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雑談

2009年11月 4日 (水)

日本シリーズ(イキツケノオミセの体で)

その日、田舎には屋根にうっすらと、ではあるが、
初雪が降ったのだそうな。

そんな冷え切った祝日の夕方。
降り立った後楽園駅。

普段ならまったりとラクーアに行くところではあるが、
今日は歩道橋を右に折れて・・・

向かった先は、東京ドーム

うちの新任ぶちょーさんは、大のジャイアンツファンで、
日本シリーズになると、部下どもに東京ドームの試合の
チケットを献上するように強要する(?)のだそうだが、
今年は人気がないのだか、必死で取りに行ったら思いのほか
たくさん取れてしまったのだそうな。

そんなこんなで、あまったチケットを処理すべく、
野球なんて全然知らない私が、なぜか日本シリーズ。

今日、ピッチャー、誰??

さて、東京ドーム、といえば、思い出されるのは、
夏のアメフト観戦

あのときのいいちこさんを思い出してしまったのは
ほかでもない。

今日の東京ドームも、キャラぞろいだったから。

さて、私たちのひとつ前の席には、頭頂部が残念な
ことになっている、「45歳、定職なし」を絵にかいたような
おじさまが1人。

首に、ネズミの国のパスポート入れみたいなものを
ぶら下げていることから、どうやらシーズン券を持っている
巨人マニアかと思われた。

そうして、相変わらず野球じゃなくて観客にばかり
気を取られているうちに、日ハムのピッチング練習は
終わり、巨人の皆様が守備練習に入ってくる。

Photo

そんなとき。

「45歳、定職なし」にとある変化が。

おもむろに手を挙げた定職なし。
そこに走り寄ってくるのは、ソフトドリンクを
売っているおねいちゃん。

喉でも乾いたのかしら。
と純粋な気持ちで見守っている私の前で、
あの定職なしは、ジュースを買うだけでなく、
おねいちゃんと親しげに話しこむ。

おねいちゃんも、「また来てくれたんですか?」
と、むやみに親しげ。

それにしても、こいつもしや、ひとりで巨人と
おねいちゃんを目当てにやってきたのか。

と思っていたところへやってきた、定職なしのお仲間は、
「43歳 日雇い」を絵にかいたようなおじさま。

その様子を後ろから見ながら、私はこの2人を、
「無職日雇い」と名付けた。

そうして一生懸命ネーミングを考えているうちに、
気づけばBushが淡々と始球式を終え、試合が始まった。

Bush

ホームラン合戦となった試合序盤。

「無職日雇い」コンビは、ソフトドリンクを卒業し、
ビールを飲むことに決めたようだった。

再び手をあげておねいちゃんを呼ぶのだが、
ここでも私は異変に気づく。

「久しぶり☆」と親しげに話しかけるおじさまたち。
にこにこと応対しながらビールをふるまうおねいちゃん。

なんかこの光景、なにかに似てるような…

とそのとき、思いついたのは、2週間ほど前に
お客さんに連れて行かれたおねいちゃんのお店。

あそこにもやはり、これ、と決めたおねいちゃんと
やたらと親しげに話すおじさまたちがいなかったか。

そうだ。
こいつらにとって、東京ドームはある意味行きつけの
お店
なのだ。

ソフトドリンクでも、ビールでも、飲み物ごとに、何人か
おねいちゃんを決めて、試合を見ながらおねいちゃんと
交流しているのだ。

そういう構造を理解したうえで周りを見直すと、
どうやら男性陣の多くは、多かれ少なかれみんな
決めたおねいちゃんがいるのだそうで、2列前の
男子は、隣に座って水割りを作ってくれる、焼酎売りの
おねいちゃんに狙いを定めているようであった。

点を取ってはとられる野球ゲームの一方で
繰り広げられる、男と女のラブゲーム

ドームはすげぇなぁ。

と思っていると、そこにやってきた、小笠原の2ベースヒット。

おおお!やっぱりラブゲームより
全然野球のほうがすげぇ!

と思って思わず立ち上がる私たちの前でやっぱり立ち上がる
「無職日雇い」コンビ。

そして、大盛り上がりの内野席で、あろうことか、
盛りあがった「無職日雇い」がこちらを振り向いて。。。

みんなで、ハイタッチ!

ついでに調子に乗った無職日雇いは、さっきのビールの
おねいちゃんを呼びつけて、ビール買うついでに、おねいちゃんに
お駄賃を渡しちゃったりする。

その後は完全に巨人ペースで、巨人がすげぇたびに
無職と私たちはハイタッチを繰り返しつつ、ゲームセット。

Photo_3

おそらくヒーローインタビューまで騒いで帰るのであろう
無職日雇いと、私たちは最後のハイタッチを決めて、
喜び勇んでラーメン屋に向かうのだった。

無職日雇いコンビの有志は、mixi限定で。

2009年11月 2日 (月)

バスケとママさんバレーの思い出

うちの母は、ママさんバレーチームに入っていた。

近所の主婦さんたちが集まって作ったバレーボールチームには、
不死鳥を意味するやたら大げさな名前がついていて、いかにも
強そうであるのだが、別になんのことはない、ふつーのママさん
バレー。

練習は毎週水曜日の夜、近所の中学校の体育館を
借りていた。

大きな水筒(ポット?)に、夏は麦茶、冬はお茶を
入れ、家にある漬物とかリンゴとかをタッパーにつめ、
ときにはバレーボールがいっぱい入った袋を車の
後ろに詰めて、母と娘たちは体育館に向かうのだ。

ばあちゃんたちと同居している家では、ばあちゃんが
子供たちの面倒を見てくれるので、バレーに連れてくる
必要はないんだが、うちは核家族だし、あのころは
父の帰りも遅くて、子供だけで家に残しておくのは
あぶないと判断した母は、ほぼ毎週のように、私たち
3人を連れて、ママさんバレーに行っていた。

母たちがバレーボールに専念している間、子供たちは
中学校の体育館のステージの上で、校長先生がお話を
するときの教壇を使って隠れたり、どこからかバドミントンの
ラケットを持ってきてバドミントンしたり。

多くの時は、子供は私たちだけではなく、他のお母さんが
連れて来た近所の子供たちと一緒だった。

9時。
バレーが終わると、母たちはモップがけをはじめ、子供たちも
それを手伝って、それが終わるとステージ下に集合。
各家から持ってきた漬物やらリンゴやらを取り出して、
みんなで反省会、もとい、井戸端会議をし、9時半ころみんな
車に乗って帰ってゆく。

それ以外の日は厳しく9時には寝るようにしつけられていた
私は、ちょっとだけ夜更かしはできるし、夜なのに友達と
遊べるから、ママさんバレーについて行くのがとても好きだった。

・・・っていう遠い昔の思い出がふと頭をよぎった、
昨日のバスケ。

夕方から始まったバスケに、異変が訪れたのは、始まってから
30分もした頃だろうか。

得点係をしていた私の眼に飛び込んできたもの。
体育館に向かって歩いてくるのは、大人2人と・・・
ベビーカー??

