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2010年1月

2010年1月24日 (日)

デジパと注文の多い…

通っている美容院が、代官山に移ったのは
夏のこと。

どうやら、不景気で店舗数を減らしているのだろう、と
私は勝手に解釈しているのだが、移転先の代官山店は、
設備がやたら充実しているようだった。

設備が充実してくると、使いたくなるのは人間心理なので
あろうか。

移ったばかりの美容院に向かった夏の日。
私は珍しく、カラーを頼んだ。

「でも、あんまり染めた染めたと言われないように、
こっそり染めたいんですよね~」

と、高校生みたいなことをいう私に、美容師さんが
提案してくれたのは、「ハイライト」という染め方。

髪の毛を全部染めるんでなくて、ところどころ、線が
つくように明るくしていく手法なのだそうで、これだったら、
あんまり激しく染まらないし、何より、プリンにならないと
いうのだった。

そして、今日。
目立たないように、ってハイライトやったけども、
さすがに、本当にだれも気付かないだなんて。

と、カラーリングはいい加減諦めた私は、半年ぶりに、
パーマをかけなおしてもらおうと、再び美容院に
向かった。

あんまり根元のほうはパーマかけないで、毛先のほうだけ
かけてください。

と、またしても変なこという私に、美容師さんが勧めたもの。

それが、デジパだ。

デジパ=デジタルパーマ。

噂に聞いてはいたが、そんなナウいもの、やったこと
ないっすよ。

と、おのぼりさんみたいなことを心の中でつぶやきつつ、
「はい!おねがいします!」とよくわかんないけどミーハー
精神で答えた私。

よし!と答えた美容師さんが持ち出したもの。

それは、またしてもアルミホイル

ハイライトのときも、アルミホイルだった。
一部の髪の毛だけ染めるのだから、染めない部分に
色が移ってはならないため、アルミホイルの上に乗っけた
髪の毛だけに薬をつけるのだ。

そんでもって今回は、髪の毛の根元はパーマをかけないので、
一部づつアルミホイルの上に乗っけて、パーマをかける
髪の毛の下のほうだけに薬を付けてゆく。

15分後。
薬をつけ終わった自分をまじまじと鏡で見ると、そこには、
頭中にアルミホイルを取りつけられたその上に、髪の毛を
あっためるためのサランラップを乗っけられた
、無残な
姿の私。

なんか、鮭のホイル包みっぽい。と思った私は、ふと
気付いた。

これは、注文の多い料理店だ。と。

なんだか怪しい料理店に入ったら、「粉をつけろ」だの、
「塩をもみこめ」だのいろいろと注文をつけられて、
なんだろうなんだろうと思っていたら、自分が料理されちゃう
宮沢賢治の童話。

まぁ私は、注文付けられて自分でやっているわけではないが、
お金払って、自分がいろんなことされて、食べられちゃいそうな
姿にさせられるところが、なんとなく似ている。

その後、いったんアルミホイルは取り除かれ、薬を
おとして、これで食われることはない、と胸をなでられる
私。

しかし、恐怖はこれで終わりじゃなかった。

料理のあとは、人体実験が待っていた。

髪を洗ってもう一度席に戻ってきた私に、彼らは
くるくるくるくるカーラーを巻きつけて、完全に私を
サザエさん状態にしたあと、そのカーラーの1本1本に、
あろうことか、電気を通し始めた

これはあれだ。
記憶喪失の人とか、犯罪者とか、そういう人の頭に
電気ショック与えて、何かを思い出させる
、あれだ。

・・・なんて思わず妄想しちゃう私。
(変なドラマ見すぎ)

と、美容師さんが電源をON

ひぃぃぃ!とおびえる私であったが、別に、びりびり来る
わけではない。
(当たり前)

その代わり、カーラーがどんどん熱を帯びてくる。
どうやら、ホットカーラーで形状記憶をしてパーマ
かけるのだそうな。

ああよかった、変な思想を脳に直接叩き込まれなくて
と、ありもしないことに安心した私は、ちょうど日向で
紅茶傾けていい気分になっていたこともあり、あっという間に
夢の中へ。

