旅行

2010年3月27日 (土)

アラサー的カーリングのすすめ その2

その後、10分ほど休憩、と言われ、痛いお尻を
すりすりしながら時計をみると、まだレッスン
始めてから40分しかたっていない。

普段伸ばさないところをいろいろと伸ばし、
また、右と左がえらくアンバランスなので、
もうすでにいろんな所が痛いアラサー3人娘。

アラサーとはいえ、まだ若いので、その日のうちに
痛みは始まるのだ。
(強がり)

10分たっておばちゃんせんせーが戻ってきて、
レッスン再開。

まずは、レーンの右側と左側に分かれて、短距離で
石を投げる練習。

まっすぐ投げるとどっちに曲がって行っちゃうか分からないので、
あらかじめカーブつける方向を定めるため、自分で若干
石に回転をかけるのがポイントなんだそうな。

というわけで

・ハンドルを10時くらいのところに持ってきてちょっと回して
12時になったときに離す、アウトターン
・ハンドルを2時に持ってきて、回して同じく12時になった時に
離す、インターン

というのを習ったところで、さぁ石を投げる練習。

おばちゃんせんせ―いわく、「まぁモップ使って蹴る練習したのより
全然楽だから」

ほんとかねぇ、とにわかに人の言うことを鵜呑みに
できないのは、うちらがアラサーであり、人生の酸いも
甘いも身につけすぎちゃったからに違いない。

ああせつない、と思いながら、とにもかくにも石を投げてみる。

ボーリングでは、右手にボール持つだけだとバランスが
悪いので、左手で支えて、フィニッシュの時に右が前に来て
左が後ろに来るようにする。

カーリングも、やっぱりバランスが悪いとうまいこといかないので、
石を持つ手と逆の腕の脇にモップを挟み込み、柄を握って、
それを氷につけて、杖のようにバランスを保つ。

要領はモップを両手に持ってた時と一緒。

1.で石と左足を前に出して、
2.で石と左足を後ろに戻して、
3.で石と左足を前に出してから、石に引っ張られるように、
右足を蹴る!

そんで、すぐに石を離しちゃうと、ゴールまでの距離が
遠いから、コントロールが利きづらくなってしまう。
だから、石を持った状態をできるだけ長く維持して、
ゴールにできる限り近いところで石を離すほうがよい。

という理屈は頭の中では理解できるのだが、
これがなかなか。

右足は蹴った状態だから、後ろにグイーンと伸びていて、
左足で氷の上を滑り、体全体は石に引っ張られている、
というなんともアンバランスな状態をそんな続けられるわけも
なく、ってかその前にきちんと蹴ることもままならず、
アラサーにもなって、こらえしょうもなく、よろよろと踏み切って
すぐに石を離してしまい、だから全然ゴールにたどり着く前に
石が止まってしまう。

でも、私は途中で気付いた。

アラサーにもなって、ちゃんと踏み切れないなんて、
思い切りが足りなすぎ。
そして、同じ姿勢を長時間保てないなんて、こらえ症が
なさすぎ
なのではないかと。

ほら、しっかりしろ、アラサー!

と気合を入れ、えい!と右足を踏み切ると、石に引っ張られる
ように、ぐいぐいと体は進み、適度なタイミングで、石を若干
回転させる余裕まで出てきた。

そして、石は吸い込まれるように、ゴールの丸の中へ。

おおお!できる、私。
やればできるじゃない!

と、この時点で膝には大きなあざができてしまっている
わけだが、オーバーズボン(というかウィンブレ)をはいて
いるので、そんなこと、やってるときには全然気づかないのだった。

と、石が上手に投げられるようになってきたところで、
いよいよゲームである。

といっても、うちらはアラサー3人+おばちゃんせんせーの
4人しかいないので、2人づつ2チームに分けることにする。

1チーム2人なので、ゴールのところで指示を出す人と、
石を投げる人を、2投づつ交代する。
どうせできないので(?)磨くのは今日はなし。

ウォー、とか、ヤー、とか、言いたかったのになぁ。

とかぶつぶつ言いながら(ミーハーだから)、友達が1投目
やるというので、私はとりあえずゴールのところにスタンバイ。

でも、ねぇ。
なかなかこれが、初心者が丸の中に石を止めるというのが
難しいのだよ。

飛ばないだろう、と思って、えい!とやるとオーバーしちゃって
使えない石になっちゃうし、ゆるゆるとやると、ゴールのところから
すーっと石のところにかけてってごしごしやっても全く駄目なくらい
手前で止まっちゃうし。

1ゲーム目。
私の投げた石は、あろうことか、手前のほうに止まっていた
石に当たってしまい、当たられた石が奥に入って丸の中に
収まる、という大失敗を犯し、見事敗退。

2ゲーム目は、1ゲーム目でゴールだったところが、スタートに
なる。

このころになると、結構上手に踏切りをできるようになってきて
おり、あんまり磨かなくてもゴールまですんなり石が運べるように
なってきた。

それは、5投目か6投目の私の番だっただろうか。

なんとなく、うちらが不利で、中心あたりに敵の石がたまってきていた。

そこで思い出したオリンピック。

そういや、ダブルテイクアウト、という言葉が
なかっただろうか。

手前にあるあいつをカン、とやって横にはじき出し、
その勢いで奥にあるあいつをカンとやって丸から
外せないだろうか、と私はかなり背伸びしたことを
考えていた。

でも、アラサーは頭脳戦だもんな、と、
よくわからないことを考えながら、とにもかくにも私は
それを狙って、手前の敵石をめがけて投げてみる。

お。
おお!

ゴール前から聞こえてくる声援とどよめき。

石を投げた状態のまま、氷の上に座って事の
顛末を見守る私。

カン!

とまずは手前の石に狙い通り石があたって。

その勢いで、私の石は左に曲がり、敵の石は右側に
弾き飛ばされる。

よぉし。半分は成功だ。

と、若干強すぎる私の石は、ぐんぐんと奥に進む。

あ。でかいかなちょっと。

そのとき。

カン!

お。奥の石にも当たった!

