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2010年4月

2010年4月30日 (金)

父と3○の…

父と3、とくれば、父と3人の娘たち、と来るのが
通例であるが、今日は3人ではなく、3羽、の話。

連休前の水曜日。
早めに1次会を切り上げた私たちは、どうやって
おじちゃんたちをまいてカラオケに行くか画策していた。

と、何気なく取り上げた携帯に着歴。

珍しく、父からの電話である。

気になったのでかけなおしても携帯には出ないので、
実家にかけると、またもや珍しく、父が自分で電話をとった。
どうやらご機嫌らしい。

「いつ帰ってくんの?」と父。
「土曜日、だけども」と私。

「じゃあ○○集合ね!」と、父は、突然、とある
東京の郊外の駅を指定した。

は?なんでそんなところなの?

と、怪訝そうに聞くが、父は
「ちょっとね!ちょっと用事があって!」
と、ご機嫌だけど用件は明かさない。

まぁ別に、それで私の新幹線代がただになるのなら、
と、了承して電話を切るが、どうも気持ち悪い。

どうしても気になった私は、次の日実家に電話してみる。
父の電話にかけなおしなら父が出るかもしれないが、
こっちから何の脈絡もなく電話して、父が出るということは
まずないので、父以外の誰かに事情を聞くのは簡単だ。

電話に出たのは、妹だった。
家には誰もおらず、退屈していた妹は、
こちらがこの後出かけるというにも関わらず、
必要以上にべらべらしゃべってくれた。

「お父ちゃん、なんで東京来るか知ってる?」
「お姉ちゃん聞いてないの?」

…聞いてないよ。

「ウサギだよ」

―――――――話は、約1ケ月前にさかのぼる。

土曜の朝、妹から一通のメール。

飼い始めてから3年になるウサギが、その日の朝に
なくなったというのだ。

思えば、全然家族になつかなかったウサギ。
自尊心が強く、ときどきヒステリーで、家族を困らせて
ばかりではあったが、それでも気が向けば家族の後を
ついて回ったり、なでてもらいにやってきたり、その
ツンデレっぷりがかわいらしかった。

それから1週間後。
父の誕生日だったその日、引っ越しのあとで金もなく、
プレゼントも買ってない私は、せめてもの思いで父に
電話してやった。

それが、である。

「何かほしいものとかあるの?」と聞いた私に、
「この前ウサギが死んじゃってさぁ、」と全然違う
話題を返してくる父。

それは知ってる、と答えた私だが、どうも話が
噛みあわない。

かわいかったんだぞぉ、
おれの手の上乗ってきたりさ、

と父は言うが、それが全く私の思い出と重ならないのだ。
あのウサギは、父の煙草の匂いが嫌いで、父が近付くと
大変な勢いで逃げて行ったものだ。

しかも、もっとも噛みあわないのは、
「でもさぁ、かわいそうに、4日で
死んじゃってさぁ」

いやいや、3年生きたでしょう。
と、聞き返す私に、父はやっとちゃんと説明した。

昨日の妹の説明と合わせて説明すると、
こんな感じだ。

ウサギ(あ、分かりにくいので、ここからは初代ウサギ
しよう)
がなくなったその日、父は大急ぎで新しいウサギを
手に入れるべく、妹がウサギを買ってきたペットショップに
向かったが、いけてるウサギがおらず、その日は仕方なく、
家族4人で動物園のウサギを見て帰ってきたのだそうな。

それでもあきらめきれない父は、次の日、ウサギを求めて
隣の県まで赴き、次のウサギ2代目ウサギとしよう)を買ってきた。

このウサギが、父が電話で言っていたウサギちゃんである。

初代ウサギは、ネザーランドドワーフ、という種類の、
耳がピンとたった、飼育されるウサギの中では最も
小さいタイプのウサギちゃんであった。

ピーターラビットのモデルでもあるこのウサギちゃんは、
小さくて飼いやすいんだけども、あまり性格はよろしく
ないらしく、気が強くてプライドが高く、しかも、うちにやってきたのが
生後3~4カ月くらいの思春期で、もうなかなか人になつかない
時期であったため、かなりひねくれた大人になってしまったのだった。

