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2009年8月

2009年8月31日 (月)

RSR体験記(4)~After Rising Sun~

さて、結局寝過して、「勝手にしやがれ」
スキップしてしまった怠惰な私。

それでも、「勝手にしやがれ」が終わってしばらくすると、
テントの周りががやがやと騒がしくなってきて、これは
到底寝てられるようなテンションじゃない。

寝返りを打ちながら外の会話を聞いてみると、
どうやら、ツアーでやってきている方々は、
最後のステージが終わって1時間以内に荷物
まとめて出て行かないといけないのだそうだ。

そうだ、ここからが、Rising Sunの醍醐味じゃないか、
とほぼ2時間弱しか寝てなくて全然眠い体を奮い立たせ、
私はテントからのそのそと這い出した。

トリを務めるThe Pillowsというバンドは朝4:30から
始まる予定で、彼らが歌い始めて少ししたところで、
ちょうど朝日が昇り始める。

そのRising Sunをみんなで拝む、というのが、
本イベントの本来の目的である。

私が這い出してみると、まずは後輩君に、
「勝手にしやがれ終わっちゃいましたよ!」
軽く怒られる。

はい。存じ上げております。
やさぐれた先輩で、大変申し訳ありません。

「じゃ、行ってくるわ」と、トリをステージで
観たいファンの皆さんはテントエリアから
出て行くが、楽器屋さんの範疇外である
彼らのことは全く存じ上げない私は、焼きそばを
ほおばりながら彼らを見送って、日の出に
備える。

遠くからThe pillowsが流れ始めるころ、
空はだんだんと薄明るくなってきて、なんだか
すごくすがすがしい気分。

そして、3、4曲目のころに、本格的にやってくる、
Rising Sun

Cimg0712

富士山のご来光を見ると、心が洗われる、と言うけれど、
一晩中踊り狂ってへっとへっとで見る朝日というのも、
それと同じくらい価値があるんじゃなかろうかと思うほど、
すごい達成感。

へっとへっとにかまけて、寝てなくて本当によかったと
思った。

さてさて、そのあとは感動もつかの間、残りの焼きそばを
食べ終わると、そそくさと後片付けを始める面々。

テントたたんで、鍋とかを洗い、きちんと分別してごみを
処理し、テントに戻ってくると、メンバーの一人が言った。

「ピラミッドやらない?」

へ?なに?なんでこの状況でピラミッド?

「4+3+2+1はいくつだ!」

状況を理解できないうちらに、提案者は若干キレ気味の
様相を見せ始める。

「・・・10?だよね?」

と、ここで気づいた。

今日ここに集合しているアラサー+若者集団は、
全員で10人。

10人ならば、ちょうどきれいな4段ピラミッド
できるってわけだ。

普通ならへとへとでそんなことやってる場合では
ないのであるが、へっとへっとまで行くと、テンションが
若干おかしくなってくるらしい。

「いいねそれ!」

と、勝手に口が合意してしまう。

そんなこんなで、やってしまったのが、
この、オトナノピラミッド


(上が。切れてる。。。)

うちらのカメラがバシャバシャ言うのはいいのだが、
この変なテンションがよほど珍しかったのだろう。

周りの何にも知らないギャラリーも、いつの間にか、
バシャバシャ写真を撮っている。

さっきの朝日のときとはまた一味違った、しょうもない
達成感。

そうして、アラサーと若者の壁がやっとこさ取り払われた
ところで、ドラクエ集団はお近づきのしるしにすれ違い
通信をして、そのあとみんなで再度お風呂に入ると、
アラサーと若者は、再び2つに分かれた。

札幌観光に向かう若者と。
洞爺湖に向かうアラサー達と。

もちろん洞爺湖方面に乗り込んだ、やさぐれアラサーの
私は、同じくアラサーの男たちに囲まれて、一路洞爺湖に
向かう。

そう。この半徹夜明けの状態で、私たちはこれから
洞爺湖観光をしようという、アラサーとは思えない
無謀な計画を立てていた。

徹夜明けでコンタクトも付けられず、あのものもらい
騒動
以来のありえないメガネ姿でたどり着いた洞爺湖。

本当は旅館に入ってひと眠りしたいところだけど、
洞爺湖なんて人生において再び来れるかどうか
分からないので、無理やり観光する。

洞爺湖見て。

Photo

ウインザーに行く途中で偶然見つけた
メジロ牧場でメジロドーベルに会い。

Photo_2

そしてTシャツにジーンズ、というあるまじき
恰好でウィンザーに侵入し、素晴らしい
たたずまいの教会に、可能性が見えない自分の
結婚式への思いを馳せる。

Photo_3
(画面の手前のきらきら光ってるのが教会)

そして、ホテルでまったりすると、初日のあの騒ぎが
再来する。

そう。ドラクエ三昧

夕飯待ちながらドラクエして、
夕飯喰ってまたドラクエ。

しかしながら、何しろアラサーになってしまった私は、
気持は若くても、体がついて行かない。

お風呂のあと、洞爺湖の花火を見ながらも、
私の頭の中は、現実と夢の世界を行ったり来たり。

それでも張り切って、夕飯のあと再びドラクエに
チャレンジしようとして、他人の世界に飛び込んだ。

ところまでは確実に覚えている。

しかし。
そこから先の記憶は一切途切れたまま。
気づいた時には私はDSを布団のわきに置いて、
眼鏡も取ってしっかり布団にくるまっていたのだった。。。

そんなこんなで、自分がもう若くないことを思い知らされた
ところで、おそらく最初で最後のRSR旅行、終了。

そう。
アラサーである私たちの中には、そろそろ家庭を
もつような輩もいるわけで、家庭を持ってしまうと、
こんなお盆真っ盛りの時期に、家族を置いてロックフェスに
行くわけにもいかなくなる。

そんなアラサーとしては当たり前の人生のサイクルに
すっかり置いていかれている私は、そんな話を聞くたびに
若干へこんでしまうわけだが、でも大丈夫。

独身だからこそ、あんだけきれいでみずみずしい
キョンキョンという、あこがれの存在ができた
わけだから。

・・・というのは、きっと強がりなんだろうけど、さ。

2009年8月29日 (土)

RSR体験記(3)~楽器屋さんの時間~

ユニコーンが終わってテントの周りが騒がしく
なったころ、私は一人のそのそと起きだして、
今までクロックスで遊びまわっていたのにしっかりと
靴下とスニーカーを履いて、意気揚々とテントから
這い出した。

さて、これからが本番である。

何しろ、ここから先は、楽器屋さんには
たまらない
ステージが目白押しなのだ。

20:30からSOIL & "PIMP" SESSIONSを見て、
そのあとそのステージで始まる、22:20からの
Charaをチラ見してからBOHEMIANに向かって
23:10からのスカパラで踊り狂って、一休みして
2:30からの勝手にしやがれでしめる。

なんとまぁすばらしいラインアップじゃないか。
楽器屋さん以外には、何のことやらわからないかもしれないが。

しかしながら、一緒のグループの会社の後輩君たちの
何人かは、楽器屋さん魂を持っているらしかった。

「よし!SOIL行こう!ラムガラナ飲みながら!」

と、今回北海道の北のほうの実家から参加の
ジモティ君が言い、ガラナってなんのこっちゃ、と
思いながらSUN STAGEの横の屋台で買って
一口飲んで、「これ結局コーラでしょ?」
のたまっていたそのとき。

本番が、始まったのかと思った。

ガラナを飲む私たちの後ろでは、オーケストラ
みたいな編成だけど、並び順もパート編成も
めっちゃくちゃな団体が、すげぇでかい音で
5拍子のユニゾンをぶいぶい吹き鳴らしていた。

でも、まだステージ開始の時間にはちょっと早いし、
ステージの横のスクリーンには何にも映ってないし。

・・・ってことは、これ、リハーサル?