よく見ると、やたらでかい大人のほうは、バスケチームの
一員で、最近は遠方で働いているのでお休み中の
「元同期」。

そしてその隣にいるのは初対面だけど彼の奥さまで、
さらに、その胸に抱かれているのは・・・

かわいい赤ちゃんだった。

一時的に東京に戻ってきていた彼らは、今日バスケやってる
のを知って、子供連れで見学にきたというわけだ。

父親に全く似ず、くるくるの天然パーマでくりくりおめめの
女の子は、大人ばかりのこの状況がかなりアウェイであると
本能的に感じたのか、母親の手を離れるとやたら泣きわめく
のだが、大人たちはそんなこと関係なく、珍しい来訪者に
いろめきたつ。

そんな情景を見ながら、思い出したママさんバレーの
風景。

こういう風にして、このアラサーバスケチームが、だんだんと
「パパママバスケ」になっていけばいいなぁと思った。

大人たちがバスケをたしなむその横で、子供たちも
交流し、年上の子供が年下の子供の面倒をみて、
そのうち大人たちの試合の間に、子供同士で
試合やらせてみたりして。

思い描くだけでも、なんとも幸せな光景ではなかろうか。

・・・あ、もちろんその中には、私の子供だっている、はず。

2009年11月 1日 (日)

若手から外される日

まだまだ若手だと、あの時までは思っていた。

だから、2ヶ月に1回は部署内で「自称若手飲み」
企画し、評価面談で「中堅」と言おうとする課長を必死で
阻止し、「まだまだ若手アピール」を続けて
きたのだ。

だって、他のIT企業とは違って、老舗すぎるうちの
会社の平均年齢は、どう頑張っても40歳くらいだろうと
思われ、だから、どんだけアラサーだとしても、まだ
「あの一線」を超えない限り、つまり、「アンダーサーティー」
である限りは、「まだまだ若手」であるはずだった。

そう。あの時までは。

最近私の隣の担当に来た、「敏腕部長」さんが、
急に指令を出してきた、らしい。

「おれは若手と飲みたい」のだと。

その「敏腕部長」さんが前にいた部署の「若手」と、
うちの部署の「若手」の交流会をやりたいのだ、と。

あー、それはいい企画よね。

と、後輩から概要を聞いて、私はそうやって
反応した。

もちろん、私にもお誘いはやってくるだろうと、
当り前のように考えながら。

それなのに。

担当のスケジュール表をみて、私は気づいてしまった。

私が「若手」じゃなかったことに。

私より1つ下の年次の子のスケジュール表には
確かにその日、その時間に飲み会の予定が
入っているのだ。

そのまた1つ下の子も。
間1つ飛ばして、その2つ下の子も。
(間1つは空席)

でも、私の予定はすっからかん。

今まで、「自称若手飲み」とか言っても、「自称」の
ところは笑い飛ばしながら飲めていた。
だけどもだけど、この「自称」が、実はリアルであった
ことに、この瞬間、私は気づかされてしまったのだった。

そして運命の水曜日。

リアル「若手」たちは、うかうか、あ、いや、うきうきと、
「敏腕部長」さん行きつけの、「妖艶なおねいちゃんたちが
ご飯を運んできてくれる飲み屋さん」
に出かけて行く。

一人取り残された私は、残業するのもばからしくなって、
「若手じゃない」誰かとやけ酒でもしようかと思ったが、
こういう日に限って飲み仲間は見当たらず。

仕方なく私は、やけ酒代わりに
「やけラーメン&ギョーザ」
を一人で平らげて家路に着くのだった。

そんなやさぐれ土曜日。

久しぶりに渋谷センター街に出かけた私の周りには、
「そんな格好でよく捕まらないな」と思われるくらい
ふざけた格好をした、ハロウィンに浮かれる若者たち。

着ぐるみだの羽だのつけて浮かれている、おそらく
うちの会社のリアル「若手」と同年代だと思われる
その若者たちを見て完全にひいてしまった私は
つくづくと感じるのだった。

「あー、やっぱり私、もう若手じゃないのかもしれない」と。

誰か、若手から外されてしまい、かつ、まだ中堅には
なれない私に、何か名前を付けてください。

2009年10月 4日 (日)

ダム問題について考える。

会社に行くのを全力で拒否しつつ、ベッドで
ゴロゴロしながらぼんやりと、テレビの音を
聞いていた。

朝7時半前の特集コーナーでは、
(音だけなので詳しいことは分からないけども)
この前政権が代わって、建設が中止になった
ダムの特集をやっていて、政権が代わる前の
数十年間、ダム湖に沈むかもしれない自分の土地を、
国に売り渡さずにずーっと守り続けていたおじいさんが
映し出されていた。
(目をつぶっているので映像は見てないけど)

そんな話を背中で聞いていて、ふと思い出した。

私たちの売った、土地のことを。

いいや、小さかったから、難しいことは分からなかったけども、
正式には売ったのではなく、貸したことになってるんだそうな。

でも、たとえ貸したとはいえ、あの土地はもう絶対に、
元の形では返ってこない。

それは私が小学校低学年くらいだったときのこと。

家に珍しく、ビジネススーツのおじちゃんたちがやってきて、
私たちちびどもは、子供部屋に幽閉され―――
そしてしばらくして、うちの田んぼはそのビジネススーツの
おじちゃんたちに借りられることになった。

またたく間に、その田んぼだったはずの土地には
アスファルトが敷き詰められ、大きな平屋建てが建築されて、
・・・スーパーがオープンした。

私が小さかった頃、私のうちの周りはほとんど田んぼ
だらけだった。
でも、市長が代わって土地の区分が改正され、うちの
周りは農業しかやってはいけない土地から、商業を
やってもよい土地に区分替えされて、そのとっかかりとして、
スーパーが建設されることになったのだそうな。

核家族で兼業農家。
都会からやってきて農業の経験のない母と、
田んぼにはいい思い出のない父。

周りのじじばばのいる家は土地を売ることを若干
拒んだ家もあったらしいが、うちとしては、願ったり
かなったりの申し出だったようだ。

そうして、うちから国道を挟んで向かい側のその土地は、
田んぼからスーパーになり、うちの母は、車で10分も
かかる駅前のスーパーまで行く手間が省けて、
生活は見違えるように便利になった。
(そして母は、計画的に夕飯のメニューを考えることが
できなくなった)