そして、奥の石は弾き飛ばされて丸の外へ。
私の石は奥の石にちょっと戻されてうまいこと
丸の中へ。

ね、狙い通り。
す、すげぇな私。
さすが、アラサーだな。

結局、最後におばちゃんせんせーにその石は
弾き飛ばされて、うちらのチームは負けるわけだけども、
頭と体がうまく連動する、という感覚が分かって、
なんだかすごく心地よかった。

それにしても、レッスンは2時間2,000円/人だったけども、
単純に勝手にカーリングやるだけなら、200円/人なのだ。
そんでもって、ボーリングと違って、何ゲームやろうとも
200円は200円なので、そう考えるとボーリングより全然
安いし面白い。

20代の頃みたいに、勢いだけではやっていけなくなった
アラサーの皆さん、アラサーは頭脳戦ですよ。
頭を鍛え、そしてある程度体力も維持するために、
カーリング、やってみてはいかがでしょう。

そんな私、いよいよ明日で29歳、マジでアラサーです。

2010年3月22日 (月)

アラサー的カーリングのすすめ その1

最高気温17℃、という、軽井沢としては異例の
小春日和のその夜は、夜になっても暖かく、
私たちはコートも羽織らず、ジャージ姿でタクシーに
乗り込んだ。

おされな軽井沢で、ジャージはちょっと抵抗が
あったのだけども仕方ない。

だって、これからカーリング体験教室なんだから。

ホテルから車で10分。

グルメロード、なるおされレストラン街(いや、街と
言うほどのものじゃない)を超えたところに、カーリング
リンク
はあった。

なんでカーリングかって?
そんな分かり切ったこと聞いちゃいます?

そりゃあもちろん、オリンピックでしょう。
コンビニに買い物行く途中、エスカレータから見える大きな
ビジョンでちょうどクリスタルジャパンの試合を放映していて、
「カーリング楽しそうだよねー」「カーリングってどこかでできるの
かなぁ」
「確か軽井沢にはあったような」「じゃあ軽井沢旅行行って
カーリングやってみようよ」

って、まぁこんな感じだ。

そうしてあっという間に短絡的アラサー女子が集まって、
あれよあれよと言う間に日程とホテルが決まって、私は
あわあわとスピードになんとかついて行きながらかろうじて
ジモティの面目を保つべく、新幹線を予約したのだった。

本来は昼間にやろうと思っていたカーリング。

しかしながら、予約を取ろうとしたら、昼間はカーリングの
大会がやっているらしく、レッスン、というか一般開放が
夜だけで、だから私たちは、かわいいペンションのうまそうな
夕食をあきらめて、ママさんバレーみたいな時間に
ママさん、じゃない、アラサーカーリングと相成ったのだ。

はてさて、カーリングレッスンに申し込んでいたのは、私たち
だけらしく、夜のリンクには私たち3人とコーチのおばちゃん
のみ。

誰もいないリンクで、カーリング教室は始まった。

Cimg0903

この時の私たちが、なんとアマちゃんだったのだろうと、
あとから気付くのはこれからすぐのことである。

だって、石滑らして磨けばいいんでしょ?と私は
高をくくっていた。

しかしながら、最初にやらされたこと、それは。

氷の上を歩く、という行為だった。

別に、スケート靴をはいているわけじゃない。
はいているのは普通の運動靴なのだが、この上に、
左足だけゴムの靴底みたいなのを履く。

すると、左足だけやたら滑るようになるのだ。

石を投げるときに、スーッと滑っているクリスタルな
方々をみたことはみんなあると思うのだが、あの
スーッと滑っているのが、この左足のゴム底なのだ。

というわけで、片方の足はやたら滑るけど、
もう一方は全然滑らねぇ、という、アンバランスな
状態が発生し、片方でスーッと滑りながら進んでいく、
という動作が、カーリングでは必須となるわけで。

先生であるところのおばちゃんは、ほとんど右足を
使わずに、すい―、すいーと進んでゆき、私たちは
そのあとを追いかけるわけだが、左足に体重かけると
スーッと、左足がどんどん外に行ってしまい、初心者の
スキーみたいな大変な状態になってしまう。
(はの字がうまくできなくて股パッカー、っていう、あの)

それが怖いから、左足をちょっと進めると右足で
勝手にブレーキをかけてしまって、結果、そんな
速く進まない。

いや、進むとか進まないとかじゃない。

足に変な負担がかかって、足がつりそうだ。

いったい!足いったい!と言いながらもやっと
リンクを1周して帰ってくると、次は、蹴る練習

まだ石は渡されない。

石の代わりに、モップを持って、クラウチングスタート
みたいな恰好で、踏切り番を思いっきり、蹴る。

1、で、モップと滑る左足を前にだして、
2、で、モップと滑る左足を後ろに戻して、
3、で、モップを前に出した後に、右足を蹴って、前に出る。

聞く限りそんな難しいことではないように思われるのだが、
右足は後ろのほうに伸ばして、左足は膝から曲がった状態で、
かつ背筋は伸ばして前を向く。
そんなアンバランスな状態を、結構な時間キープしないといけない。

そんでも、勢いよく、とおばちゃん先生が言うから、私は
恐怖をこらえて、えいっ!と言わんばかりに右足を
踏み切った。

ら、、、

バランスが悪かったのだろう。

ものの見事に、そのまんま左側に体が傾いて、ごつっと
左側のお尻が氷に激突した。

そういえば、私、スキー派なので、分かってなかったようだ。
氷がどんだけ転ぶと痛いものかを。
いや、頭じゃわかってるんだけど、ほとんど体感してないから、
こけた時のショックが思いのほかでかい。

「だ、大丈夫です、大丈夫・・・」と口では言うけども、
自分でもわかるくらい、唇がひくひく言ってる。

だって、肉離れしてるんじゃないかってくらい痛いんだもん。。

そんな痛いお尻をさすりながら、次回やっと、
石を投げる練習へ。

2009年12月12日 (土)

待ち人は○○である

その日、曇り空の箱根神社の下、
自分の引いたおみくじの結果に、私は
愕然としていた。

周りが大吉大吉、と大喜びする中で、
私の引いたおみくじだけが、なぜか末吉

確かお正月にひいたときは大吉だったのに、
いつの間に運を使い果たしてしまったのか。

そんな中、気になる文章が1つ。

「待ち人来る。」

とまぁここまではよくありがちな文章ではあるが、
最近の私のおみくじではめっぽう見受けられなかった
文言であり、本来であればわーい、わーいと
小躍りして喜ぶところであるのだが、気になるのは
その下の一言。

「驚くことあり」

驚くこと??

待ち人が来て驚くっていったいそりゃどういうことだ。

と、引っかかりながら車に戻っていたそのとき、
私たちは出会った。

ベンチみたいな木製の台にどっしりと腰をおろしていたのは、
一匹のでかい猫

トトロで言うとさすがに大トトロまでは行かないものの、
中トトロよりは確実にでかくてふてぶてしい感じの
でかい猫。

まぁでもでかかろうが小さかろうが、猫というものは
女子からしてみたらかわいがりめでる対象であるから
にして、女子3人は猫を見つけるや否や駆け寄って、
猫と並んで台に座り、猫に手を伸ばす。

と。
通常であれば、猫という警戒心の強い動物は、
人が一歩近寄っては一歩後ずさり、手を出せば
猫パンチを繰り出すのが一般的である。

しかしながら、この中トトロ、あ、いや猫は、
私が手を出しても嫌がることなく、おとなしく首を
私に預けている。

箱根という観光地で猫という職業をやっていると、
いろんな人が可愛がってくれるからであろう。

「耳を澄ませば」に出てくるデブ猫(ムーン、だっけ?)の
ように、いろんなうちでいろんな名前を付けられて、
餌をもらっては移動する姿が容易に思い浮かぶ、そんな
猫。
(あ、ジブリばっかりになってきた)

かわいい。
ふてぶてしいけど愛らしい。

と、私がいい気になってしばらくなでていると、
猫はふと動いた。

あら、おうちに帰るのかしら?