と気づいた瞬間、私たちは、「1曲だけ!」
言いながら、ラムガラナ片手にステージの横に
走り下りて行った。

1曲聴いたら、すぐにSOIL聞きに行くから!

しかしながら、その1曲が、なかなか始まらない。

曲の代わりに、ステージの横には気づいたらおおきな
うさぎちゃんが現れて、それとともに、スクリーンには
忌野清志郎の映像が流れだす。

そう。これは忌野清志郎の追悼ステージ。

「雨上がりの夜空に」のライブ映像に合わせて熱唱
していると、夜空には大きな花火がどかどか上がって、
まるで追悼とは思えなかったけど、このお祭り騒ぎっぽい
感じが、いかにも清志郎で、とってもよかった。

そんなこんなのお祭り騒ぎが終わると、やっと
さっきの「すげぇリハ」の方たちがやってくる。

高まる期待。

しかしながら、そのステージの始まりはなんとも静かな
ものだった。

入ってきたのは、白い全身タイツの男たち。

男たちが障子紙らしきものをするするっと開くと、
そこに墨ですらすらっと絵を描く男が現れて。

と、そんなのをぽかんと見つめていると、今度は
あやつり人形みたいな赤いおかっぱ頭の女
やってきて、フルートを持った(原裕子似の)おねいさんが
歌い始め、それにつられるようになぜか赤い
ふんどしのおにいさん
が走ってきて。。。

なにしろ意味の分からないことの組み合わせで、
頭の中がまったくまとまらず、ほけーっと
眺めていると、それは急に始まった。

あの、爆音演奏が。

リハの時よりいっそうすげぇ爆音の中、一応指揮を
執っているのは、さっき筆を持っていたおじちゃん
じゃなかろうか。

ビビりながらステージの横のスクリーンを見ると、
どうやら彼らの名前は、
「渋さ知らズオーケストラ」というらしかった。

赤ふんの男は、「おれらはフィッシャーマンだ!」
のたまうが、明らかに楽器屋さんの集まりである
彼らなのに、なぜか彼らの周りには白タイの男たちに
赤髪の操り人形に、ライオンキングのキリン役みたいな
恰好で音に合わせてたゆたう者たち。

と、そんなMCを聞いていると、後輩君の1人が
隣の後輩君にぼそぼそと何やら言っている。

あ。そうだよね、SOIL行かないとね。
最初の目的忘れちゃだめだよね。

と、後ろ髪ひかれる思いで考えていると、言いにくそうに
若者が私に言った。

「あのぉ、観客席の真ん中行きませんか?」

そうだよね、SOILの。。。え?
観客席の真ん中?

話の意味を理解した私は、一直線に猛ダッシュで
走り出した。

ステージの脇から、ステージのまん前まで。

若者があたふたと後ろからついてくる。

そして、彼らの爆音が先ほどより一層よく聞こえる
場所までやってきた私は、SOILへの申し訳なさを
振り切るように、爆音に合わせて、とにかく叫んで
躍った。

初めて聞くのに全然ノリに不安がないのは、おそらく
彼らの曲が、超原始的かつ、ほぼアドリブで成り立って
いるからなんだろう。

最後はチェロがエンドピンのあたりで火を吹くのを
観ながら、赤フンのおにいちゃんに合わせて、
こぶしをふりあげつつ、5拍子の曲を大熱唱して、
ステージは終了。

あまりにも暑かったので、途中で髪を結んだはずなのに、
気づけばそのシュシュはどこかに飛んで行ってしまって
暗闇の中をあたふたと探してなんとか見つけ、休足時間の
効果が一瞬にして吹き飛んでしまった足を引きずって
私はふらふらとテントに帰還し、とりあえずTシャツを着替えた。

そのあと、予定通りCharaをチラ見して、やさしい気持ち
鑑賞したあと、なんとかスカパラのステージまでたどり着き、
踊って跳ねるのだが、足場の悪いBOHEMIANの観客席では、
跳ねて着地するごとに土踏まずに段差が当たって、
へとへとの足には、それはそれはじんじんと響くのだった。

スカパラのステージはもちろん、昼間のPianojaCよりも
さらに人であふれていて、どんだけ跳ねてもイケメン
谷中さんは全然見えない。

曲はいつもどおり素晴らしかったのだが、そんなこんなの
有様で、聞き終わった(踊り終わった)私はもう限界。

帰る途中で、RSRにしちゃえらくまともで上質な
クラブジャズをやっている輩
を発見して、20分くらい
しゃがみこんで聞いていたが、足の痛さと夜の
寒さに耐えられずふらふらとテントに戻る。

後輩君に、「30分だけ、、、」と言い訳しながらテントに入り、
休足時間を貼りつけて横になった私の耳元に、遠くから
聞こえてきたあのSAXはもちろん、
「勝手にしやがれ」

「勝手にしやがれ」を子守唄代わりに聞きながら、
私はうとうとと眠りに着いた。

・・・Mission、Completeナラズ。

次回、Rising Sunとそのあと。

2009年8月23日 (日)

RSR体験記(2)~キョンキョン~

2日目の朝。

私は、後輩の女子からの「お風呂行きますよ~」
でたたき起こされた。

へ?もうそんな時間?

と思って時間を見ると朝の8時。
みんなテントのところに集合して、既に朝から
ドラクエで大冒険している勇者たちまでいるじゃないか。

やべやべ。
と、とりあえずノーメイクにめがね、という、アラサーに
あるまじき格好でのそのそとテントから這い出して
お風呂の準備をする。

そう。
2日目のステージはお昼過ぎからであるからにして、
朝のうちに、近くの温泉で汗を流して、本日の食料を
買い出しておくことになっていたのだった。

さて、そんなこんなでたどり着いたお風呂は、
実は私は初めてではない。

偶然にも、去年の家族旅行で泊まったのが、
札幌らしくない、大きなお風呂と野外プールまで
そろっている、このホテルであったのだった。

RSRでは、定番となっているらしいこのお風呂。
JTBでは、RSRとお風呂がセットになった鑑賞ツアーまで
企画されているということで、私たちがたどり着いたとき
にはそのツアー客と思われる団体さんが炎天下の中
お風呂の順番を待っていた。