そこまでは、よかった。

そのスーパーは、隣の県が本拠地のスーパーであり、
うちの県への出店は、うちの向い側のあいつが初だった。

しかしながら、初出店、というものは往々にしてうまく
行かないことが多いもの。

うちの田んぼをつぶしてできたそのスーパーは、
そのあとに同じく田んぼをつぶしてできた他の
スーパーに淘汰されて、私が小学校を出るころに、
・・・つぶれた。

はたして空き家になった、うちの田んぼの上の
建造物。

しかしながら、その空家は、はたから見ると、
ちょうど交差点のところにそびえたっており、
広い建物(平屋)に広い駐車場。

そんないい土地が、ずーっとほうっておかれるはずは
なく。

私が中学に入ってしばらくしたころ、その、元スーパーの
土地には別のテナントが入ってきて…

その建物は、そっくりそのまま、パチンコ屋になった。

うちとしては、パチンコやが家の正面にできたことで
役に立ったことは、言っておくが1つもない。
うちは父ですらまったくパチンコはやらないのだ。

パチンコ屋は夜9時には閉店するけど、それでも
家の周りの治安は乱れてきて、近所の男子たちも、
そのパチンコ屋に通い始め、青少年育成の観点から
してもいいことはまったくない。

そんなこんなで、たったの20年で、うちの田んぼは
私からしてみれば、単なる不良債権になってしまった。

この経験を通して学んだことは
一度人に明け渡してしまった土地は、
絶対に元の持ち主の思った通りには
ならない
ということだ。

スーパーになると思って貸した土地なのに、
気づけば誰も望まないパチンコ屋になってしまう。

ダムの話だって、彼らは、治水のため、災害対策のため、
どうしても必要だから、と国に言われて、身を切る思いで
自分の先祖代々から守ってきた土地を売ったのだろう。

それが、ある日突然、
「あ、やっぱり必要じゃなかったです」
ってあんた。

「あんたの土地がなくても別に治水には
なんの影響もありません」

ってあんた。

じゃあ土地取り返せばよいという人もいるだろう。

国だって、いらないってことになれば、土地を返すという
判断をするかもしれない。

でも、何年も放っておかれて、草ぼうぼうになり、
土も栄養がなくなっってしまった今、もう一度土地が
返って来たところで、いったいどうしろというのだろう。

はたしてダムは必要なのか、必要じゃないのか、本当の
ところは私には全く分からない。

だけどもだけど。
土地を売るってことは、それほどに大変なことなのだ。

それだけは、ちゃんと分かってほしい。

・・・そんなことを考えてもやもやしていたら、
電車に乗り遅れ、私はどんよりうす曇りの空を、
うんざりと見上げるのだった。

2009年9月27日 (日)

アラフォー、アラサー、妹、がき。(その2)

それにしても、妹のように育ててきたガキ3が、
小学2年生になり、気づけば大人みたいな
口をきくようになって、この連休、私は少なからず
驚かされたものだ。

この日、祭が終わって帰ろうとした私に、
このガキ3は「気をつけてね」と言った。

ん?気をつけるって、何に?

不思議そうな顔をした私に彼女が
アドバイスした一言に、私は震撼する。

「あの子たち、調子に乗ってきたから!

ガキ3曰く、本日大人しくしていたガキ1、ガキ2は、
今日のところはたんに猫をかぶっていただけであり、
本来はわがままでうるさい、のだそうな。

それにしても、「調子に乗ってる」なんて言葉、
どこで覚えて来たんだろう。

次の日。

遅くまで祭を見ていた私は、寝室にお囃子の音が
流れ込んでくるのもお構いなしに、ひたすら寝ており、
起きたのは9時ころ。

昨日オールしていた妹は、もしかして夜中に帰ってきて、
隣の部屋でちゃっかり寝てるだろうか、と思ったが、
案の定まだ帰ってきてない。

なぜだ、なぜ帰ってこない!ともやもやした
気持ちを抱えながら、むしゃむしゃとご飯を
食べていると、電話がかかってくる。

と、電話を切った母が残念な顔をしていうのだ。

「あんた、早いとこご飯食べて、着替えてきなさい。」

・・・あ、そゆこと。。。

休みの日はいつもこうだ。
ゆっくりしようと思っていると、いつもこの
悪夢の電話がかかってくる。

だいたい、小学2年のガキ3に、電話という
文明の利器を教えたのは、どこのどいつだ。

そんなもの覚えてしまったがばっかりに、
この子は、親の許可も得ずに、勝手にどこからか
子機を見つけてはうちに電話をかけてくるように
なってしまったのだ。

そうしていかにも親の許可をとったかのように
うちの母に話をつけて、電話を切ったあとは、
「おばちゃんがいいって言ったからりぼんのうちに
いってくるねー」

って言い張ってうちにやってくるようになってしまった
じゃないか。

歯を磨き、顔を洗って髪を整え、着替えをすべく
2階に上がると、窓の外には、うちに向かって
歩いてくるガキが3人。

あー、今日も地獄が始まる。

結局、その日は、おもちゃが足りないので
家の前のスーパーに連れて行っておもちゃだの
お菓子だのを買って、お昼になれば茶の間に整列
させて飯を食わせ、午後は祭2日目に連れて行く。

そしてこの頃からガキどもは、ガキ3の言うところの
「調子に乗って」くるのだ。

ガキ1は、もう6歳にもなるというのに、神社に行っても
私にずーっとくっついていて、お祭にはあまり興味を
示さず、「ねぇ、だっこして!だっこ!」のリフレイン。

田舎の友達の中には、もうガキ1と同じくらいの年の
子を持つ者もいるので、私が抱っこしちゃうと、周りから
「え?何?いつの間に子持ち?」みたいな顔で見られるので、
あんまりやりたくないっていうのに。

そして家に帰ったと思ったら、今度はガキ2が
Wiiを離さないため、ガキ1、ガキ3から大不評。

そんな中、ガキ3は私を違う部屋に呼び出して、
「なんかさぁ、ガキ2はゲーム交代してくんないから
私まじ嫌いなんだよね」
とまた大人の意見をぶつけて
くる。

あーあ、早く下の妹帰ってこないかなー。

下の妹は保母さんの資格を持っているので、
ガキの世話はいわば専門家なのだ。
この無法地帯をうまいことまとめてくれるに違いない。

それなのに。

次の日の朝も、部屋をのぞいてみたがまだ
妹は帰ってきていない。

本当に独身アラフォーの言うとおり、男のうちに
入り浸っているのだろうか。

こっちはガキに囲まれて大変なことになっていると
いうのに、自分ばっかりいい思いしやがって。

だから私と母は決めたのだ。

明日は、親戚とは別行動をとることにしようと。

明日、ガキどもとそのおじい&おばあ、そして
アラフォーたちは、温泉に行くと言っていた。

本来ならうちらも一緒に行こうといわれていたのだが、
これではガキに囲まれたまま連休が終わってしまう。

そんなら、ガキどもとは、別の温泉に
いってやろう
と。
(結局温泉行くことには変わりないけど)

