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2009年12月

2009年12月29日 (火)

ばあちゃんと、あと3年弱

さて、今年の映画納め

といっても、その前日はお昼からバスケやって
チェロ行って忘年会出てカラオケしてラーメン食べて、
気づいたら日付が変わる
、という、学生でもあり得ない
ような怒涛の1日だったので、「映画納め」とかテンション
高そうなこと言っちゃっても体がそれに追いつかない
ありさまで、眠気を懸命にこらえながら、筋肉痛の
足腰をひきづって、私は映画館に向かった。

計何本映画観たかさっぱりおぼえてないけども、
20本以上は観たと思われる2009年の映画納めは、
あと3年弱ののちに本当に起こるかもしれないパニック
映画、「2012」と相成った。

マヤの予言では、2012年12月22日で世界が滅びる、と
言われており、このストーリーは「もしそれが本当に
起こったら」っていう…まぁしごく簡単なものだ。

だってハリウッドだもん。

そういえば、いろいろ観てるけど、ハリウッド系パニック
映画はクローバーフィールド以来だった気がするなぁ。

とか感慨に浸ってる暇なんてないのだ。

映画が始まって20分もすると、大地震がやってきて、
地表が大きく割れて隆起し、カリフォルニアの高層ビルが
上からガンガン崩れてきて。。。

その中を、主人公家族の乗った車が空港に向かって
爆走する。

言っとくけど、おそらくお金が足りなかったらしく、
この映画は3Dじゃない。

だけども、その車が爆走するシーンの視点は
上から、でも、下から、でもなく、車を運転してる
人の視点そのもの
からになっていて、だからもう、
その様子はゲーセンで私が運転する車壁に
激突したりフェンスを飛び越えちゃったり時には
逆走しちゃったり―
を500倍リアルにしたような
そんな感じなのである。
(私がへたくそすぎるだけ)

自分が運転してるときはそれでも、アクセル全開にして
(決して、ブレーキは踏まない)ハンドル掴んで必死に
行く先に目を凝らすのだが、これは映画であって私が
運転してるわけじゃないから、私は両手握って親指
かくしたり(救急車通った時みたいに)、時には手で顔を
覆ってあまりにもリアルなところを見ないようにしたり…

あ、違う。

正しくは、ちゃんと見ていた

顔を隠してたって、指の隙間から、肝心なところは
ちゃんと見ていた。

それはまるで、スポーツ観戦してるときのばあちゃん
ちょうど同じ感じで。

うちの母の母であるところの、ばあちゃんは、
古くはプロレス、今じゃ相撲、と、早く言えば
格闘系のスポーツが好きらしい。

たまにうちに遊び来たって、どこに遊びに出るわけでもなく、
相撲の始まる時間になれば、しっかりとテレビの前に座って、
「がんばれー。がんばれー。」と聞こえるわけでもないのに、
両手握って騒がしく応援を始めるのだ。

しかしながら、試合が盛り上がってきて、もみ合いの
様相を呈してくると、ばあちゃんの応援はどっちかと
いうと「悲鳴」に変わる。

しかもその悲鳴が普通じゃない。

「あー、もうらしいもうらしい、あーみてらんねやー、
もうらしいー」

と、もうらしい連発である。

もうらしいっていうのは田舎の方言で、
「かわいそう」っていう意味だが、もうらしいまで
いくと、かわいそう、に少しだけ、「せつない」という
意味を含む気がする。

本当にグロテスクなものとか残酷なものが
嫌いな母は、そんなばあちゃんを見ながら
いつも「もうらしいなら見なきゃいい」
冷たくあしらう。

でも、もうらしいって言いながら、見てらんないって
言いながら、ばあちゃんはしっかりと見ているのだ。

横から見ればしっかりわかるくらい、指の間から
目を見開いて、ちゃんと試合の結果をみてるんだ。

さて、そんなばあちゃんの記憶に気を取られている
暇もなく、映画の舞台は陸から次は空へ。

飛行機が空に浮きあがった直後、飛行機のすぐ後ろの
地面が崩れ、その下にはマグマ。

そんなマグマをみて、ぎゃんぎゃん泣き出す子供の
泣き顔がかわいらしすぎて「もうらしい」

もうらしい、もうらしい、と心の中でつぶやいている
うちに、ゲーセンから舞台は海、というか宇宙戦艦に
移る。
(宇宙にはいかないけどね。だってたった3年後の話だから)