15分後、目覚めた私は、見事なくりくりパーマ
なっていた。

あ、いや、失敗したわけじゃなくて、ちょうどいい感じの、ね。

デジパは、普通のパーマと違って、ムースつけなくても、
いい感じにくるん、とナチュラルな内巻きになるんだそうな。

さすが、文明の利器、デジタルパーマ。
体張って人体実験に耐えただけの効果はあるらしい。
落ちにくいみたいだし、しばらくはこの恩恵にあずかることに
しよう。

2010年1月17日 (日)

はつやすみ、はつやまい。

ただの風邪だって、最初は信じていた。

いや実際、ただの風邪だったのだ、もともとは。

それは、仕事始めの月曜日。
「では、今年もよろしくお願いします、かんぱ~い」
という、年初めののほほん、とした乾杯のあいさつを、
私は背中で聞いていた。

何しろごゆるりと酒を飲むような悠長なシチュエーション
じゃない。

年明け早々、寝ぼけまなこを無理やりこじ開けるように
その日も入札が1件。

その週は他にも入札だの開札だのが目白押しで、
だから、お酒なんて二の次で、私はその瞬間も
資料作りに追われていた。

が、そんな私のあせりをものともせず、お酒は
人込みを縫って私の机のところまでやってきて、
「どうですか、一杯」と言うのだ。

んー、ビールはちょっと。。。
と、手渡されたビールに辟易し、これを合図に私は
人込みに乗り込んで、チューハイを取ってくる。
(おい、仕事しろよ)

じゃ、、、乾杯!
と、仕事を諦めてごくりと一杯飲んだその瞬間
私は風邪をひいた

もうはっきりとこの瞬間、喉に急に痛みが走ったのだった。

え?とビビりながらも、衝動的に、お酒で消毒しようと
思ってしまうのは、日本人の習性だろうか。

いったん仕事に戻るも、チューハイのせいでもう使い物に
ならないことを自覚した私は、結局1.5次会だか2次会だか
分からんが、ともかくも居酒屋になだれ込んでしまった。

それから1週間。

なんだか喉いてぇなぁと思いつつも、葛根湯だののど飴だので
なんとか乗り過ごし、3連休、あんまり騒がしくさえしなければ
治るんだろうと、私は勝手に思っていた。

土曜日は映画に行っちゃったから、今日はゆっくりしよう、と
新年明けて「はつやすみ」となる日曜はおうちでごろごろし、
静養に努める。

が。異変に気付いたのは月曜日。

日曜日ちゃんと大人しくしてたのにおっかしいなぁ、と
首をかしげながら、あまりの寒さにお腹にカイロ張り付けて
英会話に行き、不動産屋さんをキャンセルして家に帰って
熱を測って、私はビビった。

え?38℃??

そんでも、熱ってものは、ある程度上がれば、あとは
汗かいて下がるもんである。

あったかくして、加湿器つけて、マスクはめて、私は
とりあえず布団を頭からひっかぶった。

それなのに。

寒いのだ。
おなかにカイロ張り付けてるから、その部分はあったかいの
だが、それ以外のところが全体的に、まじで寒い。
どんだけあっためても、丸まっても、寒い。
しかも、何時間たってもまったく熱くなってくる様子がない。
関節まで痛くなってきた。

そんな調子のまま、気づけば次の日。
この日はもともと、働きすぎの12月を取り戻すための、
代休を取得していた日であった。

寒くて寒すぎて熟睡することもできず、私は辟易しながら
朝を迎え、熱を測ってそして気付く。

これって、もしかして、風邪じゃない
のではなかろうか。

この時期、こんだけ高い熱がこんな長時間続くということは。

ぼーっとした頭で口ポカンと開けながら、私がたどり着いた結論。
これはもしかして。

端と思い当った私は、急いでお風呂入って身支度整えて、
病院に向かった。
あのウイルス騒ぎのあとにできた、ご近所の新しいクリニックへ。

週明けの満員の病院で、がくがくぶるぶる寒さに震え、
やっと呼ばれるとお医者さんのヒアリング。

熱は?―39℃くらいあります。
頭痛は?―痛いです。
喉は?―痛いです。
体の節々の痛みは?―あります。

と、お医者さんの質問はどうやら何か1つの結論を導き
出そうかとしているかのように単刀直入で、しかも、私の
回答はすべてYesになる。
もしかしてもう答え分かってるんじゃないの?と思った時、
彼は核心に触れてくる。