その日の朝も、「まだどこ行くか大人たちが決めて
ないから」
と適当に理由をつけて朝8時からガキが
やってくるが、きっちり午前中でガキの家に子供を
送り届けて、私と母と父は最近できたという新しくて
きれいな温泉に出かけるのだ。

なんでそんなに温泉行きたいかって。

だって、何しろ今朝から筋肉痛なのである。

体重16kgのガキその1を、昨日1日ずーっと抱っこし
続け、その影響でこちらも持ちあげろとせがむガキ
その3の腕を引っ張って振り回した挙句、最近バスケ
しても筋肉痛にならないというのに、今回ばかりは
しっかり筋肉痛になってしまったじゃないか。

そんな疲れを癒すべく、新しくてきれいな温泉に
ゆっくりとつかって、やっと本当の休みモード。

こうやってお風呂浸かっているうちに、妹が
帰ってきて、「お姉ちゃんありがと。これからは
私がガキを成敗してやるから!」
って言ってくれない
もんかしら。

と思ってうちに帰っても、やっぱり妹は不在。

それにしてももう丸2泊3日。
もしかして韓国でも行ってるんじゃなかろうか。

温泉から帰ってゆっくりお茶したのもつかの間。
夕方にはまたガキがやってくる。
だって昨日ちゃっかりガキは花火を購入して
しまったのだ。

夜6時。

「えー、まだ花火にははやいよー」
不満ぶーぶーのガキどもの意見にはまるで
耳を貸さず、こんなガキども、とっとと片づけてしまえ
とばかりにそっこう花火を終わらせ、「あんまりお腹
空いてないよー」
とまたしても文句を言うガキに
無理やり飯を食わせ、ガキを膝の上に抱えながら
ブザービートの最終回を鑑賞。

ああ、あわただしい。

そうして次の日。

やっとこさ父と母のいる千葉に帰ってゆく
ガキ1、ガキ2。

ガキ3も独身アラフォーと一緒に昨日忘れ物を
した親戚の家までドライブに出かけて行った。

そんなみんなを見送ってせいせいしたところで、
私も東京に帰ることにする。

あ。忘れてた。
まだ本来の場所に帰っていない輩が1名。

結局、下の妹は私の田舎滞在中、家に帰って
来ることはなかった。

あの時点で3泊4日。

連休が終わっていつもの日常が始まり、
いい加減妹は帰ってきただろうか。

妹の行方を知らせる便りはまだ、届いていない。

2009年9月25日 (金)

アラフォー、アラサー、妹、がき。(その1)

その日は、下の妹の誕生日だった。

誕生日とは言え、妹の会社は土曜日も仕事。
会社に入ってまだ2ヶ月半の妹は、有給など
もらえるはずもなく、その日もどたばたと仕事に
出かけて行った。

一方、有給が有り余っている姉は、木曜から
7連休をもらっていて、前の日の夜に実家に
たどり着いて、土曜の朝は当たり前のように
惰眠をむさぼっており、起きたころには当然、
妹はすでに会社にでかけたあと。

暇を持て余した私と、その日は夜勤で昼間は
家で同じく惰眠をむさぼっていた真ん中の妹は、
暇に耐えきれず、T○UT○Y○にモンハン
買いに行ったりなんかして、田舎の秋を満喫
していた。

そんな真ん中の妹が夜勤に出かけてしばらくして私は
気づいた。

そういえば、下の妹が、帰ってこない

本来であれば、真ん中の妹とすれ違いくらいのタイミングで
帰ってくるはずの下の妹。
暇な工場の事務仕事、しかも土曜に残業があるとも
考えられない。

そんな疑問に、母が答える。
「今日は帰ってこないって言ってたけどねー。」

なんともお気楽な母の返事。

ま、まぁ誕生日だしね。
今頃地元の友達と盛り上がっているのだろう、と、
そのときはなんとなく納得した。

そんな遊び呆ける下の妹の代わりにやってきたのは、
お祭を見るために、わざわざ千葉からやってきた、
従兄の娘であった。
(従兄の娘のことは、どうやら従姪と呼ぶらしい)

彼女のおばあ、ってことは私の伯母に連れられて
やってきたその子はまだ6歳で、初めての
「ひいじいちゃんのおうち」と、大勢の大人、そして
何より親と離れて初めて過ごす夜が不安なようで、
ほとんど口を開かず、大きな目を見開いて、おばあの
隣にちょこんと座って動かない。

と、遅れて入ってきたのは、本日のガキ2人目の、
6歳の娘のお兄ちゃん、10歳。
ってことは私の従甥ってことになるのか。

この従甥も最初はおどおどしておりなかなか
なじまないので、とりあえず私はしょっぱながら
必殺技を繰り出して、早速先ほど購入したばかりの
モンハンをやらせておくことにする。

その傍らで従姪はその部屋にあったピアノを弾き
始め、この兄妹が若干この環境に慣れ始めてきたとき、
母が赤ん坊を抱いてきた。

私の子供であってもまったくおかしくない、生まれて
半年の赤ん坊は、ご存知の通り、残念ながら
私の子供ではなく、私の父の従妹の子供(はとこ)の
子供
である。
(ここまでくるともうWiki先生にも続柄が出てこない)

生まれて半年ともなるともう首も座っていて、
かなり抱っこするのが楽になっているので、
母から奪い取って抱き上げると、その子は
わにるでもなく、人の顔を見上げてニカッと
笑うのだった。

※わにる:人見知りする。(方言)

8時を過ぎると子供たちは(大人からするとさっぱり
面白くない)
こち亀を見始めて、この頃からガキどもは
自分から話を始めるようになる。

こち亀が終わって、赤ちゃんが眠たがり始め、
ガキどもも家にいるのがつまらなくなってきたところで、
こちらも別の従兄の息子(従甥その2)の獅子舞を見に
ガキどもを車でお祭に連れてゆく。

