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2009年10月

2009年10月25日 (日)

畳まない物語

久しぶりに買ったハードカバーの本、
村山由佳の新境地、ダブル・ファンタジーを読んでいて、
とあるフレーズが引っ掛かった。

この話、主人公がトレンディドラマの脚本家なので、いわゆる、
物語の書き方とかそういう話がちらほら見受けられる
のであるが、その中で、

「広げた風呂敷をあえて畳まぬようなもの」
という表現が出てくる。

もの、というのは、この文脈では脚本とか、物語とか
いう意味であるが、この瞬間には、そんなドラマとか
映画とか、はたまた小説とか、あったっけかな?と
考えたがすぐには思いつかなかった。

逆に、「広げた風呂敷をばったばった畳んでゆくもの」なら
比較的すぐ思いつく。

直近のものでいうと、なんといっても「ブザー・ビート」。

あの最終回の「風呂敷の畳み方」といったら、
見ているこちらが呆れてしまうくらいの勢いで、あれは
まるで、公園でフリマやってたらひどい土砂降りがやって
きたときのような、そんな有様であった。

まぁ、人生を永遠に語っていくドラマとか、小説とか、そんなの
あり得ないわけだから、風呂敷はどこかのタイミングで畳んで
いかないといけないのである。

・・・と、思ったのだが、そんなときに、私を戒めるかのように
「広げた風呂敷をあえて畳まぬようなもの」
に出会った。

それが、原作山崎豊子の、「沈まぬ太陽」である。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

著者:山崎 豊子

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

実は、山崎豊子を小説で読んだのは初めてである。
(だって、全体的に1冊じゃ終わらないから、家に本がたまって
しまうのですもの)

確かに、この人のドラマはちゃんとした、
「めでたしめでたし」にはならないものばかりなので、
それなりの覚悟はしていたのであるが、それでも
さすがに、最終巻(5巻)の真ん中あたりに来たときに
狼狽してしまった。

こんだけたくさんの問題が同時進行で起こっていると
いうのに、あとこれしかページが残ってないって
どういうことだ、と。

もしや、この状況からこいつは今から風呂敷を
畳み始めるのだろうか、と、極度に狼狽してしまった
私は、小説を読むうえで絶対やっちゃいけない犯罪
にまで手を出してしまう。

それは、最後の1/4を抜かして、とにかく最後の1ページを
読んでしまう、という、いわば「カンニング」みたいな暴挙。

さて、そんな、小説でも5巻もの超大作、しかも
5巻の時間をかけてもまったく「風呂敷を畳む暇のない」
この作品が、映画になるというじゃないか

その上映時間、3.5時間
しかも途中に10分間の休憩をはさむ、という、
日本映画としてはあり得ないほどのボリュームでは
あるが、それでも、逆にいえば、たったの3.5時間で、
この「大風呂敷大作」が語りつくされるのであろうか。

そんな期待と不安がないまぜの中、もちろん私は
上映初日に足を運ぶのだ。

意外にも超小さいスクリーンでの上映となった土曜の夜。

初日の新宿だから、当たり前のように小さいスクリーンは
満席になり、男女そろってやってきている人たちもいるが、
内容が内容だけに、観客たちの雰囲気は、どこかぴりりと
ひきしまっている。

それにしても、全部語りつくすためには、この映画、
どこから始めればよいんだろう。
あ、いや、どこから始めるつもりなんだろう、製作サイドは。

とか思っていたのもつかの間。
あまりにも衝撃的かつ象徴的なシーンからの幕開けで、
こんな長い映画なのに、始まって3分で、私はぼろぼろと
涙を流してしまった

今思えば、3時間半もやるんだから、もう少しゆっくりと
展開してってくれればいいのに
、と、思う。

なにしろ、最初の10分でぼろぼろと泣いてしまったが
ばっかりに、途中でもう涙も枯れ果ててしまって、
まだ前半だというのに、泣いた後特有のけだるさが
漂い始めてしまうのだ。

後半になっても、その勢いは止まることがなく、
汚い男たちの争いはとめどなく巻き起こっていき、
こちらが息も絶え絶えになったところで、物語は
結局何も解決しないまま、あ、いや風呂敷を
最大限に広げたまま」
終わってゆくのだ。