とか思ったその矢先。

いかにも「驚くべきこと」が起こった。

Neko

台の上をしばらくうろうろと歩き回った挙句、
私のところにすりすりとすり寄ってきたこの
デブ猫は、何を思ったのか、逃げるでもなく、
強引にも私のブランドバッグの上にちょこんと、
あ、いや、ずっしりと乗っかってきた
のだ。

え。ちょっと何なのよ。
このバッグいくらしたと思ってるの?
まぁあったかいからもう少し相手してやるけどさ。

と、猫とじゃれあっている私をしばらく見ていた
男子は思い出したように言った。

「あれ。これがもしかして、待ち人?」

え。
え?
ええ???

た、た、確かに。
言われてみればおみくじ様のとおりである。

言葉の通り、「驚くことあり」である。

で、でも、まさか、こいつだったとは。
こいつが待ち人だった所で、いったい私は
どうすりゃいいのか。

「それにしても、ふてぶてしい待ち人だなぁ」

そうなんだよ。
何がふてぶてしいってさぁ、確かにすり寄ってくる
態度にはちょっと胸ときめいちゃうけどさぁ、
何といっても、顔が、ね。
顔がいかにも悪役っぽいのよね。

Neko2

ほらぁ、私ってさあ、結局イケメン好きじゃない?
いくら性格が、フィーリングがあったとしてもさぁ、
やっぱり顔が悪そうだとちょっと、ねぇ。

とか、猫をなでまわしながら贅沢なことをいう
人間様。

そんなこんなで10分以上も私のブランドバックの上に
居座ってたデブ猫も、私の愚痴に飽き飽きしたのか、
私に振られちゃったと思ったのか、突如として私の
膝、あ、いや、ブランドバックから飛び降りて、箱根
神社のほうに去って行った。

こうしてまた、このデブ猫は、違う家で違う名前で
呼ばれて、おいしいご飯でも貰うんだろう。
この薄情者が!(結局さみしがり)

やはり、こいつが、こんな薄情な猫が待ち人で
あるはずがなく。

さてさて、私の「驚くべき待ち人」はいったいどこに
いるのやら。

2009年8月31日 (月)

RSR体験記(4)~After Rising Sun~

さて、結局寝過して、「勝手にしやがれ」
スキップしてしまった怠惰な私。

それでも、「勝手にしやがれ」が終わってしばらくすると、
テントの周りががやがやと騒がしくなってきて、これは
到底寝てられるようなテンションじゃない。

寝返りを打ちながら外の会話を聞いてみると、
どうやら、ツアーでやってきている方々は、
最後のステージが終わって1時間以内に荷物
まとめて出て行かないといけないのだそうだ。

そうだ、ここからが、Rising Sunの醍醐味じゃないか、
とほぼ2時間弱しか寝てなくて全然眠い体を奮い立たせ、
私はテントからのそのそと這い出した。

トリを務めるThe Pillowsというバンドは朝4:30から
始まる予定で、彼らが歌い始めて少ししたところで、
ちょうど朝日が昇り始める。

そのRising Sunをみんなで拝む、というのが、
本イベントの本来の目的である。

私が這い出してみると、まずは後輩君に、
「勝手にしやがれ終わっちゃいましたよ!」
軽く怒られる。

はい。存じ上げております。
やさぐれた先輩で、大変申し訳ありません。

「じゃ、行ってくるわ」と、トリをステージで
観たいファンの皆さんはテントエリアから
出て行くが、楽器屋さんの範疇外である
彼らのことは全く存じ上げない私は、焼きそばを
ほおばりながら彼らを見送って、日の出に
備える。

遠くからThe pillowsが流れ始めるころ、
空はだんだんと薄明るくなってきて、なんだか
すごくすがすがしい気分。

そして、3、4曲目のころに、本格的にやってくる、
Rising Sun

Cimg0712

富士山のご来光を見ると、心が洗われる、と言うけれど、
一晩中踊り狂ってへっとへっとで見る朝日というのも、
それと同じくらい価値があるんじゃなかろうかと思うほど、
すごい達成感。

へっとへっとにかまけて、寝てなくて本当によかったと
思った。

さてさて、そのあとは感動もつかの間、残りの焼きそばを
食べ終わると、そそくさと後片付けを始める面々。

テントたたんで、鍋とかを洗い、きちんと分別してごみを
処理し、テントに戻ってくると、メンバーの一人が言った。

「ピラミッドやらない?」

へ?なに?なんでこの状況でピラミッド?

「4+3+2+1はいくつだ!」

状況を理解できないうちらに、提案者は若干キレ気味の
様相を見せ始める。

「・・・10?だよね?」

と、ここで気づいた。

今日ここに集合しているアラサー+若者集団は、
全員で10人。

10人ならば、ちょうどきれいな4段ピラミッド
できるってわけだ。

普通ならへとへとでそんなことやってる場合では
ないのであるが、へっとへっとまで行くと、テンションが
若干おかしくなってくるらしい。

「いいねそれ!」

と、勝手に口が合意してしまう。

そんなこんなで、やってしまったのが、
この、オトナノピラミッド


(上が。切れてる。。。)

うちらのカメラがバシャバシャ言うのはいいのだが、
この変なテンションがよほど珍しかったのだろう。

周りの何にも知らないギャラリーも、いつの間にか、
バシャバシャ写真を撮っている。

さっきの朝日のときとはまた一味違った、しょうもない
達成感。

そうして、アラサーと若者の壁がやっとこさ取り払われた
ところで、ドラクエ集団はお近づきのしるしにすれ違い
通信をして、そのあとみんなで再度お風呂に入ると、
アラサーと若者は、再び2つに分かれた。

札幌観光に向かう若者と。
洞爺湖に向かうアラサー達と。

もちろん洞爺湖方面に乗り込んだ、やさぐれアラサーの
私は、同じくアラサーの男たちに囲まれて、一路洞爺湖に
向かう。

そう。この半徹夜明けの状態で、私たちはこれから
洞爺湖観光をしようという、アラサーとは思えない
無謀な計画を立てていた。

徹夜明けでコンタクトも付けられず、あのものもらい
騒動
以来のありえないメガネ姿でたどり着いた洞爺湖。

本当は旅館に入ってひと眠りしたいところだけど、
洞爺湖なんて人生において再び来れるかどうか
分からないので、無理やり観光する。

洞爺湖見て。

Photo

ウインザーに行く途中で偶然見つけた
メジロ牧場でメジロドーベルに会い。

Photo_2

そしてTシャツにジーンズ、というあるまじき
恰好でウィンザーに侵入し、素晴らしい
たたずまいの教会に、可能性が見えない自分の
結婚式への思いを馳せる。

Photo_3
(画面の手前のきらきら光ってるのが教会)

