谷美紀の存在感がすごい。

斜めに黒いハットをかぶり、ストライプのワイドパンツを
スタイリッシュに着こなして、信じられないくらい色白で。

もう出てきたとたん、その時代の人とは思えないくらい、
なにしろ「カッコイイ」のである。
(途中エナメルみたいな服着てるし)

でもそんな「カッコイイ」中谷美紀の暗い過去を、旦那で
あるところの料理の鉄人の人は結婚生活を3年も送っていながら、
何にも知らないのだ。

そしてその「何にも知らない」のは、新婚たった
1週間で旦那が行方不明になってしまった広末も一緒。
前職が何であったかも、結婚する前どんな生活を送って
いたのかも、気づいたら何にも知らない。

そう。結局、愛していても、その人の
過去がすべて分かるなんてことはない

っていうのが、この映画の大きなテーマ。

でも。

過去なんて実は知らなかったとしても、
広末だってたった1週間しか一緒にいなかった旦那を愛して
いたし、旦那もきっと広末を愛していたし、料理の鉄人の人も、
中谷美紀のことを、分かりにくいけども、愛していた。
過去なんて見ずに、未来に向けて歩いていこうとしていた。
それがきっと、「戦後の日本」の強さなのだと思う。
過去は、決して消えるわけではなく、最終的に、それが3人の
女を苦しめるのだとしても。

監督が犬童一心であったからして、予想通り、
「そんなところ写さなくても…」と思うような、グロテスクな
シーンはたくさんあったけども、それを超越するだけの、
女3人の深い深い、重い重い、分厚いドラマであった。

そうして、日本海の海原を見ながら感慨に浸っている私の
耳に流れてきたのは、エンディングテーマの中島みゆき

分厚い。歌声が分厚い。

ああ、女というものは、かくも力強いものなのか。
と、私は最後に中島みゆきの雄たけびを聞きながら
思うのであった。

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2009年10月25日 (日)

畳まない物語

久しぶりに買ったハードカバーの本、
村山由佳の新境地、ダブル・ファンタジーを読んでいて、
とあるフレーズが引っ掛かった。

この話、主人公がトレンディドラマの脚本家なので、いわゆる、
物語の書き方とかそういう話がちらほら見受けられる
のであるが、その中で、

「広げた風呂敷をあえて畳まぬようなもの」
という表現が出てくる。

もの、というのは、この文脈では脚本とか、物語とか
いう意味であるが、この瞬間には、そんなドラマとか
映画とか、はたまた小説とか、あったっけかな?と
考えたがすぐには思いつかなかった。

逆に、「広げた風呂敷をばったばった畳んでゆくもの」なら
比較的すぐ思いつく。

直近のものでいうと、なんといっても「ブザー・ビート」。

あの最終回の「風呂敷の畳み方」といったら、
見ているこちらが呆れてしまうくらいの勢いで、あれは
まるで、公園でフリマやってたらひどい土砂降りがやって
きたときのような、そんな有様であった。

まぁ、人生を永遠に語っていくドラマとか、小説とか、そんなの
あり得ないわけだから、風呂敷はどこかのタイミングで畳んで
いかないといけないのである。

・・・と、思ったのだが、そんなときに、私を戒めるかのように
「広げた風呂敷をあえて畳まぬようなもの」
に出会った。

それが、原作山崎豊子の、「沈まぬ太陽」である。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

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著者:山崎 豊子

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実は、山崎豊子を小説で読んだのは初めてである。
(だって、全体的に1冊じゃ終わらないから、家に本がたまって
しまうのですもの)

確かに、この人のドラマはちゃんとした、
「めでたしめでたし」にはならないものばかりなので、
それなりの覚悟はしていたのであるが、それでも
さすがに、最終巻(5巻)の真ん中あたりに来たときに
狼狽してしまった。

こんだけたくさんの問題が同時進行で起こっていると
いうのに、あとこれしかページが残ってないって
どういうことだ、と。

もしや、この状況からこいつは今から風呂敷を
畳み始めるのだろうか、と、極度に狼狽してしまった
私は、小説を読むうえで絶対やっちゃいけない犯罪
にまで手を出してしまう。