そこでも、船に乗ろうと思って乗り出しすぎて落っこちて
しまう人やら、水が流入して溺れてしまう人やら、足が
機械に引っかかってしまう人やら。

もう、「もうらしい」シーンのオンパレードで、そのたんびに
私の頭の中にはばあちゃんの「もうらしい」が響いて
くるのだ。

そういえば、この映画、完全なるフィクションだって言っても
本当に起きてしまうのであれば、あと3年弱。

未来に何が起こるかなんて、全然わからないのだ。

まだまだ元気なばあちゃんは、2012年になっても、
相撲見ながら「もうらしい、もうらしい」とつぶやいて
いるだろうか。

その「もうらしい」が、世界滅亡の「もうらしい」じゃなくて、
あくまでも相撲であってほしいと、映画の最後の朝日を
見ながら、私は思った。

さて来年の映画始めは、何にしようかな。

2009年12月28日 (月)

ブラックペアン1988と医療報酬UP

もう今年は本を買わないって決めてたのに、
東のエデンを観るか観ないか迷いながら
立ち寄った本屋さんで、衝動的に本を2冊も
買ってしまうことになろうとは。

だいたい、あんな薄い本、わざわざ上下巻に
分ける必要もないというのに、どうして最近の
文庫本というものは、すぐに本を分けてしまうのか。

まぁそんなこと言ったって、結局、文庫本2冊と
映画の鑑賞代を天秤にかけたら、あっさり文庫本が
勝ってしまい、久しぶりに私は英会話から早々に
家に帰って引きこもり読書と相成ったわけだ。

1988年。
田舎でトンボを追いかけていた私には全然そんな
雰囲気を感じることは出来なかったけど、東京と
いう大都会では、人々は超高景気に、それが
泡になって消えるだなんて微塵も思わずに浮かれ
狂っていた、らしい。

そして浮かれ狂っていたのは一般ピーポーだけではなく、
もちろん医者も同じであって、MRの金で毎夜毎夜宴会に
明け暮れ、そのお返しと言っちゃなんだが、そのMRの
持ってきた薬を使ってやる、という具合だ。

(そして、私みたいに薬疹で苦しむ一般ピーポーが出てくる
というわけだ)

この話の中心は、そんなMRのご相伴にあずかって、
毎晩遊び歩くチャラ外科医の渡海と、そんな渡海と
対立する、アメリカナイズド外科医の高階

この物語では、この2人と、この2人をある意味冷静に
見つめる新米研修医の世良君、そしてその周りの
医局の皆さんを通じて、このバブル期に生まれて
今社会問題になっている医療のいろんな問題を並列に
並べていく。

(そしていつもながら、このよわっちい海堂ワールドの
進行役君
が、またしても私の心をくすぐるというわけだ)

あ。話が若干脱線してしまったが、この話の大きな
テーマは、医者は職人か、それとも職員か
というところだと思う。

渡海はチャラいけども、天才外科医。
練習なんてしなくたって、患者に思い入れなんてなくたって、
技術力があるから、手術は常に成功。
だから、彼は、医者は「職人」であるべきだと言い切る。

一方、高階はアメリカナイズドされており、非常に組織的な
考え方を大事にする人間であり、新しい手術器具を持ち出して、
これがあれば、どんなしょぼい医者でも難しい手術ができると
のたまっている。
つまり、医者は「職員」である、いや、今は職業になっていないが、
これからは「職員」であるべきだと。

そうして、対立構造が崩れないまま、渡海と高階はクライマックスで
最後の患者に向かい合うわけだが・・・

話を読んでいる限り、どっちが正解かというと、この時点では
ふたりの主張があまりにも極端だから一概には決められない
けども、あえていうなら、医者は「職人」だ、と認めざるを得ない
終わり方をしている、と私は思う。

最後は、佐伯教授の常識を逸脱した「職人技」が患者を
救ったのだと。
(あの技が必ずしも合っているとは言えないけども)

しかしながら。

しかしながら、あれから20年以上たった今、日本の医療は
大変なことになってしまった。

どうやら日本は、医者は「職員」であるという判断を下して
しまったようだ。

だけども、実際のところは「職人」であるところの医者に
なるのはとっても大変で、そんでも、日本の社会は医者
(ってか勤務医)を「職人」とは認めず、「職員」であると
してしまったから、どんだけ患者を救っても、技術の鍛錬を
積んでも、それに見合っただけのお金はもらえずに、
もらえないから医者は減り、医者が減るから医療ミスは増え・・・