ツアーじゃない私たちはそんな彼らを横目に
ゆるりとお風呂に浸かって前の日の汗を流し、
本日のステージに備える。

はてさて。
本日は、私の中で大きく2つに分かれている。

昼間はひたすらキョンキョンのためにあり
そして、夜は楽器屋さんのお時間である。

ロックフェスに行くから、お盆は長野にいられないのよ
とウキウキという私に母はあまりいい顔をしなかったが、
それでも一応聞いてきた。

「ロックフェスって、誰が出るのよ」

スカパラって言ったって、SOIL!って言ったってまったく
知らない母に、なんと言ったらよいだろうと思い、苦肉の
策でひねり出した模範解答。

それが、「キョンキョン!」である。

「え?キョンキョン来るの?」

と、母のテンションはその前よりも明らかにあがっており、
ロックフェス=最近芸能界に蔓延するお薬と隣り合わせ
のイメージは見事に払拭されて、

「あら、楽しそうじゃない!いいわねぇあんたたち」

と相成ったわけである。

そんな、私の救世主、キョンキョン様。

そうして車の中では陽気にキョンキョンの歌をみんなで
口ずさんで、買出しを終えて会場に向かう。

しかしながら、そんなキョンキョン様が私たちの
前にお目見えするのは15時過ぎであるからにして、
またもや時間つぶしのため、休足時間を足に貼ったまま
(いやだって、昨日暴れすぎて痛いんだもん)
BOHEMIAN GARDENまで旅に出た私たちは、そこで
とんでもない掘り出し物に出会うことになる。

それが、→Pia-no-jaC←である。

そもそも、BOHEMIAN GARDENっていうのは、
メインステージ(SUN STAGE)からもっとも離れた
ところに位置していて、そんなに人が来ない中、
どちらかというとちょっと緩めの音楽をやるような
ステージであり、野外だから、後ろのテントにひっかからない
限りは観客が入ってもかまわないんだろうが、ステージ
自体は非常に小さいステージである。

それなのに、しかも全然名の知れていないバンドなのに、
なんだこの人・人・人。
始まる前から早くも後ろのテントに若干ひっかかって
しまっている。

なんだかわけの分からなかったのもつかの間。
彼らの音を聞けば、この人だかりも納得である。

このバンド名、前から読むと、Pianoであるが、
うしろから読むと、Cajon(カホン)になる。

つまりは、Pianoとカホンっていう、いわゆる打楽器の
2人組である。

そのPianoがとにかくすごいのだ。
のだめカンタービレでいうところの、「超絶技巧」。
とにかく難解なフレーズを超高速であおるように
弾いていくのだ。

す、すげぇ。

とピアノに聞きほれていると、今度は曲の間に
なんだか漫才みたいなMCが始まって。

カホンがMC+アジテーターみたいな役割を
果たしているのだった。
(あ。ちなみに顔はロッチ)

途中、水鉄砲を持ち出したあたりから会場は
やたらと盛り上がって、明らかにこれが本日の
ベストアクトだと確信したところで、このステージでは
珍しいという、アンコールまで披露して終了。

いやぁいいもんみたなぁ。

と、はがれかけの休足時間を無理やりふくらはぎに
再接着しつつ向かった先は、もちろんキョンキョンさまの
ステージである。

ステージ自体が50分しかないというのに、40分も前から
炎天下の下、場所取りをして、キョンキョンをただひたすらに
待つ、なんだかんだ言ってイロモノ好きの私たち。
(昨日、イロモノには興味ないって、言わなかった?)

思えば、今回のRSRでもっとも暑かったあの時間帯。
帽子を忘れてきてしまった私の頭皮が夏の鋭い日差しで
すっかり焼け焦げてしまった頃、その時間はやってきた。

キョンキョンには似つかわしくない、なんだかあやしげな
おじ様たち(いや、バックで演奏する方々)に続いて現れたのは、
確実に私たちの憧れ、キョンキョン様

私の想像を超えた、その華奢な体と涼しげな笑顔に、
私は素でつぶやいてしまった。

「か、かわいい。。。」

そんなとき、キョンキョン様は、会場から湧き上がる
かわいいコールに答えてやたら上から目線で答えるのだった。

「かわいい?もっと言っていいのよ!
今年43歳ですけどー!」

43歳?

私と・・・あ、そんなに違うんですか。
あ、でもでも、全然そんなこと感じられないっすよおねいさま。
なんでですかね、ど、独身だから、ってことなんですかね
やっぱり。
だんなに悪いこととか教わったりしないから、そんなに
みずみずしくおきれいでいられるってことなんですかね。

そんな私の心の問いかけに答えようとしてくれるつもりだったの
であろうか。

「この曲、20年ぶりなの!」と言いながら、彼女は
若さを最大限にアピールし始める。

そう。「渚のはいから人魚」だ。

リアルタイムではまったく知らないけど調子に乗って
「ずっきんどっきん」コールをやりながら、またしても
呪文のようにつぶやいてしまう、「か、かわいい。。。」

その後は、ちょっと大人の気分になって、
ホノカアボーイの主題歌と、「さよならさえ・・・」が2曲
連荘で流れると、私はまたしても号泣。
なんか昨日から、若干涙腺が壊れてしまっている
ようだ。

号泣の私なんか気にも留めず、相変わらず汗を
一滴もたらさずに歌い続けるキョンキョンは、最後の
曲を、お決まりの「学園天国」で閉めるが、会場側は
キョンキョンとしては決してお決まりではないはずの
ダイブをするおじちゃんが現れて、キョンキョンも
少なからずびびったところで、ステージは終了。

「か、かわいい。。。」

ステージに残る、おねいさまの幻影を見ながら、
私はもう一度つぶやいて、ステージを後にする。

その後はBEGINをまったりと聞き、恋しくて
涙そうそうで号泣してすっかり疲れてしまった私は、
ユニコーンで盛り上がってるメインステージを
見ることなくテントに入って、休足時間を貼り変え、
無理やりいったん眠りにつく。

夜の楽器屋さんタイムに備えるために。

そう。次回は楽器屋さんの時間。

RSR体験記(1)~日の出待ち~

朝10時。
私たち4人は、石狩のだだっ広い、おそらく
この時期以外は単なる空地の入り口で、
ただひたすらに、ドラクエをやっていた。

それにしても、暑くて重くて、
そして眠い

夜は寒いからパーカーが必要、といわれた
けれど、来てみたら日差しはカンカン、そして
そのパーカーやらウインドブレーカーやらを
入れたリュックは少しづつ肩に食い込んできて。