と、そこで私はガキその3と、その保護者もどきに
出会う。

ガキその3は、獅子舞坊主の妹であるところの
従姪その2(9歳)。

この従姪は、私の家から徒歩1分のところに
住んでいるので、私が実家に帰るたびに一緒に
遊んでいる(?)、私の3人目の妹みたいな
存在である。

ガキその1、その2はガキどもの「おばあ」と一緒に
夜店を回っているようなので、私はこの「妹」と、
「妹」の「おにい」の獅子舞を待つことにした。

と、そこに声をかけてきたこの「妹」の
「保護者もどき」ともいうべき、私の従姉。

この従姉は、「妹」の「叔母」にあたる存在であり、
残念ながらこの子の親ではない。

そして、この私より8歳年上の従姉に、私は
育てられたといっても過言ではないため、私から
見ると、彼女は従姉というよりは「姉」に近い
存在なのだ。

そんな、昔憧れだった「姉」は今、私が恐れてやまない、
「独身アラフォー」である。

仕事は腰掛OL(ってか事務職)、彼氏(十中八九)なし
ぽっちゃりからDBに差し掛かってきたところ、っていう、
絵に描いたような「独身やさぐれアラフォー」

そんな彼女は、しばらく前まで、いろんなところで結婚しろ
と言われすぎて、若干ひきこもり気味であった。

しかしながら、35を過ぎたころからであろうか。
おそらくもう誰も、「結婚しろ」と言わなくなってきたのだろう。
彼女は再びやたらと社交的になり、親戚の集まりにも
甥、姪たちの「保護者」的な立場で顔を出し始めた。

そんな「姉」は、うちの姉妹の行方がやたら気になる
ようだった。

まぁ彼女にとって、うちの姉妹は全員妹のような存在なので、
それも仕方ないのだが、この日の質問にはちょっと困って
しまった。

「今日妹たちは?」

「真ん中は夜勤だってー」

と、とりあえずまともな理由で不在にしている真ん中の妹を
持ち出してその場をしのごうと思うのだが、そんなに簡単に
だまされるほど、「姉」は甘くない。

「下の妹は!」

「え、えっとね、今日誕生日なんだー」

「誕生日だからどうしたんだ!」

「き、今日は帰ってこないらしいよぉ。。。」

と、そこまで言ったところで、この従姉は、言っては
いけない一言を口にした。

「まぁたあれは男のうちに行ったのか!」

あー、言っちゃったよ。
私だってなんとなく気づいてたんだよ。
でも、お祭の準備で家族はてんてこまいだし、
事情をよく知らない親戚の方々だっていらして
いる中で、みんなの前でそんな不届きな話
するわけにいかないから、不審に思いながらも
黙っていたのだよ。

まぁ、今ここにいるのは話を聞いてるんだか聞いて
ないんだか分からないガキその3だけだから
いいんだけど、と思いながら、それでも私は話を
はぐらかす。

「そこまでは、私もよく知らないんだけどねー」

そんな私の弁解はアラフォーの耳には届かない。

だいたい何のために東京行って、どうして帰って
きたんだ
、とか、一番下の妹だからって、親も
甘いんじゃないのか
、とか、その後も従姉は
私に問い詰め続け、私が返答に困りはてた頃、
やっと獅子舞が始まるのだった。

さて、私を困らせるのは何もアラフォーの従姉
だけじゃない。

次の日から、私はガキどもの総攻撃に遭うことに
なるんだが、それはまた、次の話。

※ちなみに、田舎の方言で繰り広げられる田舎者同士の
 会話は、 Webで表記できないほどけんか腰であるため、
 Blog上ではかなり上品な言葉に直してお送りして おります。
 ご了承くださいませ。

2009年9月22日 (火)

少子化と、伝統芸能。

うちの市内では、だいたい9月にそれぞれの
地域で秋祭りが開催されるのだが、伝統的なものは
そのうち3つくらいしかなく、うちの地区のお祭りは
そんな中の1つに数えられるのだそうな。

歴史的に言うと、「戦国の前あたり」というから
室町あたりから毎年行われていた、という話は
屋台を待ちながら酔っ払いから聞いた話であるので
どこまで本当かはわからないが、まぁ話半分と
しても、江戸あたりから200年くらいやってると
思ってもよいのだろうと思う。

でもそんなに歴史があるなんて話は、今月今夜
初めて聞いた。

だって、祭と言うものは男たちの行事なのだ。

祭の出し物はお囃子、長刀、獅子舞の3つに分かれて
おり、それらの中心は地元の小学生であるが、原則、
参加できるのは男子だけだ。

女子である私は、お囃子やりたくたって参加させて
もらえなかった。

それが父の世代のときは更に決まりが厳しくて、
参加できるのは、男子の中でもその家の長男
だけだったのだそうな。

だから、二男であるところのうちの父は、祭に対して
やたらと憧れがあるらしく、この年になっても祭が
始まれば大喜びでハッピ着て屋台を引っ張りに
いくのである。

※ここでいう「屋台」っていうのは、一般的にいうと、
 「山車」のことである。

それが、だ。

思えば、私たちの世代から、若干の異変は起きて
いたのだが、そんなこと、小学生のあほどもとしては
全然気づかなかった。

しかしながら、3つの地区に分かれて行う祭の
中で、あの頃から、その中の1つの地区だけは、
祭は小学生の女子も参加することが許されて
いたのだった

それでも、女子が参加できるのはあくまでも
屋台の御簾の中で奏でるお囃子だけ。
長刀と獅子舞は、どうやっても男子の特権
であることには変わりなかった。

そう。長刀と獅子舞は、いわば小学生男子の
聖域であって、女が口を出せるようなもんじゃなかった。

はずなのに。

その聖域が侵されているのに気づいたのは、
2年前のこと。

いとこの長男(当時小学3年生)が長刀デビュー
することになって、親戚中で寄ってたかって
神社に押しかけたあの秋の初めのこと。

私たちの頃から、祭に女子も参加できたあの地区では、
気づいたら長刀が女子になっていた。

あれ。長刀って、聖域じゃなかったっけ?
相撲でいうところの土俵のように、
「女子立ち入り禁止」の見えない看板が
立っているような、そんな排他的なものでは
なかったっけか?

と不審な気持ちでみていたあのときから、
そういえばたった2年しかたっていないというのに。

その2年の間に、あのとき長刀デビューをした
うちの従兄弟の長男は、長刀を卒業して、
今年、めでたく獅子舞に昇格した。
(長刀2年、獅子舞1年で子供はめでたく
祭を卒業し、思春期に突入するのだ)

そんな長男の成長した姿を見るために、
またしても親戚一同が勢ぞろいして、
神社の奥でスタンバっている本日の
主役に会いに行ったとき、私は異変に気づいた。

長刀が、2組しかいない。

復習しよう。
うちの地区は全長2㌔強。
それを更に3つに細分化して、屋台も長刀も
獅子舞も3つづつ出すのが慣わしである。

それなのに、どう数えても長刀が2組しか
いない。

地元の人間に聞いてみると、事態は結構深刻
らしかった。

2年前に登場した女長刀のキャストの皆さんも
小学校を卒業し、思春期に入ってしまうと、
さすがに女だてらに長刀やるような度胸もなくなって、
そうするとその後を継ぐようなちょうどいい年代の
がきどもも見当たらなく、残念ながら今年は長刀を
休業することに相成ったということなのである。

「長刀はなくなっちゃうし、獅子舞も、ねぇ。」

そういえば、獅子舞って何組いたっけ?

