雑談

2010年5月 5日 (水)

新しい家族

もうこんな年なんだから、「新しい家族」と言えば、
普通は私の子供だったりするわけだが、そんなこと
あるはずもなく。

ゴールデンウィーク初日の夕方、家から1時間半もかけて、
私はある東京郊外の駅にたどり着いた。

きょろきょろしていると、「行くぞ」と声をかけられる。
父だ。
どうやら、私がたどり着く1時間前には駅にいて、
変な宗教の人に話しかけられたり、交番での「被害者」と
警官の話を盗み聞きしていたりしたらしい。

新しい家族が、待ち遠しくて仕方ないのである。

でも、父はウキウキしながらも、あくまでも行き先を
語る気はないらしい。
行き先を告げないまま、車は出発する。

とはいえ、実は私は行き先を知っている。
姉妹ネットワークをなめるなよ。

いつも通り、カーナビで設定してあるにも関わらず、
迷いながら店に到着。
その店は、国道を曲がって細い道に入ったところから、さらに
細い道に入ったところにひっそりとあった。

車を降りて店に向かう。
と、そこには、自動ドアがしまらないように押さえながら立つ、
やたら人相の悪いおじさんが1人。

これはあれだ。
よくテレビに出てくる、取材してはいけない店の
料理人
の目つきだ。

ギロッとこちらをにらんで、その料理人は私たちに
いくつか質問をしてくる。
ちなみに、まだうちらは自動ドアの外である。

「HPを見て店に来た?」
「はい。」
「じゃあ注意事項等は心得ている?」
「はい。」
「今日は買ったら持って帰れる?」
「はい。」
「最初に抱くウサギはもう決めている?」
「はい。」

本能的に、ここは言い淀んだら負けのような
気がして、私はさらっとしかHP見てなかったけども、
とにかく私は即座に答えた。

すると、その料理人はすっと自動ドアから離れて、
店に入ることができた。

第1関門は突破、らしい。

中には、あの怖い料理人からは想像もできないほど
かわいらしいウサギがひしめき合っていた。

「おい!このお客さんウサギ決まってるから、ウサギ出して!」

と、その料理人の息子的な少年なんだか青年なんだか、
とにかく、童顔に生えたてのひげを生やしたようなよくわからん
やつがうちらを奥に案内してくれ、うちらに尋ねる。

「どっちが抱きますか?」

新しい家族、とは言っても、そいつの住所は実家の
住所になるのであって、私と同居はしないので、私が
抱っこしても仕方ないだろう。
と思って、父のほうを見るのだが、父は知らん顔。

おい。お前が飼うんだろうに。

と、私は父のほうを指して、「あ。こちらが」と
言おうとしたところ、ちょうど父が答えた。

「あ、この子が。」

・・・私かよ。

ウサギを抱っこする、と言っても、膝の上に乗っけてみる
だけだけど、そうすることで、ウサギの性格とか、飼い主との
相性とか、そういうのが分かるようなのだ。

というわけで、飼い主でもないのに、ウサギとの相性を
確認することになってしまった私の膝の上に、ウサギが
乗っかる。

お尻を押さえて、頭をなでてみる。
急に小屋から出されて知らない女の膝に乗っけられて
緊張しているウサギは若干フルフル震えたまんま、
動かない。
まぁ当たり前か。

父は、ウサギの顔を見て、なんだかすごく満足した
ようで、5分もするともう「これにしよう」と決めた様子。

なにしろ、「前のウサギにそっくり」らしいのだ。

前のウサギ、というのは、5日で死んでしまった
2代目ウサギちゃん。

2代目ウサギちゃんは生まれて1ケ月で
死んでしまった。
今抱っこしているウサギは生後6週間なので、
大きさこそ前のウサギとは違うが顔と模様が
そっくりなのだそうな。

そこから始まる、前のウサギトーク。

「水飲まなかったんですよねー、1回も」
と父が言いだすと、どこからかやってくる
料理人。

「水飲まないからレタスあげたんですけど、下痢に
なっちゃって」

「それは全然意味わかんないね、水飲まないから
レタスあげるなんて」

厳しい一言。

「あと、寒かったので、電気シートもひいてあげたんですけどね」
「あー、それはもう、みんなで殺しにかかってるような
もんだね」

ウサギは、消化の仕方が人間と違って、細菌で発酵させる
方式なのだそうで、だから電気シートとかでお腹温めて
しまうと、胃の中の細菌バランスが狂ってしまうらしく、
だから、体を直接あっためるのは厳禁らしい。

でも、ウサギ用電気シートって、ちゃんとペットショップで
売ってる代物なのだけど。

「小屋はすのこでいいですか?」
「すのこ?すのこで飼うんなら、ウサギは売れないね」
「え!じゃ、じゃあこの金網のやつ、買います。。。」

とまぁこんな調子で、ウサギ経験者都は思えないほど、
うちら親子はこの頑固親子にコテンパンに怒られた。

その頃、私はウサギから手を離す許可を与えられ、
お尻から手を離すと、ウサギが膝の上でひょいひょい
動き始める。

隣でほかの人に抱っこされているウサギは
手を離してもびくともしないところから比べると、
非常にリラックスしているように見える。

「もう1羽、だっこしてみますか?」

と息子に聞かれるが、父はもうすっかり、このウサギに
決めたようで

「いいですよこのウサギで」

それでも、もう1羽抱っこすることによって、他の
ウサギと比較ができるので、抱っこすべきだ、という
息子の意見にしぶしぶ従い、私がもう1羽抱くことにする。

来店して30分。
手持無沙汰の父は、他のウサギを見て回って
指突っ込んで遊んだりしている。

結局、もう1羽抱いてみたものの、結局はやっぱり
前のウサギに似ているということで、1羽目のウサギを
買うことにすると、今度は「おかみさん」の説明が
始まる。

ウサギへの餌のあげかたをレクチャーし、それから
「1週間は小屋から出さずに様子を見ること」など、
基本的なウサギの飼い方をレクチャー。

途中、餌の補充を求める他の飼い主から電話が
かかってきたり、1ケ月検診にやってくる人への対応などで
しょっちゅううちらへの説明は中断し、そもそも注意事項が
やたら多く、これらの説明に軽く1時間。

でもこれも、きちんと聞かないと、
「飼い主として不相応」という烙印を
押されそうな気がして、私は愛想よく、「はい」
「はい」と答える。

本当のところの飼い主であるところの父は、相変わらず
他のウサギにちょっかいをだして回っているから、ここで
私がぼろ出そうもんなら、このウサギを連れて帰ることは
ままならないだろう。