え。あ、何で眠いかって。

そ、そりゃあ、昨日の夜からこんな感じだからって
ことで。。。

昨日の夜、ホテルについて、夕飯行こうぜ、と
電話したところ、とりあえず部屋に呼ばれた私は、
言われたとおり、DSを持って彼らの部屋に向かった。

部屋にいたのはドラクエに励む3人の勇者であり、
そこに私が加わるとちょうど4人になって、1つの
パーティーが組めるってわけだ。

そうして、途中夕飯をはさみながら、ひたすらに
ドラクエをやり始め、今に至る
。。。というわけで。

あ、今、そんなことやってないで、早く会場入れよ、
って思ったでしょ。

私だって会場入りたい気持ちは山々だけども、
開場は11時。

というわけで、この時間にできる最良の選択ってことで、
私たちはこの待ち時間、必死ですれ違い通信
試みているっていうわけだ。

さて、このフェスティバル、RisingSunRock
Festival
っていうからには、目的は、「日の出」
ある。

2泊3日で行われる本フェスティバルの2日目の夜は、
朝まで夜通し歌って踊って、そしてみんなで日の出を見る
っていうのが本フェスティバルの醍醐味、らしい。

そんな中、私は、1日目にもう1つの「日の出」を見るって
いう一大目標があった。

とはいえ、1日目は朝2時までの稲川淳二の怪談で
プログラムは終了となるわけなので、ほんちゃんの日の出
ってわけじゃない。

本日の目標は、「日の出食堂」である。

その日の19:30からステージが始まるというそのグループは、
Risingのために特別に作られたグループであり、

石原顕三郎(the TLAVELLERS)
GAMO(東京スカパラダイスオーケストラ)
沖 祐市(東京スカパラダイスオーケストラ)
秋田ゴールドマン(SOIL&”PIMP”SESSIONS)
中村達也(LOSALIOS)
NARGO(東京スカパラダイスオーケストラ)

のメンバーでお送りする、いわゆる、私のような
楽器屋さん(=インストバンド専門)の一員から
してみると、たまらない組み合わせであるからにして。

とはいえ、日の出君は夜からなので、とりあえず
買い出しメンバーの到着を待って、テント張って、
ぶらぶらとSpecial Othersなど見て時間をつぶし、夜に
備える。

そしてTHE BOOMのあといったんテントに戻ると、
ちょうど夕飯タイム。

彼らはこのあとどこに行くか話をしながら、肉を
焼いていた。

彼らの大きな悩みは、このあと、吉川先生を観に
行くか、それとも
真心を観に行くか、っていうところで
あり、その2つで場は完全に半々に分かれてあたかも
次の選挙のようにヒートアップしていたわけであるが、
イロモノ系にも緩バンド系にも興味なく、とにかく
楽器屋さんである私としては、頭の中はGAMO先生で
いっぱいである。

でも、そんな8月末の選挙の行方みたいな議論を
テントで聞いていたのがいけなかったのだろうか。

開演30分前にはテントを出たはずなのに、日の出君の
ステージであるところのClystal Palaceの前には、
ズラーっと長い列ができていた。

そう。このClystal Palaceが癖ものである。
ロックフェスであるからには、ステージの基本は
野外、であって、この会場でも他のステージは
すべて野外であるが、ライブハウスの雰囲気を
醸し出したいということで、ハリボテみたいな建物
おったててしまっているのだ。

屋内ってことは、当然入れる人数にも限りが出てくるって
いうわけで、明らかにここに並んでいる人数全員は入れる
わけがないと思われた。

そんなこと考えている間に、私の後ろにもどんどん
列は続いて行って、気づけば会場の周りは、うねうね
うねうねと、蛇みたいにひたすら長い列ができていた。

当然、会場に入れないまま、ステージは始まる。

とりあえず音漏れだけで楽しみつつ、会場の横のほうを
見ると、そもそも最初から音漏れ目当てに集まった
ような輩が、なんだか異常に男女入り乱れて
盛りあがっており、これは若干お薬の匂いがするなぁ
思いつつ、それでも根気よく並び続ける。

列を管理するスタッフ(若者)からは「ここにいても
皆様が会場に入れる可能性はほとんど
ございません。」
とののしられ、同じくスタッフの
外人さんからは、「ナランデクーダサーイ」
へたくそな日本語で怒られながらも、ただひたすらに、
ひとりで孤独に耐えながら。

と、ステージが半分くらい終わったころだっただろうか。

気づけば私はそのへたくそな外人さんのまん前におり、
あと2人入れば次は私の番、っていうすばらしい状況に
なっていた。

と、若者が叫んだ。

「1人なら入れます!」

でも、前に並んでいる2人はグループらしく、入るのを
しぶっていた。

来た。これはやってきましたよ。

いつもは草食系女子の私も、ここばかりはうじうじして
いられない。

「・・・あのぉ、私一人なんですけど!」

大声で叫んで、前の人が若干くやしそうな顔を見せるのを
横目に、ずかずかと会場に入る。

とはいえ、結局私が入れそうなところは柱の裏側しか
ないため、見えるのはNARGOのペットの先っぽくらい
ではあるのだが、それでも私はやっと入れたことと、
7年ぶりくらいにスカパラのメンバーにもう一度会えた
ことで、会場に入ったタイミングから、すでに号泣していた。

NARGOの「007のテーマ」も、沖ちゃんのキーボードも、
そして、アンコールで見せた、GAMO先生のふざけた
歌声
も、横浜アリーナで見たあの時のまんまだったから。
(あ、アリーナでは007はやっていません)

そういえば最近忘れてた。
ライブに行くこともなくなったし、こんなに叫びながら
踊り狂ってストレスを発散することもなくなっていた。

だから、せめてこの2日間だけは、踊って叫んで歌い
まくろう
、って心に決めて会場を出ると、北海道の
夜はすっかり冷え切って、秋のにおいがする、冷たい
風が吹いていた。

その後、決心通り、私はエレカシを見ながら大声で
合唱し、そのあと、寝るのがもったいなくなって、
稲川淳二を(転寝しながら)観て、最終的には怪談話の
恐怖と北海道の寒さに震えながら、就寝するのであった。

次回、RSR2日目。

2009年8月17日 (月)

RSR体験記(0)~突然のお誘い~

今年の夏は、何の予定もないはずだった。
ってか、予定を入れるのに若干の抵抗があることは
否めない。

なんたって、去年の夏は散々だったから
予定入れたのに熱が下がらず結局行けない、と
いうのは悔しいし恐ろしすぎる。

というわけで、田舎で1週間無駄にだらだらすることに
ほぼ決めていた矢先、思いがけないお誘いがあった。

それはもう7月も下旬の頃で、そろそろ親に
帰省の日程の連絡をしようかと思っていたころ、
夜中にメッセンジャーを開いていると、ひょこっと
友達が入ってきて言うのだった。

Rising Sun Rock Festivalって知ってる?

はい、名前だけは。
確か君ら去年も行ってたよね。

「行かない?」

ん?私も?