灰色の着物を着た、男獅子のうちの長男と、
花柄の着物を着た、女獅子の一番南の地区の
男の子はいたけど、やっぱり女長刀の地区の
子供はいなかった気がする。

と、そんな話を聞いているうちに、長刀は2つとも
終了し、獅子舞タイムが始まって、最初の女獅子も
そろそろ終了の様相を見せ始めていた。

それでも、うちの地区のお囃子の皆さんはまだ
神社の下で飛び回っているから、どうやらこの次に
もう1組あることは間違いないらしい。

と。

始まった獅子舞を見て私は寒気がした。

その獅子舞は、布の下からジーパンがはみ出しており、
頭の位置も、先ほどの獅子舞より明らかに背の高い・・・

そう。
その獅子舞の中身は、さっきまで屋台を引っ張りあげていた、
大の大人じゃないか。

確かに踊りは小学生の学芸会とは打って変わって
なんだかプロっぽい。

プロっぽいけども、味もそっけもあったもんじゃない。

やっぱりこういうのは、小学生の男子が宿題やる時間も
野球の練習やる時間もつぶして、一生懸命練習して
やるからよいのである。
大人に厳しく踊りを教わって、たたかれて叱責されて、
そうやって田舎の男はたくましくなっていくのである。

それを、大昔に踊りを覚えた大人がやってどうなるっていうのか。

そういえば、祭の会場を見回しても、気づけば集まっているのは
大人ばかりになっていて、本来の主役のはずの子供の姿が
全然見えないのは、なにも夜遅いから、だけではないようだ。

普段東京にいる私はあまり気づかないけど、そういえば
中学も高校もどんどん統合されていて、田舎の少子化問題
いい加減マジで深刻のようである。

政権が変わり、子供がいる家庭には毎月2万6千円だかが
支給されるようになると聞く。

子供のいない私には、その毎月2万6千円がどれほどの
足しになるのかはよく分からないのだけど、それで本当に
うちの田舎に子供は増えるだろうか。

そしてもう一度、あの地区の子供による長刀と獅子舞は
復活するだろうか。

長刀が1つなくなってしまった分、早く終わってしまった
祭の夜はなんだか薄ら寒く、羽織ったジャージにも、
ひゅうひゅうと冷たい風が入ってきて、星空を見上げた
私はひとつ、大きなくしゃみをしたのだった。

2009年8月10日 (月)

浴衣とアラサーと花火大会

「なに?ショッピングしてきたの?」

と英会話のおばちゃんティーチャーに突っ込まれた
水曜日。

いつも仕事に追われて忙しいはずのIT系OLだった
はずの私が、平日の夜に英会話来るだけでも
珍しがるおばちゃんにとって、平日の夜にショッピング
までしてから英会話くるなんて、やっぱりちょっと
奇妙なことであったに違いない。

「それがですね、浴衣が、ですね・・・」

と、私はたどたどしい英語で説明し始める。

それは、その日の朝のこと。
やさぐれアラサーの私にとっては
なんともプレッシャーのかかる連絡がやってきた。

その連絡は、人から見ると単なる花火大会の
スケジュール周知であったのだが、その文末に、
余計なひと言が。

「女子は半分以上浴衣です」

え。なに?そういう勢いなの?
花火大会って、すんごく混んでるじゃない?
さらには結構歩かないといけないでしょ?
そんでさらには、上向いてふらふらしてると、
前の人もやっぱり上向いてふらふらしてるから、
ひょこって後ろ下がってきて、その拍子に
足踏まれちゃったりとかさ。。。

って、ひとりで電車の中で次から次へと
当日に言うべき言い訳を考えまくるわけだが、
それでも変な汗は収まらない。

いや、いろいろ言い訳はあるにしろ、
とどのつまり、私の家には浴衣がないのである

いや、正しくは、去年まではあった。
10年前に、東京で花火大会に行くという私に、
母が送ってきてくれた浴衣が。

あれから9年の月日がたった去年のこと。
ご存知のとおり、新型インフル的症状に、
みんなより1年早くかかってしまった私を
看病に来た母は、発見したのだった。

おそらく何年も来ていないと思われる浴衣が
ほぼ新品のまま入った風呂敷が、押入れの
中に埋もれているのを。

「・・・着ないのなら、この狭い家に置いておくと
邪魔だから、田舎に持って帰ろう」

母にとってみたら、浴衣送ってやったのに着ることも
なくやさぐれて、その挙句に高熱にうなされてる娘が、
どんだけふがいなかったことであろう。

そんなこんなで、いろんな不幸が重なって、
私の家から浴衣はなくなってしまったのだった。

・・・って、そんな複雑な事情を英語では表現できない
私は、とりあえず浴衣は実家にあるけど東京に持って
来ていない旨を説明した。

そんなところで雑談タイムは終わってしまったわけだが、
私の説明は、実はまだ途中である。

この日、別に私は浴衣を買っていったわけじゃない。
さすがに、平日の仕事終わりに浴衣をがちで選ぶのは
ちょっと無理。

この日買って行ったのは単なるサンダルである。
足がでかすぎる私は、通常の下駄がほぼ入らないので、
サンダルでごまかすしかないと踏んだ結果の選択であった。

じゃあ、浴衣はどうするかって。

その日の午前中、私はひたすら、仕事もそっちのけで、
「浴衣 レンタル」と検索していた。

しかしながら、なかなか見つからないレンタルショップ。
そして、見つかってもたった1度のために投資するには
結構なお値段がするレンタル価格。

…デートならまだしも、単なる友達との花火観賞でしょ?
と、やさぐれアラサーらしく無駄にケチって、やっぱり
浴衣はやめよっかなー、とか思っていた矢先、私は
あることを思いついた。

友達に借りればよいんじゃないかと。

この薄っぺらい平成の時代には珍しく、私の友達の
中には、和服をこよなく愛する、古風な大和なでしこが
おり、おそらく浴衣も何着か持っているのではなかろうかと
思われた。

そこで、私はとりあえずメールしてみる。
彼女が夏休み中でないことを祈りながら。

ほどなくして、運命の電話が鳴った。
相手はもちろん和服の彼女である。

「お貸ししますよ!」

と、ありがたい第一声のあと、彼女は言った。

「で、いつお貸しすればよろしいでしょうか」

あの、えっとですね、お暇でしたらで構わないのですが

と、奥歯にものが挟まったような物言いに、
彼女は気づいたようだった。

「あ、もしかして着付けしたほうがよいですか」

はい!その通りでございます。

いや、あのそのですね、旅館の浴衣くらいだったら、
私だって自分で着付けできるのでございますよ。
で、でもですね、大和撫子様の、いや、匠の帯はですね、
プロ仕様の、単なる長いだけの帯でございますよね。
そ、そのような帯ですと、わ、私としてもど、どうして
よいのやら。。。