その証拠に、さっきウサギを買いにやってきた親子連れは、
「子供育てるのとウサギ育てるのは
同時にはできない」
と言われて、あえなく
リタイヤしてしまっている。

そんなこんなで、夕方に店に行ったのに、ウサギを連れて
店から出たのは、もう宵の口。
2時間近くもお小言を言われていた計算になる。

「あーあ、ながかったなー」

と、自分は話なんか聞いてもないくせに、疲れた様子を
見せ、父は車を発進させる。
キャリーバッグのウサギは、私の膝の上だ。

それにしても、店から家まで、高速で4時間弱。

店のおかみさんは緊張で、水なんかあげても飲まない、というが、
4時間も水飲まないのは非常に心配なので、SAでの休憩のときに、
軽く水をウサギにあげてみる。

飲まない。

水なんてないかのように、ウサギは鼻をひくひくさせ、
キャリーの中を歩き回り、軽く水をこぼして、そこで私は
一回あきらめた。

再び発進する車。
ウサギは再び私の膝の上で、キャリーの上から鼻を
出して、外の様子をうかがっている。

それから1時間。
再びSAに入って、もう1回水をやってみる。
この前のウサギが水飲まなくて死んでしまったこともあり、
私も父も水にはとっても神経質になっている。

またもや鼻をひくひくさせているウサギ。
また飲まないかなー、と私は少しあきらめモード。
父も外で煙草を吸い始めた、その時。

ウサギが、ペロッと水をなめた。

おお!飲んだ!と私は叫び、父は車に駆け込んできて、
このときウサギは、うちの家族になった。

それから5日。
1週間は小屋から出すな、と言われた頑固親父の
教えはすっかり守られることなく、ウサギはここ2日くらい、
餌を変えていれば必ず小屋からはい出てきて、人の
顔見えれば「だせやごるぁ」と小屋をがじがじかじり、
5日にして、我が家のボスになった。

一方、私は今日からまた一人。
早いとこ、夏休みになってまたウサギと戯れたい。。。

2010年4月30日 (金)

父と3○の…

父と3、とくれば、父と3人の娘たち、と来るのが
通例であるが、今日は3人ではなく、3羽、の話。

連休前の水曜日。
早めに1次会を切り上げた私たちは、どうやって
おじちゃんたちをまいてカラオケに行くか画策していた。

と、何気なく取り上げた携帯に着歴。

珍しく、父からの電話である。

気になったのでかけなおしても携帯には出ないので、
実家にかけると、またもや珍しく、父が自分で電話をとった。
どうやらご機嫌らしい。

「いつ帰ってくんの?」と父。
「土曜日、だけども」と私。

「じゃあ○○集合ね!」と、父は、突然、とある
東京の郊外の駅を指定した。

は?なんでそんなところなの?

と、怪訝そうに聞くが、父は
「ちょっとね!ちょっと用事があって!」
と、ご機嫌だけど用件は明かさない。

まぁ別に、それで私の新幹線代がただになるのなら、
と、了承して電話を切るが、どうも気持ち悪い。

どうしても気になった私は、次の日実家に電話してみる。
父の電話にかけなおしなら父が出るかもしれないが、
こっちから何の脈絡もなく電話して、父が出るということは
まずないので、父以外の誰かに事情を聞くのは簡単だ。

電話に出たのは、妹だった。
家には誰もおらず、退屈していた妹は、
こちらがこの後出かけるというにも関わらず、
必要以上にべらべらしゃべってくれた。

「お父ちゃん、なんで東京来るか知ってる?」
「お姉ちゃん聞いてないの?」

…聞いてないよ。

「ウサギだよ」

―――――――話は、約1ケ月前にさかのぼる。

土曜の朝、妹から一通のメール。

飼い始めてから3年になるウサギが、その日の朝に
なくなったというのだ。

思えば、全然家族になつかなかったウサギ。
自尊心が強く、ときどきヒステリーで、家族を困らせて
ばかりではあったが、それでも気が向けば家族の後を
ついて回ったり、なでてもらいにやってきたり、その
ツンデレっぷりがかわいらしかった。

それから1週間後。
父の誕生日だったその日、引っ越しのあとで金もなく、
プレゼントも買ってない私は、せめてもの思いで父に
電話してやった。

それが、である。

「何かほしいものとかあるの?」と聞いた私に、
「この前ウサギが死んじゃってさぁ、」と全然違う
話題を返してくる父。

それは知ってる、と答えた私だが、どうも話が
噛みあわない。

かわいかったんだぞぉ、
おれの手の上乗ってきたりさ、

と父は言うが、それが全く私の思い出と重ならないのだ。
あのウサギは、父の煙草の匂いが嫌いで、父が近付くと
大変な勢いで逃げて行ったものだ。

しかも、もっとも噛みあわないのは、
「でもさぁ、かわいそうに、4日で
死んじゃってさぁ」

いやいや、3年生きたでしょう。
と、聞き返す私に、父はやっとちゃんと説明した。

昨日の妹の説明と合わせて説明すると、
こんな感じだ。

ウサギ(あ、分かりにくいので、ここからは初代ウサギ
しよう)
がなくなったその日、父は大急ぎで新しいウサギを
手に入れるべく、妹がウサギを買ってきたペットショップに
向かったが、いけてるウサギがおらず、その日は仕方なく、
家族4人で動物園のウサギを見て帰ってきたのだそうな。

それでもあきらめきれない父は、次の日、ウサギを求めて
隣の県まで赴き、次のウサギ2代目ウサギとしよう)を買ってきた。

このウサギが、父が電話で言っていたウサギちゃんである。

初代ウサギは、ネザーランドドワーフ、という種類の、
耳がピンとたった、飼育されるウサギの中では最も
小さいタイプのウサギちゃんであった。

ピーターラビットのモデルでもあるこのウサギちゃんは、
小さくて飼いやすいんだけども、あまり性格はよろしく
ないらしく、気が強くてプライドが高く、しかも、うちにやってきたのが
生後3~4カ月くらいの思春期で、もうなかなか人になつかない
時期であったため、かなりひねくれた大人になってしまったのだった。

それに比べ、2代目ウサギちゃんは、ホーランドロップという
種類。
ロップ、という名のつくウサギでは、イヤーロップというウサギが
有名であるが、これはぶっちゃけでかすぎて飼いづらいと思われる。
ホーランドロップは、ネザーランドよりは少し大きいけど、
イヤーロップより小さく、比較的飼いやすい。

そして何より、性格がよく、だから父も簡単にウサギに
受け入れてもらえたのだそうな。
4月と言えば、まだ生まれたてで、誰がどんなだか
分からないということもあっただろう。

生まれたてだからかわいい、だけど、生まれたてってことは、
離乳したばかりだから、免疫がきれて病気になりやすい。
そして病気になるともう治らない、そういう微妙な時期に
あの不安定な天気。

まぁ無理もなかっただろう。
亡くなる前日、病院に駆け込んでも、医者は、
もうこの時期に病気になったら、治らないよ、と
つめたい反応だったらしい。

私が電話をしたのは、そんなことがあってから、
1週間後のことだったから、父の頭はもうウサギで
いっぱいだったのだった。

「でね、お父ちゃん2代目ウサギとおんなじウサギがほしくって
それからずーっとネットでウサギ調べててね、名古屋と東京に
いいウサギ屋さんがあるんだって言うんだよ」

と妹。
ウサギ屋さんって、昔からあるジャンル?