近くにインフルエンザの人、いた?
―いない、と思うんですけど。

じゃ、検査してみよう。と隣の部屋に移されると、
あの、噂の、長いめんぼう君が待っていた。

おもむろに鼻にめんぼう君を差し込まれ、痛さにうんうん
言っていると、サンプル抽出は終わったようで、待合室に
戻される。

そんでもってまたガタガタ震えていると呼び出しをくらい、
部屋に入るとそこに置かれていたのは・・・

サンプル検査の結果。

妊娠検査薬ならここにプラスマークとか出るのよね?とか
ぼーっと考えたりしてみるが、事態はそんな甘くないことは
見るからに明らかであった。

サンプル結果にはAB、とちょっと離れたところにCのマークが
ついてるんだけど、見事にAの場所に赤い線が

「A型です」

・・・わかります。すっげぇ簡単に分かります、先生。

「じゃ、金曜にもう一回来てね。」

と言われ、結局、ガタガタ震えたまま、私は病院を後にし、降り出した
雨の中、タミフルを処方してもらいに薬局に走る。
出されたタミフルは5日分。

今週は出社禁止、と、医者に言われたことを会社にそのまま伝え、
とにかく眠ろうと思ったが、まず寒くて寝れない。

そのうえ、もともとその日は休みだったはずなのに、今週私が
行かないと言ったことが逆に動揺を誘ったのか、なんだか
やたらとその日は電話がかかってきて、やっぱり寝れない。
みんな「寝てました?無理しなくてもいいですよ」と言っては
くれるのだが、そんな言葉とは裏腹に、何度も鳴る電話。
熱39.7℃、且つタミフルでおかしくなっている人の指示を受けて、
どうしようというのだろうか。

が、次の日、タミフル君の素晴らしさに気づかされる。

2日間、全然下がる様子を見せなかったというのに、水曜の
朝、起きたらすっかり私は平熱に戻っていた
それはもう、あっけないくらいすっかり。

そんでも、タミフル飲むとやたらと眠くなるし、インフルになる
前にかかっていた風邪はどうやらひどくなっているらしく、
鼻水じゅるじゅるである。

だから、会社から電話がかかってきても、なんだかどことなく
熱があるような受け答えしかできない。
「熱は平熱なんですけど」とか言っても疑心暗鬼そうなみんなの声。
いやこれは、鼻がつまっているのだよ。

そうして平熱だけどもぼーっとしたまま、私は漫然と
本を読み、ネットでお絵かきロジックを解き、2日が過ぎた。

そして金曜日。

もうすっかり平熱だけど、とりあえずタミフル飲んで、
お風呂入って向かう病院。

具合悪かった時は激込みだった病院が、金曜は気持ち悪いくらい
空いていて、すぐに名前を呼ばれた私は、先生に聞かれる。

「で、今日はどうする?会社行く?
ってかもう昨日も行っちゃった?」

え?あんたでしょうが。
今週は行っちゃだめって言ったのは。

困惑した表情の私をみて、お医者さんはふっと、笑った。

「ま、今日ぐらいは休んで、明日から、ね」

明日は土曜なんで、もともと休みなんですけどね、と
私は憎まれ口を言い残して、止まらない鼻水を処理するための
薬を処方してもらい、無罪放免、と相成った。

そして、先週はチェロ行って映画見てた土曜日が再び始まる。
まだ「はつやすみ」から抜け出せない私を取り残して、1月は
もう折り返し地点までやってきていた。

私がインフルエンザになったことに気づいていない
チェロ仲間に交じって、何事もなかったように、今日も私は、
チェロに興じる。

2010年1月10日 (日)

