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2009年5月

2009年5月31日 (日)

怒涛の週末その2~時間つぶしに弟子入り~

日曜の朝8:30。
昨日ラフティングで盛り上がったはずの私たちは、
なぜかものすごく低いテンションで朝食を無言で
食べていた。

別に喧嘩したとかじゃない。

昨日の夜、宿にたどり着き、軽く風呂に入って
体を温めたメンバーは、夕飯をはさんでもう一回
しっかりと風呂に入って旅館の風呂にありがちな
なんちゃらの塩を体中に塗りつけて大騒ぎし、
さらには脱衣所で顔にいろんなクリームをそれぞれに
塗りたくりながらガールズトークに花を咲かせた後、
10時くらいから宴会を始めたのだった。

最初は自己紹介でもしながらまったりと酒を飲んで
いたのだが、男性陣はそれじゃ飽き足らなかったのだろうか。
途中から、黒ひげ危機一髪なるゲームを
持ち出し、がんがん黒ひげおじさんを飛ばしまくって
飲みまくり、それでもまだ満足できなかったのか、
よく似た形のR15黒ひげおじさんを持ち出して、
ちょっと大人の罰ゲームでひとしきり騒ぎ終わった後、
最後は腹が減ったとカップラーメンを持ち出して、そこに
ウコンやらコーラやらファンタやらを混ぜ合わせて
みんなで食べる、という暴挙に出て、結局寝たのは
朝4時過ぎ

社会人7年目にもなって、これじゃ大学の
合宿
である。

社会人2年目くらいの女の子たちはそれでも
元気そうだが、7年目のおばちゃんとしては、
もう少し寝ていたい。

それでも、宿のチェックアウト時間は10:00。
昨日の夜の燦々たる祭りのあとを片づけて
出て行かないといけない。

でもさぁ、これからどうするの?

今回の旅行の予定は大きく2つ。

1日目は群馬でラフティング
2日目は埼玉でサッカー観戦

でも、サッカーは夕方からなので、とりあえず
午前中はやることないのだ。
しかも、私たちの寝ている間にどうやらひと雨
降ったらしく、外はどんよりとした曇り空。

それじゃあさぁ、たくみの里行こうよ。

と言い出したのは、水上経験者の幹事の方。

前回、スキーに来たときにそこで陶芸品を作って、
ちょっとおもしろかったんだそうな。

昔から美術と技術は出席点だけで生きてきた
私は、あんまり乗り気ではなかったのだけども、
外は雨なので、野外で遊ぶこともままならないわけで、
ほかに選択肢もないから、そこは大人しく幹事の
意見に従うことにした。

有無を言わさず陶芸をやらされるのかと思った
私は、たくみの里の総合案内所である道の駅で、
軽く驚愕した。

たくみの里、というのは、陶芸体験所という
わけではなく、木工細工、絵、染物、ガラス細工などを
とりあつかう工房の集合体のことだったのだ。

たくみのメニューを見ながら、どれにしようか考える。

染物とガラス、どっちがいい?
と聞かれて、私は思い出した。

そういえば、うちには花瓶がないことを。

ホワイトデーで花束貰っても、結婚式でブーケ
ゲットしても、うちには花瓶がなくて、こっそりと
私は、お料理の時に使うボールの中にお花を
飾ってしのいでいたのだ。

しかし、それではあまりにも女っ気が足りない。

そんな私の個人的な理由から、私たちは8人
揃ってガラス細工を体験することにして、
たくみの家に向かった。

ガラス細工、というからには、テレビでよく見る、
ガラスを膨らますあれかと思ったら、どうも
そんな大層なものじゃないらしかった。

たくみの家に並んでいるのは、すでに出来上がって
いると思われるグラスの数々。

私たちがやるのは、そのグラスに模様をつけること
らしい。

それぞれに、グラスと、紙に書かれている絵を
持って席に着き、グラスに絵を張り付けて、紙の
上から絵のとおりにカッターで削って行く。

あー、これ昔やったわ。
年賀状。

小学校の時にやった、版画の年賀状を思い出しながら、
地道に削って行く。

あの時は、指の位置を間違えて、彫刻刀を人差し指に
ぶっさして、そのまま絆創膏まいて公会堂の行事に
行ったっけか。

なんて昔の思い出に浸りながら、カッターを進めて
いく。
みんなも似たようなこと考えてたんだろうか。
それともただ疲れているだけなんだろうか。
たくみのおじちゃんは昨今の新型インフルによる
影響などを話しているが、みんな無言。

ただひたすらにカッターを進めていく。

そうして、45分も経った頃、私は気づいた。

簡単な絵柄を選んだはずなのに、気づけばすでに
半分以上の人、それも、私よりよほど難しい絵柄を
選んだ人たちが削り終わって、次の作業に入って
いるじゃないか。

やべ、これでは小学校のころと一緒だ。
どんくさくて何やるにも一番びりだった小学校の
頃と。

無理やりに朝顔を削り終えると、次はなにやら
粉のようなものを吹きかける作業に入る。

たくみの話によると、これは紙やすりの粉みたいな
もんで、これを吹きかけることによって、ガラスに
傷をつけているってことになるんだそうな。

ふーん。
ガラスに傷付けてるような感覚は全然ないのだが、
とりあえずたくみに言われたとおり粉を吹きかけ、
グラスを洗って出来上がり。

なんとか、クラスで一番最後になるのは免れて、
物のできはどうあれ、私は満足だった。

Cimg0504

気づけばもうお昼。

まだまだ眠い私たちは、それでもさいたまダービー
観戦すべく、一路埼玉にむかった。

2009年5月30日 (土)