それに比べ、2代目ウサギちゃんは、ホーランドロップという
種類。
ロップ、という名のつくウサギでは、イヤーロップというウサギが
有名であるが、これはぶっちゃけでかすぎて飼いづらいと思われる。
ホーランドロップは、ネザーランドよりは少し大きいけど、
イヤーロップより小さく、比較的飼いやすい。

そして何より、性格がよく、だから父も簡単にウサギに
受け入れてもらえたのだそうな。
4月と言えば、まだ生まれたてで、誰がどんなだか
分からないということもあっただろう。

生まれたてだからかわいい、だけど、生まれたてってことは、
離乳したばかりだから、免疫がきれて病気になりやすい。
そして病気になるともう治らない、そういう微妙な時期に
あの不安定な天気。

まぁ無理もなかっただろう。
亡くなる前日、病院に駆け込んでも、医者は、
もうこの時期に病気になったら、治らないよ、と
つめたい反応だったらしい。

私が電話をしたのは、そんなことがあってから、
1週間後のことだったから、父の頭はもうウサギで
いっぱいだったのだった。

「でね、お父ちゃん2代目ウサギとおんなじウサギがほしくって
それからずーっとネットでウサギ調べててね、名古屋と東京に
いいウサギ屋さんがあるんだって言うんだよ」

と妹。
ウサギ屋さんって、昔からあるジャンル?

あ。名古屋。だから名古屋。

あのとき、父は電話で言っていたのだ。
「ゴールデンウィークは、名古屋行くから!名古屋!
日帰りで!」

日帰りで名古屋はムリだろう、と散々私が反対したから、
だから東京になったのか。
言えよ父。

「でね、お父ちゃん、一人でウサギ買いに行くと、
帰りウサギ心配で運転できないから、だから誰かに
ついてきてほしいんだって」

あ。それで私。
誰かとずーっと一緒というのが、父は嫌いなので、
帰りだけ私と一緒くらいがちょうどよいのかもしれない。

というわけで、父は明日、車を飛ばして
日帰りで東京へやってくる。

そして、おそらくは3羽目のウサギちゃんと、
2人と1羽で帰ることになるのだ。

父のこと散々バカにしながら、我が家の女性陣も
今頃ひどくウキウキしていることだろう。
もちろん、私も。

2010年4月26日 (月)

クラシックに溺れながら考える。

もう半年以上も前のこと。
私は珍しく、先輩らしく、後輩ちゃんの進路の
相談に乗っていたのだが、さっそく回答に
詰まっていた。

普段全然相談に乗らないから、というそもそもの
問題もあるけども、何しろ問題が

「いつまで、がんばればよいんですかねぇ。」

という、深すぎるものだったからである。

周りが期待してくれるからがんばるけども、
がんばったらがんばったで、次の瞬間もっと
大きな期待を寄せられてしまい、キャパオーバーに
なりそうな自分をなんとか奮い立たせてがんばって
いるものの、このデフレスパイラル的なものを
いつまで続ければよいのかと。

そんなの、私だって毎日考えている。

この案件が一休みすればもうがんばんなくて
いいかというと、またどんどん次の案件はやって
来ちゃうし、責任だって日増しに大きくなって、
いったいどうすりゃいいんだ、と。

でも、そんな出口のない悩みに溺れているのは、
どうやら私たちアラサーばかりではないようだった。

レディースデーに、コンサートでも鑑賞するかのごとく、
お気楽に見に行ったのだめで、私はおんなじ悩みに
ぶち当たる。

「イツマデツヅケレバ イイデスカ?」

毎日毎日続けられるレッスン。
終わっても終わってもどんどん出される課題。
でもコンクールに出ることは許されなくて、
淡々と過ぎてゆく毎日。
帰ってゆく留学友達。
帰れない自分。