そして、私のように結局病気の原因が分からずじまいのまま、
薬が合わなくて湿疹出まくる
という大変な事態が起こると
いうわけだ。
(あ、話がぐるぐる回っている)

そんな事態を、日本という政府はやっとこさ認識したようで、
来年からは日本人1人あたりが1年に数百円多めに負担することで、
お医者さんのお給料が若干ではあるが、改善されるのだそうな

これで、私がかかってしまった潰れかけの病院は、
このお金を元手に、緊急外来を復活させることができるんだろうか。

日本の「職人」たちは、MRたちの接待に頼らなくても
よくなって、技術の鍛錬に明け暮れることができるように
なるだろうか。

忘年会のカラオケを抜け出して、「先生」方の接待に出向く、
MRの友達を見送りながら、彼の会いに行く人たちが
「職人」でも「職員」でもどっちでもよいから、私の数百円で
来年からこういう場面に出合わなくなることを願った。

あ。そうそう。
1988年の東城大学病院には、まだ学生のときの
田口をはじめ、速水や島津といった同期の皆さん、
そして、新人の頃の花房師長にネコちゃん、そして
現役バリバリの藤原さんまで。
まるで海堂ワールドの同窓会みたいになっており、
ファンとしてはかなりツボである。

ってかジェネラルルージュでは完全に強い
看護師長さんだったはずの、花房さんが、可憐でかわゆい。
ってことは逆に、20年で女はこんだけ強くなるってことだ。

…まぁ仕方ないよな。
バブル後のこの20年はきっと、女が強くならなきゃ生きていけない
時代だったんだから。

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2009年12月19日 (土)

映画三昧の年末

ついこの間までは、2週間に1回だった。

それがいつの間にやら、週に1回ペースに
なってしまった。

言っておくが、決して、決して暇なわけじゃない。
2週間に1回は休日出勤してるし、仕事以外だって
結構忙しい。
(あ、それは嘘かも)

なんだろう、家にいるとさみしくなるからなのか、
それともストレスがたまっているからなのか。

なにはともあれ、3週間で3本の映画、振り返らないと
もったいないので書きとめるとするか。

①笑う警官
それは、無理やり年休を消化させられ…あ、違った、
取得させていただいた月曜日。

年休取ったって結局やることのない私は、
英会話行って、そのまま映画館に直行。

…そういえば、最近英会話で、
「このあとどうするの?」って聞かれると。
「Movie」しか言ってないような気が。。。

まぁそれはともかく、ストーリーとしては、

ある夜、一人の婦人警官が殺されて、
昔彼女と付き合っていた警官が容疑者として
あげられる。
しかし、その警官が同僚に「俺じゃない!」と
連絡したのをきっかけに、同僚たちが事件について
調べ始めると、実はその事件は北海道警の
汚職事件と深くかかわっていて。。。

何しろ、中づりのキャッチコピーがカッコよかった。
「この国は警察が、正義を指名手配する」
だって。
しびれる、ビリビリ来るよ!
(古い)

っていう、角川文庫が総力を挙げてお送りする、
警察の闇を大きくえぐる映画なのである。
(その割に客が入っていないのは、としまえんだから、
だよな)

往年の2時間ドラマ系の男たちが集う中、やっぱり
目立つのは紅一点の松雪泰子である。
かっこいい、かっこいいよとにかく!

そして、音楽がシブい!登場人物たちがもともと
ビックバンドだったという設定もあって、全体的に
ジャズな感じが漂っていて、ちょっと古いスタイルと
言えないこともないが、なんともシブい。

ストーリー的には警察vs警察組織ってことで、人間関係が
とにかく入り組んでいて難しくて、誰が白で誰が黒なのか、
終わるまで、というか終わってもまだわからないままなのだが、
とにかく大人の見るシブい映画に仕上がっていた。

それでも、途中なげぇなぁと中だるみしちゃったのは、
難しすぎたからか、それとも私がまだそこまで大人になれて
いないからなのか。

②戦場でワルツを
その週の日曜日。

半分趣味、半分仕事で出かけた国際フォーラムのイベントは、
仕事のジャンルからいけばまったく信じられないことだが、
朝11時に着いたのに長蛇の列で入場制限。
(しかも家族連ればかり)

当日券はもうこの日は売りだす様子もなかったし、
夜はバスケに行くからこのタイミングで家に帰る
わけにもいかないし・・・としばらく逡巡してから私は、
仕方なくお昼近くの銀座に乗り出した。