それは、最後の1/4を抜かして、とにかく最後の1ページを
読んでしまう、という、いわば「カンニング」みたいな暴挙。

さて、そんな、小説でも5巻もの超大作、しかも
5巻の時間をかけてもまったく「風呂敷を畳む暇のない」
この作品が、映画になるというじゃないか

その上映時間、3.5時間
しかも途中に10分間の休憩をはさむ、という、
日本映画としてはあり得ないほどのボリュームでは
あるが、それでも、逆にいえば、たったの3.5時間で、
この「大風呂敷大作」が語りつくされるのであろうか。

そんな期待と不安がないまぜの中、もちろん私は
上映初日に足を運ぶのだ。

意外にも超小さいスクリーンでの上映となった土曜の夜。

初日の新宿だから、当たり前のように小さいスクリーンは
満席になり、男女そろってやってきている人たちもいるが、
内容が内容だけに、観客たちの雰囲気は、どこかぴりりと
ひきしまっている。

それにしても、全部語りつくすためには、この映画、
どこから始めればよいんだろう。
あ、いや、どこから始めるつもりなんだろう、製作サイドは。

とか思っていたのもつかの間。
あまりにも衝撃的かつ象徴的なシーンからの幕開けで、
こんな長い映画なのに、始まって3分で、私はぼろぼろと
涙を流してしまった

今思えば、3時間半もやるんだから、もう少しゆっくりと
展開してってくれればいいのに
、と、思う。

なにしろ、最初の10分でぼろぼろと泣いてしまったが
ばっかりに、途中でもう涙も枯れ果ててしまって、
まだ前半だというのに、泣いた後特有のけだるさが
漂い始めてしまうのだ。

後半になっても、その勢いは止まることがなく、
汚い男たちの争いはとめどなく巻き起こっていき、
こちらが息も絶え絶えになったところで、物語は
結局何も解決しないまま、あ、いや風呂敷を
最大限に広げたまま」
終わってゆくのだ。

太陽は沈まない。
問題も解決しない。
風呂敷も、畳まれない。

出世をもくろむ男たちの物語は、濁流のように、
きったなく、また重苦しく流れ、その前日、出張して
2時までおじちゃんたちとカラオケしてほとんど
寝ないまま朝東京に帰って来た私は、ほっとほと
疲れ果ててしまい、そのあと飲みに行く気分にもなれず、
ほとんど無言でラーメン食べて、家に帰ってそのままベッドに
引き込まれる。

「あぁ、ブザービート見たい・・・」とぶつぶつと
つぶやきながら。

あ。ダブル・ファンタジーのレビューは、またいつか。
(もう少し大人にならないと語りつくせませんので)

2009年6月27日 (土)

闇の子供たちと移植法改正

たまには、真面目なお話。
(ほんとたまにだな。。。)

6月のある土曜の真夜中。
見る映画もなくなってしまい、しかも外は雨。

というわけで、梅雨の味方、おひとり様DVD
楽しんでいたわけだが。

見ている映画の内容は決して楽しいものではなく、
私はあまりの恐ろしさに戦慄し、泣くこともままならず、
ただただ口をひきつらせてその映像に見入っていた。

といってもホラーじゃない。
私の見ていたのは、どちらかというと淡々と
ドキュメント的に進行する、「闇の子供たち」

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話にはまったく飾り付けもされておらず、淡々と
進行していくのだが、話の中身はかなりディープだ。

この映画が描き出すのは、アジアの貧困層の子供たちの、
おそらく現実。

貧困層の子供たちは、自分以外の家族のため、
日本では大したことのないような金額で売春宿に売られて
ゆき、主に海外からやってくるいわば変態セレブに好きな
ように扱われて、病気にかかれば生きたままゴミ袋に
詰められて捨てられる

そして、病気にかからなくても、体に問題がなくても、
日本の子供の病気を治すため、親が大金をたたけば、
貧困層の子供たちは生きたまま手術台に
乗っけられるのだ

そう。生きたまま
心臓を移植するために。

生きた子の心臓を移植するってことはどういうことか。
そんなこと言いたくもない。

病気で捨てられた姉はゴミ捨て場から無理やり這って
家まで帰ってくるけど家に着いたところで息絶えて、
体は元気な妹は、手術台に乗っけられ。

最後、息絶えた姉を葬るときの母親の後悔の
号泣が、なんとも痛々しかった。

そんな映画を見終わるとすでに朝3時。
でも映画の中身が中身であるだけにうまく
眠れず、寝不足のままなだれこんでしまった
とある平日の朝。

寝ぼけまなこでテレビ見ていた(ってか聞いてた)
私の耳に、飛び込んできたのは、移植法改正
ニュースであった。

もともと、「闇の子供たち」みたいになってしまって
いたのは、日本では15歳以下の子供から移植
してもらっちゃいけない
っていう法律があるからであって、
もし15歳以下の子供だって移植していいってことに
なれば、アジアの貧困層の、生きた子たちから心臓
もらうなんてひどい事態にはならないはずなのだ。