興味はあるけど、Rock Fesって要はキャンプでしょ?
意外に私、アウトドア派じゃないんですよ。

小学校と中学校の時それぞれ1回づつ登山と
飯盒炊爨はやりましたけど、確かテントに泊まるなんて
無謀なことはしてないんじゃないかしら。

と思い、聞いてみる。

「何持っていけばよいの?」

・・・もう、この聞き方が既に行くこと前提になってる、
とその時は気づかなかったのだが。

「寝袋!」

寝袋・・・

確か、家族でキャンプ(@バンガロー)に行ったときに
全員分買いそろえた気が・・・

偶然、「家にありそうなもの」を指定された
とたん、なんだか急に行けそうな気がしてきてしまった、
単純明快なO型の私。

アウトドアな火起こしとかは、アウトドアベテランの
RSR5年目集団がきっとできると思うし、女子には
女子用テントが与えられるというし、防寒着と
Tシャツがたくさんあれば大丈夫なんじゃないか、
と、急にやる気になってしまった夜12時過ぎ。

しかしながら、問題は交通手段である。

RSRの日程は、日本でいうところのちょうどお盆に
丸かぶりであるからして、お盆の初めに北海道行って、
お盆の終わりに帰ってくるってことは、日本人の
大移動
とぴったし重なってしまうことになる。

そんなことには最初のうちは気づくはずもなく、
気軽に「マイルで往復しよう♪」とJALのページを
開いた私は驚愕した。

行きの13日はなんとかなりそうだが、問題は帰りである。

16日はもちろん空いている訳がないのはまぁ許そう。
しかしながら、マイルで帰ろうとすると、17日も18日も
全く空いておらず・・・

あ、あのぉ、ですねぇ。
私、すでに夏休みの日程は、お盆の前からお盆いっぱいの
1週間、と決めておりまして、最悪週明けの月曜日は
休んじゃうとしても、担当内で夏休みは交替で取るもので
ありまして、だから、それ以上後ろにすると、担当の
皆さんに迷惑が、ですね。。。

というわけで、気づけば夜中2時だったこともあり、
その日は飛行機の予約をあきらめて、いったん就寝。

それから約1週間。
そろそろタイムリミットが迫ってきており、
それでも飛行機が取れそうな予感はなくて、
めんどくさがりO型体質の私としては、
もうあきらめちゃおっかなー、と、簡単な方向へと
確実に流されていた。

そうして、あきらめます、って言おうと思って
またもやメッセンジャーをやっていた矢先のこと。

ふと教わった、株主優待という制度。

いや、株主優待っていう言葉は知ってるのだが、
株主でもなんでもない私は、今までそんな選択肢を
考えることもなかったってわけだ。

株主優待を使うと、料金は半額。
そして、株主優待券というものは、
6000円くらいで金券ショップで売っているものだ、
と彼は言う。

北海道から羽田の片道が、約18000円だから、
株主優待入れても25000円あれば飛行機に
乗れる、ってことで、株主優待で調べてみると、
16日はどちらにしろダメだとしても、17日なら
結構空いてる!

というわけで、衝動的に飛行機を予約して、
行くことが確定してしまった、RSR本番約10日
前の、真夜中1時過ぎのこと。

そして、めでたく行くことが決まった次の日、
私にとってはうれしい、でも親にとっては
ちょっと寂しいであろう夏休みの日程の
報告をし、そのあと私は親にお願いした。

「寝袋探しといて!」

「寝袋?」

と母。

「うん。キャンプ行く時買ったよね?」

「買った。買ったけど・・・」

母曰く、どこにしまったか分からないのだという。
キャンプに行ったのは、確か私が中学1年くらいの
ときのことで、確かにそのとき3つ程度買ったのは
記憶にあるのだけど、飽きっぽい父のせいで、
それ以降その寝袋は結局お蔵入りしてしまい、
たぶん私の部屋の隣の納戸にしまってあると
思われるのだが、炬燵だの古い椅子だのいろんな
ものがあふれており、本格的に探さないと出て
こないのだと。

そして、この日程で言われても土日もいろいろ
用事があって、そんなの探してる暇なんかないわよ
と、冷たい返事。

・・・結局は、私があんまり帰って来ないことに
若干いらっとしているようだった。

とはいえ、取ってしまった飛行機とホテル。
寝袋があるから行こうと思っていたものの、
この状態では寝袋がないくらいであきらめる
わけにもいかず。

引き返せない私は、日曜の英会話教室のあと、
飲み会までの短時間を使って、いそいそと寝袋と
リュックと防寒&雨対策用のウインドブレーカーを
買いそろえ、田舎でのごろごろ2泊3日をまたいで、
木曜の夜、札幌にやっとこさたどり着いたのだった。

・・・さて次回、やっとRSR本番開始。

2009年8月11日 (火)

父と夏休みの宿題とゴーヤーチャンプルー

それは料理に燃えていたあの1年前の夏。

やっぱりお盆に帰省した私は、母から
何か作るように言われ、夏休みの宿題として
とある料理を披露した

その料理は父曰く
「母が作るより美味い」ということだったのだが、
父は私を溺愛しすぎのため、そんな意見は
まったくあてにならない単なる贔屓目かと思われた。

・・・あれから1年。
そんなことがあったことすら、私はまったく
覚えていなかったのだが。

今年はお盆は諸事情で田舎に引きこもっている
訳に行かなくなった私は、一足早く、たった2泊
3日で帰省することになり、夏休みだというのに
やたらと空いているあさまに乗って田舎にたどり
着いたわけだが。

それは、たどり着いた日の夜のこと。

仕事から帰ってきた父は、テーブルの上に
並んだ料理たちを見て母に言った。

「あれ。取れたゴーヤーは?」

父は、100%、本日の夕食はゴーヤーだと
思っていたような口ぶりである。

「りぼんが帰ってきたんだから、ゴーヤじゃないのか」

そんな父の台詞に呼び起こされる、去年の
夏休みの宿題。

「あ。また私にゴーヤーチャンプル作らせる感じ?」

そんな父の台詞に母は淡々と答える。

「それは明日ね」

・・・かくして、またもややってきた、夏休みの
宿題
、ゴーヤーチャンプル作り。

次の日。
田舎で一人でお留守番なんて、ウイルスぶり!
と、午前中はひたすらドラクエの宝の地図を
制覇し続け、午後は妹のマンガ本を読み漁って
いたら、不覚にもワンワン泣いてしまった私は、
夕方、がんがんに昼寝をし、結局1年ぶりの
ゴーヤーチャンプルーの予習はまったくしないまま、
お夕飯作りタイムに突入。

「とりあえず、ゴーヤー切って」

と母に言われ、うろ覚えの中、なんとなく薄切りにし、
水につけておく。

・・・ってか、ゴーヤーチャンプルーの具って、
何があったっけ?

あれから1年間、ゴーヤーチャンプルーどころか
ほとんどしっかり料理をしていない私はもう
しどろもどろ。

かすかな記憶をたどって、豚肉と卵を冷蔵庫から
取り出したが、何かが足りない予感。

「豆腐じゃない?」

あ!豆腐!
ゴーヤーチャンプルーといえば、豆腐!