怒涛の週末その1~チキン野郎のラフティング~

絶叫マシーンはきらい、ってか乗れない。

ネズミの国のスプラッシュなんちゃら、の
最後の滝で泣いたことがある。

スペースなんちゃら、がこわすぎて、
乗り場にたどり着く前に、「チキン野郎用出口」
から下界に戻ってしまったこともある。

そんな私が、ラフティングをやることに
なってしまったのは、いわゆる勘違いってやつだ。

それは、夜のお肉にありつくため、お昼から母と一緒に
焼肉屋に並んでいたときのこと。

友達から「ラフティングに行かない?」
いうメールが来たのだが、ラフティングってなんだっけ。

普段ならとりあえずPCで検索してみるのだが、
ここは焼肉屋。

ああ、たしかあれだ。
カヌーで川下る、あれ。

と、私と母は、実家の近所でよく見た光景を
ラフティングだと仮定し、即OKしたのだった。

そんな土曜の朝。

2台の車に分乗して向かった先は群馬の水上
メンバーは8人。

8人、というのは、ラフティング1台に乗れるのが
8人だったから、らしい。

しかしながら。
カヌーだと思い込んでいた私の前に横たわって
いるのは、それとは似ても似つかないゴムボート

どうやらラフティングとは、このボートの両端に
いわゆる箱乗りの体勢で乗って、雪解け水が
激しく流れる急流の中を、エキサイティングに下る、
という、実家のあたりでよく見かける
ほのぼのカヌーとは、似ても似つかぬ
ハードなスポーツであるようだった。

ベルトとか全然ついていない、簡単なゴムボートと、
雪解け水が轟々と流れる急流に、周りのみんなは
楽しそうにしてるけど、チキン野郎であるところの
私は、心の中ではがくがくぶるぶる

しかも、8人乗りだけど、インストラクターの
お兄さんが最後の1人となるため、乗れるのは
7人。

ってことで、はみだしてしまう私たちのグループは
2台のボートに分乗することになり、2つに引き裂かれた
ことで、さらに心細くなるチキン野郎な私。

簡単にボートの正しい乗り方と、正しい漕ぎ方を
教えてもらうと、私たちはすぐにボートに乗り込んだ。

乗り込むと、すぐにインストラクターのお兄さんは言った。

「すぐそこに急流があるからね!」

え?!どうしよ。まだ心の準備が・・・

とはいえ、お兄さんは言うのだ。
ほら漕いで、もっと漕いで、と。

そしてすぐ、お兄さんは指示した。
「はい、しゃがんで!」

箱乗りの体勢から、ボートの真ん中の凹みに
しゃがむ体勢に即座に切り替えて、ボートに
張り巡らされているロープをつかんで、体が
投げ出されないようにするのだ。

とはいえ、急流の勢いは半端ねぇ。
川のくぼみに入り込んだボートは、どぶん!
バウンドし、あれほどしっかりつかんでいたにも
かかわらず、私は浮き上がって、前の人の背中に
激しくぶちあたった。

川に落ちるってことはなかったけど・・・顔が痛い。

その後も、私たちは、漕いではしゃがんで
バウンドに耐える、という、みんなにとっては
エキサイティング
な、私にとっては恐怖
時間が繰り返された。

Dsc_0035
(この写真の右下のあたりがバウンドポイント)

しかし、しばらく行くと、ボートは温泉街
中に入って行く。

Dsc_0088

急流には閉口するが、これは絶景である。
(温泉旅館はちょっと寂れていて残念だけど)

そして、橋の上では温泉に遊びに来ている
おばちゃんたちが手を振っていて、なんとも
のどかな光景である。

そういえば、急流にもだんだん慣れてきた気がする。

そんなこんなで30分も経っただろうか。

「ここでだいたい急流は終わり。あとは
景色を楽しみながら行きましょう」

と言われ、ちょっとリラックスして後ろを見ると、
他のボートのみなさんは、自分から川に落ちたり、
他の人たちを落としたりして遊んでいる。

しかしながら、そんな勇気のある行動に出られる
人間のいない私たちのボートは、余計なお遊びを
することなく、淡々と緩い流れに流されていった。

それなのに。

ボートは、いったん止まろうと、川の端っこに
寄って行った。
目の前には防波堤。

でも、そのときお兄さんは言ったのだ。

「壁にはぶつからないよ」って。

しゃがめとも言われなかったし、だから一番後ろの
私はリラックスして、ロープにつかまることもなく、
流されるままになっていた。

それがいけなかったのだろうか。

お兄さんの予言は外れ、ボートの前面が防波堤に
ぶつかり、ボートの後ろ側が大きくバウンドしたそのとき。

一番後ろの私はバウンドに耐えられず、まるで
後ろにでんぐり返しするように、川に落下した。

コンタクトなのに、思わず目をあけたまま
冷たい雪解け水に入ってしまった私は
混乱の中で、本能的に思った。

Stand UP!Stand UP 私!

しかしながら、川は思ったより深く、全然立つことが
できない。

そんなとき、事前レクチャーのお兄さんのセリフを
私は奇跡的に思い出した。

川の中で立つと怪我するから、立とうとしては
いけません。

落ちたらとりあえず、パドルをボートの上の人に
渡すこと

(1つ3,000円もするんだから)
そして、自分はボートのヘリのロープにつかまって、
ボートから離れない
ようにすること。

そうだ、ロープ。
ロープどこ?

川の流れはちょうど緩やかなところだったので、
私とボートの間はそんなに離れておらず、だから
私はとりあえずボートまでたどり着いてロープを握り、
助けて!の体勢をとって、男性の皆さんに無事
捕獲されたのだった。

ずぶぬれ。
しかも、川の中で目をあけたのがいけなかったのか、
片方のコンタクトがどこか行ってしまった。

それでも、私はなぜか穏やかな気持ち
だった。
絶叫マシーンではあんなにパニックになると
いうのに、それ以上に追いつめられると、
意外に冷静になるってことに気づいて、私は
なんだか達観した気分になった。

周りも、まぬけな私が川に落ちたのを見て、
吹っ切れたようで、周りのボートとじゃれ合って
川に落ち、そのまま流されて他のボートに
引っ越し
する人間まで現れる始末。

そこはもう、無法地帯だ。

そして、みんなの遊びが手に負えなくなったころ、
スタート地点から12kmほど下ったところで、
ラフティングは終了。

ずぶぬれで冷たくて、長靴をはいた靴の中では
足がふやふやだけども、それでも川に落ちたことで、
どこか限界を突破して、ひとつ大きくなったような、
そんな気がした、ある晴れた土曜の夕暮れ時。

ボートを降りて再度合流した8人は、体を温める
べく、近くの温泉に向かった。

2009年5月18日 (月)

おひとり様映画館~人生の終わり方~

なんだかもう癖になってしまった。
空っぽの休日の朝、まだ眠い頭で、ぼおっと
映画を選んで、それに合わせて1日のスケジュールを
たてる
、そんな生活が。

月曜日なのに空っぽの休日だったのは、
昨日がまたしても友達の結婚式だった
からで、だから私はただでさえ空っぽなのに、
いつもにもまして人生が空しくて、若干鬱ぎみで
朝から映画を選んでいた。