そして、ホテルでまったりすると、初日のあの騒ぎが
再来する。

そう。ドラクエ三昧

夕飯待ちながらドラクエして、
夕飯喰ってまたドラクエ。

しかしながら、何しろアラサーになってしまった私は、
気持は若くても、体がついて行かない。

お風呂のあと、洞爺湖の花火を見ながらも、
私の頭の中は、現実と夢の世界を行ったり来たり。

それでも張り切って、夕飯のあと再びドラクエに
チャレンジしようとして、他人の世界に飛び込んだ。

ところまでは確実に覚えている。

しかし。
そこから先の記憶は一切途切れたまま。
気づいた時には私はDSを布団のわきに置いて、
眼鏡も取ってしっかり布団にくるまっていたのだった。。。

そんなこんなで、自分がもう若くないことを思い知らされた
ところで、おそらく最初で最後のRSR旅行、終了。

そう。
アラサーである私たちの中には、そろそろ家庭を
もつような輩もいるわけで、家庭を持ってしまうと、
こんなお盆真っ盛りの時期に、家族を置いてロックフェスに
行くわけにもいかなくなる。

そんなアラサーとしては当たり前の人生のサイクルに
すっかり置いていかれている私は、そんな話を聞くたびに
若干へこんでしまうわけだが、でも大丈夫。

独身だからこそ、あんだけきれいでみずみずしい
キョンキョンという、あこがれの存在ができた
わけだから。

・・・というのは、きっと強がりなんだろうけど、さ。

2009年6月 1日 (月)

怒涛の週末その3~そしてさいたまダービー~

さっきまで大降りだった雨がぴたりと止まって、
私たちの二日酔いがちょうど回復の兆しを
見せ始めたころ、車は浦和美園のとある
コンビニの前に停車する。

と、ここで手渡されたのは、真っ赤なユニフォーム。

はてさて。
そろそろ説明しておかないといけないであろう。
とか思って、とりあえずぐぐってみると。

【さいたまダービー】
埼玉県さいたま市にホームタウンを置く日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のチーム、浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャが対戦する試合(ダービーマッチ)の呼称である。

だって。

単に周りが適当に呼んでいるだけかと思ったら、
しっかりWiki先生にも載っているだなんて。
恐るべし、さいたまダービー

さてさて。話を戻して。
ここで突っ込みたい人もいるんじゃなかろうか。

真っ赤なユニフォーム?と。

ここで、もう一回Wiki先生の下のほうを読んでみると、だ。

1997年までアルディージャは浦和市を本拠とした実業団の
○○○関東サッカー部だった

旧○○○サッカー部であったところの
アルディージャのユニフォームは、オレンジ

対する浦和レッズのユニフォームは、

と、いうわけで、なんとも非国民、ならぬ、
非サラリーマン的な雰囲気の中、真っ赤な
ユニフォームの私たちは、スタジアムに入って行く。

この前は会場は一緒だったが、日本代表戦だったので、
会場は全体的に青かった。

しかし、今回は真っ赤なユニフォームのチームである
からして、会場は当然ながら、真っ赤
ところどころに黒まで混ざって、これじゃあ完全に、
真夜中バイクを飛ばしているお兄ちゃん達の集団
である。

しかし、それより気になるのは、お互いの
剥き出し闘争心である。

あっちのサポーター席のど真ん中に掲げられた
旗には、「大宮独立」の文字。
浦和なんか消えちまえ、ってことだろうか。

まぁなんと恐ろしい。

と、思ったら、こっちもこっちだ。

Reds

橙想心 っていうのは、大宮さんのスローガンみたいな
ものらしい。

そこから漢字を変えて、逃走心

さらには、大宮さんの監督の張さんをもじって、
倒チョン心・・・

ひどい。
そして野蛮。
さすが埼玉。ってかさいたま。

ま、こんなに試合前に盛り上がっても、
結局、実力から言って、浦和さんの
圧勝であろう、と、私は高をくくっていた。

が。

試合開始たったの8分。

あっという間にゴーーーール!したのは、
私の予想を大きく裏切って大宮さん。

その後、前半終了チョイ前に浦和さんは1点
返したものの、いまいち勢いに欠け、後半
ロスタイムの終了間際に、5回くらい立て続けに
シュートしてみたもののそれらは1つも入らずに、
結局試合は1-1の引き分け。

これが、魔のさいたまダービー、ってことなんだろうか。

さて、旅行はここでおしまい、なのだが、バスケ
メンバーは再び降ってきた雨の中をさらに南下して
都内へ入り、そのままバスケの練習へ向かう。

昨日のお酒がぶり返したのか、単に疲れたのか、
血の気の引いた顔で、ふらふらとボールを追いかけながら、
私は考えた。

バスケを始めてそろそろ1年半。
そもそも苦手で大嫌いだったバスケを始めてからと
いうもの、苦手だったものとか、大嫌いだったものに
流されるままにチャレンジしている私がいる。

それはたとえば駅伝
スキーだって、今までもやってたけども、
自分からスキー買ってまでやろうと思うことは
今までなかった。
そしてサッカー観戦ラフティング

運動は苦手なの、とか、スポーツ見るのは
興味ないの、とかいろいろ言い連ねてみた
けれども、結局、単なる食わず嫌いだったって
ことだろう。

飲み会は選別しなさい、とか、遊ぶ相手は
選びなさい、とか、この年になると絞り込みを
要求される場面が多くて悩んでしまうことも
あるけれども、今まで食わず嫌いで生きてきた分、
ちょっと遅いかもしれないけど、これから広げて
行かなきゃいけない世界も、きっとあるはず。

そう思ったらふらふらしてるけどなんかちょっと
すがすがしくなって、大雨の中、私たちは、
ラーメンを食べて解散した。

2009年5月31日 (日)

怒涛の週末その2~時間つぶしに弟子入り~

日曜の朝8:30。
昨日ラフティングで盛り上がったはずの私たちは、
なぜかものすごく低いテンションで朝食を無言で
食べていた。

別に喧嘩したとかじゃない。

昨日の夜、宿にたどり着き、軽く風呂に入って
体を温めたメンバーは、夕飯をはさんでもう一回
しっかりと風呂に入って旅館の風呂にありがちな
なんちゃらの塩を体中に塗りつけて大騒ぎし、
さらには脱衣所で顔にいろんなクリームをそれぞれに
塗りたくりながらガールズトークに花を咲かせた後、
10時くらいから宴会を始めたのだった。