また言い訳をかさねる私と、ちょっと呆れた様子の
彼女。

彼女は私の言い訳を適当に受け流して最後に、
ペチコートとキャミソールを持ってくることと、
下駄はたぶん私のでかい足では入らないと
思われるので、サンダルは持参すること
、を
言い残し、電話を切ったのだった。

そんなこんなでなんとかひと段落したやさぐれ
アラサー的浴衣調達。

そしてやってきた花火大会当日。

サンダル引っかけてあらかじめキャミとペチコートは
身につけて友達の家にお邪魔し、浴衣を選別する。

かわいらしいのからオトナのユカタまでよりどりみどりの
中から選択した浴衣は、白と黒の、その中でも最も
オトナっぽい1枚
であり、いつも子供っぽいものばかり
着てる私にとっては、ある意味ちょっとした冒険であった。

・・・だって、本日のメンバーは、同期数名と、その
後輩の若者、さらには後輩の若者の取り巻きたち、であり、
確実に最もお局的私の立場からすると、同じような
浴衣着て混じろうとすることはかなり無謀な挑戦に
思えたからである。

何はともかく、おずおずと浴衣と帯を選んで、お願いします、
と一礼し、ワンピを脱いで浴衣羽織って…

それからたったの10分

大和撫子様は帯を花文庫なる華麗な結び方をするところ
まで含め、賞味10分で終えてしまった。
さすが匠。
(あまりの素早さにあっけにとられて、レギンスを
脱ぎ忘れたことに、私は着替えが終わるまで気づかなかった)

ところが、そうしてまたもやお礼を言い、玄関まで来たところで
私は思った。

・・・いまいち、サンダルと浴衣があわないような・・・

ひとつうまくいくと、もうひとつ上を目指したくなってしまうのは、
いつも何もうまくいかないやさぐれアラサーの悪い癖。

しかしながら、懐の深い匠は「履けるかどうか微妙ですが」
と言いつつ、靴箱から下駄を取り出す。

足がでかいのを気にしつつ、おずおずと試着してみる私。
入らなくてもめげるのはやめようと、心に決めながら。

と。

それはある意味奇跡である。
足の先っぽは若干はみ出ている感はあるものの、
意外にも一応下駄の中に収まった私の足。

いつも悲鳴を上げる、親指と人差し指の間の
あのビーサン上のところも、昔私が履いていた
下駄とは違って、やわらかな作りになっており、
これならなんとかなるんじゃないかと思われた。

そして何より、浴衣とピッタリの下駄の鼻緒の柄。

「あのぉ」

またもやおずおずしているやさぐれアラサー。

「履いてっちゃって、よいですよ」

と、またもや懐の深い匠。

そんなこんなで、やさぐれアラサーはなんとか
付け焼刃で取り繕って、花火大会に向かうのだった。
この3日間のテスト直前対策がなんとかうまく
行ったことに軽く感動までしながら。

しかしながら、その2時間後。

集合してきたのは、会社の後輩の友達の彼女の
友達の皆さん、という、20歳そこそこの若い
女子たち。

浴衣がかわいらしいのは当たり前。
20代後半になるとついてくると思われる、
暗い影
なんて一切見えない、屈託のない
明るい笑顔。
無邪気にアイスキャンデーを頬張る横顔。

・・・結局、おそらく浴衣なんてアイテムの1つに
すぎないのだ。

大事なのは、若さからやってくる
屈託のない笑顔

それに気付いた瞬間、どぉっと襲ってきた疲れ。

そんな私を慰めるかのように、花火は、いつもにも
増してきれいで、その音は私の心に、やたら
響くのだった。

Hanabi

が、がんばれ、やさぐれアラサー。

2009年8月 3日 (月)

ウハ、ウハウハ

What does ○○ mean?

っていうのは、英会話で毎回おばちゃんティーチャーに
質問していることであるが、振り返ってみると、最近
英語どころか日本語もままならないことがある。

7月になって、担当はメンバーが一新され、
新しい風が吹きこまれた。

そうして晴れてうちのチームの新メンバーになった、
通称じゃがいも君は、なんだか不思議な日本語を
使うことがある。

そんな不思議な日本語の1つが、「ウハウハ」である。

なんだか1日に2、3回は「ウハウハ」という単語を
連発しているじゃがいも君。

でも、私の人生を振り返ってみると、人生において、
そんなに「ウハウハ」だったこと、頻繁にあったっけか。

いや、どう考えてもウハウハだったことなんて、今までの
2○年でたったの数回しかなかっただろう。

もしや、彼の「ウハウハ」と、私の「ウハウハ」は
若干違うんじゃなかろうか。

そう思って、私は彼に質問してみた。

「ウハウハって、どういう状態のことをさすんですか」

すると、彼は答える。

一番分かりやすいのが、ヤンジャンの一番後ろに
時々載っている、変な石を買ったら人生が変わって、
女子にもてまくってお金もじゃんじゃん入ってくるように
なって、女子を両脇に抱えてお札のお風呂に入って
いる人なのだ
、と。

あれが、「ウハウハ」の究極形なのだ、と。

・・・うーん、おぼろげに覚えているような。。。

すると、彼は多少分かりやすくするために、若干
説明を加えた。

最近では、AXEのCMの状態、っていうと
分かりやすいかな。

あの、女子が一人の男子にワーッと群がってくるあの感じ。

・・・分かるような、分からんような。

でも、まぁなんとなく分かった。
ウハウハとは、女子を両脇に抱えてあやしく
盛りあがっている
、そういう状態であるらしい、
ということが。

そんなとき、ふと私は気づいた。

お盆明けのある日が、もしかしたらじゃがいも君に
とって「ウハウハ」な日じゃないのかと。

その日は私をはじめ、じゃがいも君以外の社員は
みんなそれぞれお盆休みを取って出社しないことに
なっていた。
(もちろん課長含め)

そして、うちの担当で残るのは、じゃがいも君と、
かわいらしい派遣のおねいさまの2人っきり。

おねいちゃん隣に置いて、誰からもとがめられる
ことなく、おそらくそんなに仕事もないその日は、
いわゆる「ウハウハ」な日じゃないのかと。

そんな素朴な質問をする私に、彼は言うのだった。

それは「ウハウハ」ではなく、
「ウハ」だね。

「ウハ」??