と、かなり手際悪い感じで豆腐を取り出し、
うろ覚えで水気を取って。

じゃ、いためるか、と思った私を、母は止めた。

「先に豆腐いためるんでしょ?」

思い出した。
その手順は去年私が料理教室で習ったのを
主張しまくったやつだ。

全部一緒にいためると豆腐の形が
めちゃくちゃになっちゃうから、ってことで
料理教室で教わった、「女子としての知恵」

そうだ。先に豆腐だ。
そして、豆腐の形が崩れないように、何らかの
お粉をつけて炒めたような・・・

「小麦粉!」

本当にあれが小麦粉だったかどうか、定かでは
ないのだが
、とりあえず粉といえばおそらく小麦粉。

私に言われるがまま、母が小麦粉を持ってきて、
パフパフとつける。

うん。それっぽい。
(つっこみ役不在の我が家)

合ってるのか間違っているのかあやしい状態に
なった豆腐を炒め、一度皿にあげて今度は肉と
ゴーヤーを炒める。

「味付けどうしようか?」

と母。

・・・覚えてねー。。。

塩コショウすればとりあえずいいんじゃない?と
思ったんだが、なぁんか芸がないような気もするし。
(料理は芸じゃない)

「うーん、じゃあ・・・鶏がら!」

チャーハンでも、野菜炒めでも、鶏がら入れれば
なんとなくそれっぽくなる
、と昔々に教えてくれたのは
母であるので、結局母から見ると芸がないことには
変わりないはずなのだが、おそらく母も「芸」を見たい
とは思っていなかったらしく、「鶏がら」の意見は
すんなり受け入れられた。

かくして、塩コショウと鶏がらを入れて味を調え、
豆腐と卵を入れたところで、うろ覚えゴーヤー
チャンプルーはなんとかかんとか完成した。

ちょうどそのとき父が帰宅し、父の目の前に
並べられるゴーヤーチャンプルー。

日本酒を片手にゴーヤーチャンプルーを口にする
父。

・・・無言。

おい。
お前が作れというから作ったんだぞ。

と無言のだけど強いまなざしを父に向ける娘。

「どう、おいしい?」

ストレートに聞いちゃった母。

「・・・うん、美味い」

それが心からの台詞であるのか、贔屓目なのか、
はたまた母の強要のせいなのか、それはよく
分からないけれど、そうして、今年も私は夏休みの
宿題をどうにかクリアしたのだった。

それにしても。
と、知らない間にうっそうと茂ってしまった
家庭菜園を見ながら考える。

父が家庭菜園で育てているゴーヤーは
私が帰ってくるお盆に、毎年確実に
実をつけることになっており、おそらく
父はそうやって実ったゴーヤーを見ながら
思い出すのだ。

また私が帰ってくることを。

そうして、ゴーヤー料理が夏休みの宿題
リストに毎年並ぶことになる。

しかしながら私の作る料理は2年レンチャンで
ゴーヤーチャンプルー。

さすがに3回目は何か違うものを作らないと
いけないのではなかろうか。

課題がゴーヤーであるだけに、その悩みは
思いのほか深い。

・・・まぁゴーヤーは仮に今年までになったと
しても、夏に女子力を試されるのは、そろそろ
終わりにしてほしい。

そう、思ったやさぐれアラサーの部屋に、
ふわっと、初秋の風が舞い込んだ、冷夏の
とある夜のことだった。

2009年8月10日 (月)

浴衣とアラサーと花火大会

「なに?ショッピングしてきたの?」

と英会話のおばちゃんティーチャーに突っ込まれた
水曜日。

いつも仕事に追われて忙しいはずのIT系OLだった
はずの私が、平日の夜に英会話来るだけでも
珍しがるおばちゃんにとって、平日の夜にショッピング
までしてから英会話くるなんて、やっぱりちょっと
奇妙なことであったに違いない。

「それがですね、浴衣が、ですね・・・」

と、私はたどたどしい英語で説明し始める。

それは、その日の朝のこと。
やさぐれアラサーの私にとっては
なんともプレッシャーのかかる連絡がやってきた。

その連絡は、人から見ると単なる花火大会の
スケジュール周知であったのだが、その文末に、
余計なひと言が。

「女子は半分以上浴衣です」

え。なに?そういう勢いなの?
花火大会って、すんごく混んでるじゃない?
さらには結構歩かないといけないでしょ?
そんでさらには、上向いてふらふらしてると、
前の人もやっぱり上向いてふらふらしてるから、
ひょこって後ろ下がってきて、その拍子に
足踏まれちゃったりとかさ。。。

って、ひとりで電車の中で次から次へと
当日に言うべき言い訳を考えまくるわけだが、
それでも変な汗は収まらない。

いや、いろいろ言い訳はあるにしろ、
とどのつまり、私の家には浴衣がないのである

いや、正しくは、去年まではあった。
10年前に、東京で花火大会に行くという私に、
母が送ってきてくれた浴衣が。

あれから9年の月日がたった去年のこと。
ご存知のとおり、新型インフル的症状に、
みんなより1年早くかかってしまった私を
看病に来た母は、発見したのだった。

おそらく何年も来ていないと思われる浴衣が
ほぼ新品のまま入った風呂敷が、押入れの
中に埋もれているのを。

「・・・着ないのなら、この狭い家に置いておくと
邪魔だから、田舎に持って帰ろう」

母にとってみたら、浴衣送ってやったのに着ることも
なくやさぐれて、その挙句に高熱にうなされてる娘が、
どんだけふがいなかったことであろう。

そんなこんなで、いろんな不幸が重なって、
私の家から浴衣はなくなってしまったのだった。

・・・って、そんな複雑な事情を英語では表現できない
私は、とりあえず浴衣は実家にあるけど東京に持って
来ていない旨を説明した。

そんなところで雑談タイムは終わってしまったわけだが、
私の説明は、実はまだ途中である。

この日、別に私は浴衣を買っていったわけじゃない。
さすがに、平日の仕事終わりに浴衣をがちで選ぶのは
ちょっと無理。

この日買って行ったのは単なるサンダルである。
足がでかすぎる私は、通常の下駄がほぼ入らないので、
サンダルでごまかすしかないと踏んだ結果の選択であった。

じゃあ、浴衣はどうするかって。

その日の午前中、私はひたすら、仕事もそっちのけで、
「浴衣 レンタル」と検索していた。

しかしながら、なかなか見つからないレンタルショップ。
そして、見つかってもたった1度のために投資するには
結構なお値段がするレンタル価格。

…デートならまだしも、単なる友達との花火観賞でしょ?
と、やさぐれアラサーらしく無駄にケチって、やっぱり
浴衣はやめよっかなー、とか思っていた矢先、私は
あることを思いついた。

友達に借りればよいんじゃないかと。

この薄っぺらい平成の時代には珍しく、私の友達の
中には、和服をこよなく愛する、古風な大和なでしこが
おり、おそらく浴衣も何着か持っているのではなかろうかと
思われた。

そこで、私はとりあえずメールしてみる。
彼女が夏休み中でないことを祈りながら。

ほどなくして、運命の電話が鳴った。
相手はもちろん和服の彼女である。

「お貸ししますよ!」

と、ありがたい第一声のあと、彼女は言った。

「で、いつお貸しすればよろしいでしょうか」

あの、えっとですね、お暇でしたらで構わないのですが

と、奥歯にものが挟まったような物言いに、
彼女は気づいたようだった。

「あ、もしかして着付けしたほうがよいですか」

はい!その通りでございます。

いや、あのそのですね、旅館の浴衣くらいだったら、
私だって自分で着付けできるのでございますよ。
で、でもですね、大和撫子様の、いや、匠の帯はですね、
プロ仕様の、単なる長いだけの帯でございますよね。
そ、そのような帯ですと、わ、私としてもど、どうして
よいのやら。。。