チェロと映画始め

我ながら、ちょっとうまくなったんじゃないかと思う。

いや、何ができるようになったわけじゃないんだけども、
若干こなれてきた感じ。

あんだけがっちがちになっていた左手なのに、
気付けばナチュラルに、力を入れなくても弦を
抑えられるようになってきたし、今までみたいに
知らないうちに重力に負けてピッチが激上がり、
なんてこともなくなってきた。

若干ずれても、即修正できるようになってきたし、
左手に気を取られまくって右手の弓さばきが
大変なことになることも少なくなってきた。

指番号をいちいち全部振らなくてもある程度は
弾けるようになってきたし、緩やかながらも確実に
成長している。。。

と思いつつ練習曲を終わらせると、次は
課題曲の「エーデルワイス」。

3回目の今日こそは、間違えずに弾くぞ。
と思いきや、調子に乗った私は始まって
3つ目の音で早速引っかかる。

「エーデルワーイス♪」の「わ~いす♪」
どうしてもかすれてしまう。

駆け寄ってくる先生。

いや、私もなんとなく前からわかってはいた。
この「わ~いす♪」は小指まで全部抑えないと
鳴らない、高いレ(D)の音であり、しかも一番高くて
抵抗の少ない4番弦であることも重なって、どうしても
この音だけがかすれてしまうのだ。

それでも、私のフォームを見て、先生が
首をかしげる。

指はちゃんと曲がってるし、弾く位置も変なとこじゃ
ないし、なんでかねぇ。

うーん、まだ小指にうまいこと力が入って
ないんですかねぇ。
と、手をチェロから離して手のひらを見つめると、
小指には弦の筋。

こんなに抑えてどうして鳴らないのだ。
高い「レ」。

なんて、最後消化不良になりながら、向かった先は、
2010年になっても映画館。

でも、今日観に行くのは映画じゃないもん、と
私は思っていた。

今日は、1812年のコンサートに行くんだもん♪

チャイコの1812年

ナポレオンがロシアに攻め込んでいって、
冬将軍に負けて失敗した、あの時のことを、
ロシア側の目線で描いたこの曲は、典型的な、
超大げさロシア音楽

上でジャカジャカジャカジャカと歓喜のテーマが
鳴り響くその下を支えるのは、低音が奏でる
ロシア国歌

そして、その2つが重なってただでさえ大変な
ことになっているさなかに、ガンガンガンガン
鳴り渡るチャイムと、ドカドカと鳴り響く大砲。
(演奏会だとバスドラだけど、自衛隊とかが演奏すると
リアルに大砲を使ったりする)

私だけでなく、その顛末を知っている楽器屋さんたちと
しては、もうCM観てるだけでいてもたってもいられない
はずなのだ。

それを、映画の中でロンドンフィルが音被せるって
いうのだから、そんなすばらしいことがあるだろうか。

なんて、映画観る前から高まる期待は収まらない。

うきうきうかうかと、映画を見始め、あまりの
ファンタジーっぷりに、「ドラマより子供向けになってる」と
若干ひきつつ、ひたすらに1812年が始まるのを
待ちわびる。

と、千秋のうちで夕飯を食べるダメオーボエ奏者の
娘、カトリーヌちゃんが千秋に言い放った。

「でもね、パパは、本当に毎日
一生懸命練習してるんだよ!」

あ。

うきうきうかうかしていた私は、そこで急に
冷水を浴びせられたような気分になる。

私も、もしかして練習しないといけないんじゃないかと。

仕事が大変で練習してる暇なんて、って言いながら、
結局週に1回のチェロレッスンの前後にしか練習しなかったり
して、それじゃあ5か月たっても小指がうまいこと抑えられないのも
無理はない。