あ。名古屋。だから名古屋。

あのとき、父は電話で言っていたのだ。
「ゴールデンウィークは、名古屋行くから!名古屋!
日帰りで!」

日帰りで名古屋はムリだろう、と散々私が反対したから、
だから東京になったのか。
言えよ父。

「でね、お父ちゃん、一人でウサギ買いに行くと、
帰りウサギ心配で運転できないから、だから誰かに
ついてきてほしいんだって」

あ。それで私。
誰かとずーっと一緒というのが、父は嫌いなので、
帰りだけ私と一緒くらいがちょうどよいのかもしれない。

というわけで、父は明日、車を飛ばして
日帰りで東京へやってくる。

そして、おそらくは3羽目のウサギちゃんと、
2人と1羽で帰ることになるのだ。

父のこと散々バカにしながら、我が家の女性陣も
今頃ひどくウキウキしていることだろう。
もちろん、私も。

2010年4月25日 (日)

怒れるおばちゃん

春とは到底思えないほどの寒空の下、
私は1台のタクシーを、若干郊外の駅前で
捕まえた。

さむー、と口癖のように言いながら、乗り込んだ
私に、タクシーの運ちゃんであるところのおばちゃんは、
「暖房入れるかい?」と聞いてくれた。
いい人だ。

「いやー、景気悪くて大変だねぇ!」と急に
ガンガントークを始めるおばちゃん。

「はぁ。そうですねぇ。事業仕分けも始まりますし」

景気悪いと事業仕分けがどう結び付いたのか、
今となればすっかり忘れてしまったが、まぁ何かの
はずみで、私が事業仕分けの話を振ってしまったのが
いけなかった。

「いやぁ、民主党っていうのもいろいろ問題あるけど、
事業仕分けだけは正解だね。あれやるだけでも政権
変わってよかったってもんだよ」

とか言いながら、ちらつかせるスポーツ紙のとある記事。

「こいつだよ!こいつが天下りの『天皇』なんだってさ!」

と、おばちゃんは急に怒りだし、そいつの年収がいくらだの、
退職金がいくらだの、スポーツ紙の記事の情報を抜き出しては
お怒りになっている。

「それにしても、こんなことがあってまでなにも言わないなんて、
最近の若者はおとなしい!おとなしすぎるね!」

は、はぁ。草食ブームですから、大変申し訳ございません。

と、その後もおばちゃんの怒れる話はどんどんエスカレート。
どこがどうなってそっちの方向に行ったのか分からないが、
話は中国の万博の話に飛び火し、「中国人は怖い」という
ホラー的ストーリーになったと思ったら、話は急に、本日の
本題に入るのだった。

「うちの息子の嫁がさぁ、ハルピンの女なんだよ」

ハルピン、という、聞きなれない地名に、私は思わず、
「はる、ぴん?」と聞きなおす。

それが、運の尽き。

おばちゃんはどうやら、私がこの話に興味を持ったと
思ってしまったらしい。

「いやぁ、うちの息子、なかなか結婚できなくてさぁ・・・」

と、長い話が始まったわけだが、要約するとこんな感じである。

・なかなか結婚できない息子が、ある日突然、中国に
「嫁取りツアー」に行くと言い出した。
・息子はブローカーに約350万
(いや、おばちゃんはもっと
細かい正確な数値を言っていたが)
支払って、意気揚々と
嫁取りツアーに出かけて行った。
・そして息子は、ちゃっかり中国人の嫁を連れて帰ってきた。

ここで、私は思わず、
「そういうツアーで本当にお嫁さん、見つかるもんなんですねぇ」
と、相槌を打った。

ところが。ここからが話の肝である。

・嫁は、中国に残してきた親がいるとのことで、日本で
働いたお金を全部中国に送っている。
息子の貯金も気付いたら全部嫁が降ろして、中国に
送ってしまった。

「嫁はねぇ、結婚したかったんじゃなくて、日本に稼ぎに
来てるんだよ」

はき捨てるおばちゃん。

全然現実味のない話に、ただただ、「はぁ。」と相槌を
打つしかない。

そんでもってさらに。

「でさぁ、8年たっても子供ができないからどうしたのか
聞いたら、嫁が避妊してるらしいんだよ」

ちなみに、嫁は子連れで嫁いできているので、
別に子供ができないとかそういう事情ではないんだそうな。

「だからさ、私言ってやったんだよ」

と、ここから衝撃的な話が始まった。

曰く、

・じゃあさ、嫁に、子供出来たら100万やるって
言ってみたらどうだい?と息子にアドバイス。
・怪訝な顔をしながらも、嫁にそれを伝える息子。
・と、それから1ケ月・・・

「本当に、子供出来たっていうんだよ」

え?まじそんなきな臭いことあるんですか?
もはやぐうの音も出ない私の前に、どんどん積み重ね
られていく、意味わかんねー話。

・子供できたと言われたからには、100万支払わない
わけにもいかないので、息子に100万渡してやった親で
あるところのおばちゃん。
・しかし、金を渡してからたった1週間後。。。

「流産したんだってさ」

へ?

なになに?ちょっともう何が何のことやら。。。
それってもしかして、子供、できてなかったとか
そういうことは。。。
なんて、関係者も分からないネタばらしを、
私ができるはずもなく。

「でさぁ、流産したっていうから、100万返してって
言ったわけよ」

まぁ、結構つめたい対応ともとれるが、もともとその
100万は、いわば「子供手当」だったわけで、
大金であるからして、返してくれと言っちゃう、タクシーの
運ちゃんたるおばちゃんの気持ちも分からなくもない。

「それがさ・・・」

ここからの展開は皆さんのご想像のとおりである。
金が戻ってくるはずもなく。。。

「私もさぁ、もう孫はあきらめたわ。」

怒りがあきらめに変わって、おばちゃんは最後にこう言った。

「たぶんさぁ、向こうに好きな男でもいるんじゃないかと
思うんだよね」

真相がどうなのか、子供はできたのかできてなかったのか、
送金しているのは親なのか、それとも「好きな男」なのか、
それは今のところ、その「ハルピンから来た嫁」しか
知らない。

と、そんな深刻な話がひと段落したところで、タクシーは
目的地に滑りこんで…

「ごめんねー、こんな話しちゃって」と、傍らのスーパーの
袋的なものをがさがさあさるおばちゃん。

「これ、あげるよ」と差し出されたのは、
1足のピンクの靴下・・・

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ああああ。ありがとございます。

最後まで頭が整理できないまま、とりあえず
金を払ってタクシーを降りる私。

アラサーになっても、まだまだ私の知らない世界って、
きっと山ほど、あるんだろうな。

がんばれ、怒れるおばちゃん。

2010年3月13日 (土)

テレビっ子たちのお引っ越しスペクタクル その2

さて、父に初録画の権利を譲渡し、家に
戻ると、母は、もうほとんど家の掃除を終わらせ、
私たちを待っていた。

残りのごみを処分している母を再び家に残し、
私と父は、雨の中買い物に出る。

徒歩で向かった先は、旧家の近くの生活用品屋さん。

もちろん洗濯機の下に置くものを探しに行くのだ。
もう頭の中は、録画譲渡と洗濯機でいっぱいである。

煉瓦、と引っ越しのおじちゃんが言っていたのに、
父はテレビ見ていて話聞いてなかったのだろう、
一生懸命、木の板を探している。
排水管に当たらないような、丸い木の板。
でも、なかなかいけてるサイズの木の板がないのだった。
最終的には、のこぎりで切らなきゃ、という話まで
店員さんと父がしていて、私はさすがに焦った。
この東京大都会のどこで、のこぎり振り回すというのだ。