DVDを見て、激しく衝撃を受けていた私は、4つ
案があると聞いて、即座にA案に賛成した。

そういう私みたいな国会議員さんが多かったんだろうか。

審議の進め方の問題で、A案は廃案になるんじゃないか、
っていう、マスコミの大方の予想を激しく無視して、B、C、
D案の説明を聞くまでもなく、その日の国会では即A案が
衆院を通過した。

そうだよな、どう考えてもA案だよな。
これで闇の子供たちはいなくなるんだよな。
よかったよかった。

っていう私の考えは、あまりにもありきたりかつ急ぎすぎ
だったんじゃなかろうか、って気づいたのは、翌日の朝のこと。

インタビューに答えていたのは、脳死状態になっている
自分の子供を何年も面倒見ているお母さん。

お母さんは言うのだ。
「うちの子は心臓動いてるのに、死んだって言えるのか」
「死んでないのに移植するのか」
って。

死んでないのに移植するのか、っていうのは、
私がDVD見ながら思ったこととまったく一緒じゃないか。。。

死ぬってどういうことなのか。
そこまで全然考えてなかった私は、すがすがしい
はずの金曜の朝、解けない疑問になんだか追いつめられる
ような気分になったのだった。

そうしてとりあえず衆院を通過したA案は来週参院の
議題にあげられるわけだが、さてどうなるんであろうか。

さて、私は、参院に入る前のこのタイミングで、
同じく子供の移植禁止という闇を違う視点で描いた、
野沢尚の「リミット」でも、読み返してみようか、と
思ったりしている。

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言っておくが、こっちも、その辺のホラーより、
全然恐ろしいので、こういう映画や本は、きちんと
覚悟決めてから見たり読んだりしたほうがいいよ。

2009年6月 4日 (木)

おひとり様重力ピエロ

どんより日曜日。
急に降ってきた大雨の中、めがねにすっぴんで、
私はとぼとぼと映画館にむかった。

歩いて20分の映画館まで、雨とめがねが
気になってずーっとうつむき加減で歩いて
行くと、気分はどんより、ズボンはびしょぬれ。

それでも、この映画は見たかったんだよね。

本を読んだのはもう3年も前のことだったんじゃ
なかろうか。

あのときはまさか映画になろうとは思わなかったけど、
今や、なんだって実写化される時代なんだなぁと
思う。

さて、お話の中身は、

泉水と春の仲良し兄弟は、実は半分しか
血がつながっていない。
それは、お母さんの浮気とか、連れ子とか、
そういうありきたりな理由じゃなくて、とある

衝撃的な事情によるもの。
そんな2人が大人になったころ、彼らの住む
エリアでは
不審火事件が続発するのだが、
それが、実は
「衝撃的な事情」と複雑に
絡み合って。

って感じなのだが、これじゃ全然分からないよね。。

こういう解説をしちゃうと、どうしてもサスペンス的な
お話に見えちゃうし、小説もどちらかというと謎解き
的な要素が強いのだが、映画はもうちょっと
「ファミリーのあり方」に焦点をおいて
いたような気がする。
(意外にすぐに謎は解けちゃうし、かなり設定をいじくられて
いる感は否めない)

まぁでも、小説の中ではトリックは結構複雑に入り組んで
いるから、2時間で本気でサスペンスに持って行くのは、
現実的には無理があると思われ、だからそれはある意味
仕方ないと思われた。

それにしても、この小説に出てくる男性陣はとても魅力的だ。

心優しきよわっちいお兄ちゃんの泉水。
(私は、どんな人がタイプ?と聞かれると、
即座に「よわっちい人!」と答えてしまう癖がある)