それに比べてこのオケの団員たちは、少ない時間を割いて、
ぶつぶつと文句を言いながらも、一生懸命練習しており、
だから、エンディングの1812年は、(ロンドンフィルの音では
あるけれども)本当に素晴らしかった。
(ってか映画でクラシックをフルで流してくれるだなんて素晴らしすぎる)

吹奏楽部で演奏したことのある私は、なんだか途中から
一緒に演奏してるような気分になってしまい、指が勝手に
動き始め、さらには、あまりにも音楽を堪能しすぎてしまって、
演奏が終わってスタンディングオベーションのシーンで、
一瞬、私も一緒に立ちあがってしまいそうになる始末。

あ、ちがう。これはコンサートじゃなくて映画、映画だ、と
なんとか自分に言い聞かせて自制する。

なんだか後編は、のだめの千秋の恋のエンディングに
向けた「映画」になりそうだけども、前編はかなり上質な
「コンサート」であった。
絶対音響のいい映画館で見たほうがよい。
ってかすばらしい音響で聞けるなら、あと2、3回
お金払って映画館に足運んでもいいと思わせるそんな
演奏だった。

あーあ、やっぱりいいなぁ、オーケストラ。
私も、オーケストラにはまだまだだけど、今年はもう少し
ちゃんと練習しよう。
楽しい「音楽の時間」に再び出会うために。

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2010年1月 9日 (土)

つぶやきと教室の机

ふと思い出した記憶がある。

それは、中学だったか、高校だったか。

根暗な私は、授業を上の空で聞き流しながら、
自分の机に向かって、なにやら「つぶやく」のが
好きだった。

呟くといってもさすがにリアルに呟くのは
気持ち悪いしうるさいので、その代わりに、机に
つらつらとそれこそ「つれづれなるままに」
思いついた文章をつづっていたのだった。

それは、時にはそのとき鼻歌で歌いたかった
歌の歌詞だったり、はたまた、教科書で気に入った
フレーズだったり。

そして、横着な私は、授業が終わってもそれを
消すこともせず、次の授業のため、別の教室に
流れていく。

中学や高校では、いろんなクラスを寄せ集めて、
それをレベル別に分類して授業するわけなので、
その都度「自分の机」も変わっていき、そこここに、
私の「つぶやき」が転がってるというわけだ。

そうすると、時折そこに「出会い」がある。

いつもは、いわゆる「独り言」の私の「つぶやき」に、
コメントを入れる輩が現れるのだ。

それは主に、私の席を知っていて、さらに、偶然
私が不在の時にその席で授業を受けている友達で
あることが多いのだけれど、ときどき、「お前、誰だよ」
的な見ず知らずのコメンテーターが出てきたりして、
そんな、小さな出会いが結構面白かったりした。

と。

なんでそんな些細なことを思い出したかというと、
最近はやっているネット上での「つぶやきサイト」が、
その教室の机にどことなく似てるんじゃないかと思ったからだ。

年末休み中のひたすら暇なときにふとお誘いを
受けてなんとなく始めたTwitter

最初は、見たい映画をまとめてメモしておくための
ツールにしようと思ったのだが、見ず知らずの
方々のつぶやきをTweetDeckで追っていくうちに、
なんだかうずうずと、昔のつぶやき癖がうずきだす。

一人暮らしだと、リアルに呟くわけにもいかず、
だからさびしんぼうの私はネットに向かってぶつぶつと
つぶやく。

そうするとだ。
多くの場合、それは単にネットの世界に流出して
放置されるだけなんだが、ときたま、誰かの心に
引っかかることがある、らしい。

その心の引っかかりを、誰かが返してくると、
それはあの頃と同じように、小さな出会いとなる。
(大きな出会いじゃないところが気楽でまた心地よい)

そんなこんなで始めて10日くらい。
私のつぶやきは早くも100近くなった。
1日「10つぶやき」??