レッドクリフ天使と悪魔も見たかったけど、
こういうエンターテイメント性の高い映画は、一人で
見るには適さないと思ったし、こういう空っぽな時に
見るようなもんでもない。

どうしよっかなぁ。

と思ってると、下のほうでやっと本日の空気に
あった映画を見つけた。

グラン・トリノ

大してあらすじも知らないし、思い入れもなかったけど、
こういうじっとりと、そしてどっしりとした空気の映画が、
今日の気分に合ってるんじゃないかと思ったんだ。

そんな初夏の陽気の午後3時。

スクリーンに集まった人数は15人程度。
そのうち8割方が、人生の終わりが近いと思われる
夫婦だったのは、平日の真昼間だったから、だけでは
ないであろうと思われる。

その映画が、人生の終わり方をテーマにしたもの
だったからであろう。

クリント・イーストウッド演じる、人生の終わりを
間近に控えた老人は、古くて偏屈で、息子をはじめとした
周りの人たちからもれなくうざがられているわけだが、
それが、ある一人の異民族の少年やその家族との交流の
中で、変わっていくのだが、その家族はチンピラに目を
つけられており、危険にさらされて、さて、そのとき老人は
どうするか。

っていう感じだ。簡単に言うと。

物語の大きなテーマが人種差別、っていうのは、
日本みたいな単民族国家にいると、正直よく
分からない。

それゆえに、映画の最初はとにかくとっつきにくい。

アジア系の民族にいちゃもんつける老人には、
かなり反感を抱くところもある。

でも、映画の前半は、そんな中にも民族の風習みたいなものが
ある意味ちょっとコミカルに作られていて、隣のおばあさまが
楽しそうに笑っているのが印象的であった。

そんな中、アジア系の少年とその姉に言ってみれば一方的に
尊敬されてしまった老人は、少年に仕事を教え、そして同時に
人生を教えていく。

そして、ばらばらになってしまった自分の家族よりももはや
かけがえのないものになった少年の家族が危険にさらされた
とき、老人は究極の方法で、人生=生と死について
教える。

重い。とっても重い。

エンドロールが流れる中、ジュルジュルと泣きながら私は
思った。

こういう気分なときにこんなもの
見るんじゃなかった
と。

こんな沈んだ気分の時に、こんな重い映画観るんじゃ
なかったと。

悪くない。映画としては悪くない。
クリント・イーストウッドの年だから作れるであろう
深さが、そこにはある。
(ちょっとバイオレンスすぎる印象はあるけども)

だけども、こういうのはもうちょっと、精神的に
安らかな時に落ち着いてみるもんだ。

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さて、外の天気とは全然そぐわないほど沈んだ気分になって
しまった私は、気分転換にゆっくりとひと駅歩いて、電車に
乗り込んで・・・

バッティングセンターに向かった。

あ。バッティングセンターは1人じゃないです。
あしからず。

<ここから先観たい映画>

(not おひとりさま)
レッドクリフ
天使と悪魔

(but おひとりさま)
剣岳~点の記~
重力ピエロ
愛を読む人
プール

・・・あれ、おひとりさま用のほうが多いな。。。

2009年5月11日 (月)

働くための試練

ゴールデンウィーク明けのとある平日。
私たちはハローワークに出かけた。

あ、いや、私じゃない。
私は、しっかりと(?)東京で働いている
わけなので、確実に私じゃない。

無計画に田舎に帰ってしまった妹の
就職先を見つけるためなのだ。

妹も、働こうと思えば資格を持っているので、
その資格を生かした仕事なら、確実に仕事に
つけるわけだが、なにしろ季節が悪い。
年度の初めや四半期とかの切れ目がよい
時期ならともかく、よりによって今は5月。

それに、その資格を生かして働きたいかどうか、
2年も遊んでおいて、まだ彼女は答えが出せて
いない様子。

他の可能性も探ってみたいとかまたしても
甘いことをぶつくさ言っているので、とりあえず
ハローワークに私が引っ張って連れて来たと
いうわけなのだ。

家から歩いて10分くらいの所にある、小さな
ハローワークに足を踏み入れて、私と妹は
ビビって足を止めた。

何しろ、人が多いのだ。

中に順番待ちの椅子がいくつかあるのだけど、
全然足りなくて、ロビーみたいなところのちょっと
した椅子も全部いっぱい。

私と妹が2人並んで座る場所なんてないのだ。

なにこれ。
こんなにたくさんの人が、仕事探してるの?

あとから聞いた話だが、最近大きなスーパーが
閉店してしまい、そこで働いていた人たちが
相当な人数、解雇されてしまったのだそうな。

それでもなんとか人をかき分けてフロアに入るのだが、
入ったところで、私も妹も呆然としてしまった。

何をどうしたらよいのやら全然
分からないのだ。

フロアには、左のほうから、「給付」「紹介」
書いてある窓口がいくつかあって、右のほうに
外国人労働者用の窓口がある。

そしてその間に小さく、「受付」と書かれた窓口が
あるのだが、通常、銀行とかに行くと、入口のところに
番号札が出てくる発券機があって、その隣に係員
みたいな人がいて、「今日はどうしましたか?」とか
聞いてくれるものであるが、そういう声掛けは一切ない。

どうしようこれ、とりあえず「受付」に行くのかしら。
と思うのだが、そもそも、受付に行って何を言えば
よいのだろうか。

「仕事探してるんですけど・・・」って言えばよいのだろうか。
でも、ここに来る人は全員仕事探しているのではなかろうか。

と、受付の前に、記入台があるのを発見。

あそこで書類に何かしら書きこんで、受付に持っていけば
よいのか。

と思い、記入台に駆け寄るのだが、またしても引っかけ。

通常、記入台のところには、記入するための用紙が何枚か
スタンバられているものだと思うのだが、記入例は置いて
あるのに、記入用紙が一枚もない。

書いてあるのは、「登録用紙をご希望の
場合は受付まで」
とのアドバイスだけ。

言われるがまま、妹を受付に派遣する。

でも、ここでまたひと悶着。
単に紙を1枚もらってくるように言っただけなのに、
なんだか受付のおばちゃんにいろいろとまくし立てられている。

それでも何とか記入用紙を貰って生還してきた妹に、
事情を聞いてみる。

おばちゃん曰く、「別に今日登録しなくてもいいよ」
いうことらしい。
備え付けのパソコンで紹介してほしい仕事を自分で探して、
よさげな仕事を発見したら、その時に登録すればいいんじゃ
ないか
と。
登録は時間がかかるから、紹介してもらうかどうかも
分からないのに、登録しなくてもよいんじゃないかと。