ちょっと暴力的で危険なにおい漂う、それでも
邪悪は絶対に許せない、根っこは優しい春。

(危険なにおいの漂う男にも、実は弱かったりする。
それになんといっても春はイケメンだ。)

そんな中、私が一番好きなのは、お父さんだ。

一見、華もなく、弱々しい印象だが、複雑な事情を
抱えた家族を、その細っちい腕で、目立たないけど
必死で支えていて、その覚悟には頭が下がる。

お父さんの覚悟をよく現しているシーンがある。
「衝撃的な事情」により、春を妊娠した母親が、
妊娠したことを告白するシーン。

===
「母さんから妊娠のことを知らされた時、俺は咄嗟に
相談したんだ」
父がそう言ったことがある。

「相談って誰に」

「神様に」それから、苦い果物を噛み砕くような表情をした。
「笑うだろ」

(中略)

「で、返事はあったわけ」

「あった。声が聞こえた」

(中略)

「俺の頭の中に怒鳴り声が聞こえた」

「神様が怒鳴るとは。何と言ってきたわけ」

「『自分で考えろ!』」

「は?」

「『自分で考えろ!』ってな、そういう声がしたんだ」

私は噴き出した。「無責任にもほどがあるじゃないか」

「だがな、考えてみると、これは神様の有り方としては、
なかなか正しい」

「そうかな」

「おれは即座に決断した。自分で考えたんだ」

====(小説より)

そうして、即座にお父さんは、「産もう」と決断し、
複雑な家族を即座に支えていこうと覚悟する。

分かりやすい優しさをつい求めてしまいがちだけど、
こういう地味で目立たないけど、全部背負ってくれる
覚悟をもった男は素晴らしい、とか思ったりした。
(なかなかいないのよね)

あと、キャストとして魅力的なのは、「夏子さん」
っていう、春のストーカー。

最近、ちょいちょい出てくるけど、この吉高由里子って
いう女優は、出たてのブリグリに似てる顔が私の
好みって言うこともあるけど、存在感がすごい。
あんまり軽々しいトレンディードラマには合わないのかも
しれないが、ちょっと影のある役がすごくいい。

そして、雨の弱くなった帰り道をひたひたと帰りながら
私は思った。

こういう映画は、まさしくおひとりさま用だ、と。

「ファミリーのあり方」がテーマではあるけれども、
家族の事情がほんとに複雑であるために、本気で
家族で見に来ちゃったりした日には、2日くらい
目を合わせられないような気もする。

それに、「衝撃的な事情」が事情なだけに、
カップルで来ても、そのあと夕飯食べながら、
ニッコリ笑って「よかったよねー」とか無邪気に
言えるような話でもない。

そういう意味では、まさしくおひとりさま用ムービー
であると。

いやー、いい選択したなぁ。

と、おひとりさま映画館のあるべき姿にたどり着いた
私は、行きとは違って堂々と胸を張って、ひとり
家路に着くのであった。

あ。あと、余談だが、最近私は春であるところの
岡田将生君に気づけばはまっている。

3月のホノカアボーイといい、今回の
重力ピエロといい。
そして、見逃しちゃったけど、きいちゃんと2人で
やったハルフウェイもとても見たかった。
(あれ、きいちゃんと岡田君って、どっかの月9
同じ組み合わせじゃないか)

でも、どの映画でも、岡田君のキャラクターは
それぞれ全然違って、そんな一貫性のなさ
すごく良い。

・・・ま、でも、ホノカアボーイの岡田君か重力ピエロの
岡田君か、といわれると、迷わず私は重力ピエロだな。

ホノカアボーイの優しいだけで芯のなさそうな男より、
冷たくてそっけないけど一本芯のとおった、ちょっと
危険な空気の男。

そういう男には興味持たれないのが常なんだけど、さ。

2009年1月17日 (土)

外科医という生き物

その夜、なぜか私たちは長野の端っこで
炬燵囲みながら、テレビを見ていた。

テレビの中では、ヤマピーだのガッキーだの、
外科医のフェローとしては明らかに若すぎる
メンツが、電車衝突事故の救助作業を行っていた。

そして、トリアージをしているガッキーに、
救助隊のお兄ちゃんが言ったのだ。

「意識レベル300!」

って。

そして、その時、私はとっさに反応してしまった。

「あー、それはもう駄目だね」

いつもテレビを見ながらテレビに話しかけてしまう、
一人暮らし特有のさみしい癖。

そのとき、口を開いたのは、本日初対面の男。

「・・・そんなこと、よく知ってるね。」

そう。
こいつ、実は外科医である。

私たちは、部屋を見渡してもふつーのはさみは
見当たらないのに、セッシだのメッツェだの、
テレビの中でヤマピーガッキーが使っている
へんてこりんな道具が散乱しているような、
お医者様の卵のお部屋にて、コードブルーを解説付きで
鑑賞、というある意味贅沢な夜を過ごしていたのであった。