煉瓦だって、おじちゃんが言ってたよ、と後ろから
私が口をはさむと、やっと父は気付いた。
確かに、煉瓦がいいかもしれない。

しかしながら、このお店には煉瓦的なものがなく、
いったん家へ。

そして、すっかりかたづいた家に寮長さんを呼び出し、
点検をしてもらい、鍵を返して家を明け渡す。

あっという間だ。

旧家の裏のかっぱ寿司で、最後のランチをして、
本格的に新居に向かう。

が、その前に洗濯機。

もう1つの生活用品店にもやっぱり煉瓦は売ってなくて、
だけど私はいけてるものを見つけた。と思った。

洗濯機の音を吸収するための、洗濯機の下に置く
小さい台を発見したのだった。

About 4.5cm。

父の「7cm」に若干及ばないのが、父としては不満らしかった。

だから、その場にあったすのこの小さいやつとか、
ゴムのちょっとした板も購入し、7cmの条件を満たした
私は、問題が解決したような気になって、新居に
たどり着いたのだった。

新居につくと、私と母は直洗濯機の前に集合したというのに、
父がいない。。。

と思ってリビング開けるとやっぱりだ。

そこには、将棋を再生している父がいた。

どうやって女2人で洗濯機設置しろというのだ。
力仕事くらい、父がやらなくてどうするんだ。

とか思いつつも、とりあえず台を設置してみる。
すのこ敷いて、ゴム台をのっけ、、、

あ。

すのこの時点で、トラブル。
すのこ乗っけようとすると、排水管にすのこが
引っかかってしまうのだった。

おとうちゃんおとうちゃん!

将棋を途中であきらめて、洗濯機の前に父も集合し、
洗濯機設置の仕事は父に引きつがれ、洗濯機の前に
3人もいても非効率的なので、私は段ボール開梱の
仕事を始める。

と、ここから、父と母の夫婦喧嘩が始まった。

すのこをあきらめ、ちょっと高さは足りないかもしれないが、
と言いながら、母が洗濯機の台を下に敷き、父が上に
置く、という手法をとったのだろうが、場所が狭くてどうにも
うまいこといかないのだそうだ。

ちゃんとやれよ!とイライラする父と、
やってるわよ!とヒステリーを起こす母。

仕方なく洗濯機のところに戻る私。

と、私が戻ってきたのをいいことに、父はリビングで将棋の
続き。

そう。父はイライラすると、現実逃避をするのだ。
こういうときもやっぱりテレビに。

とりあえず、ぐねぐね曲がっているチューブをくるくるっと
正常な状態に直して、私はもう一度、父を呼びに行く。

夫婦喧嘩は犬も食わない、というが、こういうとき、
娘くらいは食ってやらなきゃいけないのだ。

(いや、その前に私の家の問題だからな)

今度は、私も付き添って洗濯機設置。
父は洗濯機を片手に、なにやら下のほうをごそごそいじくって
いるのだが、どうやら手がでかくて入りきらないのだそうな。

そんならそれで、入らないって言えばいいのに、今度は
意地になっている。

もぉ!と思いながらも、ここはひとつおとなになって、
「ちょっと見して」と私が手を入れると、意外に簡単に
洗濯機の下に手が入る。

なぁんだ。簡単じゃん。私のか弱い腕なら!

そこからは早かった。
ものの1分でチューブを元に戻すと、父は結構簡単に
洗濯機を設置し、洗濯機トラブル完了。
4.5cmの台であったけども、チューブが潰れると
言うことはなかった。

問題が解決し、私は開梱に戻り、父は将棋に戻る。

と、気付くと父は将棋見ながら、うとうとうとうと。
それでも何とか将棋は見終えた父は、うとうとのまま、
あろうことか、まだ私が一回も寝ていないベッドに
侵入し始める

ちょっとぉ!そのマットレス、結構高かったのよ!

なんて愚痴は聞いてはいないようで、まだシーツも
引いてないマットレスで、父はのんきにいびきをかき始めた。

またがっかり。の私。
まぁ父も疲れているので仕方ない、と
なんとか自分で自分を納得させて、開梱作業を
続ける。

そこから、1.5hも寝ただろうか。
テレビで何らかのアニメが始まり、父はその音で
むくっと起きる。

「鋼の錬金術師」。

ワンピースやドラゴンボールはまだ分かるが、
ここまで来ると、これは完全に私の範疇外である。

「これって面白いの?」

えー、と父。

「むちゃくちゃ面白いんだぞ。」

・・・あそですか。

茫然とテレビを見る父に、私は仕事を1つ分け与えた。

「ねぇ。電話の設定してくれる?」

新品のAmadanaの、超おされ固定電話。
開梱とか片づけとか、そういうことができない父には、
電化製品の設定くらいしか与えられる仕事がない。

と、「なにこれ、ほんとに電話?」とか言いながら
設定し終わった父は、突然どこかに電話し始める。

おいおい。新品電話もお父様が先に使われるのですか?

突っ込む間もなく、父が電話をかけた先。
それは実家だった。

通話テスト?と思って聞いていると、電話に出た
妹に、父がなにごとか命じている。

「あのさぁ、9時までに帰らなかったらさぁ、BSでさぁ、
イ・サンを録画しといてくれる?」

・・・またテレビの録画ですか。

と、最後までテレビの心配をしながら、父と母は、
田舎に帰ってゆく。

最後に、車のところまで行ってトランクを開けると、
そこには旧家で使っていた私のテーブル

あのー、これ、粗大ごみ出したはずなんですけど。

というと、父は何事もなかったように宣言する。

「あ。これおれの部屋で使うからさ」

父は、最後までちゃっかりしながら、大きな
パジェロを振り回して帰って行った。

まぁいろいろあったけども、あれから1週間。
今、すばらしく暮らしが快適です。

それもこれも全部父と母のおかげです。
ありがとう。

2010年3月10日 (水)

テレビっ子たちのお引っ越しスペクタクル その1

ついにやってきた引っ越し前日。
新居に前入りして新品家具を引き取り、
ネット環境とテレビだけはきっちりセットアップをし、
引っ越し前の家に戻った。

何しろテレビっ子の私。
テレビとネットのない生活は耐えられない。
引っ越しの日程を決めるのも、契約日から
数えて、新しいテレビが届くのに十分時間があって、
且つネット環境も引っ越しに合わせて開通できる日を
選んで設定する有様で、電話でもネットとテレビの話
しかしない私に、母はあきれていたのだった。

そして、その母が、父を引き連れて、引っ越し準備の
手伝いにやってきたのは、その日の午後。

新しいものにはめっきり弱い母だが、お掃除とか、
お料理とか、そういうタイミングになると、急に張り切りだす。

私の家にも洗剤とか掃除道具にはあるというのに、
なぜかバッグに一式詰めて実家から持ってきて、
あっという間に、旧家は母の独裁国家になってしまい、
父と私は母の家来になる。

一方。
父はこういうとき、めっぽう役に立たない。
家来としては足軽くらいのレベルだろうか。
その日も、母にスプレー缶に穴をあけるように言われると、
穴をあける道具を持ったまま、気づいた時にはいなくなって
いた。

