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2010年4月26日 (月)

クラシックに溺れながら考える。

もう半年以上も前のこと。
私は珍しく、先輩らしく、後輩ちゃんの進路の
相談に乗っていたのだが、さっそく回答に
詰まっていた。

普段全然相談に乗らないから、というそもそもの
問題もあるけども、何しろ問題が

「いつまで、がんばればよいんですかねぇ。」

という、深すぎるものだったからである。

周りが期待してくれるからがんばるけども、
がんばったらがんばったで、次の瞬間もっと
大きな期待を寄せられてしまい、キャパオーバーに
なりそうな自分をなんとか奮い立たせてがんばって
いるものの、このデフレスパイラル的なものを
いつまで続ければよいのかと。

そんなの、私だって毎日考えている。

この案件が一休みすればもうがんばんなくて
いいかというと、またどんどん次の案件はやって
来ちゃうし、責任だって日増しに大きくなって、
いったいどうすりゃいいんだ、と。

でも、そんな出口のない悩みに溺れているのは、
どうやら私たちアラサーばかりではないようだった。

レディースデーに、コンサートでも鑑賞するかのごとく、
お気楽に見に行ったのだめで、私はおんなじ悩みに
ぶち当たる。

「イツマデツヅケレバ イイデスカ?」

毎日毎日続けられるレッスン。
終わっても終わってもどんどん出される課題。
でもコンクールに出ることは許されなくて、
淡々と過ぎてゆく毎日。
帰ってゆく留学友達。
帰れない自分。

いつまで、課題と戦い続ければいいんだろう。

と、のだめも私たちと同じように悩んでいた。

ときどき、不思議に思うことがある。
こういう風に悩んでいるのは、往々にして女子ばかり。
男子というものは、本能的に職業戦士なのだろうか。
あんまり「いつまで仕事すりゃあいいんだ!」とか
ぐずぐず言ってる輩はいないように思われる。

しかしながら、続ける、ということは、もしかしたら
当たり前のことじゃないのかもしれない、と気付かされたのは
土曜日のこと。

内容も分からず、誘われるがままに見に行ったのは、
またもやクラシック音楽の映画。

フランス映画「オーケストラ!(原題:Le Concert)

渋谷で見ようと思ったらいっぱいで、銀座の映画館に
駆け込んだ私たち。
だいたい、やってる映画館が少なすぎやしないか、と
ぶーぶー文句を言っていると始まった映画は、簡単に
いうとこんな話だ。

主人公は、昔ロシア(旧ソビエト)の一流オーケストラの
“元“指揮者。
それは30年前のこと。
旧ソビエト
ブレジネフ政権下、ユダヤの人々は迫害を受け、
このオーケストラも、ユダヤ人を首にするよう、政府から
言い渡される。

しかし、それを受け入れず、オーケストラはコンサートを断行。
でも途中で、KGBがコンサートに乱入し、メイン曲の
チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトは結局演奏
できないまま。

あれから30年。
指揮者から、コンサートホールの清掃員に格下げされた
男は、ある日、「フランスで演奏してくれませんか?」という
Faxを発見。
そのオーケストラになりすまし、フランスでコンサートを
開くことにする。

そう。これは、
「続けたかったのに続けられなかった」
人たちのお話なのだ。
30年の時を超えて、あのとき「続けられなかった」コンチェルトの
続きを奏でにゆく。
そこまでして、「続けたい」ものなんて、あるんだろうか。

そしてもう一つ、「続けられなかった」ものがある。

日曜日。
私は例によってチャリンコで新宿あたりを爆走していた。

もうすっかり愛車になったチャリンコで向かった先は
初台のオペラシティ。

今日はここで、チェロの先生が師事している先生の門下生の
勉強会なのだという。
複雑だけど、結局は先生の演奏を聴きに行くってことだ。

でも、先生が弾くのは実はチェロじゃない。

先生は、オケとかではチェロをやっているが、それは
本職ではない。
いや、稼げるお金はチェロのほうが断然多いかもしれないが、
本人が「本職」と思っているものはチェロではない。

「本職」は、ヴィオラ・ダ・ガンバという古楽器だ。

大きさはほぼチェロと一緒ではあるが、弦の数は6本もしくは
7本(2種類あるらしい)で、床にぶっさすエンドピンが付いておらず、
だからプレーヤーは足で楽器をはさむようにして持つ。

チェロっていうのは、もともとは農耕民族が弾く楽器だった
という。

一方、ヴィオラ・ダ・ガンバというのは、貴族の楽器。
宮廷の中で開かれる舞踏会などで用いられていたのだそうな。

一番この楽器がはやったのは、ルイ14世(太陽王)とか、
マリー・アントワネットの時代。

でも、そんなとき起こった、フランス革命

怒った「農耕民族」が「宮廷」に殴り込みをかけ、
マリー・アントワネットがギロチンにかけられると同時に、
宮廷のシンボル的存在のヴィオラ・ダ・ガンバも、
「なんだよこの楽器!マジムカつく!」と、「農耕民族」に
ぼっこぼこにされ、ほぼ絶滅してしまったのだという。

それから1世紀以上の月日がたって起こった古楽復興
運動により、この楽器は細々ではあるが復活し、今、
先生たちが「弾き継いで」いっている、というわけだ。

これも
「続けたかったのに続けられなかった」
楽器である。

芸術というものは、本来あってはならないのだが、
時代とか、政治とか、そういうものに標的にされやすいのも
また事実。

だから、意外と「続けられない」ものも数多くあるのだろう。
逆に、毎日淡々と続けられているものなんて、思いのほか
少ないのかもしれない。

だからきっと。

だからきっと、自分の好む、好まざるにかかわらず、
「続ける」ってことは、大事なこと。
いつまでやんなきゃいけないの~、って思っちゃうかも
しれないけど、急に無理やりそれをやめさせられちゃう
不幸に比べたらそんな不満、きっと大したことない。

だから、えっと、その、要は・・・

明日も、引き続き、元気に働こうぜ!ってことだ。
3日働き「続け」れば、楽しい楽しいゴールデンウィークだし!

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