なんだそれ。
通常、就職情報サイトとかだと、とりあえず登録させておき、
よさげな仕事があれば、向こうから情報がやってきて、
自分でも確かにいいなぁと思えば、紹介してもらう
という
手順のはずなのに、ここでは完全にこっちの意思で仕事を
見つけてから、登録するのだと。

なぁんか腑に落ちないが、とりあえずシステムはなんとなく
理解した。

じゃあ、言われたとおり、とりあえずパソコンで検索しよう。

と、後ろのパソコンを見る。

パソコンは5台。
パッと見、2台くらい空いていそうだったので、
妹に、座るよう指示したところで、気づいた。

「パソコン使いたい場合は
受け付けまで。」

これも受け付けに言わねばならんのか。
ってか、さっき登録はパソコンで仕事見つけてから、って
指示を受けたのであれば、その時に一緒に、パソコンの
使い方まで説明しておけよ、と思うのだが、相手はお役人
なので、そこはじっと我慢。

再び、妹を受付に派遣する。

まもなく、妹は大きな順番札を持って、帰ってきた。
順番を見ると、どうやら4人程度の人が待っている
ようだ。

待ち時間を使って、置いてあるパンフを漁ってみると、
厚生労働省が作っているお仕事紹介サイトのパンフも
あるのだが、これって、今からPCあけると出てくる
仕事とおんなじリストなんだろうか。

おんなじだったら、ここに来て順番待ちしなくても
いいわけだが、同じなのかどうなのかが分からない。

とりあえず、QRコードから携帯でアクセスさせてみたり
するわけだが、携帯では結局よく分からず。

20分くらい待って、やっと順番がやってくる。

PCの利用時間は、おひとり様30分間が限度。
そして、「求職票」の印刷はおひとり様5枚まで。

と、タッチパネル式のPCのところには、厳しい
制限事項が書かれていた。

実家の市内と、隣の市内を希望エリアに絞って
検索をかけると、120件くらいの仕事が出てきて、
妹はゆっくりとそれを1つ1つ調べて行くわけだが、
慣れていないこともあり、全然進まない。

30分しか時間ないの、分かってる?

授業参観の母親よろしく、姉としてはついつい
口を出したくなってしまうわけだが、それでも
仕事をするのは妹だし、私が毎日面倒見れる
わけでもない。

だからじぃっと姉は我慢して、ただただ、妹の後ろ
からPCを覗きこむ。

妹はちんたらとページをめくり、時々後ろを
振り返ると、「詳しい情報はどこにあるの?」
などと姉に質問する。

「求職票はこちら」って、書いてあるだろうに。。。
そこをクリックすればいいのよ。

そして妹はいくつかのめぼしい仕事を見つけ、
3枚ほどの求職票をコピーして、そこでちょうど
30分が経過し、時間切れ。

「さて、じゃあ登録する?」

と聞く姉。

「うーん、今日はいい。」

と、妹。

え。いいの?紹介してもらわないの?

「またそのうち仕事調べてみる」

そんな悠長な。
採用人数はほぼ1人づつなので、
他の人が受かってしまえば、その仕事には
つけなくなってしまうというのに。。。

でも、仕事するのは妹なのだ。
だから、姉は、怒りを抑えて引き上げることにする。

「。。。あそ、じゃあ帰ろうか。」

それにしてもなぁ、と思う。
このハローワークの雰囲気じゃぁ、ちょっとねぇと
思う。

お役所だから仕方ない、という気持ちもあるけれども、
もうちょっと、ハローワーク職員がエージェント
みたいな働きをすれば、求職者と企業のマッチングが
もう少し円滑に進むと思うんだけどなぁ。

最初にやってきた人に、今までの仕事とか、
これからの希望とかそういうのをしっかりと
ヒアリングして、現実の厳しさもそのときに
しっかりレクチャーしたうえで、求職者が
就職できるまで、しっかりとサポートする
って
いう姿勢が、なんか、足りないような気がするのだ。

じゃあ、就職情報サイトでやればいいじゃん、と
言う人もいるだろう。

でも、田舎のお仕事というのは、就職情報
サイトだとあんまり出てこない
のも現実。
家で、適当に就職情報サイトを調べたても、20件
くらいの求人しか出てこなかったし、ほとんど携帯
販売とかだったことから考えると、確かに求人数は
ハローワークのほうが圧倒的に多い。
派遣社員だけでなく、正社員募集もたくさん
あるしね。

ハローワークの、あの殺伐とした雰囲気と
よく分からんシステムを乗り越えないと、新しい
仕事には就けないってことだろうか。

それは、働くための大きな試練
ような気がした。

そして、次の日。
東京に帰る私を送ってくれた妹。

駅に着いて車を降りる前に、私は妹に言った。
「今日の午後も、暇だったらハローワーク行って
仕事探しなさいよ」

と、妹から信じられない言葉が。

「私、そんな毎日ハローワーク
行くほど、暇じゃないのよ」

ええ?!