母も私も、父が消えることには慣れているので、どうせ
どこかで煙草でも吸っているのだろうと思ってきた。

と、そのとき。
ばつん、ばつん、とどこからともなく聞こえてくる音。
あまりにも永久に続くので、母も気味が悪くなってきた
ようだ。

ちょっと、見てきてくれる?と母。

どうやら、物音は、部屋の外、ご近所さんの家のあたり
から聞こえてくる。

と、案の定。
そこにいたのは、父。

何をやっているのかと思いきや、スプレー缶に
いまだに穴を開けているのだ。

見ると、スプレー缶は穴だらけのぼっこぼこ。
乱射事件にでもあったような有様になっていた。

「だって、スプレー缶がくさいから」と父。
穴あけるとガスが出てくるんだかっら、くさいのは
あたりまえなのだが、たくさん穴があれば、早く
くさくなくなる、と父は思ったようなのだった。

父よ、ここは社宅なのだよ。
他の家の前で変なことするのはまじで
やめておくれよ。

ちなみに、その日、父がやった主な仕事は、
唯一、このスプレー缶穴あけであった。。。

次の日。

8時から9時ころ来ます、と言っていた引っ越し屋さんは、
8時を若干フライングして、7:50にやってきた。

怒涛のように荷物を運び出し、9時前には家の中が
空っぽになり、引っ越し屋さんは2tトラックで、私と
父は父の車で、新居に向かう。

新居に着いたのは、9:20頃。
日曜日の9:20といえば、ドラゴンボールが終わる、ちょうど
そういう時間である。

言っておくが、父は私の10倍くらい、テレビ&ネット中毒
である。
そしてアニメ好き。

引っ越し屋さんが荷物運び込んでいるというのに、父は
若干上の空。

だって、ドラゴンボールの次は、ワンピース、でしょ?
ドラゴンボールも好物だが、ワンピースは父の大好物
である。

そんな父を気にする様子もなく、引っ越し屋さんは淡々と
作業を進め、あっという間に家具を組み立て、段ボールを
運び込んで。。。

と、ここでトラブル。

お風呂のほうから呼ばれた私。
行ってみると、定位置についていない洗濯機。

「これ、このまま設置しちゃうと、管が潰れちゃうんですよね」

言われてみると確かに。
通常ならついている、洗濯機乗せる台がうちにはないのだった。
そんでもって、一人暮らしにしてはちょっと大きめのマイ洗濯機。
そのままドカンと置くと、下の排水管が潰れちゃうのであった。

「煉瓦とか、下に敷けば、潰れずにおけますから。」

と、洗濯機の設置方法を教えて、引っ越し屋さんは去っていく。

その状況を見た父は、んー、と排水管の飛び出ている高さを
測って、一言。

「7cmだな」

そうして、父はいそいそとリビングに戻っていく。

どうした父。そんなに急いで。

と、時計を見ると、9:55。
引っ越し屋さんも帰ったことだし、いったん旧家に戻って、
お掃除しないといけない。

というわけで母に電話し、今から帰る旨を告げ。。。

え?

電話している私の目に映ったのは、一生懸命チャンネルを
回している父。

いや、帰りますって、帰りますよ、父上。

と、合わせたチャンネルはなんとNHK。

・・・あ!

日曜の朝10時。
それは、父が世の中で一番好きなテレビ番組、
将棋トーナメントが始まる時間である。

でも、父もさすがに今から2時間将棋見る時間は
ないと判断したようだ。
すかさず、実家に電話する。

が。

でない!
と騒ぎだす父。
家にいるはずの妹が電話に出ないのだった。

将棋が録画予約できないじゃないか!
これだけで若干ご機嫌斜め。
さっきまでワンピースで結構ご機嫌だったのに。

じゃ、じゃあさ、と私は奥の手を差し出す。
身を切られる思いで。

「うちのテレビで、予約する?」

何しろ、うちのテレビは昨日届いたばかり。
私はまだほとんどテレビ使ってないし、もちろん
録画なんてまだやったこともない。

よって、うちのテレビ、記念すべき初録画番組が、
あろうことか、父の将棋番組になってしまうってことだ。

そんな私の思いを知ることもなく、父は、
「あ、それがいいや」
と言い、適当にリモコンいじくって、即座に録画開始。

がっかりした私と、ご機嫌がすっかり元に戻った父は、
それぞれの思いを抱えて旧家に戻る。

次回、引っ越しのその後。

2010年3月 3日 (水)

引っ越す理由。

実家は、本家だ。

金持ちでもないし、ちゃんとした家柄でもないが、
とにかく、ど田舎の本家だ。

それがどういうことか、というと。

連休ともなれば父の姉上、兄上の皆様が、
それぞれ気ままに、来たいタイミングでやってくるのだ。
家族連れで。

それが、計画的に、連絡があった状態で来ればまだよい。

それなのに、うちの親戚というものは、まず連絡を
よこさないでやってくる。

時には、家族でドライブして、帰ってきたら、親戚が
勝手に家にあがりこんで勝手に湯を沸かし、みんなで
お茶会をしていたことまである。

なんでそんなことを平気でするのかって。

あいつらはどうやら、あそこを、父と母と私たち3姉妹の
5人家族の家とは思っておらず、いまだに「自分の実家」
だと思い込んでいるらしいのだ。

実家に自由に帰ってきて何が悪い。

そう思って、彼らは何の反省もすることなく、連休に
やってくることもあれば、気が向かなきゃやってこない。

そしてさらには、親がそんな感じだからなのか、
その子供であるうちのいとこたちとか、その子供たちも
同様な感覚を持ってしまい、だから、お休みの日になれば、
必ずと言っていいほど、誰かしらうちの茶の間でお茶して
いるような有様である。
(子供だけうちの親に預けて夫婦でスキーに出かけるような
不届きないとこもいたりする)

それに加えて、うちら3姉妹も、いや、正確にはうちの
3姉妹の友達も、なぜか遊ぶのは私の家だった。
学校行く途中ってわけでもないのに。
(だから逆に、私は、友達の家の場所をほとんど知らない)

しまいには、母のママ友の皆様もうちでお茶を飲み、
父の友達も父と将棋をしに集まって。

だから、大盛況の日ともなると、私の家は大変なことに
なっていた。

親戚母の友達がごちゃまぜで茶の間でお茶を飲み、
父と将棋相手は縁側で将棋をたしなんで、子供たち
年代を超えて応接間でガールズトーク・・・をしようと
思ったらいとこの子供のガキどもがそこに流れ込んできて
ゲームする、みたいな。

軽く20人くらい家に集合しちゃっているのだ。

そんな大変な家に飽き飽きして東京に出てきた私であったが、
東京に来ても、ぶっちゃけこの状況は変わらなかった。

大学からえらく近いところに住居を構えてしまった私は、
終電をなくした哀れな友達たちの、格好の避難場所となり、
私が一限から授業だといってもそんなこと関係なく、
真夜中まで、いや朝まで、家でどんちゃん騒ぎ
繰り返し、隣の住人から怒られる始末。

私はあの時知った。
都会というものは、どんちゃん騒ぎをすると怒られる場所
だということを。

それが、である。

状況が変わったのは、会社に入ってからである。

なぜか一人だけ、みんなと違う社宅に入ってしまった私。
今まではJR沿いに家があったのに、私鉄しかアクセスできない
不便な場所にあるということもあり、家にあがりこむ輩が
いなくなった。

そうすると。
不思議なことに、田舎であんなに煩わしかった大所帯が
懐かしくなってくる。

幼少のころから、家に人を呼ぶ生活に慣れているので、
外に遊びに行くことを知らず、家にいても一人じゃつまんないのだ。
しかも、家で一人だと、少しづつではあるが、乱れてくる
誰にも見られないからよいのではないかと。