いつまで、課題と戦い続ければいいんだろう。

と、のだめも私たちと同じように悩んでいた。

ときどき、不思議に思うことがある。
こういう風に悩んでいるのは、往々にして女子ばかり。
男子というものは、本能的に職業戦士なのだろうか。
あんまり「いつまで仕事すりゃあいいんだ!」とか
ぐずぐず言ってる輩はいないように思われる。

しかしながら、続ける、ということは、もしかしたら
当たり前のことじゃないのかもしれない、と気付かされたのは
土曜日のこと。

内容も分からず、誘われるがままに見に行ったのは、
またもやクラシック音楽の映画。

フランス映画「オーケストラ!(原題:Le Concert)

渋谷で見ようと思ったらいっぱいで、銀座の映画館に
駆け込んだ私たち。
だいたい、やってる映画館が少なすぎやしないか、と
ぶーぶー文句を言っていると始まった映画は、簡単に
いうとこんな話だ。

主人公は、昔ロシア(旧ソビエト)の一流オーケストラの
“元“指揮者。
それは30年前のこと。
旧ソビエト
ブレジネフ政権下、ユダヤの人々は迫害を受け、
このオーケストラも、ユダヤ人を首にするよう、政府から
言い渡される。

しかし、それを受け入れず、オーケストラはコンサートを断行。
でも途中で、KGBがコンサートに乱入し、メイン曲の
チャイコフスキーのバイオリンコンチェルトは結局演奏
できないまま。

あれから30年。
指揮者から、コンサートホールの清掃員に格下げされた
男は、ある日、「フランスで演奏してくれませんか?」という
Faxを発見。
そのオーケストラになりすまし、フランスでコンサートを
開くことにする。

そう。これは、
「続けたかったのに続けられなかった」
人たちのお話なのだ。
30年の時を超えて、あのとき「続けられなかった」コンチェルトの
続きを奏でにゆく。
そこまでして、「続けたい」ものなんて、あるんだろうか。

そしてもう一つ、「続けられなかった」ものがある。

日曜日。
私は例によってチャリンコで新宿あたりを爆走していた。

もうすっかり愛車になったチャリンコで向かった先は
初台のオペラシティ。

今日はここで、チェロの先生が師事している先生の門下生の
勉強会なのだという。
複雑だけど、結局は先生の演奏を聴きに行くってことだ。

でも、先生が弾くのは実はチェロじゃない。

先生は、オケとかではチェロをやっているが、それは
本職ではない。
いや、稼げるお金はチェロのほうが断然多いかもしれないが、
本人が「本職」と思っているものはチェロではない。

「本職」は、ヴィオラ・ダ・ガンバという古楽器だ。

大きさはほぼチェロと一緒ではあるが、弦の数は6本もしくは
7本(2種類あるらしい)で、床にぶっさすエンドピンが付いておらず、
だからプレーヤーは足で楽器をはさむようにして持つ。

チェロっていうのは、もともとは農耕民族が弾く楽器だった
という。

一方、ヴィオラ・ダ・ガンバというのは、貴族の楽器。
宮廷の中で開かれる舞踏会などで用いられていたのだそうな。

一番この楽器がはやったのは、ルイ14世(太陽王)とか、
マリー・アントワネットの時代。

でも、そんなとき起こった、フランス革命

怒った「農耕民族」が「宮廷」に殴り込みをかけ、
マリー・アントワネットがギロチンにかけられると同時に、
宮廷のシンボル的存在のヴィオラ・ダ・ガンバも、
「なんだよこの楽器!マジムカつく!」と、「農耕民族」に
ぼっこぼこにされ、ほぼ絶滅してしまったのだという。

それから1世紀以上の月日がたって起こった古楽復興
運動により、この楽器は細々ではあるが復活し、今、
先生たちが「弾き継いで」いっている、というわけだ。

これも
「続けたかったのに続けられなかった」
楽器である。

芸術というものは、本来あってはならないのだが、
時代とか、政治とか、そういうものに標的にされやすいのも
また事実。

だから、意外と「続けられない」ものも数多くあるのだろう。
逆に、毎日淡々と続けられているものなんて、思いのほか
少ないのかもしれない。

だからきっと。

だからきっと、自分の好む、好まざるにかかわらず、
「続ける」ってことは、大事なこと。
いつまでやんなきゃいけないの~、って思っちゃうかも
しれないけど、急に無理やりそれをやめさせられちゃう
不幸に比べたらそんな不満、きっと大したことない。

だから、えっと、その、要は・・・

明日も、引き続き、元気に働こうぜ!ってことだ。
3日働き「続け」れば、楽しい楽しいゴールデンウィークだし!