あんた田舎帰って来たばっかりで、仕事もしてなくて、
ハローワーク行く以外、何の用事があるっていうのよ。

それでも姉は、怒りたい気持ちを抑えて、
車を降り、新幹線のホームに向かう。

はてさて。
妹は無事、田舎で仕事を見つけることができるのか。
それともこのまま、実家にパラサイトしてしまうのか。

それは今のところ、誰にも分からない。

2009年5月10日 (日)

最後の晩餐(牛蔵):2日目の夕方

やっとこさ予約したあとの3時間強は怒涛のように
過ぎ去った。

お昼にラーメン食べて出るともう午後1時を過ぎており、
その時点でいったんお腹がいっぱいになってしまった
ため、午後は無駄に工具買い出しとか言って父と
1駅散歩し、さらにその工具でベッドを必死で崩して
一生懸命腹を空かせる。

いつものんびり屋の妹の尻をたたいて、はやいとこ、
つまりは焼肉屋の予約がとれている4:15までに
引っ越し準備を終わらせるように必死で仕向ける。

そんな努力の甲斐があったのか、午前中さっぱり
進んでいなかった引越しの準備が、午後4時には
あらかた終わった。

あとは、明日引越し屋さんが来る前にやれば、
おそらく大丈夫。

問題は、結局そんなお腹が空いていないってこと
だけども。

だって、4:15って・・・ぶっちゃけおやつでしょ。

それでも、ネズミの国とほぼ同じシステムで、
焼肉屋というアトラクションのファストパス
手に入れてしまったからには、その時間に
焼肉屋に行かないと、永久にその権利は
失われてしまうわけだ。

そんなこんなで、私たちは、あまり気がすすまない
ながらも、4:15に向けて家を出た。

時間ぴったしに店に着いたはずなのに、
そこには既に満員のお客さま。
なんという活気。

早速、メニューを見て注文しようと思うわけだが・・・

なんかよく分からない。
素人には分からないのだ。

メニューに並んでいるのは、

・マキ
・肩三角
・ランプ
・芯々 ・・・

こ、これはいったいなんのことでしょう。

ということで、悩みに悩んだ結果、とりあえず、
お勧め7種盛りを350g頼んでみる。

母がねだった牛タンも別に頼んで、とりあえず
乾杯。
(私はウーロン茶だったけども)

やってきた7種盛りは、カルビ、ロースから始まって、
なかにく、ざぶとんなど、ふだんは聞かない
希少部位(?)ばかり。

しかしながら、お店の人が説明をして
帰ってしまうと、さて、どれがどれなのか。

・・・ま、とりあえず食べてみるか。

と、焼けたところからとりあえず食べてみる。

にんにくじょうゆをつけて、パクリ

と、噛む間もなく、口の中で、その肉は、
とけてなくなった。

じゅわわわーって感じで。

なんだこれ!すげぇ!すげぇ後味!

味わったことのない感覚である。

とにかく、そのお勧め7種盛りの肉は、
どれもそんな感じなのだ。
パクリ、じゅわわわー。
パクリ、じゅわわわー。

ちなみに、牛タンや、そのあと頼んだ
ホルモンは、普通といえば普通。
普通にうまい。
(いや、うちの流儀として、全体的に
ホルモン焼きすぎなので、あれじゃ
味が分からないのだけどね)

それでも足りずに最後の最後に「げた」とか
いう、あばら骨の間の肉といういかにもうまそうな
部位を頼んで、おやつとか言いながらいったい
どれくらいの肉を頼んだろう。

この時間に夕飯食べてしまったら、通常
夜食食べないとやってられないのだが、
こんだけ食べておけば、まず夜食食べると
いうことはないだろうというくらい、たらふく
食べ、父と母はいい具合に酔っ払ったところで、
そろそろ制限時間の2時間がたちそうになって、
お会計をお願いした。

と、お会計がやってきて私たちはさらに
びびった。

なんと、4人で10000円

・・・昨日の、そんなにうまくない飲み屋でも、
よく考えたら12000円だった。

それが、こんなうまい肉のほうが2000円も
安いだなんて。

「これじゃあんたの定額給付金にもならないね!」
と母が上機嫌で妹に言い、すぱーんと10000円
払って店を出た。

時間はまだ夕方6時過ぎ。

田舎者家族4人は、さっそうと、電車に乗り込んで、
東京最後の夜を楽しむため、カラオケに出かけて
いったのだった。

そして、次の日。
引っ越しが終わって田舎に帰る道中、
母はぽつりとつぶやいた。

妹は田舎に帰るけども、まだ姉は東京にいるのだから、
また1000円の高速乗って、東京に来て、
10000円でお肉食べよう。
お姉ちゃんがお昼に並んで予約取っといてくれるもんね。

・・・どうやら、私は、焼肉屋ファストパス係に任命
されてしまったようだ。
・・・・・・まぁいいけどさ。

焼肉問屋 牛蔵 (焼肉 / 富士見台、中村橋)
★★★★★ 5.0

2009年5月 7日 (木)

最後の晩餐(牛蔵):2日目のお昼

そんな2日目。

無計画のあまり、1日目はあえなく失敗に終わった
わけだが、本日が、本当の、妹の東京最後の
晩餐。

姉としてはなんとしても、
妹に幻の焼肉を最後に食べさせて
やらねばならないわけだ。

・・・・・・ごめんなさい。
おねいちゃん、また大嘘つきました。

正しくは、私がなんとしても、妹が東京にいるうちに、
その焼肉屋の近くに住んでいるうちに、幻の焼肉を
味わって見たかった
わけだ。

と言うわけで、午前11:30
ねじをはずす工具が見つからない、と騒いでいる妹と
父を横目に、私と母はこっそり家を出た。

昨日の店員さんとの約束をしっかりと守って。

と、コンビニの角を曲がったところで、私と
母はその店の異変に気づいた。

既に、行列が店の外まではみ出して、若干曲がり角を
曲がらんばかりの雰囲気までかもし出しているではないか。

行列は、2階にある店の前から、階段下って外に
出て、曲がり角のちょい手前まで続いており、
その後ろに並んだ私たちからは、残念ながら
建物の中の勢いがどんだけになっているかは
計り知れないので、いったい何組の代表者が
いるかまではわからないのだが、彼らの何人かは、
明らかに暇つぶしのために、文庫本(なぜか漫画本は
いない)
を持参してきており、その事実から、素人に
してみても、なんだかすごくやな予感はひしひしと感じ
られるのであった。

ここでいったん、私は近くのスーパーに買い物にゆくため、
行列を母に任せて立ち去った。

10分後。
買い物を済ませて帰ると、母は外にいなかった。

見上げると、まだ12時になっていないのに、
母は階段の中腹まで進んでいた。

あれ。
受付は12時から、と聞いていたが、少し前倒し
してくれたんだろうか。

階段はせまく、あとから追いつくこともままらないので、
とりあえず外で待ってみることにする。

さらに10分がたち、そろそろ12時が過ぎた頃、とうとう
階段の頂点までたどり着いた母は、一人で見知らぬ
土地で行列に並んでいるという孤独に耐えられなくなったのか、
外の私を手招きした。

