アラサーcello教室~体験編~
梅雨の晴れ間の土曜の午後。
まったりしすぎて出遅れて、途中のカフェで大急ぎで
ランチを食べ、私が出かけた先は、
チェロの体験レッスン。
なんで急にこんなことに目覚めてしまったかというと、
それは約2週間前の火曜のこと。
全然実りのない客先での打ち合わせがやっとこ
終わったのは夜の10時過ぎ。
狭い客先で、席を与えられないまま、しかも
まったく不毛な打ち合わせ(3時間)にほとほと
うんざりした私は、偶然にも会社の近くで飲んでいた
友達と連絡が取れたのをいいことに、「じゃ、用事が
あるので、先に帰ります」と、客と飲みに行こうとする
おじさまたちを振り切って、会社近くまで戻ってきて、
走って飲み屋に駆けつけたのだった。
それなのに。
ただでさえ打ち合わせでほとほと疲れていたというのに、
駆けつけてから小一時間、私は友達に説教されっぱなし。
説教された理由は、おもに、
「気合いが入っていない」という内容で、
何に気合いが入っていないかと言うと、女子としての
気合いが足りないんじゃないかということだった。
そりゃあアラサーで一人暮らし、仕事と家の往復の
毎日では、気合いも抜けてくるだろう、と言い返した
私に、彼らは2つの提案をした。
①引っ越す。
下町のさえない社宅(といっても借り上げマンションだが)に
住んでばかりでは、気合いも入らなかろう。
それならば、家から一歩外に出るにも気合が必要な
おしゃれタウンに住んでみればいいのではなかろうか。
②習い事を始める。
人に合わせて毎週遊び歩いているのもいいが、
自分の好きなことを1つ持ってみてはどうかと。
習い事を始めれば生活にも張りが出て、あわよくば
出会いもあるかもしれないと。
急に引っ越せと言われても、どこに引っ越してよいのやら
分からないし、何より、今の社宅は常識外に安いわけ
なので、金銭面で非常にもったいない気がする。
それならば、何か習い事を、と思った。
でも、何があるだろう。
なにしろ、去年の今頃始めた料理は完全に頓挫して
しまったのだ。
あの失敗はもう二度と繰り返せない。
料理の失敗で学んだこと。
それは、結局人がやっているから、と誘われてやり
始めたことは、続かないってこと。
もともと自分で興味のあることを、誰に誘われるでも
なく、ひとりで始めないと、意味ないんじゃないかってことだ。
それならば。
それなら、やっぱり音楽系だ。
ピアノにユーフォニウムにカラオケ。
結局、昔から音楽しかやってなかったじゃないか、私。
#カラオケは違うという苦情は受け付けません。
でも、今からなにやろう。
ピアノは、先生が怖すぎて、ぶっちゃけそんな
好きじゃなかった。
ユーフォも、大学卒業してから全然やってないし、
そもそもレッスンがない。。
吹くのは家で練習できないし、やっぱり弦楽器かなぁと
思って、思いついたのが、チェロだった。
だって、ユーフォとチェロは音域が一緒でヘ音記号。
吹奏楽部のときだって、ユーフォの吹くところは、だいたい
原曲ではチェロがやってるところだったじゃないか。
思い立ったが吉日、という言葉は確実にO型の
人間が作ったんじゃないかと思うが、その言葉どおり、私は
飲んだその夜に家でチェロの体験教室を予約したのだった。
そうしてやってきた体験教室。
体験するのは、私のほかにもう一人。
Yさん、という、おそらく私より少しだけ若いと思われる
女子は、ちょこっとピアノをやったことがあって、あとは
合唱部だったんだそうな。
そして、案内役の楽器屋の店員、Kさんは、昔吹奏楽部で
ファゴットをやっていたといい、だから私と異常に話が
合うのだった。
そうしてYさんと私はKさんの説明を簡単に受けて、
ドキドキしながら教室に向かった。
どうしてドキドキしたかっていうと、吹奏楽部の人間が、
弦楽奏者に抱く、劣等感みたいなもんだ。
音楽っていうのは、そもそもセレブがやるものなんだが、
吹奏楽っていうのは、一般人がセレブ目指して背伸びして
やるもの。
オーケストラっていうのは、生まれつきお金持ちで
小さい頃からバイオリン習っているセレブがやるもの。
そんな偏ったイメージが、いまだに片田舎の一般
家庭には根付いている。
そんな先入観が、少しだけ今も私の中に根付いていて、
そんなこと考え始めてしまうと急に場違いな感じがして
ドキドキしながらドアを開けると、そこにいたのは、
意外にも、ジーパンとTシャツ、ショートカットの、いかにも
フツーのおねいさん。
M先生、というそのおねいさんは、私たちの持ってきた
簡単な体験用テキストを見て、
「あーこれじゃない。今日は、こっちの曲やるから、
これ印刷してきて」
と急にKさんにケチを付け始め、さらにその曲の
ページ開くと、
「なんでこんな落書きしてあるのよ、私こんなこと
書かないわよ」
と、テキストにもけちつけながらごしごしと消して、
Kさんにテキストを渡す。
なんて自然なんだ。