2010年4月25日 (日)

怒れるおばちゃん

春とは到底思えないほどの寒空の下、
私は1台のタクシーを、若干郊外の駅前で
捕まえた。

さむー、と口癖のように言いながら、乗り込んだ
私に、タクシーの運ちゃんであるところのおばちゃんは、
「暖房入れるかい?」と聞いてくれた。
いい人だ。

「いやー、景気悪くて大変だねぇ!」と急に
ガンガントークを始めるおばちゃん。

「はぁ。そうですねぇ。事業仕分けも始まりますし」

景気悪いと事業仕分けがどう結び付いたのか、
今となればすっかり忘れてしまったが、まぁ何かの
はずみで、私が事業仕分けの話を振ってしまったのが
いけなかった。

「いやぁ、民主党っていうのもいろいろ問題あるけど、
事業仕分けだけは正解だね。あれやるだけでも政権
変わってよかったってもんだよ」

とか言いながら、ちらつかせるスポーツ紙のとある記事。

「こいつだよ!こいつが天下りの『天皇』なんだってさ!」

と、おばちゃんは急に怒りだし、そいつの年収がいくらだの、
退職金がいくらだの、スポーツ紙の記事の情報を抜き出しては
お怒りになっている。

「それにしても、こんなことがあってまでなにも言わないなんて、
最近の若者はおとなしい!おとなしすぎるね!」

は、はぁ。草食ブームですから、大変申し訳ございません。

と、その後もおばちゃんの怒れる話はどんどんエスカレート。
どこがどうなってそっちの方向に行ったのか分からないが、
話は中国の万博の話に飛び火し、「中国人は怖い」という
ホラー的ストーリーになったと思ったら、話は急に、本日の
本題に入るのだった。

「うちの息子の嫁がさぁ、ハルピンの女なんだよ」

ハルピン、という、聞きなれない地名に、私は思わず、
「はる、ぴん?」と聞きなおす。

それが、運の尽き。

おばちゃんはどうやら、私がこの話に興味を持ったと
思ってしまったらしい。

「いやぁ、うちの息子、なかなか結婚できなくてさぁ・・・」

と、長い話が始まったわけだが、要約するとこんな感じである。

・なかなか結婚できない息子が、ある日突然、中国に
「嫁取りツアー」に行くと言い出した。
・息子はブローカーに約350万
(いや、おばちゃんはもっと
細かい正確な数値を言っていたが)
支払って、意気揚々と
嫁取りツアーに出かけて行った。
・そして息子は、ちゃっかり中国人の嫁を連れて帰ってきた。

ここで、私は思わず、
「そういうツアーで本当にお嫁さん、見つかるもんなんですねぇ」
と、相槌を打った。

ところが。ここからが話の肝である。

・嫁は、中国に残してきた親がいるとのことで、日本で
働いたお金を全部中国に送っている。
息子の貯金も気付いたら全部嫁が降ろして、中国に
送ってしまった。

「嫁はねぇ、結婚したかったんじゃなくて、日本に稼ぎに
来てるんだよ」

はき捨てるおばちゃん。

全然現実味のない話に、ただただ、「はぁ。」と相槌を
打つしかない。

そんでもってさらに。

「でさぁ、8年たっても子供ができないからどうしたのか
聞いたら、嫁が避妊してるらしいんだよ」

ちなみに、嫁は子連れで嫁いできているので、
別に子供ができないとかそういう事情ではないんだそうな。

「だからさ、私言ってやったんだよ」

と、ここから衝撃的な話が始まった。

曰く、

・じゃあさ、嫁に、子供出来たら100万やるって
言ってみたらどうだい?と息子にアドバイス。
・怪訝な顔をしながらも、嫁にそれを伝える息子。
・と、それから1ケ月・・・