既に何組かは受付を済ませたようだが、母の前には
少なくとも30人は並んでいた。

しかも、彼らは、友達同士でやってきて、わきゃわきゃと
じゃんけん大会をしながら行列をやり過ごす、なんて
浮かれたことはやっていない。
どうやらみんな、各団体から、代表として1人で
派遣された猛者たちのようである。

さて、列の先頭では、店長の方と猛者が交渉を行って
いる。

どうやら、早い者勝ちで、来たい時間を店長にお知らせし、
空いていればその時間に予約を入れてもらい、前の席が
空きそうなところで、それぞれの携帯に連絡を入れてもらう、
というシステムになっているようだ。

そして、夕方の6時とか7時とかはもっとも人気のある
時間帯らしく、みんなの交渉の様子を見ていると、
私と母が受け付けるよりずっと前に、この時間帯は
売切れてしまったようであった。

そういえば、父たちはどうしているだろうか。
まったく帰って来ない私と母に、いい加減気づいている
頃ではないだろうか。

電話をすると、父は外でタバコを一服していた。

状況を伝えると、あきれ声で父は言った。

「そいつらは、いったいこの休日の昼間に何してるんだ。
夕飯の心配以外、こいつらやることないのか。
もう全員、田舎に帰省させてしまえ」

確かに、何かがおかしい。
人間、生きるために食べるのであって、
決して、食べるために生きてるわけ
じゃないのだ。

しかし、少なくとも今この行列の中においては、
みんな、夜に焼肉を食べるために今並んでいるので
あり、明らかに食べるために生きている
ことになる。

深い。焼肉行列って、深いわぁ。

とか父の名言に酔っているうちに、時計は12:30を
過ぎ、そしてやっと、私と母の順番がやってきた。

とりあえず、私はチャレンジしてみる。

「あのぉ、6時頃は・・・」

「いやぁ、・・・」と困る店長さん。

「あ、すみません、もう埋まってしまいましたよね」
と、すかさず引き下がってしまうチキンな私。

「じゃあ、空いているところというと・・・」

「店が4:15開店なので、そこならあと少し空いてます。
でも、その後だと、おそらく
8:30とか9:00頃に電話で
呼び出すくらいしか・・・」

4:15・・・
それじゃまるでおやつじゃないか。

今行列に並んでいるおかげでまだお昼も食べてないと
いうのに、4:15から夕飯として肉を食えと。

じゃあ、9:00にしようかな、というのは、夜更かし
都会っ子の意見であるが、田舎者の母にしてみれば、
そんな真夜中にご飯だなんて耐えられないらしい。

「じゃあ、4:15で」

と、隣から母が口を出す。

ええ?早いよ絶対。おなかすかせないとおいしく
肉を召し上がれないじゃないか。

と思って、私は少しでも時間を遅くしようと再度
交渉を試みる。

「あ、あのぉ、じゃ、じゃあ、4:30頃きても
よろしいでしょうか。」

「いいですけど、初回は6:15までですよ。
4:30に来ても」

食べ放題でもないのに2時間限定なのですね、店長様。

「じゃ、いいです、、、4:15に来ます」

と、携帯電話の番号を教え、すごすごと退散する母と娘。

焼肉の道はまだまだ遠い。

次回、まさかの3回目。
次こそ、焼肉にありつけるのか。

焼肉問屋 牛蔵 (焼肉 / 富士見台、中村橋)
★★★★★ 5.0

2009年5月 5日 (火)

最後の晩餐(牛蔵):1日目

ついに、田舎に帰ることになった。

あ。私じゃなくて、妹が。

東京に来て2年、ふらふらとフリーター生活を
気ままに送っていた彼女も、いい加減、地に
足つけた田舎の生活に戻りたくなったのか、
あれだけわがまま言って上京したわりに、
意外にあっさりと何の未練もなく、東京を
去ることになったわけだ。

というわけで、引越しの手伝いをするために、
両親が、1000円の高速でやってきた。
(あいや、正しくは1850円)

この引越しにあたり、私は1つ、心に決めて
おいたことがあった。

妹が田舎に帰る前に、最後くらい、
うまいものを食べさせてやっても
よいのではないか
と。

・・・・・・ごめんなさい。
おねいちゃん、今大嘘つきました。

妹の住んでいる家の近くに、ネットで評判の、
やったらうまい焼肉屋があると言うのだが、
何しろ住宅街の中にぽつんとあるため、
妹を理由にしないとその焼肉屋にいくことが
できないのだ。

だから、口実を作れるうちに、どうしても、
おねいちゃんが、そこの肉を体験して
みたかったのだ。

というわけで、両親が到着した日の夜7時頃、
私たちはふつーに、田舎で焼肉屋に行くような
感覚で、のこのこと焼肉屋の階段を上がって
行った。

階段をのぼったところには、意外にも2組くらいの
家族連れしか待っておらず、「なぁんだ、これじゃ
田舎の焼肉屋のが混んでるくらいだわ」
とか
勝ったような気になって、出てきた店員さんに、
ふつーに告げたのだった。

「あ、予約してないんですけど・・・」

と、そのとき、店員のおねいさんの目つきが
急に、明らかに変わった。

「あのですね、ここにはそんなに人が待って
いないように見えますけど、
皆さん既に予約
されていて、空いたら店員が携帯に電話して
次の方を呼び出す仕組み
になってるんですよ。」

まくしたてる店員さん。
なんて早口なんだろう。

「本日、もう既に30組くらいのお客様がこのあと待機
されている状況でして、予約されていない方はその後に
なりますので、大体
10:30くらいになってしまいますが、
どうされますか。」

んー、私はその時間でもよいけどさ、
うちの両親、田舎者なので、夜早いのですよ。
それにね、両親これから池袋まで出てホテルに
チェックインまでしないといけませんので、それを
考えると、さすがに10:30から焼肉は現実的じゃ
ないかと・・・

「じゃ、また明日来ます。
予約していけばいいですか?」

その一言が、またおねいさんに火をつけてしまった
らしい。

「失礼ですが、お客様は4名さまですか?」

・・・は、はい。

予約できるのは5名さま以上
時だけです。4名さまの場合は、
その日のお昼12時に、
仕込みのためにお店開けますので、そのときに
お店まで来ていただいて、受付して
いただかないと
・・・」