太陽は沈まない。
問題も解決しない。
風呂敷も、畳まれない。

出世をもくろむ男たちの物語は、濁流のように、
きったなく、また重苦しく流れ、その前日、出張して
2時までおじちゃんたちとカラオケしてほとんど
寝ないまま朝東京に帰って来た私は、ほっとほと
疲れ果ててしまい、そのあと飲みに行く気分にもなれず、
ほとんど無言でラーメン食べて、家に帰ってそのままベッドに
引き込まれる。

「あぁ、ブザービート見たい・・・」とぶつぶつと
つぶやきながら。

あ。ダブル・ファンタジーのレビューは、またいつか。
(もう少し大人にならないと語りつくせませんので)

2009年10月18日 (日)

妹と、20世紀少年ファイナル。

あれは1年前の秋のこと。

妹と連れだって観に行った20世紀少年第1章

そのあまりにセンセーショナルな内容に、
私と妹は仲良く、「最後まで一緒に
見にいこーね
と約束したのだった。

約束通り、今年の春だって、仲良く妹と連れだって第2章
観に行ったのだ。

それなのに。
それなのに。

あれから半年チョイで、私を取り巻く環境は
がらりと変わってしまった、と今更ながら
溜息をつく。

あの第2章からたった2ヶ月で、私との
約束をすべて放り出して、妹は田舎に
帰ってしまった。

そんでも、私はそのくらいのことじゃ、第3章を
一緒に見るといった約束は忘れていなかった。

だから、この前のシルバーウィークはわざわざ
田舎に帰って、休みをもてあそぶ妹と一緒に
映画見に行こうと思ったのに。

それなのに。

あのふとどきな妹ときたら、休み中、家で休みを
もてあそぶどころか、男のうちに入り浸って家に
帰ってすら来ない。

そ、そんな妹となんて、映画見に行くの、
こっちから、ね、願い下げだ!!

(完全に強がり)

というわけで、妹と縁を切った私は、金曜の
真夜中、女2人で20世紀少年ファイナルを観に行くことに
相成ったわけだ。

ウィークデーの終わり、2人で優雅に洋食食べたあと、
「けーんじくん、あーそーぼ!」って楽しげにスキップ
しながら映画館に向かう。

上映開始時間は夜21:00であり、上映時間が2時間半
であるから、このあと電車で帰らねばならないことを考えると、
この時間帯がぎりぎりである。

それにしても、前回妹と鑑賞してから半年以上。
登場人物が多すぎることもあり、映画の最初は前回までの
復習であったにしても、結構忘れちゃってるもんである。

それでもなんとか頭の奥で腐っている記憶を呼び戻して、
一生懸命話にくらいつく。

そうして話はエンドロールを終えてまだ続くのだが、
最後まで見てやっと気づいた。

このお話は、同じ浦沢直樹作の「モンスター」と同じ性質の
ものであったということに。

2つの作品に共通して言えるのは、
「自分で作り出してしまったモンスターを、自分の手で倒す」
というもの。

そして、さらに共通しているのは、
「モンスターは生まれた瞬間には分からない」
ということだ。

モンスターにおいては、患者として運ばれてきた子供を、
ドクターが助けるのだが、その時はまさかこの子が
モンスターだなんて気づきもしなかった。

それが、何年か後、青年となって再び現れたそのときの
子供は、そのとき面倒を見ていたドクターの患者を目の前で
殺して、自ら、自分がモンスターであることを暴露。

それと、同じ話が20世紀少年でも起こっていた。

ケンジの中では、すっかり忘れてしまうほどちんけな
出来事であった、幼いころの失敗。(犯罪?)

でもまさか、それによって、「ともだち」という名のモンスターが
生まれてしまうだなんて。

でも、モンスターは非常にすっきりしない展開で終わってゆく
(いや、あれもしかしてまだ終わってない?)のだが、こっちは
(映画版だけの追加シーンという話はよく聞くが)さわやかに
まとまってくれて、本当によかった。

印象的であったのは、エンドロールの終わりに、ケンジの
首っ玉にしがみついてカンナが号泣するシーン。

「氷の女王」とか言って強がって生きてきた、父親代わりの
ケンジと離れてからの17年間。

周りに味方が誰もいないわけじゃなかったけど、
生まれが複雑であったこともあり、一番の理解者の
ケンジおじちゃんがいない中で、たまりにたまった、
話せなかったこと、泣けなかったことが、一気に
噴出したのがあのときであったのだろう。