そんなこんなこの家に住んで7年。
少しづつ・・・が7年も続くと、それはもう、全然少しじゃない。

途中、妹が近くに住んでいるときは、ときどき妹も、
やっぱり勝手に私の家にあがりこむので、妹の模範となるべく
それなりにちゃんとしていたと自分では思っているのだが、
そんな妹もいなくなってしまい、これはもう完全にやばいと
思った。

このままでは、ずぶずぶとこの下がり調子の生活に
はまり込んでしまうと

だから決めたのだ。
引っ越すことを。

実家とか、大学のころのように、いろんな人が入れ替わり、
立ち替わり、という家にするのはもう難しいかもしれないけど、
だれかがときどき遊びに来て、どんちゃん、まではやらなくて
よいけども、みんなでご飯でも食べながら騒げるような家に
なればよい。

と思って、アパートなのに、両隣に部屋のない物件
探し当てた。
多少騒いでも怒られることのないように。

だから、だからである。
私の生活がまた下がらないように監視するためにも、
引っ越したおうちには、遊びに来てよ、という、今回は
つまるところそういう宣伝である。

料理教室途中で挫折したから大したものは作れないけども、
できる範囲でおもてなししますから。

あ。その際、おねがいだから事前に連絡だけはしてください。
うちの親戚みたいに勝手に訪ねてくることはなきように。

2010年1月24日 (日)

デジパと注文の多い…

通っている美容院が、代官山に移ったのは
夏のこと。

どうやら、不景気で店舗数を減らしているのだろう、と
私は勝手に解釈しているのだが、移転先の代官山店は、
設備がやたら充実しているようだった。

設備が充実してくると、使いたくなるのは人間心理なので
あろうか。

移ったばかりの美容院に向かった夏の日。
私は珍しく、カラーを頼んだ。

「でも、あんまり染めた染めたと言われないように、
こっそり染めたいんですよね~」

と、高校生みたいなことをいう私に、美容師さんが
提案してくれたのは、「ハイライト」という染め方。

髪の毛を全部染めるんでなくて、ところどころ、線が
つくように明るくしていく手法なのだそうで、これだったら、
あんまり激しく染まらないし、何より、プリンにならないと
いうのだった。

そして、今日。
目立たないように、ってハイライトやったけども、
さすがに、本当にだれも気付かないだなんて。

と、カラーリングはいい加減諦めた私は、半年ぶりに、
パーマをかけなおしてもらおうと、再び美容院に
向かった。

あんまり根元のほうはパーマかけないで、毛先のほうだけ
かけてください。

と、またしても変なこという私に、美容師さんが勧めたもの。

それが、デジパだ。

デジパ=デジタルパーマ。

噂に聞いてはいたが、そんなナウいもの、やったこと
ないっすよ。

と、おのぼりさんみたいなことを心の中でつぶやきつつ、
「はい!おねがいします!」とよくわかんないけどミーハー
精神で答えた私。

よし!と答えた美容師さんが持ち出したもの。

それは、またしてもアルミホイル

ハイライトのときも、アルミホイルだった。
一部の髪の毛だけ染めるのだから、染めない部分に
色が移ってはならないため、アルミホイルの上に乗っけた
髪の毛だけに薬をつけるのだ。

そんでもって今回は、髪の毛の根元はパーマをかけないので、
一部づつアルミホイルの上に乗っけて、パーマをかける
髪の毛の下のほうだけに薬を付けてゆく。

15分後。
薬をつけ終わった自分をまじまじと鏡で見ると、そこには、
頭中にアルミホイルを取りつけられたその上に、髪の毛を
あっためるためのサランラップを乗っけられた
、無残な
姿の私。

なんか、鮭のホイル包みっぽい。と思った私は、ふと
気付いた。

これは、注文の多い料理店だ。と。

なんだか怪しい料理店に入ったら、「粉をつけろ」だの、
「塩をもみこめ」だのいろいろと注文をつけられて、
なんだろうなんだろうと思っていたら、自分が料理されちゃう
宮沢賢治の童話。

まぁ私は、注文付けられて自分でやっているわけではないが、
お金払って、自分がいろんなことされて、食べられちゃいそうな
姿にさせられるところが、なんとなく似ている。

その後、いったんアルミホイルは取り除かれ、薬を
おとして、これで食われることはない、と胸をなでられる
私。

しかし、恐怖はこれで終わりじゃなかった。

料理のあとは、人体実験が待っていた。

髪を洗ってもう一度席に戻ってきた私に、彼らは
くるくるくるくるカーラーを巻きつけて、完全に私を
サザエさん状態にしたあと、そのカーラーの1本1本に、
あろうことか、電気を通し始めた

これはあれだ。
記憶喪失の人とか、犯罪者とか、そういう人の頭に
電気ショック与えて、何かを思い出させる
、あれだ。

・・・なんて思わず妄想しちゃう私。
(変なドラマ見すぎ)

と、美容師さんが電源をON

ひぃぃぃ!とおびえる私であったが、別に、びりびり来る
わけではない。
(当たり前)

その代わり、カーラーがどんどん熱を帯びてくる。
どうやら、ホットカーラーで形状記憶をしてパーマ
かけるのだそうな。

ああよかった、変な思想を脳に直接叩き込まれなくて
と、ありもしないことに安心した私は、ちょうど日向で
紅茶傾けていい気分になっていたこともあり、あっという間に
夢の中へ。

15分後、目覚めた私は、見事なくりくりパーマ
なっていた。

あ、いや、失敗したわけじゃなくて、ちょうどいい感じの、ね。

デジパは、普通のパーマと違って、ムースつけなくても、
いい感じにくるん、とナチュラルな内巻きになるんだそうな。

さすが、文明の利器、デジタルパーマ。
体張って人体実験に耐えただけの効果はあるらしい。
落ちにくいみたいだし、しばらくはこの恩恵にあずかることに
しよう。

2010年1月17日 (日)

はつやすみ、はつやまい。

ただの風邪だって、最初は信じていた。

いや実際、ただの風邪だったのだ、もともとは。

それは、仕事始めの月曜日。
「では、今年もよろしくお願いします、かんぱ~い」
という、年初めののほほん、とした乾杯のあいさつを、
私は背中で聞いていた。

何しろごゆるりと酒を飲むような悠長なシチュエーション
じゃない。

年明け早々、寝ぼけまなこを無理やりこじ開けるように
その日も入札が1件。

その週は他にも入札だの開札だのが目白押しで、
だから、お酒なんて二の次で、私はその瞬間も
資料作りに追われていた。

が、そんな私のあせりをものともせず、お酒は
人込みを縫って私の机のところまでやってきて、
「どうですか、一杯」と言うのだ。

んー、ビールはちょっと。。。
と、手渡されたビールに辟易し、これを合図に私は
人込みに乗り込んで、チューハイを取ってくる。
(おい、仕事しろよ)

じゃ、、、乾杯!
と、仕事を諦めてごくりと一杯飲んだその瞬間
私は風邪をひいた

もうはっきりとこの瞬間、喉に急に痛みが走ったのだった。

え?とビビりながらも、衝動的に、お酒で消毒しようと
思ってしまうのは、日本人の習性だろうか。

いったん仕事に戻るも、チューハイのせいでもう使い物に
ならないことを自覚した私は、結局1.5次会だか2次会だか
分からんが、ともかくも居酒屋になだれ込んでしまった。

それから1週間。

なんだか喉いてぇなぁと思いつつも、葛根湯だののど飴だので
なんとか乗り過ごし、3連休、あんまり騒がしくさえしなければ
治るんだろうと、私は勝手に思っていた。

土曜日は映画に行っちゃったから、今日はゆっくりしよう、と
新年明けて「はつやすみ」となる日曜はおうちでごろごろし、
静養に努める。

が。異変に気付いたのは月曜日。

日曜日ちゃんと大人しくしてたのにおっかしいなぁ、と
首をかしげながら、あまりの寒さにお腹にカイロ張り付けて
英会話に行き、不動産屋さんをキャンセルして家に帰って
熱を測って、私はビビった。

え?38℃??