彼曰く、「ウハウハ」は、あくまでも両脇に女子を
抱えていなくてはならず、片側にしか女子がいない
のであれば、それは「ウハウハ」ではなく、「ウハ」
なのだという。

なるほどー。
「ウハ」の比較級としての「ウハウハ」であったのか。

そんな私はなんとなく納得してしまった。

しかし。

彼の「ウハウハ」な状態はどうやらそれだけに
おさまっていないように聞こえてならないのだ。

たとえば彼は、「仕事がウハウハ」というが、
これは決して男女の問題ではない。

面白い仕事がたくさんあって処理しきれないけど
なんかちょっと楽しい時
、そんな状態のことを
どうやら彼は「ウハウハ」と呼んでいるようである。

それに彼はこういう。

「この人、なんかウハウハなんだけど」

ウハウハな人、とは、なんとなく金持ってて
あやしそうな人
のことを、言っているようである。

ああなんと奥が深い、「ウハウハ」の世界。

私ももうちょっと「ウハウハ」に生きてみようと
思った、夏休み前の残業タイムのこと。

ちなみに、ネットでも辞書でも調べてみたけれど、
「ウハウハ」という日本語は全然出ては来なかった。

2009年7月20日 (月)

ドラクエと、バスケ合宿。

先週はそんなこんなで全然ドラクエが進まなかった。

その後、行きと帰りの電車と家に帰ってからの少ない
時間でなんとか授業の遅れを取り戻すためにできる
限りの努力をした。

そして待ちに待った3連休。
休みの日は怠惰に朝から晩までドラクエ・・・

と言うようには、問屋がおろしてくれないのだそうだ。

土曜の朝8時。

普段ならまだ家で惰眠をむさぼっている時間に、
なぜか私は大きな荷物を持って新宿にいた。

もちろん、手にはDS。
こんな些細な時間もドラクエを進めねばならない。

そうすると、私の周りにはだんだんと人が集まって
きて。。。

いや別に、ドラクエにたかってきたわけじゃない。
これから、これから私たちは、よりによって
ドラクエとは対極にあるはずのバスケ合宿
行くのだった。

バスケ合宿は結構前から決まっていたことであって、
私もかなり楽しみにはしていたわけだが、よりによって
ドラクエと1週間違いとは。

と。
絶対にドラクエやるような時間は
ないんだろうなぁ

とぼやく私に、チームメイトは言うのだった。

「レベル今いくつ?」

どうやら、アクティブなはずのバスケチームメイトにも、
隠れドラクエプレイヤーが数人いるようだった。

「いや、私まだ25くらいで。。。」

まだまだ、やりこみが足りない私。

と、チームメイトの彼は言うのだった。

「おれ、もうこのあとラスボスだぜ。」

まぢですか。
あんた勇者ですか。

そんなことを言いながら、各自車に乗り込み、
松本方面に車を走らせる。

しかし。
高速1000円の3連休初日。
混まない訳がない。

八王子に行く前に車は完全にストップしてしまい、
にっちもさっちも行かなくなる。

と、エルシオンが倒せないのよ、とぼやく私に、
ラスボス間近の勇者がつぶやいた。

「じゃ、俺がフォローしてやるか」

まぢですか!
この状況を脱してくださるわけですか、勇者様!

そして、本来ならイライラするはずの大渋滞の中、
うちの車だけはわやわやとドラクエ大会スタート。

ドラクエでWifi使うのが初めてな私に、勇者様は
使い方をレクチャーしてくれ、私は勇者様を
私のフィールドにご招待し、一緒にアドベンチャー。

勇者様の本来の職業はまほうつかい(Lv39)であるわけだが、
どうやら途中で旅芸人やら戦士やらを経験しているように
見受けられ、私の攻撃力を増やすべくバイキルト
かけてくれたかと思いきや、次のターンでは私を守るべく
におうだち

自分からやたらと手を出すわけではなく、宣言通り
しっかりフォローいただいて、私はあっという間に
エルシオンをクリアした。

気づけば、車は渋滞を抜け、すいすいと談合坂へ
滑り込む。

お昼休み。
談合坂でほかのメンバーに合流した私は、テンション高く
車の中でのアドベンチャーについてみんなに共有していた。

と。

またもや勇者がつぶやいた。

「そういえばさ、すれ違い通信ってこの辺でやったら
どうなるかな」

そうそう。
さっき勇者は一緒にアドベンチャーする方法だけじゃなく、
一瞬すれ違うだけの「すれ違い通信」っていうのも
教えてくれたのだった。

WifiをONにしておくと、どうやら同じ状態のDS君たちが
勝手にコネクションを確立してくれて、そのひとの
プロフィールなどが私のところにたまっていくのだそうな。
(もちろん、私も向こうのDS君にお邪魔しているわけだが)

本来なら、通勤電車でやるのが一番人を集めるには
効率よいらしいのだが、もしかしたら高速のSAなんていう
人が密集する場所でも、WiFiをONにしているうちらと同じ
馬鹿どもがいるんじゃないかというのだった。

「なにそれ、楽しそう!」

と初心者の私は早速すれ違い通信を開始。

と、即効2人くらいの馬鹿どもが私の網に
引っ掛かってきた。

やはりみんな考えることは一緒らしい。

気づけば、チームメイトが何人か周りでDS君を開き始め、
お互いにすれ違い始めている。

バスケ合宿、とか言いながら、この時点では完璧に
ドラクエ合宿になりながら、車は豊科インターで
高速を降りて、合宿所に向かったのだった。

も、もちろん、そこから先は、4時間ひたすらバスケし、
そのあと自炊でみんなで夕食作って、さらにそのあと
合宿所に着いてた小さな体育館で、飲みながら卓球、
という、アクティブ合宿はちゃんとやりましたので、
ご心配なきよう。

そんな次の日。

本当ならその日も午後からバスケなのだが、
お昼に私はポツンと長野のとある小さな駅にいた。

夜には友達の結婚式2次会で、六本木に
小奇麗な格好で行く必要があるため、私だけ
ちょっと早めに合宿所を後にしたのである。

が、やはり気になるのは、昨日覚えたすれ違い通信。

とりあえず、電車に乗るときはWifiをON、という
合言葉を呪文のように唱えながら、すれ違い通信を
始める。

しかしここは、人口密度の高い高速のSAではない。
長野のしがない無人駅のホームである。

どんなにすれ違おうとしても、周りにほぼひとが
いないので、当然すれ違えるはずもなく。

その後も、大糸線内で1人ゲットしたわけだが、
松本着いてあずさ乗っても全然ゲットできない。

ドラクエやるような世代は、あずさに乗らない
世代なんだろうか。

そんなことを考えながら、電車は新宿に滑り込み、
みんなはまだバスケやってる時間ではあったが、
私の合宿は終了した。

結局、ドラクエやりに行ったのか
バスケしに行ったのか、はたまた
卓球やりに行ったのか

なにはともあれ、イベント目いっぱいで
すごく楽しかったことは、言うまでもない。

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