映画、と片づけてしまうよりは、一種のエンタテイメントである
20世紀少年では、声をあげてしまうことはあってもなかなか
泣けるシーンはないのであるが、ここだけは私も一緒に
ぽろぽろ来てしまったのだった。

はてさて。
20世紀少年も制覇したところで、次は「沈まぬ太陽」
24日から。

こちらは、エンタテイメントというよりは、戦後から高度成長期の
闇をめぐる、男たちのスペクタクルとでもいうのだろうか。

芸術の秋、映画の秋は、まだまだ終わる様子を見せない。

2009年10月17日 (土)

エリートあなごさん

久しぶりに管理職の監視からのがれて楽しむ、
若者だけのランチタイム。

1時から健康診断、なんてことはすっかり忘れて、
私たちはとめどなく、実のない会話を繰り広げていた。

女だらけの三国志のアニメ(真夜中放送)が
やたら面白いとかなんとか、そんなところから
話が迷走していったのは覚えてるんだが、
どうしてそんな所に話が迷い込んでいったのか、
まったくもって覚えていないのだが。

「そういえばあなごさんって、27歳だって聞いたんですけど」

と、若者は急に話をサザエさんにシフトしたのだった。

いままで全く統制のとれていなかったみんなの会話が、
いったんピタッと止まって、その会話に集中し始める。

・・・あたりまえだ。

だってよく考えてもらいたい。

あなごさんっていうのは、あれだ。
マスオさんのお友達の、奥さんがおっかない、
そして何より、いか●やみたいな顔した・・・
どう見たって40代にしか見えない。。。

まぁ、そんな感じだ。

あんな唇しといて、に、27歳?

27歳ってことは、言いたくないけども、
絶対言いたくないけども、アラサーの私より。。。。。。。。
・・・・・・・と、年、年下、、、ってこと、よね?

あんな唇しといて、私より、年下だなんて。。

にわかに信じられないまま、みんなのサザエさん談義を
拝聴してはいるのだが、頭の中はあなごさんのお年のことで
頭いっぱいである。

た、確かに、サザエさんのお年頃(23歳だっけ?)から
すると、マスオさんは20代後半とか、行っても32,3で
あるからにして、「アナゴ君!」というマスオさんの呼びかけ方と、
マスオさんと気兼ねなく屋台に出かけて行くあなごさんの
態度から考えて、マスオさんと同程度の年である、ということは、
冷静に考えれば、まぁうなずけなくもない。

でも、それでも、あの顔だち、あの唇をもってすると、
そんな常識的な理論はどっかに吹っ飛んで行ってしまうのだが、
これは、女のエゴだ、わがままだ、ってことに
なってしまうというのか。

そんなとき、またもや若者がつぶやいた。
(話はいつの間にかまたあなごさんに戻ってきていた)

「しかも、あなごさんって、係長なんですよね?」

疑問形で言われても、私もそんな話初めてなので、
真偽は分からないんだけど、どこかで聞いたことあるってことは
そうなんでしょう。

確かに、顔立ちと唇からして、係長っぽい貫禄を備えているので、
年を聞く前であれば、「あ、そうなの。」と素通りしかねない
情報ではある。

しかしながら。

この2つを足し算すると、話はなんだかおかしな方向に向かって
行く。

ってことはさ。
「あなごさんは27歳係長ってこと?」

ま、まぁそういうことになるよね。
と、みんな「理解はするけど納得はできない」
顔でうなずく。
いや、うなずくしかない。

と、納得できずにまだ頭の中で何かをもやもや考えていた
私は、ふと気付く。

「そういえば、マスオさんとあなごさんの会社って、
商社じゃなかったでしたっけ?」

思い出した。
2人の通う会社は、「海山商事」っていう商社である。

整理するとだね。
商社で27歳で係長ってことは・・・

エリート!?

そうなのだ。
うちらのたわいもない会話の中から発見された
あなごさんの真実。

それは、あんな顔立ちとあんな唇からは想像も
つかない、若手の期待株、つまりはエリートの
方だということ。

そこから、私の妄想は無駄に膨らんでゆく。

商社でエリートと来れば、肩書きだけなら合コンに
ひっぱりだこ
である。
(本人はゴルフと屋台ばっかり行ってるかも
しれないが)

友人)「土曜日合コンなんだけどどう?」
私) 「あ、空いてるけど・・・相手はどういう人?」
友人)「年は27歳くらいなんだけど、商社の営業で
    係長やってるんだって」