ああでも、こんなだから駄目なんだな。
本来は一人でつぶやくより、特定の誰かとちゃんと
会話をしなければ。

とか思いつつ、またそれをネットの世界に
ぶつぶつと流してしまう今日この頃。

。。。さて、もうひとつぶやきして寝るとするか。

2010年1月 3日 (日)

気を取り直して2010年。

2009年はチェロだの、英会話だの、いろいろなことを
始めて、仕事はどうあれ、趣味の面ではやたらめったら
充実しており、忙しくて笑いだしそうな、そんな1年であった

はずなのに。
なんだか年末あたりに事態は急にごちゃごちゃし始めて、
晴れ上がっていたはずなのに、急に吹雪の中に一人
取り残されたまま年を越してしまったような気分。

のだめ(巴里編)でいうと、オクレール先生に、
「もうすっかりわからなくなっちゃったね」
って言われている
ときの、のだめの心境そのものなのであるが、
それでもアラサーの時の流れは非常に速く、その速さに負けない
ためには、前に進んでいくしかないわけであって、だから、今年も
何かを残すため、何をしようか考える。

うーん。

2009年は友達の説教に乗っかって、チェロを
始めたのが、1つの波に乗るよいきっかけになったような
気がする。

そうするとだな。。。
と思いつつ、そのときの友達の指摘を思い出して
みると、なんだかもう1つアドバイスをもらっていた
ような。

そうだ。

引っ越す。だ!
もう少し都会的な、スタイリッシュな場所に住んで、
女としての気合を入れなおす。

うむ。

去年まで、「都合のよい女友達」から抜け出す、とか
あいまいなことをのたまっていたけども、きっとそういう
ことだから、やり方も分からず、達成率も分からない、
適当な結果に終わってしまったのだ。
(ってか確実に全く達成できてねーな。我ながら)

だから、今年は、「引っ越す」というわかりやすい目標を
定めて、着実に達成していこう。

ひとつ、心配事は、昨日引いたおみくじに、

(住居)現在地はあまりよろしくありませんが、あせって
移動すれば損失をこうむります。

って書いてあったことだけども。

ふむ。

そしたら、あせらずにじっくり、今年は新居を探すことに
しよう。

私の、新しい未来のために。

2010年1月 1日 (金)

年末のカッコイイ女子たち

年は明けてしまったが、去年のことを
話しても鬼には笑われないはずなので。

さて、年末だというのに、私が行く先は、
実家じゃなくて幕張メッセ。

通信業界関連のイベント以外でメッセに行くなんて、
下手したら初めてじゃないのか。

その日はGrayのLiveもあったわけだが、
そんな中高時代の思い出に浸るつもりでも
ない私が向かうのはもちろん、CountDownJapan

最初のコマは、ほとんどの人がフジファブリックに
向かう中で、一人逆流して乗り込む先は、
Soil&Pimp Sessions

男だらけのステージに向かって、社長の煽りに乗じて
SOIL!SOIL!とこぶしを突き出しながら叫んでいると、
何かの宗教にでも入ったような変なテンションになった。

そんでもって、その次は休んでもよかったのだが、
序盤だからエネルギーは有り余っているので、
みんなの行くほうについて行ってみる。

と、歌っているのはGoingUnderGroundという、
みんなは知ってるらしいが私は全然知らない
バンドの方が出ていた。

そして、なんでだかよくわかんないけども、
ゲストの方を呼び込んで、知らない女子が
入場してくる。

それが、まぁバンドの方たちもあんまりデーハーな
方ではないんだけども、それにしても地味な、がり勉
中学生みたいな女子がうつむき加減で。

おいおい、大丈夫か?
あんな目もあわせられないような女子を連れてきて。
しかもボーカルでもなくギター?
この男だらけのバンドの中で。

と思ったのもつかの間であった。


(右の方のギターの方です)

他の男子なんかものともしない、いや、一挙に凌駕してしまう
驚愕のうまさだ。

さっきの「おとなしめ内気女子」はどこに消えてしまったのか。
なんだこのにじみ出る殺気
おぬし、もしや、サムライでは。
ぎ、ギターが刀に見えてきた。

そうして、ステージの一番右端に見とれているうちに、
Going~のステージは終了。

そのあと、ウルフルズを全然歌わないトータスさん→
「下品なジュディマリ」SHAKALABBITS→
「もしも山口沙耶加が中島みゆきを歌ったら」風の安藤裕子と
立て続けに回って、安藤裕子で不覚にも若干泣いてしまった
私は、ちょっと休憩して気を取り直して彼女に会いに行く。