最初は自己紹介でもしながらまったりと酒を飲んで
いたのだが、男性陣はそれじゃ飽き足らなかったのだろうか。
途中から、黒ひげ危機一髪なるゲームを
持ち出し、がんがん黒ひげおじさんを飛ばしまくって
飲みまくり、それでもまだ満足できなかったのか、
よく似た形のR15黒ひげおじさんを持ち出して、
ちょっと大人の罰ゲームでひとしきり騒ぎ終わった後、
最後は腹が減ったとカップラーメンを持ち出して、そこに
ウコンやらコーラやらファンタやらを混ぜ合わせて
みんなで食べる、という暴挙に出て、結局寝たのは
朝4時過ぎ

社会人7年目にもなって、これじゃ大学の
合宿
である。

社会人2年目くらいの女の子たちはそれでも
元気そうだが、7年目のおばちゃんとしては、
もう少し寝ていたい。

それでも、宿のチェックアウト時間は10:00。
昨日の夜の燦々たる祭りのあとを片づけて
出て行かないといけない。

でもさぁ、これからどうするの?

今回の旅行の予定は大きく2つ。

1日目は群馬でラフティング
2日目は埼玉でサッカー観戦

でも、サッカーは夕方からなので、とりあえず
午前中はやることないのだ。
しかも、私たちの寝ている間にどうやらひと雨
降ったらしく、外はどんよりとした曇り空。

それじゃあさぁ、たくみの里行こうよ。

と言い出したのは、水上経験者の幹事の方。

前回、スキーに来たときにそこで陶芸品を作って、
ちょっとおもしろかったんだそうな。

昔から美術と技術は出席点だけで生きてきた
私は、あんまり乗り気ではなかったのだけども、
外は雨なので、野外で遊ぶこともままならないわけで、
ほかに選択肢もないから、そこは大人しく幹事の
意見に従うことにした。

有無を言わさず陶芸をやらされるのかと思った
私は、たくみの里の総合案内所である道の駅で、
軽く驚愕した。

たくみの里、というのは、陶芸体験所という
わけではなく、木工細工、絵、染物、ガラス細工などを
とりあつかう工房の集合体のことだったのだ。

たくみのメニューを見ながら、どれにしようか考える。

染物とガラス、どっちがいい?
と聞かれて、私は思い出した。

そういえば、うちには花瓶がないことを。

ホワイトデーで花束貰っても、結婚式でブーケ
ゲットしても、うちには花瓶がなくて、こっそりと
私は、お料理の時に使うボールの中にお花を
飾ってしのいでいたのだ。

しかし、それではあまりにも女っ気が足りない。

そんな私の個人的な理由から、私たちは8人
揃ってガラス細工を体験することにして、
たくみの家に向かった。

ガラス細工、というからには、テレビでよく見る、
ガラスを膨らますあれかと思ったら、どうも
そんな大層なものじゃないらしかった。

たくみの家に並んでいるのは、すでに出来上がって
いると思われるグラスの数々。

私たちがやるのは、そのグラスに模様をつけること
らしい。

それぞれに、グラスと、紙に書かれている絵を
持って席に着き、グラスに絵を張り付けて、紙の
上から絵のとおりにカッターで削って行く。

あー、これ昔やったわ。
年賀状。

小学校の時にやった、版画の年賀状を思い出しながら、
地道に削って行く。

あの時は、指の位置を間違えて、彫刻刀を人差し指に
ぶっさして、そのまま絆創膏まいて公会堂の行事に
行ったっけか。

なんて昔の思い出に浸りながら、カッターを進めて
いく。
みんなも似たようなこと考えてたんだろうか。
それともただ疲れているだけなんだろうか。
たくみのおじちゃんは昨今の新型インフルによる
影響などを話しているが、みんな無言。

ただひたすらにカッターを進めていく。

そうして、45分も経った頃、私は気づいた。

簡単な絵柄を選んだはずなのに、気づけばすでに
半分以上の人、それも、私よりよほど難しい絵柄を
選んだ人たちが削り終わって、次の作業に入って
いるじゃないか。

やべ、これでは小学校のころと一緒だ。
どんくさくて何やるにも一番びりだった小学校の
頃と。

無理やりに朝顔を削り終えると、次はなにやら
粉のようなものを吹きかける作業に入る。

たくみの話によると、これは紙やすりの粉みたいな
もんで、これを吹きかけることによって、ガラスに
傷をつけているってことになるんだそうな。

ふーん。
ガラスに傷付けてるような感覚は全然ないのだが、
とりあえずたくみに言われたとおり粉を吹きかけ、
グラスを洗って出来上がり。

なんとか、クラスで一番最後になるのは免れて、
物のできはどうあれ、私は満足だった。

Cimg0504

気づけばもうお昼。

まだまだ眠い私たちは、それでもさいたまダービー
観戦すべく、一路埼玉にむかった。

2009年5月30日 (土)

怒涛の週末その1~チキン野郎のラフティング~

絶叫マシーンはきらい、ってか乗れない。

ネズミの国のスプラッシュなんちゃら、の
最後の滝で泣いたことがある。

スペースなんちゃら、がこわすぎて、
乗り場にたどり着く前に、「チキン野郎用出口」
から下界に戻ってしまったこともある。

そんな私が、ラフティングをやることに
なってしまったのは、いわゆる勘違いってやつだ。

それは、夜のお肉にありつくため、お昼から母と一緒に
焼肉屋に並んでいたときのこと。

友達から「ラフティングに行かない?」
いうメールが来たのだが、ラフティングってなんだっけ。

普段ならとりあえずPCで検索してみるのだが、
ここは焼肉屋。

ああ、たしかあれだ。
カヌーで川下る、あれ。

と、私と母は、実家の近所でよく見た光景を
ラフティングだと仮定し、即OKしたのだった。

そんな土曜の朝。

2台の車に分乗して向かった先は群馬の水上
メンバーは8人。

8人、というのは、ラフティング1台に乗れるのが
8人だったから、らしい。

しかしながら。
カヌーだと思い込んでいた私の前に横たわって
いるのは、それとは似ても似つかないゴムボート

どうやらラフティングとは、このボートの両端に
いわゆる箱乗りの体勢で乗って、雪解け水が
激しく流れる急流の中を、エキサイティングに下る、
という、実家のあたりでよく見かける
ほのぼのカヌーとは、似ても似つかぬ
ハードなスポーツであるようだった。

ベルトとか全然ついていない、簡単なゴムボートと、
雪解け水が轟々と流れる急流に、周りのみんなは
楽しそうにしてるけど、チキン野郎であるところの
私は、心の中ではがくがくぶるぶる