「本当に、子供出来たっていうんだよ」

え?まじそんなきな臭いことあるんですか?
もはやぐうの音も出ない私の前に、どんどん積み重ね
られていく、意味わかんねー話。

・子供できたと言われたからには、100万支払わない
わけにもいかないので、息子に100万渡してやった親で
あるところのおばちゃん。
・しかし、金を渡してからたった1週間後。。。

「流産したんだってさ」

へ?

なになに?ちょっともう何が何のことやら。。。
それってもしかして、子供、できてなかったとか
そういうことは。。。
なんて、関係者も分からないネタばらしを、
私ができるはずもなく。

「でさぁ、流産したっていうから、100万返してって
言ったわけよ」

まぁ、結構つめたい対応ともとれるが、もともとその
100万は、いわば「子供手当」だったわけで、
大金であるからして、返してくれと言っちゃう、タクシーの
運ちゃんたるおばちゃんの気持ちも分からなくもない。

「それがさ・・・」

ここからの展開は皆さんのご想像のとおりである。
金が戻ってくるはずもなく。。。

「私もさぁ、もう孫はあきらめたわ。」

怒りがあきらめに変わって、おばちゃんは最後にこう言った。

「たぶんさぁ、向こうに好きな男でもいるんじゃないかと
思うんだよね」

真相がどうなのか、子供はできたのかできてなかったのか、
送金しているのは親なのか、それとも「好きな男」なのか、
それは今のところ、その「ハルピンから来た嫁」しか
知らない。

と、そんな深刻な話がひと段落したところで、タクシーは
目的地に滑りこんで…

「ごめんねー、こんな話しちゃって」と、傍らのスーパーの
袋的なものをがさがさあさるおばちゃん。

「これ、あげるよ」と差し出されたのは、
1足のピンクの靴下・・・

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ああああ。ありがとございます。

最後まで頭が整理できないまま、とりあえず
金を払ってタクシーを降りる私。

アラサーになっても、まだまだ私の知らない世界って、
きっと山ほど、あるんだろうな。

がんばれ、怒れるおばちゃん。

2010年4月18日 (日)

憧れの人

それは、3月のライオン発売日の、心地よい
金曜日のこと。

3月のライオンを即喫茶店で、人前でウルウルしながら
読み切り、その足でチャリンコを買いにゆき、一目ぼれした
チャリンコを即ゲットして、私はかなりご機嫌で英会話を
たしなんでいた。

そんな大事な会話がTwitterでなされているとも知らずに。

その日は、会社休みだから、と張り切って、英会話を
2コマとっており、半分たったところで、「じゃ休憩しますか」
と言われて、お手洗いにたった、その時だった。

ちょこっとのぞいてみたTwitterで発見した、
衝撃的な事実。

ひょんなことから始まっていた、友達同士のマイラバ談義。
その中で誰かが言った。

「そういや、マイラバのサイン会がどっかであったような・・・」

え?ちょっと事情が、事情が飲みこめないんですけども。

そうして始まる2時限目。
もう完全に、私は上の空である。

前にもどこかで言ったと思うが、恥ずかしさを承知で、
もう一度言おう。

My little loverが好きだ。

中3でデビューしてから、あ、なんか違うな。
私が中3の時にデビューしてから、
早15年目
あの衝撃的な、Man&Womanから、早15年目

15年間ずっと、私はMy little loverが
好きだ。

で、そのマイラバの、サイン会がどうしたって??

英会話が終わって、家に帰るはずであったのだが、
気になって帰れない。
英会話のロビーでせかせかとネットすると、サイン会は
なんと次の週だというじゃないか。
しかも、会場は、この英会話教室から歩いて5分だ。

整理券、整理券ってまだありますかね?