・・・・・・あ、そうなんですかぁ。

「じゃ、お昼に来ます、明日」

私たちにしてみたら、相当な譲歩である。

そもそも、田舎者というのは行列が大嫌い。
むかーし、家族でねずみの国に初めて
やってきたときも、親は30分待ち、という、
人気アトラクションをすべて拒否し、結局
まともに乗ったのは、10分待ちのゾウさんの
しょぼめの乗り物しか乗らなかった、という、
お粗末過ぎるエピソードもある。

それが、今日食べたかったものを明日に引き伸ばす
上に、夜食べるためにお昼に受付しにくるなんて。

それなのに、おねいさんはさらに難問をふっかける。

「ちなみにですね、12時ぴったりにお店に来て
いただいても、その時点で連日既に
20組程度
お客様が列を作っている状況ですので、それも
見越した上で、
12時より若干早く来て
いただいたほうがよろしいかと思います」

・・・はぁ。

おねいさんの突きつけるハードルの
あまりの高さに、明らかにびびっている親と妹。

そしてなにより、
「そこまでして肉にこだわる必要あるわけ?」
という冷たい空気。

私ですら、若干、そんなにしてまで食べなくても
いいんじゃないかと思ったほどだ。

それでも。

そうだとしてもやっぱり、妹がいるうちに、この
幻の肉は食べておかねばならん。

私は、1つの大きな決心の元に、おねいさんに
決闘を申し込んだ。

「分かりました。
明日、お昼より少し早めにくれば
いいんですね。

分かりました。」

と、私はきびすを返してとっとと店の入り口から
去る。

その日は結局、近くの、料理もたいしたことなければ、
店員のサービスも最悪の、やっすい飲み屋でお一人様
3000円くらい飲み食いすることになったわけだが。

さて。
妹の引越しまで、残された夜はあと1回。
幻の焼肉作戦は成功するのか否か。

それはまた、次回のお楽しみ。

焼肉問屋 牛蔵 (焼肉 / 富士見台、中村橋)
★★★★★ 5.0

2009年5月 3日 (日)

パンデミック旅行記(3)~あっという間の帰国~

結局、BonniePinkの言うとおりになってしまった、
と、飛行機に乗ってオーディオをつけながら思った。

彼女の予言したとおり、2泊の出張になって
しまったと。

そして、運よくビジネスシートに座れた私たちの
ところに、それぞれ配布された、2枚一組の紙切れ。

健康状態質問表(?)と書かれたその紙には、
熱はあるか、とか、咳は出るか、とか書かれていて、
要は、うちらに新型インフルの症状が出ていないか
調べるため
なのだ。

なんとなくすぐ書けという雰囲気だったから、
とりあえず書いてはみたものの、特に回収される
こともないまま、飛行機は飛んでゆく。

と、私はあることに気づいた。

みんなの見ている映画。
明らかに、意図的なのか、偶然なのか、4月の
リストに入っていた感染列島を見ている輩が
多いようだ。

なにみんな。
それ、予習のつもり?

そういえば、以前、看護師の妹が言っていた。
あの映画は、かなりリアルに作られているので、
看護師としても、そのときに備えて、しっかり
観ておいたほうがいい映画なのだと。

・・・ふん。
だからなんだっていうんだ。
私は絶対に観ないからね。
パンデミックのせいで即帰国になってしまったというのに、
これ以上パンデミックの映画なんて、観てやるものか、
絶対

でも、まさか本当に、あれが現実になろうとは。

飛行機が出発してから14時間。
やっとこさ日本に着いた私たちは、飛行機から
早いとこ降りて、早いとこ帰って寝たいと思っていた。

何しろ、到着したのは日本の祝日の午後。
明日はふつーに日本で会社に行かねばならないのだ。

しかし。

しばらく待て、と機内放送は言った。
携帯を使うのは特別に許可してやるから、
いかんせん降りるな
と。

そして30分後、あいつらがやってきた。

青くてやすっちい手術服みたいなの着て、
強靭なマスクして、絶対今回の事態には
関係ないと思われるゴーグルまでつけて。

・・・そう。
感染列島の格好そのままの、検疫の方々が。

どうやら、飛行機が着いてから彼らが入ってくるまで
30分もかかってしまったのは、あまりにも急なことで、
検疫担当の人数が足りておらず、他の飛行機の検疫に
手間取っているうちにどんどん飛行機が到着して
しまうからなんだそうな、と、いうのは、帰ってから
テレビ見ていてやっとわかったことだ。

そんな事情で、彼らは少しづつ到着し、特に
何も言うことなく私たちの手元の健康質問表を
回収していく。

…口もききたくないってこと?
感染してるかもしれない輩とは。

と、あとから入ってきたのはポラロイドカメラみたいな
物体を持った係員。

あやしげなカメラをいろんな角度に向けながら
ゆっくりと進んでいく。

そうかぁ。
あれがうわさのサーモグラフィー

カメラマン、もとい、熱測定員の方が通り過ぎると、
前の席のほうはすっかり静かになる。

でも、飛行機のドアは空かない。
近くて遠い、日本の入口。

と、先ほどまでの淡々とした様子とは違った、
明らかにあわてた3人の男がどたばたと
後ろのほうに走って行った

バケツの中には、体温計らしきものがいくつかと、
布みたいなもの。

おいおいなんだよ。
なにがあったんだよ。

そしてまた不気味な静寂。

検査が始まってから約20分後。
機内放送が入る。

「まだ状況がわかりませんので、
もう少々お待ちください」

状況って、なんの状況??

・・・結局、私が日本の地を踏んだのは、検査が
始まってから30分後。
ってことは、飛行機が着いてから1時間後のこと。
みんなにそれぞれマスクと、こんな紙を配って、
検疫の方たちは帰って行った。

Cimg0423

日本の入口のところには、新聞社の方たちが
待ち構えており、私たちはまるで芸能人のように
迎えられ、「機内の様子は」「検疫の人から質問は」
との彼らの質問を、まるでお忍び旅行から帰って来た
芸能人
よろしく無言で通り過ぎ、やっとこさ日本に
入国したのだった。

次の日。

日本で会社に行くのがめんどくさくなってしまった
私は、とりあえず2時間休んでのそのそと出ていく
ことにし、課長様にご連絡させていただいたのだった。

と、始業時間のはずだった時間の直前。
2時間遅れの私がのそのそと化粧をしていると、
けたたましく会社携帯が鳴った。

なんだよ、休んでるんだよいまは!!