しかも、8人乗りだけど、インストラクターの
お兄さんが最後の1人となるため、乗れるのは
7人。

ってことで、はみだしてしまう私たちのグループは
2台のボートに分乗することになり、2つに引き裂かれた
ことで、さらに心細くなるチキン野郎な私。

簡単にボートの正しい乗り方と、正しい漕ぎ方を
教えてもらうと、私たちはすぐにボートに乗り込んだ。

乗り込むと、すぐにインストラクターのお兄さんは言った。

「すぐそこに急流があるからね!」

え?!どうしよ。まだ心の準備が・・・

とはいえ、お兄さんは言うのだ。
ほら漕いで、もっと漕いで、と。

そしてすぐ、お兄さんは指示した。
「はい、しゃがんで!」

箱乗りの体勢から、ボートの真ん中の凹みに
しゃがむ体勢に即座に切り替えて、ボートに
張り巡らされているロープをつかんで、体が
投げ出されないようにするのだ。

とはいえ、急流の勢いは半端ねぇ。
川のくぼみに入り込んだボートは、どぶん!
バウンドし、あれほどしっかりつかんでいたにも
かかわらず、私は浮き上がって、前の人の背中に
激しくぶちあたった。

川に落ちるってことはなかったけど・・・顔が痛い。

その後も、私たちは、漕いではしゃがんで
バウンドに耐える、という、みんなにとっては
エキサイティング
な、私にとっては恐怖
時間が繰り返された。

Dsc_0035
(この写真の右下のあたりがバウンドポイント)

しかし、しばらく行くと、ボートは温泉街
中に入って行く。

Dsc_0088

急流には閉口するが、これは絶景である。
(温泉旅館はちょっと寂れていて残念だけど)

そして、橋の上では温泉に遊びに来ている
おばちゃんたちが手を振っていて、なんとも
のどかな光景である。

そういえば、急流にもだんだん慣れてきた気がする。

そんなこんなで30分も経っただろうか。

「ここでだいたい急流は終わり。あとは
景色を楽しみながら行きましょう」

と言われ、ちょっとリラックスして後ろを見ると、
他のボートのみなさんは、自分から川に落ちたり、
他の人たちを落としたりして遊んでいる。

しかしながら、そんな勇気のある行動に出られる
人間のいない私たちのボートは、余計なお遊びを
することなく、淡々と緩い流れに流されていった。

それなのに。

ボートは、いったん止まろうと、川の端っこに
寄って行った。
目の前には防波堤。

でも、そのときお兄さんは言ったのだ。

「壁にはぶつからないよ」って。

しゃがめとも言われなかったし、だから一番後ろの
私はリラックスして、ロープにつかまることもなく、
流されるままになっていた。

それがいけなかったのだろうか。

お兄さんの予言は外れ、ボートの前面が防波堤に
ぶつかり、ボートの後ろ側が大きくバウンドしたそのとき。

一番後ろの私はバウンドに耐えられず、まるで
後ろにでんぐり返しするように、川に落下した。

コンタクトなのに、思わず目をあけたまま
冷たい雪解け水に入ってしまった私は
混乱の中で、本能的に思った。

Stand UP!Stand UP 私!

しかしながら、川は思ったより深く、全然立つことが
できない。

そんなとき、事前レクチャーのお兄さんのセリフを
私は奇跡的に思い出した。

川の中で立つと怪我するから、立とうとしては
いけません。

落ちたらとりあえず、パドルをボートの上の人に
渡すこと

(1つ3,000円もするんだから)
そして、自分はボートのヘリのロープにつかまって、
ボートから離れない
ようにすること。

そうだ、ロープ。
ロープどこ?

川の流れはちょうど緩やかなところだったので、
私とボートの間はそんなに離れておらず、だから
私はとりあえずボートまでたどり着いてロープを握り、
助けて!の体勢をとって、男性の皆さんに無事
捕獲されたのだった。

ずぶぬれ。
しかも、川の中で目をあけたのがいけなかったのか、
片方のコンタクトがどこか行ってしまった。

それでも、私はなぜか穏やかな気持ち
だった。
絶叫マシーンではあんなにパニックになると
いうのに、それ以上に追いつめられると、
意外に冷静になるってことに気づいて、私は
なんだか達観した気分になった。

周りも、まぬけな私が川に落ちたのを見て、
吹っ切れたようで、周りのボートとじゃれ合って
川に落ち、そのまま流されて他のボートに
引っ越し
する人間まで現れる始末。

そこはもう、無法地帯だ。

そして、みんなの遊びが手に負えなくなったころ、
スタート地点から12kmほど下ったところで、
ラフティングは終了。

ずぶぬれで冷たくて、長靴をはいた靴の中では
足がふやふやだけども、それでも川に落ちたことで、
どこか限界を突破して、ひとつ大きくなったような、
そんな気がした、ある晴れた土曜の夕暮れ時。

ボートを降りて再度合流した8人は、体を温める
べく、近くの温泉に向かった。

2009年5月 3日 (日)

パンデミック旅行記(3)~あっという間の帰国~

結局、BonniePinkの言うとおりになってしまった、
と、飛行機に乗ってオーディオをつけながら思った。

彼女の予言したとおり、2泊の出張になって
しまったと。

そして、運よくビジネスシートに座れた私たちの
ところに、それぞれ配布された、2枚一組の紙切れ。

健康状態質問表(?)と書かれたその紙には、
熱はあるか、とか、咳は出るか、とか書かれていて、
要は、うちらに新型インフルの症状が出ていないか
調べるため
なのだ。

なんとなくすぐ書けという雰囲気だったから、
とりあえず書いてはみたものの、特に回収される
こともないまま、飛行機は飛んでゆく。

と、私はあることに気づいた。

みんなの見ている映画。
明らかに、意図的なのか、偶然なのか、4月の
リストに入っていた感染列島を見ている輩が
多いようだ。

なにみんな。
それ、予習のつもり?