、即座にネットにあった電話番号から電話をし、
夜の新宿を、私は走る。
なんでネットのつぶやきごときに振り回されちゃってるんだろ、
私、と軽く自嘲しながら。

あれから1週間。

200番中190番、という売り切れすれすれの整理券を
ゲットした私は、1週間前と同じように、英会話教室から
イベント会場に向かう。

この前は歩いた道程を、今度はチャリンコで。

イベントは2時からだが、挨拶も何にもなく、ひたすらサインだけを
する会のようで、ほぼどべの私は、2時20分に来い、と書かれて
いたが、そんなに落ち着いていられるわけがない。

駐輪場を探すのに多少手間取ったが、それでも14時05分には
会場にたどり着く。

しっかし、着いた時間には関係なく、こうもしっかり
整理券の番号通りにならばされると、
「お前はファンとして、
前の番号の人よりちょっとだけレベルの低い奴だ」

言われているような気がして、昨日まで1番だと思っていた
私は、勝手に一人、少しだけへこんだ。

そうして待つこと、約30分。
「では5人様、おはいりくださーい」

と、仕切りの中に通される。
つ、ついに、あこがれ続けて15年、やっとこんなに間近に
akkoが!

と思ったのもつかの間。
仕切りに入ったのに、肝心のakkoの周りには側近の
者どもがたくさんいて、横からは全然akkoが拝めない。

結局、akkoがちゃんとみえたのは、そこから約5分後の
こと。

15年の時を超えて、あの頃の黒髪は茶髪に、ストレートは
パーマに、そしてちょっとあの頃より痩せたけども、

naturalさは全く変わることのないakkoがそこにいた。

そしてakkoの前では、「今度のツアーいけないんですよー
ごめんなさいねー」
とか井戸端会議ばりにしゃべっている
おばちゃん。
あ。こういうときって、サインしてもらってる間って、もしかして
なんかしゃべったりして交流深めるもんなんですか。

(サイン会初心者)

え?なにしゃべろう。次のツアーは行く予定ないし、
テレビでよく映るあれみたいに、
「いやーー!好きでした!
ずっと!」
って告白するような、そういうテンションでも
ないし。

(ビジュアル系とかジャニーズとかじゃないんだから)

うわー、どうしよう、しゃべることはたくさん
あるはずなのに、いったいこの限られた時間で
どうしたらよいのかしら!

ってギャーギャー考え始めた途端、列がどんどん進み始め、
気付けば、私はakkoの真ん前にいた。

「こ、こんにちは…」
おずおずと話しかける私。

「こんにちはー」
余裕のakko。

(当たり前だ。これが仕事だ)

無言の私の前で、すらすらすらすらとサインを書く
akko。
やべぇ。なんか言わないと終わっちゃうぞ、私。

それはもう、卒業式で先輩に告ってしまう中学生女子の
気持ち
そのまんまである。

「今日言わないと、もう明日から学校で会えないのよ!」

「が、がんばってください!」

がんばるって何をだよ、と、言った後に私は思い、
あわあわしてしまう。

でも、そんな私を笑うようなこともなく、
「ありがとー」と一言、彼女は言って、今サインしたばかりの
できたてほやほやの本を手渡してくれた。

ほわ~、と地に足がつかないまま、私はチャリンコで
走り出す。
なんか、魔法にでもかかったみたいだ。

そして、魔法にかかった私は、気づいたら新宿を抜けて、
代々木にたどり着いていた。

(行きたい方向とまるで逆)

結局、どんだけ大人になっても、あこがれの人の前では
木っ端みじんになってしまう。
まだまだ、私、ピュアだわ☆
まだまだ、私、若いんだわ。

2010年4月12日 (月)

元祖あかりさん

その日、年度末祭りが終わって途端に暇に
なった私は、久しぶりに心から会社を休んで、
いろんな引っ越しの手続きをするべく、とりあえず
化粧をしていたのだった。

と。
テレビからふと気になる言葉が聞こえてくる。

「・・・つながれ、想い。3月のライオン

え?