で、なんで私が
「意識レベル300はDOA(Dead on arrival)」なんていう
へんてこりんな医療用語を知っていたかって言うと。

・・・買っちゃったんだ。

ここに来る途中の大宮駅で、
「ジェネラル・ルージュの凱旋」を。

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去年の暮れ、本棚の整理をしていたら埃にまみれて
ハウスダスト症候群になり、鼻水涙ジュルジュルで
レッドクリフを鑑賞することになってしまった反省から、
今年はなるたけ本を買わないことを目標にしていたのにも
かかわらず、年明けたった10日で、しかも衝動的に、
早速今年も本を買ってしまった。

志の弱い自分にあきれながら大宮駅で本を開いた時、
私はやっちまったと思った。

これは、もしや一回読んだ本じゃなかろうか。と。

だってまったく一緒だったんだ。
半年前に読んだ、「ナイチンゲールの沈黙」と。

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でも、軽井沢に着いたころ、私は気づいた。

これは、「ナイチンゲール」の裏で起こっていた、
時を同じくしたもう一つの事件であるのだと。

舞台は、「ナイチンゲール」の舞台の小児科の
1つ下のフロアにある、ICU

そこでは、「ナイチンゲール」の水落冴子の
単なるファンであると思われた、天才外科医、
速水先生が救急で運ばれてきた患者を、
次から次へと復活させていく。

そして、問題の「意識レベル300」が運ばれて
来たときも、速水先生は、驚くべき対応で、
意識レベル300から復活させたその時、新幹線は
長野駅に滑り込んだのだった。

だから、初対面の医者と、ちっちゃい炬燵囲んで
お酒飲んでまったりしている間も、頭の片隅には
速水先生がいて、ドラマの中のギバチャンを見ながら、
「あー、速水先生って、こんな感じかな、んー、でも
もうちょっとがっちりしてそうな感じもするよね」
とか、
現実社会から若干離脱気味なのであった。

しっかし。
外科医というものは、一般人には到底理解できない
ものなのだと思う。

それはたとえば、意識レベル300の患者を、
心臓切り開いて直接マッサージして生き返らせちゃう
速水先生
の行動であり、脳に血が詰まって圧迫
されている子どもの頭を、その辺にあったドリルで
穴あけて血を出させるヤマピー
の姿であり。

そして、目の前でお酒飲みすぎで顔真っ赤にしている
この外科医も、そんな常軌を逸していると思われる
ヤマピーの姿を見ながら、「正解だね」と、一般人には
理解できない解説をするのであった。

うーん、理解不能。
難しいなぁ。頭の良い人って。

と思いながら眠りに着いた次の朝。

予想に反して晴天の空の下、スキーに出かけようと思って
乗った外科医の車は田舎道には不釣り合いな超かっこいい
マニュアルのインプレッサ

車のシートは素晴らしく体にジャストフィットする
革張りで、すげーすげーと感激する私たちに
気を良くしたのか、不敵な笑いを向けてきた。

このスイッチがすごいんだよ。

ん?スイッチ?

見ると、ギアの後ろ側に、なんだかぽちっと
押せそうなスイッチが。

なに?ガンダム?
それ押すともしかして足生えてきたりするわけ?