また言い訳をかさねる私と、ちょっと呆れた様子の
彼女。

彼女は私の言い訳を適当に受け流して最後に、
ペチコートとキャミソールを持ってくることと、
下駄はたぶん私のでかい足では入らないと
思われるので、サンダルは持参すること
、を
言い残し、電話を切ったのだった。

そんなこんなでなんとかひと段落したやさぐれ
アラサー的浴衣調達。

そしてやってきた花火大会当日。

サンダル引っかけてあらかじめキャミとペチコートは
身につけて友達の家にお邪魔し、浴衣を選別する。

かわいらしいのからオトナのユカタまでよりどりみどりの
中から選択した浴衣は、白と黒の、その中でも最も
オトナっぽい1枚
であり、いつも子供っぽいものばかり
着てる私にとっては、ある意味ちょっとした冒険であった。

・・・だって、本日のメンバーは、同期数名と、その
後輩の若者、さらには後輩の若者の取り巻きたち、であり、
確実に最もお局的私の立場からすると、同じような
浴衣着て混じろうとすることはかなり無謀な挑戦に
思えたからである。

何はともかく、おずおずと浴衣と帯を選んで、お願いします、
と一礼し、ワンピを脱いで浴衣羽織って…

それからたったの10分

大和撫子様は帯を花文庫なる華麗な結び方をするところ
まで含め、賞味10分で終えてしまった。
さすが匠。
(あまりの素早さにあっけにとられて、レギンスを
脱ぎ忘れたことに、私は着替えが終わるまで気づかなかった)

ところが、そうしてまたもやお礼を言い、玄関まで来たところで
私は思った。

・・・いまいち、サンダルと浴衣があわないような・・・

ひとつうまくいくと、もうひとつ上を目指したくなってしまうのは、
いつも何もうまくいかないやさぐれアラサーの悪い癖。

しかしながら、懐の深い匠は「履けるかどうか微妙ですが」
と言いつつ、靴箱から下駄を取り出す。

足がでかいのを気にしつつ、おずおずと試着してみる私。
入らなくてもめげるのはやめようと、心に決めながら。

と。

それはある意味奇跡である。
足の先っぽは若干はみ出ている感はあるものの、
意外にも一応下駄の中に収まった私の足。

いつも悲鳴を上げる、親指と人差し指の間の
あのビーサン上のところも、昔私が履いていた
下駄とは違って、やわらかな作りになっており、
これならなんとかなるんじゃないかと思われた。

そして何より、浴衣とピッタリの下駄の鼻緒の柄。

「あのぉ」

またもやおずおずしているやさぐれアラサー。

「履いてっちゃって、よいですよ」

と、またもや懐の深い匠。

そんなこんなで、やさぐれアラサーはなんとか
付け焼刃で取り繕って、花火大会に向かうのだった。
この3日間のテスト直前対策がなんとかうまく
行ったことに軽く感動までしながら。

しかしながら、その2時間後。

集合してきたのは、会社の後輩の友達の彼女の
友達の皆さん、という、20歳そこそこの若い
女子たち。

浴衣がかわいらしいのは当たり前。
20代後半になるとついてくると思われる、
暗い影
なんて一切見えない、屈託のない
明るい笑顔。
無邪気にアイスキャンデーを頬張る横顔。

・・・結局、おそらく浴衣なんてアイテムの1つに
すぎないのだ。

大事なのは、若さからやってくる
屈託のない笑顔

それに気付いた瞬間、どぉっと襲ってきた疲れ。

そんな私を慰めるかのように、花火は、いつもにも
増してきれいで、その音は私の心に、やたら
響くのだった。

Hanabi

が、がんばれ、やさぐれアラサー。

2009年8月 3日 (月)

ウハ、ウハウハ

What does ○○ mean?

っていうのは、英会話で毎回おばちゃんティーチャーに
質問していることであるが、振り返ってみると、最近
英語どころか日本語もままならないことがある。

7月になって、担当はメンバーが一新され、
新しい風が吹きこまれた。

そうして晴れてうちのチームの新メンバーになった、
通称じゃがいも君は、なんだか不思議な日本語を
使うことがある。

そんな不思議な日本語の1つが、「ウハウハ」である。

なんだか1日に2、3回は「ウハウハ」という単語を
連発しているじゃがいも君。

でも、私の人生を振り返ってみると、人生において、
そんなに「ウハウハ」だったこと、頻繁にあったっけか。

いや、どう考えてもウハウハだったことなんて、今までの
2○年でたったの数回しかなかっただろう。

もしや、彼の「ウハウハ」と、私の「ウハウハ」は
若干違うんじゃなかろうか。

そう思って、私は彼に質問してみた。

「ウハウハって、どういう状態のことをさすんですか」

すると、彼は答える。

一番分かりやすいのが、ヤンジャンの一番後ろに
時々載っている、変な石を買ったら人生が変わって、
女子にもてまくってお金もじゃんじゃん入ってくるように
なって、女子を両脇に抱えてお札のお風呂に入って
いる人なのだ
、と。

あれが、「ウハウハ」の究極形なのだ、と。

・・・うーん、おぼろげに覚えているような。。。

すると、彼は多少分かりやすくするために、若干
説明を加えた。

最近では、AXEのCMの状態、っていうと
分かりやすいかな。

あの、女子が一人の男子にワーッと群がってくるあの感じ。

・・・分かるような、分からんような。

でも、まぁなんとなく分かった。
ウハウハとは、女子を両脇に抱えてあやしく
盛りあがっている
、そういう状態であるらしい、
ということが。

そんなとき、ふと私は気づいた。

お盆明けのある日が、もしかしたらじゃがいも君に
とって「ウハウハ」な日じゃないのかと。

その日は私をはじめ、じゃがいも君以外の社員は
みんなそれぞれお盆休みを取って出社しないことに
なっていた。
(もちろん課長含め)

そして、うちの担当で残るのは、じゃがいも君と、
かわいらしい派遣のおねいさまの2人っきり。

おねいちゃん隣に置いて、誰からもとがめられる
ことなく、おそらくそんなに仕事もないその日は、
いわゆる「ウハウハ」な日じゃないのかと。

そんな素朴な質問をする私に、彼は言うのだった。

それは「ウハウハ」ではなく、
「ウハ」だね。

「ウハ」??