このとき、化粧をしていた私は、ちょうどテレビが見えづらい
場所にいたわけで、あまりにも急な展開に頭が着いて
いかない。

そして昼間は仕事をしているわけで、この時間帯の
テレビもみないので、3月のライオンが日常的に
CMをやってるもんなのかなんなのか、ということも
全く分からない。

でも、今確かに3月のライオン、って言ったよね?

化粧が終わって出かけようと思うものの、さっきの
幻聴が耳に残って離れない。

ちょちょ、ちょっとだけネットしてから出かけてもよいでしょうか。

誰にともなくつぶやいて、検索する。

と。

「最新4巻好評発売中!」

ハツバイチウ?

え!私そんなこと聞いてない!私の知らぬ間に
売ってるなんて。

と、よく見たら、その日が発売日だったわけだが、
私はもうとっくに発売しちゃってるもんだと思って、
急いで家を飛び出す。

買わなきゃ!泣かなきゃ!

早々に引っ越し手続きを済ませた私は、とにかく
近くの本屋さんに飛び込んで、ガンガン平積みに
されている新刊をつかんで近くの喫茶店に飛び込むのだった。

3月のライオンは言わずと知れた、
中学生でプロになった孤独な将棋青年と、
近くに住んでいるあったかい家族との交流を
描いた、感動巨編
であるが、この「家族」と
いうのは両親がいない3姉妹であって、3姉妹、と
聞けば、やっぱり長女のあかりさんに目が行って
しまうのはもちろん、こっちも長女だから。

と思っていたのだが、最近、もう一つの理由に
気付いた。

私は知っている。
このあかりさんに似た人を知っている。

このあかりさんという長女は、両親がいないので、
妹たちからしてみれば、半分お母さんみたいな
存在で、家事は完ぺき、お料理上手、そして
なんといっても面倒見がすごく良くて、近所の猫に
餌をやり、ついには孤独な将棋少年、零君の
面倒も見るようになる。

…前半のところは似てるかどうか、ぶっちゃけ
よく知らないけども、後半の部分が、そっくりなのだ。

私の祖母に。

長生きしなかったうちの祖父母の中で唯一生き残っている
うちの祖母は、やたらと面倒見がよくて、祖母のうちの
裏口には、いっつもどこの誰のものとも分からない、いや、
おそらく誰のものでもないニャーたちが寄ってたかって
餌をもらいに来ていたものだ。
(だからいつも祖母の家はツナ缶臭かった)

母の話によると、この現象が猫だけじゃないから
大変なのだそうで、材木屋、という自営業をやっていた
母の家には、従業員の若者がたむろっていたらしく、
そういう若者に祖母は餌をやり、自営業やってるから、
ブラウン管のテレビを近所で一番最初に買ったことも
あり、テレビを見に集う近所の大人子供にもまた、
祖母が餌をやる。

そのうちに、近所のお金のない若者が、どんどん
母の家に集まるようになり(従業員の友達とか?)、
誰かれ構わず、祖母はそいつらに餌をあげていたようだ。

「うち寄ってけや~、ご飯食べてけや~」

そんな、面倒見すぎな祖母に、母は若干呆れている節も
あるようで、昔、「ばあちゃんは猫が好きなのよね?」と聞く
私に母は冷たく言い放った。

「あれはね、別に好きなんじゃないのよ」

え!好きじゃなきゃどうして餌あげちゃうのよ。

「ああいうの見ると、ほっとけないだけなの。だから、
好きとか嫌いとかそういうんじゃないのよ」

(ちなみに、そんな母は猫が大っきらいだ。襲われたことが
あるらしい)

この、「好きとか嫌いとかじゃなくて、
ほっとけない」
というころが、祖母とあかりさんの
共通点だと思うのである。
母性とも若干違う気がする・・・本能でほっとけない、のでは
なかろうか。

ちなみに。

そんな祖母が餌をあげている若者リストの中には、
なんとうちの父もいたのだそうで、あのころ痩せていた
父をふくふくにしたのは、実は祖母なんだそうな。

将棋好き青年でもあった父は、もしかしたら元祖零君
だったのかもしれない。
零君のファンであるところの私はあまり認めたくないけども。

2010年4月 3日 (土)