そんでも、熱ってものは、ある程度上がれば、あとは
汗かいて下がるもんである。

あったかくして、加湿器つけて、マスクはめて、私は
とりあえず布団を頭からひっかぶった。

それなのに。

寒いのだ。
おなかにカイロ張り付けてるから、その部分はあったかいの
だが、それ以外のところが全体的に、まじで寒い。
どんだけあっためても、丸まっても、寒い。
しかも、何時間たってもまったく熱くなってくる様子がない。
関節まで痛くなってきた。

そんな調子のまま、気づけば次の日。
この日はもともと、働きすぎの12月を取り戻すための、
代休を取得していた日であった。

寒くて寒すぎて熟睡することもできず、私は辟易しながら
朝を迎え、熱を測ってそして気付く。

これって、もしかして、風邪じゃない
のではなかろうか。

この時期、こんだけ高い熱がこんな長時間続くということは。

ぼーっとした頭で口ポカンと開けながら、私がたどり着いた結論。
これはもしかして。

端と思い当った私は、急いでお風呂入って身支度整えて、
病院に向かった。
あのウイルス騒ぎのあとにできた、ご近所の新しいクリニックへ。

週明けの満員の病院で、がくがくぶるぶる寒さに震え、
やっと呼ばれるとお医者さんのヒアリング。

熱は?―39℃くらいあります。
頭痛は?―痛いです。
喉は?―痛いです。
体の節々の痛みは?―あります。

と、お医者さんの質問はどうやら何か1つの結論を導き
出そうかとしているかのように単刀直入で、しかも、私の
回答はすべてYesになる。
もしかしてもう答え分かってるんじゃないの?と思った時、
彼は核心に触れてくる。

近くにインフルエンザの人、いた?
―いない、と思うんですけど。

じゃ、検査してみよう。と隣の部屋に移されると、
あの、噂の、長いめんぼう君が待っていた。

おもむろに鼻にめんぼう君を差し込まれ、痛さにうんうん
言っていると、サンプル抽出は終わったようで、待合室に
戻される。

そんでもってまたガタガタ震えていると呼び出しをくらい、
部屋に入るとそこに置かれていたのは・・・

サンプル検査の結果。

妊娠検査薬ならここにプラスマークとか出るのよね?とか
ぼーっと考えたりしてみるが、事態はそんな甘くないことは
見るからに明らかであった。

サンプル結果にはAB、とちょっと離れたところにCのマークが
ついてるんだけど、見事にAの場所に赤い線が

「A型です」

・・・わかります。すっげぇ簡単に分かります、先生。

「じゃ、金曜にもう一回来てね。」

と言われ、結局、ガタガタ震えたまま、私は病院を後にし、降り出した
雨の中、タミフルを処方してもらいに薬局に走る。
出されたタミフルは5日分。

今週は出社禁止、と、医者に言われたことを会社にそのまま伝え、
とにかく眠ろうと思ったが、まず寒くて寝れない。

そのうえ、もともとその日は休みだったはずなのに、今週私が
行かないと言ったことが逆に動揺を誘ったのか、なんだか
やたらとその日は電話がかかってきて、やっぱり寝れない。
みんな「寝てました?無理しなくてもいいですよ」と言っては
くれるのだが、そんな言葉とは裏腹に、何度も鳴る電話。
熱39.7℃、且つタミフルでおかしくなっている人の指示を受けて、
どうしようというのだろうか。

が、次の日、タミフル君の素晴らしさに気づかされる。

2日間、全然下がる様子を見せなかったというのに、水曜の
朝、起きたらすっかり私は平熱に戻っていた
それはもう、あっけないくらいすっかり。

そんでも、タミフル飲むとやたらと眠くなるし、インフルになる
前にかかっていた風邪はどうやらひどくなっているらしく、
鼻水じゅるじゅるである。

だから、会社から電話がかかってきても、なんだかどことなく
熱があるような受け答えしかできない。
「熱は平熱なんですけど」とか言っても疑心暗鬼そうなみんなの声。
いやこれは、鼻がつまっているのだよ。

そうして平熱だけどもぼーっとしたまま、私は漫然と
本を読み、ネットでお絵かきロジックを解き、2日が過ぎた。

そして金曜日。

もうすっかり平熱だけど、とりあえずタミフル飲んで、
お風呂入って向かう病院。

具合悪かった時は激込みだった病院が、金曜は気持ち悪いくらい
空いていて、すぐに名前を呼ばれた私は、先生に聞かれる。

「で、今日はどうする?会社行く?
ってかもう昨日も行っちゃった?」

え?あんたでしょうが。
今週は行っちゃだめって言ったのは。

困惑した表情の私をみて、お医者さんはふっと、笑った。

「ま、今日ぐらいは休んで、明日から、ね」

明日は土曜なんで、もともと休みなんですけどね、と
私は憎まれ口を言い残して、止まらない鼻水を処理するための
薬を処方してもらい、無罪放免、と相成った。

そして、先週はチェロ行って映画見てた土曜日が再び始まる。
まだ「はつやすみ」から抜け出せない私を取り残して、1月は
もう折り返し地点までやってきていた。

私がインフルエンザになったことに気づいていない
チェロ仲間に交じって、何事もなかったように、今日も私は、
チェロに興じる。

2010年1月 3日 (日)

気を取り直して2010年。

2009年はチェロだの、英会話だの、いろいろなことを
始めて、仕事はどうあれ、趣味の面ではやたらめったら
充実しており、忙しくて笑いだしそうな、そんな1年であった

はずなのに。
なんだか年末あたりに事態は急にごちゃごちゃし始めて、
晴れ上がっていたはずなのに、急に吹雪の中に一人
取り残されたまま年を越してしまったような気分。

のだめ(巴里編)でいうと、オクレール先生に、
「もうすっかりわからなくなっちゃったね」
って言われている
ときの、のだめの心境そのものなのであるが、
それでもアラサーの時の流れは非常に速く、その速さに負けない
ためには、前に進んでいくしかないわけであって、だから、今年も
何かを残すため、何をしようか考える。

うーん。

2009年は友達の説教に乗っかって、チェロを
始めたのが、1つの波に乗るよいきっかけになったような
気がする。

そうするとだな。。。
と思いつつ、そのときの友達の指摘を思い出して
みると、なんだかもう1つアドバイスをもらっていた
ような。

そうだ。

引っ越す。だ!
もう少し都会的な、スタイリッシュな場所に住んで、
女としての気合を入れなおす。

うむ。

去年まで、「都合のよい女友達」から抜け出す、とか
あいまいなことをのたまっていたけども、きっとそういう
ことだから、やり方も分からず、達成率も分からない、
適当な結果に終わってしまったのだ。
(ってか確実に全く達成できてねーな。我ながら)