こういう会話の流れであれば、間違いなく、
参加してしまうじゃないか!
やる気満々で。

そうして合コン当日、わかりやすくブーツとか履いて
出かけた私は、間違いなく目を剥くだろう。

こ、こいつが商社の、
27歳係長????
と。
(本人は当日やたら派手なネクタイとかつけて
来るのかもしれないが)

こわいね。
肩書きってこわいね。
肩書にはだまされちゃいけないんだね。

と、無駄におびえる私。
そんな私を不審な顔で見つめる諸先輩方と
若者たち。

・・・あ、またやってしまった。
また無駄に妄想をふくらませすぎてしまった。

そんなとき、まるでタイミングを見計らったかのように、
午後の始業のチャイムが鳴り、私はすごすごと
健康診断に向かうのだった。

肩書きだけに惑わされるのはよくないよくない、
と、この期に及んでまだ心の中で呟きながら。

あーあ。今日も実のない会話であったなぁ。

2009年10月10日 (土)

おひとり様ヴィヨン

チェロ教室が久しぶりにお休みの土曜の夕方。
英会話教室を終え、としまえんの駅前で軽く読書したあと
向かった先は、もちろん、おひとり様映画館。

なんだかんだいって2週間に1回ペースで手当たり次第に
映画を見ているので、今日くらいはDVDとかで我慢しても
よかったのだが、電車で中づり見ていたら、今日はいきつけの
映画館が10周年記念で映画全部1,000円とか書いてあるもん
だから、お!これは!とついついその気になってしまったと
いうわけだ。

モントリオール!ってことで、激こみが予想された
「ヴィヨンの妻」

しかしながら、意外にもスクリーンは小さめ。
しかもそれも全く混んでおらず、たったの、、、30人くらい?!

と、としまえんだから、よね?と半信半疑で
席に着く。

昭和21年の年の瀬のこと。
いきつけの飲み屋で、お金払わないどころか、お金
5,000円も盗んできちゃったダメ男。
お金返してもらおうと後を追ってきた飲み屋の夫婦に
事情を聞いた妻は、5,000円を何とかすべく、その
飲み屋で働き始めることにして。。。

このしょっぱなから駄目な旦那

妻が働き始めた、もともとの自分の行きつけ飲み屋に
女連れで入ってきたり、違う飲み屋のおねえちゃんちに
入り浸ったりしてるくせに、妻が飲み屋に行こうとすると、
「最近垢ぬけて来て、男でもできたんじゃないのか」
罵る始末。

CM見る限り、なんだかすごく深刻そうなタッチだし、
映画の中のセリフはおそらく太宰の原作ほぼそのまま
持ってきてるようで、だからなんだかもって回ったような
感じになるが、そんな演出がかすんでしまうくらいの
夫のダメさ加減

夫は人気作家であるからして、いつも、ひどく哲学的な
セリフばかりのたまって、周りの女はみんなそれに
だまされる、もしくは許してしまうわけだが、こっちから
見てると、あんなのは全部、嘘と言い訳

その様子に、客はみな、つい失笑
私もつい、溜息をつきながらつぶやいてしまうのだ。
「うそつき」とか、「何言っちゃってんのよ」とか。

それはもう、コミックの世界だ。

そんなダメ夫のダメさ加減は、時間を追うごとにどんどん
エスカレートしていって、最後に大変な事件を引き起こす
わけだが、とどのつまり、この話は、
「元祖ダメんずウォーカー」だったわけだ。

それにしても。

広末って大人になったのだなぁ、としみじみ思う。

私と同い年で、10代の頃は、やんちゃで元気なショートカット
だったのに、いつの間に、あんな古臭いパーマと丸い眼鏡の、
ただれた女を演じられるようになったのだろう。