そういえば、以前、看護師の妹が言っていた。
あの映画は、かなりリアルに作られているので、
看護師としても、そのときに備えて、しっかり
観ておいたほうがいい映画なのだと。

・・・ふん。
だからなんだっていうんだ。
私は絶対に観ないからね。
パンデミックのせいで即帰国になってしまったというのに、
これ以上パンデミックの映画なんて、観てやるものか、
絶対

でも、まさか本当に、あれが現実になろうとは。

飛行機が出発してから14時間。
やっとこさ日本に着いた私たちは、飛行機から
早いとこ降りて、早いとこ帰って寝たいと思っていた。

何しろ、到着したのは日本の祝日の午後。
明日はふつーに日本で会社に行かねばならないのだ。

しかし。

しばらく待て、と機内放送は言った。
携帯を使うのは特別に許可してやるから、
いかんせん降りるな
と。

そして30分後、あいつらがやってきた。

青くてやすっちい手術服みたいなの着て、
強靭なマスクして、絶対今回の事態には
関係ないと思われるゴーグルまでつけて。

・・・そう。
感染列島の格好そのままの、検疫の方々が。

どうやら、飛行機が着いてから彼らが入ってくるまで
30分もかかってしまったのは、あまりにも急なことで、
検疫担当の人数が足りておらず、他の飛行機の検疫に
手間取っているうちにどんどん飛行機が到着して
しまうからなんだそうな、と、いうのは、帰ってから
テレビ見ていてやっとわかったことだ。

そんな事情で、彼らは少しづつ到着し、特に
何も言うことなく私たちの手元の健康質問表を
回収していく。

…口もききたくないってこと?
感染してるかもしれない輩とは。

と、あとから入ってきたのはポラロイドカメラみたいな
物体を持った係員。

あやしげなカメラをいろんな角度に向けながら
ゆっくりと進んでいく。

そうかぁ。
あれがうわさのサーモグラフィー

カメラマン、もとい、熱測定員の方が通り過ぎると、
前の席のほうはすっかり静かになる。

でも、飛行機のドアは空かない。
近くて遠い、日本の入口。

と、先ほどまでの淡々とした様子とは違った、
明らかにあわてた3人の男がどたばたと
後ろのほうに走って行った

バケツの中には、体温計らしきものがいくつかと、
布みたいなもの。

おいおいなんだよ。
なにがあったんだよ。

そしてまた不気味な静寂。

検査が始まってから約20分後。
機内放送が入る。

「まだ状況がわかりませんので、
もう少々お待ちください」

状況って、なんの状況??

・・・結局、私が日本の地を踏んだのは、検査が
始まってから30分後。
ってことは、飛行機が着いてから1時間後のこと。
みんなにそれぞれマスクと、こんな紙を配って、
検疫の方たちは帰って行った。

Cimg0423

日本の入口のところには、新聞社の方たちが
待ち構えており、私たちはまるで芸能人のように
迎えられ、「機内の様子は」「検疫の人から質問は」
との彼らの質問を、まるでお忍び旅行から帰って来た
芸能人
よろしく無言で通り過ぎ、やっとこさ日本に
入国したのだった。

次の日。

日本で会社に行くのがめんどくさくなってしまった
私は、とりあえず2時間休んでのそのそと出ていく
ことにし、課長様にご連絡させていただいたのだった。

と、始業時間のはずだった時間の直前。
2時間遅れの私がのそのそと化粧をしていると、
けたたましく会社携帯が鳴った。

なんだよ、休んでるんだよいまは!!

とかぶつぶつ言いながら電話に出ると、それは部長様。

「どうしたの!熱があるの?」

え。。。あ、いや、熱ないですけどあのその・・・

「違います、ちょっと時差で」

時差ボケになるほどアメリカの時間に慣れてなかった
だろ、私。

「あ。そう。どこか具合悪いってことはない?」

・・・はぁ。どこも。
むしろビジネスシートでよく寝たので、いつもより
調子いいくらいです。

不可解な電話をとりあえず切り上げると、
今度はメールがやってきた。

今度は課長かよ。。。
同じ場所にいるはずなのにどうして別々に
連絡が来るんだよ。

とかぶつぶつ言いながら、メールを開くと。

「総務部からの指示だから、発熱がなく、
出社する場合はしっかりマスクをつけてくること」

・・・知ってるよ。
だからさ、その、出社する場合は、ってやめなよ。
会社命令で出張行って来たんだし、休めば休んだで、
さっきの部長みたいな感じで、めんどくさい対応を強いられる
はめになるでしょ。

と、理不尽な命令にいらいらしながらも、
私は家を出て会社に向かう。

バッグの中に、しっかりと飛行機でもらった
マスクを忍ばせて。

2009年5月 1日 (金)

パンデミック旅行記(2)~フェーズ4~

その日、いったん朝食で散会した私たちは、
お昼に再び集まって、相変わらず豚インフル
話をしていた。

その場には、日本からやってきていたお医者様も
いて、お医者様から今回のようなパンデミックの
手ほどきを受けていた。

お医者様というものは、どうやら常にタミフル
持っているらしく、今回もしっかりタミフルを
携帯されているのだという。

「ま、みんなの分はないんだけどね」

と、お医者様は高らかに笑った。

「だけど、今回、新型なのにタミフルなんて
効くんですかね」

というのは素人の質問。

先生曰く、今回の型というのは、既存の
インフルエンザと似通ったタイプなんだそうで、
だからたぶんタミフル飲んどけば大丈夫

なんだそうな。

そうか、じゃあ安心だな。

と思いながら、昼食は散会。

どうやら、これなら帰らなくてよさそうだ、と思ったのは、
ほんの束の間のことであった。

フェーズ4になったらしいよ!」

と、夕方に一大ニュースを持ってきたのは、仲の良い
他社の方。

ん?
フェーズ4って何。

と、とりあえずパソコンを開く。

フェーズ4
限定されたヒト-ヒト感染を伴う小さなクラスター(集積)が見られる。しかしウイルスがヒトへ十分順応していないことを示唆するように、拡散は非常に地域的に限局している。

なぁんだ。地域的に限局、か。

って、またもや楽観的に考えていた私だが、
どうやら上はそうもいかなかったらしい。

それは夕飯のときのこと。

お昼すぎにやっと到着した後入りのお客さま方が
時差ボケを直してやっと起きてきたこの頃、
日本のビジネスタイムが始まってしまった。

そしてさっそく、今日の朝(=日本の月曜のお仕事
終了後)つながらなかった上司への電話をかける
部長様。

数分後。
電話を終えた部長様が戻ってきて、運命の
一言を告げた。

「明日の飛行機で、帰ります」

ええええええええ。
だだだって、私まだここについてから、1歩も
外に出てないのよ。

そそそれに、お客さんだって今やっと時差が
直ったところで、本格的に始まるのは明日
じゃない。

なのになのに、帰るわけ?
帰ってしまわれるわけ?