さて、どうするかなーと思い、携帯を開いたときに
気付いた。

銀座といえば「シネスイッチ銀座」だと。

としまえんは、土地の割にスクリーンが9個もあるという
贅沢な作りなので、だいたいの映画はそこで見れてしまうが、
見れないものも結構ある。

それが、単館映画なのだ。

そして、シネスイッチでやっていたのが、アカデミー
外国語映画賞
をとった、このイスラエル映画である。

アカデミー賞だからだろうか、それとも銀座だからだろうか。
先日の笑う警官よりよほど人数が多く、ほぼ満席の中、
映画は始まった。

ストーリーは、

今は映画監督をやっているアリは、ある夜、戦友の
一人と酒を飲み交わしていた。

そして、その友達の「最近戦争の時の悪夢にうなされる」
という話を聞いているうちに、アリはふと思い出す、
というか気付く。

自分にはその戦争の記憶がないことに。

そして、アリは記憶を取り戻すために、昔の
戦友のところを回って、当時の話を聞いていく、

という、アニメーション・ドキュメンタリー映画である。

戦争の映画とはいえ、アニメーションだから、
そんなにグロテスクなシーンはないだろうと思っていたら
大間違い。

アニメだから、実写ではとてもできないような、
グロテスクなところを描けてしまうのだった。

ドキュメンタリーだから、戦争の原因とかそういう
説明はあまりなく、パレスチナ問題、という大事な現代史を
ほぼ素通りしてしまう、ずさんな日本の歴史教育で
育ってきた国民にはかなり難しいところもあるけれど、
結局、戦争なんて、事情も分からない若者がてきとーに
戦地に行かされて、よく使い方も教わらないまま武器を
持たされて、テンションあがりまくって人を殺しまくる、という
どの戦争にも共通したテーマがよく描かれていたのでは
なかろうか。

そして、最後にアニメーションは実話とつながっていく
わけだが、それは実際に見ないとわからないであろう。

重苦しくて残酷だけど、きっと見ないといけない映画、
なんだろう、と思う。

③カールじいさんの空飛ぶ家
そいでもって次の日曜日。

またもやとしまえんじゃない映画館に、私は遠出
していた。

それは六本木の映画館。

いや別に、テレ朝の周りのイルミネーションを見る
つもりだったわけじゃなく、六本木の映画館では、
カールじいさんが3Dでやってるっていう話を聞いた
からだ。

でも、3Dって、すんごい昔に見たことなかったっけ?

かたっぽ赤でかたっぽ青の、紙で作ったみたいな
ちゃちい眼鏡をつけると、怪獣が襲いかかってきて、
そりゃあもうとって食われるんじゃないかと、ガキの頃の
私は思ったものだ。

あれからとんと、3Dというものはこの世から姿を消し、
そして最近、再び世界に再登場した、ように私には
見えるのだが、実はずーっと3Dはこの世に存在してたの
だろうか。

さて、そんな3Dを見るために、六本木の映画館は
外国のガキどもであふれていた。
日本のガキがいないのは、おそらく字幕版だからだろう。

スクリーンの入り口では、あの頃と同じく、係員が
眼鏡を渡してくるわけだが、その眼鏡は時間がたった
分だけ重く、どっしりとしたものになっており、こんなの
2時間もつけてたら鼻が低くなってしまうんじゃないかと
思われた。

また、眼鏡かけた途端にとって食われるんじゃなかろうかと、
3Dが始まるまでは眼鏡をかけることもなく、予告編を見て、
いよいよ眼鏡をかける。

と。

思いのほか、3Dは3Dじゃなかった。

どっちかというと、前に出てくるんじゃなくて、奥が広がる
感じ??
立体感は出るけど、飛び出てくるようなもんじゃなく、
やさしく私の周りを包み込むようなイメージである。
(わかりにくいな)

よかったぁ。
とって食われなくて。

それにしても、素晴らしいのは3Dだけじゃない。
カールじいさんは、楽しくておもしろくて、そして少しせつない。
とくに、序盤の「せつない」が若者には胸キュンである。

意外にも「パラダイスの滝」にあっという間についてしまう
という肩すかしはあったものの、そこからの展開もまた
面白く、眼鏡のせいでかなり目は疲れてしまったが、
あっという間の2時間であった。

これで、「眼鏡なくてもいい3D」ができれば完璧だな。

というわけで映画三昧の3週間。

今週は映画お休みだけども、来週はまた、今年の
「映画おさめ」があるはずで、その映画以外にも
予告編やらCMやらを見ているとどんどん見たい映画は
たまっていってしまう一方で、来年も映画中毒は
終わらないんだろうなぁ。