とかぶつぶつ言いながら電話に出ると、それは部長様。

「どうしたの!熱があるの?」

え。。。あ、いや、熱ないですけどあのその・・・

「違います、ちょっと時差で」

時差ボケになるほどアメリカの時間に慣れてなかった
だろ、私。

「あ。そう。どこか具合悪いってことはない?」

・・・はぁ。どこも。
むしろビジネスシートでよく寝たので、いつもより
調子いいくらいです。

不可解な電話をとりあえず切り上げると、
今度はメールがやってきた。

今度は課長かよ。。。
同じ場所にいるはずなのにどうして別々に
連絡が来るんだよ。

とかぶつぶつ言いながら、メールを開くと。

「総務部からの指示だから、発熱がなく、
出社する場合はしっかりマスクをつけてくること」

・・・知ってるよ。
だからさ、その、出社する場合は、ってやめなよ。
会社命令で出張行って来たんだし、休めば休んだで、
さっきの部長みたいな感じで、めんどくさい対応を強いられる
はめになるでしょ。

と、理不尽な命令にいらいらしながらも、
私は家を出て会社に向かう。

バッグの中に、しっかりと飛行機でもらった
マスクを忍ばせて。

2009年5月 1日 (金)

パンデミック旅行記(2)~フェーズ4~

その日、いったん朝食で散会した私たちは、
お昼に再び集まって、相変わらず豚インフル
話をしていた。

その場には、日本からやってきていたお医者様も
いて、お医者様から今回のようなパンデミックの
手ほどきを受けていた。

お医者様というものは、どうやら常にタミフル
持っているらしく、今回もしっかりタミフルを
携帯されているのだという。

「ま、みんなの分はないんだけどね」

と、お医者様は高らかに笑った。

「だけど、今回、新型なのにタミフルなんて
効くんですかね」

というのは素人の質問。

先生曰く、今回の型というのは、既存の
インフルエンザと似通ったタイプなんだそうで、
だからたぶんタミフル飲んどけば大丈夫

なんだそうな。

そうか、じゃあ安心だな。

と思いながら、昼食は散会。

どうやら、これなら帰らなくてよさそうだ、と思ったのは、
ほんの束の間のことであった。

フェーズ4になったらしいよ!」

と、夕方に一大ニュースを持ってきたのは、仲の良い
他社の方。

ん?
フェーズ4って何。

と、とりあえずパソコンを開く。

フェーズ4
限定されたヒト-ヒト感染を伴う小さなクラスター(集積)が見られる。しかしウイルスがヒトへ十分順応していないことを示唆するように、拡散は非常に地域的に限局している。

なぁんだ。地域的に限局、か。

って、またもや楽観的に考えていた私だが、
どうやら上はそうもいかなかったらしい。

それは夕飯のときのこと。

お昼すぎにやっと到着した後入りのお客さま方が
時差ボケを直してやっと起きてきたこの頃、
日本のビジネスタイムが始まってしまった。

そしてさっそく、今日の朝(=日本の月曜のお仕事
終了後)つながらなかった上司への電話をかける
部長様。

数分後。
電話を終えた部長様が戻ってきて、運命の
一言を告げた。

「明日の飛行機で、帰ります」

ええええええええ。
だだだって、私まだここについてから、1歩も
外に出てないのよ。

そそそれに、お客さんだって今やっと時差が
直ったところで、本格的に始まるのは明日
じゃない。

なのになのに、帰るわけ?
帰ってしまわれるわけ?

その質問に部長は答えないまま、とりあえず次の
指示をだす。

「とりあえず、飛行機変更の手続きをとって」

・・・は、はい。。
わわ私も、社の方針には従わなければならない
ササササラリーマンのはしくれですから。

すかさず出張の手配をお願いしたおねいさまに
お電話をかけ、日本からやってきた残念なお知らせを
ぐるりと伝え返す。
この数時間で飛行機の座席がいっぱいになってしまった
という奇跡を心の中で願いながら。

「では手配して、30分後に電話します」

おねいさん、仕事、早いっすね。。。

というわけで、思いがけず最終日になってしまった
アメリカ2日目の夜、関係者で打ち上げをしようと、
私はこの旅行で初めて、ホテルの外に出た。

アメリカ北部は仙台とおんなじくらいの気候だと
どこかに書いてあったが、そんなのウソだと思った。

外に出ると、急にやってくるモワッとした暑い空気。

これはあれだ。
ちょっと涼しい、サイパンの夜。

10分ほど歩いて日本料理屋にたどり着き、
お酒を頼むと、パスポート見せろと言われた。

思いがけず、未成年に間違われるアラサーの私。
これも、アメリカンドリームのひとつなんだろうか。

それでも、アメリカの夜はどうやら早いらしい。
あっという間に店が閉店だから、と追い出され、
あっという間にホテルに戻る。

あ。そうだ。
忘れてた。

30分後に電話かかってるはずだったのに、
外に出たことがうれしくてすっかり忘れてた。

急いでかけなおすと、おねいさんから残念なお知らせが。

「飛行機、とれました」

あー、取れちゃったのねー。

しかも、追加料金も手数料もいらないのだという。

豚インフルだと言ったら、追加料金なしになったのだと。

そんな緊急事態なのかね。

と、周りの他社の方に聞いてみると、どうやら
騒いでいるのはうちだけのようだ。

会社によってこれほど対応が違うものなのかと
思い知らされて部屋に帰り、ぶつぶつとメールを
開くと、また総務部からメールが入っていた。

曰く、出張、旅行を問わず、ゴールデンウィークに
海外に行く輩は全員報告してから行くこと。

帰ってきたら10日間は要観察。

熱が出たら休むこと。

熱が出なくて出勤する場合は、オフィスでマスクを
着用すること。

と、ここまで読んで私はいい加減イラっとした。

出勤する場合は、オフィスでマスク。。。

いったい、どうして、会社の命令で海外行って
危険にさらされ、会社の命令で早く帰らされた
挙句、もともとは海外にいるはずだった日に会社
来るんであればマスクしろなんて言えるんだ。

憤然とパソコンを落として、部屋を見回し、
溜息をついて私は帰国準備を始める。

でもそのとき私はまだ知らなかった。

帰ってもまだ理不尽な仕打ちが待っていることを。

でもそれはまた、次の話。

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