その質問に部長は答えないまま、とりあえず次の
指示をだす。

「とりあえず、飛行機変更の手続きをとって」

・・・は、はい。。
わわ私も、社の方針には従わなければならない
ササササラリーマンのはしくれですから。

すかさず出張の手配をお願いしたおねいさまに
お電話をかけ、日本からやってきた残念なお知らせを
ぐるりと伝え返す。
この数時間で飛行機の座席がいっぱいになってしまった
という奇跡を心の中で願いながら。

「では手配して、30分後に電話します」

おねいさん、仕事、早いっすね。。。

というわけで、思いがけず最終日になってしまった
アメリカ2日目の夜、関係者で打ち上げをしようと、
私はこの旅行で初めて、ホテルの外に出た。

アメリカ北部は仙台とおんなじくらいの気候だと
どこかに書いてあったが、そんなのウソだと思った。

外に出ると、急にやってくるモワッとした暑い空気。

これはあれだ。
ちょっと涼しい、サイパンの夜。

10分ほど歩いて日本料理屋にたどり着き、
お酒を頼むと、パスポート見せろと言われた。

思いがけず、未成年に間違われるアラサーの私。
これも、アメリカンドリームのひとつなんだろうか。

それでも、アメリカの夜はどうやら早いらしい。
あっという間に店が閉店だから、と追い出され、
あっという間にホテルに戻る。

あ。そうだ。
忘れてた。

30分後に電話かかってるはずだったのに、
外に出たことがうれしくてすっかり忘れてた。

急いでかけなおすと、おねいさんから残念なお知らせが。

「飛行機、とれました」

あー、取れちゃったのねー。

しかも、追加料金も手数料もいらないのだという。

豚インフルだと言ったら、追加料金なしになったのだと。

そんな緊急事態なのかね。

と、周りの他社の方に聞いてみると、どうやら
騒いでいるのはうちだけのようだ。

会社によってこれほど対応が違うものなのかと
思い知らされて部屋に帰り、ぶつぶつとメールを
開くと、また総務部からメールが入っていた。

曰く、出張、旅行を問わず、ゴールデンウィークに
海外に行く輩は全員報告してから行くこと。

帰ってきたら10日間は要観察。

熱が出たら休むこと。

熱が出なくて出勤する場合は、オフィスでマスクを
着用すること。

と、ここまで読んで私はいい加減イラっとした。

出勤する場合は、オフィスでマスク。。。

いったい、どうして、会社の命令で海外行って
危険にさらされ、会社の命令で早く帰らされた
挙句、もともとは海外にいるはずだった日に会社
来るんであればマスクしろなんて言えるんだ。

憤然とパソコンを落として、部屋を見回し、
溜息をついて私は帰国準備を始める。

でもそのとき私はまだ知らなかった。

帰ってもまだ理不尽な仕打ちが待っていることを。

でもそれはまた、次の話。

2009年4月29日 (水)

パンデミック旅行記(1)~不安の旅立ち~

飛行機のオーディオをつけたら、BonniePinkが
歌っていた。

♪明日は出張で飛行機
 2泊ばかりの旅行記…♪

ふふん。
2泊じゃないもんね。
今回4泊なんだもんね。

って、ちょっと勝った気になったのが
いけなかったんだろうか。

それは、日曜のお昼前のこと。
久しぶりの海外出張にあたふたしながら
飛行機に乗り込んだのだった。

13時間後。
着いた先のアメリカ北部の都市は、
日本で出発した時間とちょうど同じ時間帯。

時差ボケにぼーっとしながらホテルにたどり着き、
とりあえず、寝た。

そして起きたころ、アメリカではWelcome Partyが
始まり、それが終わるころに、日本のビジネスタイムが
動き出す。

そう。日本が月曜の朝になり、ビジネスタイムが
始まったころから、私たちには暗雲が立ち込めて
きていた。

WelcomeParty後、今日はとりあえず時差ボケ直し、
ってことで、部屋に戻った部長を待ち構えていたのは、
その上の部長様からの電話であったらしい。

その内容をわざわざ復唱して私たちにccしている
部長のメールを見て、私はビビった。

そこには、
「緊急事態なので、社の方針に従い、
1日くらい早く帰ることは可能かと思います」

ん?今着いたところだけども、帰る話してるの?

そういえば、部長はずーっと気にしていた。
日本からちゃんとマスク持ってきて、空港から
ホテルに向かうタクシーの中でも、タクシーの
運ちゃんにaskingしていたのだった。

「こっちは豚インフルエンザ大丈夫?」

そう。土曜の夜から若干報道はされていたのだが、
守るべきものなど何もない私は、まったく気にしては
いなかった。
しかしながら、確かにここから南に下がった
メキシコで、豚インフルエンザは大流行しており、
守るべきもののある人たちは、ちゃんと予防措置はとりつつ、
それでも会社の方針で出張にやってきているのだ。

でも、そんなのメキシコの話。
と、タクシーの運ちゃんは予想通りの反応で笑い飛ばした。

そうだよね。
アメリカは関係ないよね。

と、私は楽観的にとらえていたのだが。

その日、CNNニュースはずーっと
SwineFlu=豚インフル
特集を流していて、それを見ながら私は就寝した。

次の日=アメリカ的には月曜、の朝。
早く起きてしまった私は日本でいうところの、
月曜のビジネスタイム終了くらいのタイミングで
メールを開く。

と。

会社の総務部は明らかにあせっているらしかった。

メキシコの人は全員ただちに帰って来い!とその
メールは叫んでいて、ついでに、アメリカへは
出張自粛
、の文字。

自粛ったってもう来ちゃってるけどもね。
来ちゃってるから大丈夫だよね。

と、とりあえず私は状況を、出張手配してくれた
職場のおねいさまにメールで聞いてみる。

そしたら。

5分後になった電話。
相手はメールしたおねいさま。

「大部長様も、そのまた上の大大部長様も
皆さんのことをかなり気にされていて。。。」

とおねいさまは言った。

でですね。
一応、今日明日の飛行機の空きを見て
みたんですけどね、

とおねいさまは続ける。

いや、そんな、急がなくてもいいですよ。
と私は思う。
まだ滞在丸1日たってないし。

でも続けてしまわれるおねいさま。

どちらも結構席に余裕はあるんですよね。

あー、言っちゃったよー。

ということで、部長様と大部長様で今後の
対応について話し合ってもらうよう、私から
部長に一言言っておきなよ。

とおねいさまは最後に私に忠告をして、
電話を切った。

えー。今始まったところじゃない。
やっと今日から本番なのにさー。

そう。会議は今日からなのだ。
昨日は単なるWelcomePartyだけだったので、
お客さんたちも、じゃ明日くればいいやって感じで、
関係者はほとんどいない。
だから、今日からが本番なのだ。
まだ始まってもいないのに、帰る話するなんて、
どういう神経なんだろう。

それでも私だって残念ながら、
「社の方針に従う」サラリーマンの一人で
あるからにして、とりあえず朝食のときに部長に
知らせてみる。

あのぉ。。一度大部長様にお電話されたほうが。。。
気にされているようですので。。。

・・・案の定、部長は朝食もそこそこに電話をするため、
部屋を飛び出していった。

しかしながら、日本はすでに月曜の夜。
電話はうまくつながらず、兵隊といえども
一回それは撤退するしかなかったようだ。

よしよし。
とりあえず急場はしのいだようだ。

しかし。
事態が急変するのは、アメリカ的には
その日の夜、ってことは日本でいうところの
火曜日の朝のこと。

でも、その話はちょっと引き伸ばしてみることに
しようかね。

Joy/Happy Ending

Joy/Happy Ending

アーティスト:BONNIE PINK

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