ソラニン

「年度末なんでぇ、夕方の懇親会はいけませーん」
と、その日、朝から言い訳を言い連ね、上司が
出掛けるのを見送り、業務時間が終わった途端、
私は外に飛び出した。

年度末が忙しいのは本当なのだが、
その日は、そんな年度末と(どうせつまんねぇ)懇親会を
おしてでも、どうしても行かなきゃいけないイベントが
あった。

あたったのだ。試写会が。
「ソラニン」の試写会が。

あおいちゃーん、今すぐに会いに行くからねー!
と、東京メトロじゃなくてJRで向かい、友達と
合流した私は、友達をせかして渋谷を走る。
(遅れたの私なのに)

そうして駆け込んだ夜7時。
さらにそこから30分のトークショーを経て、
「ソラニン」は始まった。

2年目のOL、芽衣子は、学生の時から
付き合っている、フリーターの種田と同棲中。
種田は学生の時からやっていたバンドを
あきらめきれず、
芽衣子も誰にでもできる
仕事を淡々とやり続ける毎日に飽き飽きで、
ある日勢いで会社を辞めてしまう。

一方種田は、再び本格的にバンドをやろうと
思い、「ソラニン」を作ってレコード会社に
持ち込む。

しかし、そんな中種田は突然……

っていう、まぁありがちなストーリーの
青春映画なのだが、逆にいえば、
ありがちだからよいのかもしれない。

学生時代の、土手、サークル、ぼろい部屋。
バーベキューに花火に大きな青空。

逆に、大人になってからの、淡々とした毎日と
曇り空。

ディティールは多少違っても、若い頃なんて、
たぶんみんなこんな感じだ。

だから、見たことないはずの景色なのに、
自分がそこにいたような気がする。

自分の話じゃないのに、どこかしら自分の話のような
気がしてくる。
(いや、あおいちゃんみたいにかわいくないことは
百も承知で)

だから、何にもないようなシーンが急ににじんで
見えてくるのだ。

そしてやってくるクライマックス、あおいちゃんの
ライブシーン。

どうやらあおいちゃんは、自分では歌が不得手だと
思ってるんだそうだが、あおいちゃんが不得手だったら、
「歌しか得意なものがない」とか言っちゃってるうちの
妹はいったいどうしたらいいんだ。

あおいちゃんが歌う歌、それが「ソラニン」で、
もとはアジカンなのであるが、ソラニンっていうのは、
ジャガイモが芽を出すときに必要な毒素のことで、
だから、つまり、種から芽が出るってことで、
ってことはとどのつまり、種田から芽衣子が卒業
するための歌である。
(と、私は理解している)

ここに来るまでの約2時間で、あまりにも
どこかで見たことあるようなシーンのオンパレードに、
完全に思い出に浸っていた私。

そんな私に、最後の最後で、あおいちゃんはどすんと
重い一言を投げつけた。

さよなら。それもいいさ。
どこかで元気にやれよ。
さよなら。僕もどーにかやるさ。
そうするよ。

いつまでも浸ってないでさよならしろよ、と
あおいちゃんに男らしく送り出される私。

さよならなんてひどいなぁ、とわんわん泣いて、
すっきりした私たちは、映画館を出た途端
けろっとラーメン屋に向かう。

ラーメン食べながらふと擡げる、明日への
不安。
懇親会断ったのに、全然残業してないのが
ばれちゃってこっぴどくしかられたらどうしよう。

映画ですっかり学生の気持ちを思い出した
私は、のんきに麺をすすりながら、
「あおいちゃんみたいに辞表たたきつけてみる?」

それもいいさー

ふと聞こえたような気がするあおいちゃんの声。

んーー、とスープを一口飲んでから、大人の私は
ふっと笑って小さくつぶやいた。

さすがにそれはないでしょ。と。
いつまでも、現実に目をそむけてはいられないのだよ、
大人というものは。

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