映画の終盤、妻である松たか子と、愛人である
広末涼子が刑務所の廊下ですれ違うその瞬間、
その前の展開で、妻にある意味勝った(?)広末の
あの顔が忘れられない。

あの、ちょっとした向きながらも上目遣いで、松たか子の
ほうを見て、ほんとに小さく、鼻で笑う、あの顔を。

あれが、いわゆるってもんなんだろう。

一方の松たか子は、女でもあるが、どっちかというと
である。
子供の面倒見ながら、さらには、この駄目な夫のことも、
母のような優しさで赦し、包み込む。

広末も、ダメ旦那に同調し、優しいそぶりは見せるが、
あれは愛されたくてやっているだけで、本当じゃない、
見せかけだけの優しさ。

愛されたいと思っているうちは、女。
自分から愛するようになると、きっと
女は母になるのだ。

あ。母になると、女は自分から愛する
ようになるのかな。

なんて、夫の愚行にあきれつつ、2人の対照的な女たちを
比べながら、ちょっと哲学的な気分に浸ってしまう、それが
きっと、太宰の魅力なのであろう。

男子はきっと、ダメな浅野忠信と、誠実一直線の妻夫木を
比べながら、やっぱり哲学的な気分に浸れるのではなかろうか。

…さて、今の私は、母か女か、はたまたそれ以下か。

2009年10月 4日 (日)

ダム問題について考える。

会社に行くのを全力で拒否しつつ、ベッドで
ゴロゴロしながらぼんやりと、テレビの音を
聞いていた。

朝7時半前の特集コーナーでは、
(音だけなので詳しいことは分からないけども)
この前政権が代わって、建設が中止になった
ダムの特集をやっていて、政権が代わる前の
数十年間、ダム湖に沈むかもしれない自分の土地を、
国に売り渡さずにずーっと守り続けていたおじいさんが
映し出されていた。
(目をつぶっているので映像は見てないけど)

そんな話を背中で聞いていて、ふと思い出した。

私たちの売った、土地のことを。

いいや、小さかったから、難しいことは分からなかったけども、
正式には売ったのではなく、貸したことになってるんだそうな。

でも、たとえ貸したとはいえ、あの土地はもう絶対に、
元の形では返ってこない。

それは私が小学校低学年くらいだったときのこと。

家に珍しく、ビジネススーツのおじちゃんたちがやってきて、
私たちちびどもは、子供部屋に幽閉され―――
そしてしばらくして、うちの田んぼはそのビジネススーツの
おじちゃんたちに借りられることになった。

またたく間に、その田んぼだったはずの土地には
アスファルトが敷き詰められ、大きな平屋建てが建築されて、
・・・スーパーがオープンした。

私が小さかった頃、私のうちの周りはほとんど田んぼ
だらけだった。
でも、市長が代わって土地の区分が改正され、うちの
周りは農業しかやってはいけない土地から、商業を
やってもよい土地に区分替えされて、そのとっかかりとして、
スーパーが建設されることになったのだそうな。

核家族で兼業農家。
都会からやってきて農業の経験のない母と、
田んぼにはいい思い出のない父。

周りのじじばばのいる家は土地を売ることを若干
拒んだ家もあったらしいが、うちとしては、願ったり
かなったりの申し出だったようだ。

そうして、うちから国道を挟んで向かい側のその土地は、
田んぼからスーパーになり、うちの母は、車で10分も
かかる駅前のスーパーまで行く手間が省けて、
生活は見違えるように便利になった。
(そして母は、計画的に夕飯のメニューを考えることが
できなくなった)

そこまでは、よかった。

そのスーパーは、隣の県が本拠地のスーパーであり、
うちの県への出店は、うちの向い側のあいつが初だった。

しかしながら、初出店、というものは往々にしてうまく
行かないことが多いもの。

うちの田んぼをつぶしてできたそのスーパーは、
そのあとに同じく田んぼをつぶしてできた他の
スーパーに淘汰されて、私が小学校を出るころに、
・・・つぶれた。

はたして空き家になった、うちの田んぼの上の
建造物。

しかしながら、その空家は、はたから見ると、
ちょうど交差点のところにそびえたっており、
広い建物(平屋)に広い駐車場。

そんないい土地が、ずーっとほうっておかれるはずは
なく。

私が中学に入ってしばらくしたころ、その、元スーパーの
土地には別のテナントが入ってきて…

その建物は、そっくりそのまま、パチンコ屋になった。

うちとしては、パチンコやが家の正面にできたことで
役に立ったことは、言っておくが1つもない。
うちは父ですらまったくパチンコはやらないのだ。

パチンコ屋は夜9時には閉店するけど、それでも
家の周りの治安は乱れてきて、近所の男子たちも、
そのパチンコ屋に通い始め、青少年育成の観点から
してもいいことはまったくない。