2009年12月12日 (土)

待ち人は○○である

その日、曇り空の箱根神社の下、
自分の引いたおみくじの結果に、私は
愕然としていた。

周りが大吉大吉、と大喜びする中で、
私の引いたおみくじだけが、なぜか末吉

確かお正月にひいたときは大吉だったのに、
いつの間に運を使い果たしてしまったのか。

そんな中、気になる文章が1つ。

「待ち人来る。」

とまぁここまではよくありがちな文章ではあるが、
最近の私のおみくじではめっぽう見受けられなかった
文言であり、本来であればわーい、わーいと
小躍りして喜ぶところであるのだが、気になるのは
その下の一言。

「驚くことあり」

驚くこと??

待ち人が来て驚くっていったいそりゃどういうことだ。

と、引っかかりながら車に戻っていたそのとき、
私たちは出会った。

ベンチみたいな木製の台にどっしりと腰をおろしていたのは、
一匹のでかい猫

トトロで言うとさすがに大トトロまでは行かないものの、
中トトロよりは確実にでかくてふてぶてしい感じの
でかい猫。

まぁでもでかかろうが小さかろうが、猫というものは
女子からしてみたらかわいがりめでる対象であるから
にして、女子3人は猫を見つけるや否や駆け寄って、
猫と並んで台に座り、猫に手を伸ばす。

と。
通常であれば、猫という警戒心の強い動物は、
人が一歩近寄っては一歩後ずさり、手を出せば
猫パンチを繰り出すのが一般的である。

しかしながら、この中トトロ、あ、いや猫は、
私が手を出しても嫌がることなく、おとなしく首を
私に預けている。

箱根という観光地で猫という職業をやっていると、
いろんな人が可愛がってくれるからであろう。

「耳を澄ませば」に出てくるデブ猫(ムーン、だっけ?)の
ように、いろんなうちでいろんな名前を付けられて、
餌をもらっては移動する姿が容易に思い浮かぶ、そんな
猫。
(あ、ジブリばっかりになってきた)

かわいい。
ふてぶてしいけど愛らしい。

と、私がいい気になってしばらくなでていると、
猫はふと動いた。

あら、おうちに帰るのかしら?

とか思ったその矢先。

いかにも「驚くべきこと」が起こった。

Neko

台の上をしばらくうろうろと歩き回った挙句、
私のところにすりすりとすり寄ってきたこの
デブ猫は、何を思ったのか、逃げるでもなく、
強引にも私のブランドバッグの上にちょこんと、
あ、いや、ずっしりと乗っかってきた
のだ。

え。ちょっと何なのよ。
このバッグいくらしたと思ってるの?
まぁあったかいからもう少し相手してやるけどさ。

と、猫とじゃれあっている私をしばらく見ていた
男子は思い出したように言った。

「あれ。これがもしかして、待ち人?」

え。
え?
ええ???

た、た、確かに。
言われてみればおみくじ様のとおりである。

言葉の通り、「驚くことあり」である。

で、でも、まさか、こいつだったとは。
こいつが待ち人だった所で、いったい私は
どうすりゃいいのか。

「それにしても、ふてぶてしい待ち人だなぁ」

そうなんだよ。
何がふてぶてしいってさぁ、確かにすり寄ってくる
態度にはちょっと胸ときめいちゃうけどさぁ、
何といっても、顔が、ね。
顔がいかにも悪役っぽいのよね。

Neko2

ほらぁ、私ってさあ、結局イケメン好きじゃない?
いくら性格が、フィーリングがあったとしてもさぁ、
やっぱり顔が悪そうだとちょっと、ねぇ。

とか、猫をなでまわしながら贅沢なことをいう
人間様。

そんなこんなで10分以上も私のブランドバックの上に
居座ってたデブ猫も、私の愚痴に飽き飽きしたのか、
私に振られちゃったと思ったのか、突如として私の
膝、あ、いや、ブランドバックから飛び降りて、箱根
神社のほうに去って行った。

こうしてまた、このデブ猫は、違う家で違う名前で
呼ばれて、おいしいご飯でも貰うんだろう。
この薄情者が!(結局さみしがり)

やはり、こいつが、こんな薄情な猫が待ち人で
あるはずがなく。

さてさて、私の「驚くべき待ち人」はいったいどこに
いるのやら。

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