彼女って?
決まってるじゃないか。
もちろん林檎様だ。

日本で一番カッコイイ女子、林檎様だ。

前の人が歌っている最中から会場に乗り込んで前の方の席を
おさえようとしたにもかかわらず、会場が混んでいて全然前に
進めない。

この人が終わったらみんな出て行くのかしらねぇ、とのんびり
考えつつ前に向かっていたのもつかの間、前の人が終わったあとが
地獄であった。

前の人が終わっても全然観客席は空かなくて、そればかりか
「やっと前の人終わったぞ~」とばかりに、待ちきれないファンの
皆様がどどーっと会場になだれ込んできて、その拍子に、私は
前からどん、と押されて、かつ、なぜか私の後ろは微妙に隙間が
できていたので、地球の重力に逆らえず、そのまま後ろに倒れこんだ。

これが、噂の「ドミノ倒し」

いたい、いたいよぉ!と叫びつつ、
「ああ、こうやって、人は死ぬんだな、そりゃあこれでは
死んじゃううよなぁ。」と、頭の中ではやたら冷静に考えて
いたら、「あ、大丈夫ですか!つかまって!」と見知らぬ
何人かの人たちに、命を救われた。

やっぱり、人間そんな簡単には死なないらしい。

と、そんでもこのトラブルでこれ以上前に行くことをあきらめた
私は、気づくと友達ともはぐれて一人だけ。

こんな込み合っている会場では探すこともままならず、
林檎様は一人で見ることにする。

それにしても、まだ始まってもいないのに、汗ぐっしょりだ。
これでライブ始まったら、また後ろの人たちが大挙して
前のほうに押しかけるでしょ?しかも林檎様にあわせて
踊らないといけないでしょ?

とか要らぬ心配をしていると、現れた。

白と黒のボーダーのワンピースで、肩ばっちり出して、
背筋まっすぐ伸ばした、林檎様が。
汗かいて待ちわびてる私たちなんか全然目にも入らないような、
涼しい顔して。

と、マイクもって、何を話すわけでもなく、突如歌いだす、
閃光少女」。

会場のファンと目を合わせるわけでもなく、手を振るわけでもなく、
目線はまっすぐ、ステージの一番後ろ。

冷たい。冷たすぎる。
でもそれがかっこよさを増長させる。

その後も、メガホンとマイクを持ち替えつつ、淡々とセットリストを
こなしていくわけだが、その間、歌声以外は一言も発せず、
誰とも目を合わせず。

なにかお気に召さないようなことでもございましたでしょうか、
とご機嫌を伺うことさえ許していただけない、残酷なステージ。

それなのに、こんなにも冷たいのに、突然始まった
ありあまる富」の暖かさに、つい号泣してしまった私。
冷たいはずなのに、その声はどこまでも澄んでいて暖かい。
突き放されているはずなのに、ふわっと包み込まれる感じ。

なんだろう、この不思議な感じ。

なんて思ってても、相変わらずその後も、林檎様は歌声以外の
声を発することもなく、会場の誰よりも汗かかずに、淡々と仕事を
こなしてアンコールするわけでもなくあっさりと帰ってゆく。

カッコイイ。
クールすぎる。
(そんな気分はその直後のグループ魂で跡形もなく
吹っ飛んでしまうわけだが。。。)

そうか。
ギターの女サムライといい、林檎様といい、媚びない女が
いいのかもしれないな、2010年は。

ちょっと無口で冷たい、媚びない女
なろうかな、なんて幕張の夜空を見ながら珍しくまじめに考えて
しまった、2009年年末のことであった。

そしたら、まずはブログをもう少しあっさりさせないとだめ、
だな。。。うーむ。

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