そんなこんなで、たったの20年で、うちの田んぼは
私からしてみれば、単なる不良債権になってしまった。

この経験を通して学んだことは
一度人に明け渡してしまった土地は、
絶対に元の持ち主の思った通りには
ならない
ということだ。

スーパーになると思って貸した土地なのに、
気づけば誰も望まないパチンコ屋になってしまう。

ダムの話だって、彼らは、治水のため、災害対策のため、
どうしても必要だから、と国に言われて、身を切る思いで
自分の先祖代々から守ってきた土地を売ったのだろう。

それが、ある日突然、
「あ、やっぱり必要じゃなかったです」
ってあんた。

「あんたの土地がなくても別に治水には
なんの影響もありません」

ってあんた。

じゃあ土地取り返せばよいという人もいるだろう。

国だって、いらないってことになれば、土地を返すという
判断をするかもしれない。

でも、何年も放っておかれて、草ぼうぼうになり、
土も栄養がなくなっってしまった今、もう一度土地が
返って来たところで、いったいどうしろというのだろう。

はたしてダムは必要なのか、必要じゃないのか、本当の
ところは私には全く分からない。

だけどもだけど。
土地を売るってことは、それほどに大変なことなのだ。

それだけは、ちゃんと分かってほしい。

・・・そんなことを考えてもやもやしていたら、
電車に乗り遅れ、私はどんよりうす曇りの空を、
うんざりと見上げるのだった。

2009年10月 2日 (金)

美人時計

私がお昼食べながら、「イケメンホイホイ」に
ついて嬉々として話したとき、あいつらは散々人のことを
馬鹿にしたのだ。

おとなげない、とか、
肖像権がどうの、とか、
そんなことやってるから結婚できない
とか。

それなのに。
それなのに。

とある管理者不在の昼下がり。

ロッカーをはさんだ向こう側から、
なんだか楽しげな声が聞こえてきた。

萌える、だの、かわいい、だの、業務的には
似つかわしくない、それでも昼下がりには大変
ふさわしい気になるセリフ。

しかもその盛り上がりのピークが、きっちりと
1分ごとにやってくる。

その楽しそうな雰囲気に、私はついつい声を
かけてしまった。

「なんですか?なにかいいことでも?」

と、彼が見せてくれた画面は、なんのことはない。
単なるiGoogleじゃないか。

と思ったのもほんの1分未満。

1分たったとき、右のほうに入っているガジェットの
写真が切り替わった。

それは、大学生みたいな若いかわいい女の子の
写真で、手には小さな黒板のようなものを持ち、
その黒板に書かれているのは・・・

「あ、これ、時計?」

そう。黒板に書かれているのはまぎれもなく、
そのお昼さがりの時間である。

その名も、美人時計、というらしい。

1分ごとに美人が入れ替わり立ち替わり時間を
お知らせしてくれる、という、男子からしてみれば
夢のようなサイト・・・なのだそうで、一般的には、
iGoogleにガジェットを埋め込んで、検索しつつ、
美人を楽しむ、という使い方をするらしい。

あのー、これ、どことなくイケメンホイホイと
似てませんでしょうか

イケメンホイホイは、肖像権の問題などで
イケメン達から文句が殺到し(?)、あっと
いう間に閉鎖になっちまいましたが。。。

そんな私のつぶやきをきくでもなく、男子どもは、

「うーん、15:32の女子はいまいちだなぁ」とか、
「名前で検索してみると、実はモデルの女の子とかも
いるんだぜー」
とか、いかにも楽しそうに検索ライフを
楽しんでいるのだった。

不公平
イケメンホイホイは閉鎖されたのに、男子は
検索しながら美人を楽しめるだなんて。

と、いかにも不服そうな私に、その彼は、
女子向けにもイケメンの時計
サイトがあるんだぜ!

と紹介してくれた。

その名も、「イケメン時計 俺画(オレガ)」

え!
と、急にテンションが上がって、
「何でそれを早く言ってくれないんですかぁ!」
怒りつつにやにやしながら開いてみる。

そうですな。(評論家風に)
タイプが多すぎて、1人の目線で見ると、全部が全部
イケメンとは言えませんが、確かに整った男子たちが
1分づつ時を刻んでくれるのですね。

しかしながら、残念なことに、俺画のほうは、
ガジェットにはできないんだそうで、なかなか
片手間にイケメンを楽しむ、というのは難しそうである。

・・・そんなくだらないことを楽しみながら暮れてゆく
秋の午後のひとときであった。

ってかさ、俺画のほう、1分ごとに「抱かれたい」か
「抱かれたくない」か聞かれるんですが、これは
どういったコンセプトなんでしょうか。

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