とか茶化したのがいけなかったのだろうか。
突然、その医者はそのスイッチをぽちっと
押した。

その瞬間。

ブオーン

車が、あり得ないほど急に加速し、前からあり得ないほどの
圧がかかって、私たちはシートにへばりつけられた。

一瞬の出来事。

でも、一瞬死んだかと思った。
こんな急に圧がかかったら死ぬだろうと。

ふふふ。
これがやりたくて、この車にしたんだよねー。

・・・医者は、不敵に笑った。

うーん、外科医という生き物は、本当に理解不能だ。

2008年12月11日 (木)

252と螺鈿迷宮のフェロモン比較

「命がけの仕事をしている男性からは、
フェロモンがでてる」
んだそうだ。

ためしに、スタントマンとお笑い芸人のにおいを
女子が嗅いでみる、という実験を、とあるテレビ
番組でやっていたが、その結果は一目瞭然であった。

女子たちは、胸の一部以外を隠された、
まったくどちらか分からない状況で2人のにおいを
かぎ、そして全員が、同じ男性のほうを「スタントマン」
だと言い張った。

違う、匂いというのかなんなのか、もう全然違うんだと。
こっちの人になら、「抱かれてもいい」んだと。

じゃあ。

じゃあこの映画はフェロモン出まくりなんじゃないかと、
映画のスクリーンを見ながら思った。

ボーナスをもらったこの日は全員強制的に定時退社であり、
久しぶりに平日に穏やかな気分で鑑賞した映画。

252-生存者あり-

巨大台風に襲われた新橋駅に閉じ込められた
元レスキュー隊の弟とその娘を、レスキュー隊
隊長の兄と、その仲間の隊員たちが救いだす

というストーリーであるが、そのキャストたちは、
伊藤英明、内野聖陽、山本太郎、杉本哲太など、
「屈強な男たち」を体現したような面々であり、
そんな面々がレスキュー隊という、「命がけの
仕事」
をやっているところを見せつけられるわけ
だから、冒頭の理論からいくと、女子たちはこの状況に
もうメロメロになるはずであって、共演していた
香椎由宇とか桜井幸子とか、そのあたりの数少ない
女子の皆さんが間違いを起こしたというニュースが
1つもないのが不思議なくらいなのだ。

周りのフェロモンに敏感な(?)女子たちは、
私の周りでグスグスと涙を流して、すっかり
この「屈強な男子」たちにメロメロ
わけだが、私はスクリーンを見ながら、冷静に考えていた。

すみれ先生は、こういう男たちにはメロメロに
ならないんじゃないかと。

実は、この映画を鑑賞する直前まで、私はお客さんの
ところに出かけて行く電車の中でも、帰りがけに寄った
本屋の中でも、ずーっと本を読んでいたのだ。

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しかし、残念ながら、物語の最後の数ページを
読み終える前に映画が始まってしまい、私の
頭の中は、すみれ先生がどこに消えちゃったのか
もうそれで頭がいっぱいであり、何を見ても
すみれ先生につなげてしまう、という、それはそれは、
桜宮病院で行われていた治療のように、私を
「すみれ中毒」におぼれさせていたわけであって。

すみれ先生は、最先端の終末期医療で注目を集める
碧翆院桜宮病院の「光」のような存在である。
碧翆院の心療内科で、患者の精神をケアし、不治の
病の患者たちの精神を安定させて、長生きさせる。

そんなすみれ先生が心を奪われてしまっているのは、
このお話の主人公であるところの、天馬大吉クンである。

この天馬クンは、医学部で留年を繰り返す、
落ちこぼれ医学生であり、名前に似合わず不運ばかりを
呼び寄せる「アンラッキー・トルネード」であって、しかも、
いろいろとミッションを与えられた「二重スパイ」なのだが、
そんなだめでよわっちくて不運な男性に、きれいで
攻撃的でそしてわがままで、本人曰く、「昔はろくでなしと
いくじなしにはモテた」
すみれ先生が、なぜか惹かれてしまい、
そしていろんな手を使って「誘惑」する。

すみれ先生曰く、天馬君は、
「捨てられた子犬みたいに、
つい頭を撫でたくなる」
ような存在なんだそうだ。

天馬クン曰く、男というのは、
「勇ましいろくでなしと腰ぬけのいくじなし」のどちらか
しかいないんだというが、252のような男たちは、
女子にどんどん言い寄ってくる、「勇ましいろくでなし」
である。

こういうのにフェロモンを感じる女子は、結構早く幸せを
つかむんだと思う。
だって、積極的に向こうから言い寄ってくるわけだから、
そこをすかさずキャッチすればいいわけだ。