彼曰く、「ウハウハ」は、あくまでも両脇に女子を
抱えていなくてはならず、片側にしか女子がいない
のであれば、それは「ウハウハ」ではなく、「ウハ」
なのだという。

なるほどー。
「ウハ」の比較級としての「ウハウハ」であったのか。

そんな私はなんとなく納得してしまった。

しかし。

彼の「ウハウハ」な状態はどうやらそれだけに
おさまっていないように聞こえてならないのだ。

たとえば彼は、「仕事がウハウハ」というが、
これは決して男女の問題ではない。

面白い仕事がたくさんあって処理しきれないけど
なんかちょっと楽しい時
、そんな状態のことを
どうやら彼は「ウハウハ」と呼んでいるようである。

それに彼はこういう。

「この人、なんかウハウハなんだけど」

ウハウハな人、とは、なんとなく金持ってて
あやしそうな人
のことを、言っているようである。

ああなんと奥が深い、「ウハウハ」の世界。

私ももうちょっと「ウハウハ」に生きてみようと
思った、夏休み前の残業タイムのこと。

ちなみに、ネットでも辞書でも調べてみたけれど、
「ウハウハ」という日本語は全然出ては来なかった。

2009年8月 1日 (土)

おひとり様映画館@六本木

おひとり様映画館、といえば、ノーメイクで
徒歩でとしまえん、っていうのが基本動作
であるが、本日の私は、きっちりメイクして
電車乗って。。。

たどり着いたのは、夜の六本木であった。

しかしながら、慣れない六本木。

朝のうちは早めに行ってお買い物とか、などと
考えていたのだが、慣れない土地を一人で
うろつくのが怖くなって、というよりもめんどくさく
なってしまって、結局私は六本木の街中を
足早に通り過ぎ、とある路地に入った。

ところで、なんで怖がりかつめんどくさがりな
私が一人でこんなところまで映画観にやって
来たからというと。

それは先週の週末のこと。
私は2連チャン英会話、という強硬手段に
でていた。
(だって、早めに使わないとまた使い切らないうちに
1年たっちゃうかもしれないから)

1日目。
最近は私の専属みたいになってるおばちゃん
ティーチャーに聞かれたのは、
「今日土曜でしょ?このあとどうするのさ」
っていう質問であった。

土曜日、といえばチェロのレッスンである。

その前の週はバスケ合宿で休んでしまって、
まだほとんど初心者だというのに、私は
勢い込んで言ってしまった。
「このあと?もちろんチェロのレッスンさ!」と。
(いや、そんなフランクに英語使えるほど上達してないけど)

そのあとは通常通りレッスンをみっちりやって、
おばちゃんティーチャーに
「Have a nice cello lesson!」とエールを送られて、
この日の英会話は終了。

そんな2日目。

その日は、「ここに来る前は何してたの?」
聞かれ、正直に「・・・26時間テレビ観てまして」
つまらなそうに答えた私がかわいそうに思われた
のだろうか。

「そうそう。いい映画があるのよ」

と、ティーチャーはWiki先生のページを引っ張り
出してきた。

その映画は、おばちゃんの国でいうところの、
いわゆる原題を「The soloist」っていう名前の
映画であり、邦題を「路上のソリスト」と言った。

これは、Based on a true storyなのよ、
とおばちゃんは言った。
ホームレスのチェリストと、コラムニストのお話なのよ、と。

私がチェロやってると聞いて探してくれたのか。
もともと知っている映画だったのか。

なにはともあれ、おばちゃん先生に教えてもらった
からには一度観にいってみよう。

と思って私は土曜の夜の六本木に一人、
出かけて行くことになったのだった。

他の場所でもよかったんじゃないかって?
慣れてる新宿とか池袋とか?

・・・ないのだ。

アメリカでは結構はやっていたらしいのだが、
日本では、東京では、この時期は六本木でしか
やっていないというのだ。

しかも六本木の映画館ったって、ヒルズの
シネコンとかじゃなくて、路地を入ったところの
なにやら韓国映画ばかりやたらとやっている、
小さなさびれた映画館

さらに、さびれた映画館でも特別小さいスクリーンに
この映画は本日から移動したようで、入ってみると、
たったの6列約50席。

スタッフが完成試写会に使うような小さなスクリーンが
それでもほぼ満員になったころ、映画は始まった。

LAタイムズの売れっ子コラムニストのロペスは、
ある日、公園で2本しか弦のないバイオリンを
弾いているホームレスに出会う。

そのバイオリニストは話し方はなんとも奇妙だった
けども、その演奏に激しく感銘を受けたロペスは、
記事にしようと彼のことを調べ始めるのだが、
その中で、彼はもともとバイオリニストじゃなくて、
チェリストであり、しかも、天才とまで呼ばれていた
人物だったことに気づく。

ロペスが彼のことを記事にすると、読者から
チェロが送られてきて、ロペスは彼にその
チェロをプレゼントし、さらには生活支援のため
施設に入れて、チェロを習わせ、病院の診察を
受けさせようとし・・・

このチェリストがホームレスでいるのは、
お金の問題もあるんだろうけど、大きなのは
精神の問題である。

チェリストを目指す中、彼はプレッシャーに
押しつぶされて、かなり精神を病んでいた。

だから彼と話のつじつまを合わせるのは
かなり難しいし、施設に入るのも家に住むのも
病院に行くのも嫌がるのだ。

結局、ロペスのやったことは、チェリストにとって、
助けになったのか、それとも単なる余計な御世話
だったのか

Soloistという題名だが、この彼が音楽をやっていた
ときは、決してソリストだったわけではなく、
オーケストラの団員だったわけで、だから、ここで
いうSoloistとは、彼の演奏スタイルのことを言って
いるのではない。

それは、きっと、彼の生活スタイル。

ホームレスで、家族とも連絡を取らず、誰の
支援も受けず、ひとりで生きてゆく、彼の
孤独さを表した言葉が、おそらくSoloistだったのだと
思う。

そんなチェリストが、コラムニストとつながりを
持つようになり、孤独さは解消されていくように
見受けられるが、はたしてそれが彼の求める
生き方なのか。

ベートーベンの協奏曲をBGMに、彼の生活
改善は進んでいくが、彼の精神状態はぶっちゃけ
あまりよくなったようには見えず、映画の終わりに
なっても、問題の根本的なところはいまいち
解決してないんじゃないかと思われる。

英会話のおばちゃんは、この映画はチェリストの
映画だと言ったが、どちらかというと、これは
ロスのホームレスの現状を描いた物語

ロスのホームレス人口は約9万人。
ホームレスを取り囲む問題はドラッグやら
街の治安やらさまざまな問題の温床に
なっている。

だからと言って、彼らは本当に生活の向上を
望んでいるのか。
それとも何にも縛られない自由な生活を
求めているのか。

そういえば、誰かが、「しあわせの所在地」
って言葉を使っていた。

結婚するのが幸せなのか、それともバリバリ
仕事していくのが幸せなのか。

ホームレス問題っていうと難しいけれど、
よく考えたら、そんな「しあわせの所在地」問題は、
私のすぐ近くにも忍び寄ってきていたのであった。

音楽はあまりにもクラシックすぎるし、オケ曲ばかり
であったので、あんまりチェロの参考にはならなかった
のであるが、ひとりでじっくり考えるのには悪くない
映画ではある。

さて、そんな2時間後。
すっかり暗くなった六本木を私は来た道を足早に、
そして忠実に戻ってすたすたと家路に着いたのだった。

なんだかんだ言って、私だってSoloistなんだよな、
とか思いながら。

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