だから、今年は、「引っ越す」というわかりやすい目標を
定めて、着実に達成していこう。

ひとつ、心配事は、昨日引いたおみくじに、

(住居)現在地はあまりよろしくありませんが、あせって
移動すれば損失をこうむります。

って書いてあったことだけども。

ふむ。

そしたら、あせらずにじっくり、今年は新居を探すことに
しよう。

私の、新しい未来のために。

2009年11月30日 (月)

おのぼりさん10周年記念

長野からおのぼりさんとして東京にやってきてから、
早くも10年がたってしまった。

10年もたてば、東京での出来事なんて当たり前。
珍しいものもなくなって、いちいちミーハー精神丸出しで
大騒ぎすることもなくなった。

かと思っていたのだが、どうやら田舎者というものは、
何年たってもおのぼりさんから抜け出せないものらしい。

そんなこんなで、中央線沿いのある駅に長野からの
おのぼりさんが3人集まったのは、仕事がひと段落して
久しぶりに残業から解放された会社帰り。

え。
そんな中央線沿いの住宅街に、おのぼりさんスポット
あるのかって。

ある。
おそらく芸能界で誰よりも私生活がばれてしまっている
お笑い芸人超おんぼろアパートが、この駅に
あるのである。

というわけで、各自、ネットで検索し、出てきた地図を
持参のうえ、集合したというわけだ。

どうやらその家を見つけたら、家の前に差し入れをしていくのが
礼儀なのだそうで、わざわざ商店街のお菓子屋さんで
うまい棒を30本仕入れ、家を探し始める。

ところが、である。

私の持ってきた地図は1枚なのだが、友達の持ってきた
地図は、なんと4枚

ナイツがいうところの、ヤホーで検索すると、どうやら
住所が4つ出てくるのだそうな。

アンチヤホーの私はグーグル先生で検索し、
そちらでは1つしか出てこなかったのに。

というわけで、私の地図とヤホーの地図を照合したところ、
同じ住所が出てきたので、とりあえず可能性が一番高いと
思われるその住所に行ってみることにする。

それにしても、11月の水曜の夜の住宅街は、
ただひたすらに真っ暗。

会社帰りのヒールでカツカツと歩くと、静かにしていても
それだけで職質でもされそうな予感がして、1軒目にも
まだたどりつけてないのに、もう早いとこ終わりにして
あったかい鍋でも食べたくなってくる。

そんなこんなでとりあえずたどり着いた1軒目。
ヤホーとグーグル先生が両方とも示した場所だし、
間違いないだろう、と思うのだが、そこにはあの有名な
アパート名の標識はなくて。

とりあえず、2階に上って、誰かの差し入れがあれば
正解だ!ってことで、2階に突入しようとする田舎者
女子が2名。
あきれる男子が1名。

しかし。
そこには衝撃の告知が待っていた。

Photo

「住所とアパート名を確かめて!
○○さんはここには居りません。品物を
置いていかないでください」

…グーグル先生に騙されて、いったいどれくらいの
おのぼりさんたちが、このアパートを訪れたと
いうのだろう。
自分がダミー物件であることをこんなにはっきりと
公表しなければならないだなんて。

というわけで、私たちはすごすごと1件目をあとにする。

しょうがない。
ヤホー地図のほうのデータで探すことにするか。

しかし!
友達がごそごそと出してきた地図に、私は驚愕する。

こういうのに疎い友達は、ネットで地図を検索した
まではよいのだが、地図には「印刷用ページ」という
仕組みがあるところまではわからなかったようで、
要は、印刷用ページになる1つ手前のネット表示用の
地図を印刷してきてしまったのだ。

だから、「印刷用ページ」なら、ど真ん中にあるはずの
目的地が、その地図だと、かろうじて端のほうに、
目的地であるマークの大きな丸が半分だけ見え隠れ
するようなありさま
で、しかも、縮尺も適当なもんだから、
駅とか通りの名前とか、そういう目印が1つも見当たらない、
なんとも頼りないものになっている。

…これじゃあどこをどう探してよいのやらわからないよ。。。

と、差し入れで買ったはずのうまい棒をたまらずに齧りながら
不満をもらす私をものともせず、いいから探せよ!といわんばかりの
態度の友達。

だいたい私、地図が読めない女だったはずなのだが。

なんとかその中から比較的わかりやすそうな地図を取り出して
その住所に向うも、なにしろ住宅街なので、最後の詰めが
よくわからず、その友達としても「テレビで見た景色と違う」
ということで、2軒目もハズレと断定。

じゃあ3軒目!と張り切る友達と、今日はもう諦めよう、
ってかあきらめたい、とうんざりする私たち。

とそこへ合流してきたのは、残業していたもう一人の友達。

「地図がさぁ、わかんないんだよ。。」とふくれっ面をする
私に、彼が差し出したもの。

それは、今思えば、本日のイベントにもっとも必要だった、
最強の武器、iPhoneであった。

友達が、私が差し出した地図にあった目印であるところの
小学校の名前をiPhoneにひょひょっと打ち込むと、即座に
私たちの現在地と小学校の位置関係をiPhoneの地図が
明確に示し、そのあとは羅針盤のごとく、iPhoneが示す
方向を目指していく。

それは、あたかもロープレゲームで宝物を探すがごとく

そんなこんなで向かった3軒目近くで、友達は叫んだ。

「見たことある!このコインランドリー!」

Photo_2

急にテンションのあがる一同。
じゃあこの辺だな!ってことで、その一角を
ぐるっと一周すると。

確かに私にも覚えのあるアパート名が、
左側に登場する。

Photo_3

宝のダンジョン発見!と言わんばかりに、
何本目かのうまい棒を片手に大喜びする女子が2名。
怪しまれないように後ずさる男子2名。

すっかり減ってしまった差し入れのうまい棒の
袋を持って、意気揚々と2階にあがる女子2名。

しかし。

確かにここにアパートはあるというのに、
そいつが住んでいるという2階の奥の部屋は、
なぜかすっからかんで、差し入れもおかれて
おらず、真っ暗で誰も住んでいる様子がない。

そういえば、おのぼりさんのイベントに行ってくると
そそくさと会社を出ようとする私に、会社の人たちが
投げかけた言葉。

あれって、もう引っ越したんじゃないんだっけ?

いや、そんなことないですよ、なんか最近もテレビで
言ってたような気がするし。

と言ってはみたものの、「最近っていつだっけか」と
曖昧なままやってきた私。

でも、この状況を見る限り、その話は本当であったと
思わざるを得ないように思われた。

「どうする?うまい棒置いてく?」と一応聞いてみるが、
明らかに空き家にうまい棒をお供えするのは、友達としても
ためらわれるようだった。
(ってかその前に、もう半分くらいはうまい棒無くなってたし)

というわけで、結局宝物は見つけられないまま、
おのぼりさん10周年記念イベントは幕を閉じ、
うまい棒だけではお腹いっぱいにならない田舎者たちは、
駅前の牛角に向かった。

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