全然弦楽奏者っぽくない。
そんなギャップにあっけにとられつつ、席に着くと、
先生が教室に置いてある2種類のチェロの説明を
始める。
教室には、大きく2種類のチェロが置いてあって、
ひとつはよく見る普通のチェロ。
そして、もう一つが、なんていうんだろう、吹奏楽で
いうところの、サイレントブラス。
チェロの骨組みだけのところにケーブルがつながってて、
その先にスピーカーがついているやつ。
こっちもいいんだけど、やっぱり醍醐味はアコースティック
だよねーとかいいながら、私たち2人にアコースティックの
チェロを渡して、自分はエレクトリックなやつを持とうとした
そのとき。
「さっきから気になってたんだけどさぁ、
楽器を丁寧に扱わない人がいてさぁ、このケーブルの、
スピーカーに差し込むところがまがっちゃっててさぁ、
なんかさっきから変な音が混じっちゃうんだよねー」
と、またもやぶつくさ言いながら、先生はスピーカーを
取り替える。
そんなこんなでやっとこさ始まった今日のレッスンの
目的は、とりあえずボウイングのやり方を覚えること
らしく、最初は2番と3番の開放弦を4拍づつ繰り返し
鳴らしてみる。
いわゆる吹奏楽でいうところのロングトーンだろうか。
それにしても、チェロを抱えたところから、もう私は
軽く感動していた。
チェロの素晴らしいのは、何と言ってもこの持った時の
感覚だと思う。
私がチェロを支えているはずなのに、なんとなく、
私がチェロによりかかっているような錯覚に陥って
しまう、この一体感。
先生も、そんな私の気持ちとシンクロするように、
一体感の魅力を語り始めて、さっきまでいろいろと
ケチつけまくっていたのに、チェロの話するときは、
なんだかとっても楽しそう。
それが終わると、次は簡単に指使いの練習。
よく見ると、チェロのネックの横側にちっちゃいシールが
貼ってあって、そこが抑えるところらしい。
と、先生は隣のYさんのシールを見て、
「なにこれ、貼ってある場所違くない?
そもそも、私シール貼るの嫌いなんだよね。
鉛筆で書く主義なの。消せるから」
とまたもやケチを付け始める。
そうして、指使いを簡単に教えてくれるのだが、
意外にこれ、力がいるもので、上手に抑えられない。
そうして指使いもうまく覚えられないまま、
なだれ込むように「月の光」を練習するのだが、
やっぱり全然できない。
2番弦を弾いているのか、3番弦を弾いているのかも
よく分からないまま、とりあえず1回怒涛のように先生と
曲を通したところでだいたい30分。
それが終わると、まだ弾き足りないのに、先生は
急に本番レッスンの説明に入った。
テキストの話とか、1回の流れとか。
あれ?もう終わり?
なんだか物足りなそうな私たちを見て、かわいそうに
なったのか、それとももともとそういうスケジュールに
なっていたのか。
じゃあ私が1曲、と先生は言い、今日はピアノが
いないから伴奏CDに合わせるんだけど、これに
合わせるの大変なんだよねー、とまたぶつくさ
言いながら、曲を弾き始めた時、私の中には
はっきりと、ある情景が浮かんできた。
その曲は、サン=サーンスの白鳥っていう
曲なんだけど、私が思い浮かべたのは、湖とか白鳥
とか、そういうのではまったくなく、朝の放送室の
情景。
その曲は、小学校の時、毎朝始業を伝えるために
流していた音楽で、放送委員だった私は、結構
みんなが嫌がるこの朝の放送を、めんどくさい
マラソンを早々に切り上げて放送室にこもって
流すのがとても好きで、さぼりがちな他の委員の
代わりにほとんど毎朝放送を流していた。
(私の朝のアナウンスも学校ではとても評判が良かった)
なんてことはない単なる録音の伴奏、そして、単なる
練習室の狭い1室。練習用の安いチェロ。
それなのに、ふだんクラシックをあんまり聴くことすら
しない私は、なんだかとても感動していた。
フェルマータも存分にのばしきれない、ちょっと窮屈そうな
演奏ではあったけど、さっきちくちくとケチをつけて
いたとは到底思えない先生の抒情的なビブラートと、
それに呼び出された昔の記憶。
その2つが結びついた私は、このめぐりあわせも運命かも、
とか抒情的なことを思ってしまい、最後のフェルマータの
ところで、入会しようって、心に決めたのだった。
でも、どうやら私が体験したこのコースは、まだ
人数不足らしく、コースのスタートは早くて7月から。
(3人集まらないとグループレッスンは始まらないらしい)
月3回のレッスンに本当にちゃんと毎週出れるのかは
あんまり自信がないし、7月からちゃんと始まるのかどうか
まだ確証もないけど、思い立ったが吉日。
入会申込書に早々に名前を書いたらなんだかとても
すがすがしい気分になり、そのまま帰るのが惜しくなった私は
久しぶりに隣のブックファーストに駆け込んだ。


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