でも、残念ながらすみれ先生みたいな、素晴らしい女子だけど
「ダメんずウォーカー」である場合は、
「腰ぬけのいくじなし」ばかりにフェロモンを感じて
しまうのだが、腰ぬけどもは、追いかけると逃げて行ってしまう
ものだ。
こういう、人間の昔からの原理にあてはまらず、古来からの
フェロモンに反応できなくなってしまった女子たちは、きっと
いつまでも、幸せにはなれない。
現に、すみれ先生は結局幸せにはなれないし。

と、ここまで読んで、ものすごく違和感を感じている読者が
いるんじゃなかろうか。

それって、すみれ先生の話?それとも・・・って。

そりゃそうだ。

知らなかったかもしれないけど、有名な話をすると、
私、りぼんじゃなかったら、「すみれ」って名前を付けられる
ところだったんだ。

だから、螺鈿迷宮の「わがままバイオレット」は、
いわば私の分身。

男の趣味くらい100%一緒だったからって、不思議なことは
全然ないのだ。

螺鈿迷宮 上 (角川文庫)

著者:海堂 尊

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2008年8月23日 (土)

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7) Book 容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)

著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
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ガリレオが、映画になるんだそうな
それはもう、ガリレオドラマ版の1回目が
終了した時点で映画化が決定したんだと
いうから、なんとも気の早い話である。

で、映画になったネタというのが、直木賞受賞作の、
容疑者Xの献身である。

結構、東野圭吾は読んでいるはずなのだが、
なぜか、ガリレオシリーズには手をつけていなかった
私。

ドラマになるまえは、ガリレオシリーズの
存在を知らず(平積みにもなってなかったし)
ドラマになってからは、流行りものを避けるという
本能が働いてしまっていたらしい。

でも、今度は映画化だし、そろそろ真面目に予習を・・・
と思ったかというと、そういうわけでもない。

特にこの作品は、直木賞のおかげで、いろんな
ところで有名になってしまったので、どこか意識的に
避けていたものだし、何より、まだFEがクリアできて
いないのだ

そんなときに、集中して本が読めるだろうか。

でも、ひょんなことから、私の所に本が回ってきた。

「借りた本は1週間以内に返すこと。」
小さい頃に図書館で教わった基本ルールは、
まだ私の中で根強く生きている。

ゲームも終盤に入り、しかも1日1面、というハードルは
以外にサクサク超えられているので、1面クリアしたら
本を読む
、というルールを設定して、読んでみたら、
2日で終わってしまった。

直木賞受賞作として、こればかりがクローズアップされて
いるような気がするが、作品のクオリティは、他の作品と
そんなに大きく変わらないと思う。

最初に、すべてのトリックを読者には与えたような
書き方をしておいて、実は最後に、その何倍も
残酷な事実が待っている

この本を読んでいて、昔読んだ東野圭吾の作品を
思い出した。

レイクサイド レイクサイド

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こっちは刑事物ではないが、死体の処理の仕方がそっくりだし、
直木賞とは行かないまでも、このミスに選ばれて、さらには
これも映画化されている。

レイクサイド マーダーケース DVD レイクサイド マーダーケース

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発売日:2006/07/19
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それに、この話もやっぱり、最後に、予想を何倍も
上回る、残酷な事実が待っているのだ。

さて。
原作を読んでしまったところで、気になるのが、
映画とのギャップである。

最近のギャップでひどかったのは、
なんといっても、チームバチスタである。

もともと、ハードコアなお医者さんたちの、
男くさいストーリーであったのに、なぜか
結子たんが中央に据えられて、しかも、
でぶで胡散臭いはずの官僚さんが、
渋面の阿部ちゃん

映画の中にはなぜか結子たんのソフトボール
シーンまであって、なんだか軽くて、本来の
趣旨とは違う映画に仕上がってしまったのである。

そうして、ガリレオの映画のキャストを見てみる。

まぁガリレオの相手方の刑事さんが柴崎コウに
なっているのは今更しかたないし、ドラマはそれだから
おもしろかったわけなので、もう何も言わないことにして、
映画特有のキャスト(犯人側)に目を向けてみると。

幸薄な弁当屋の店員さんが、松雪泰子
そんな弁当屋さんに惚れる天才数学教師が堤真一

うーん。。。
本を最大限に忠実に再現するのであれば、

店員さんは木村多江
数学教師は伊集院光で行ってほしいと
切に願うわけだが。

あ。ちなみに、映画化記念、ドラマ再放送があるんだってさ。
録画予約しとかなきゃ!

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