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2009年4月

2009年4月29日 (水)

パンデミック旅行記(1)~不安の旅立ち~

飛行機のオーディオをつけたら、BonniePinkが
歌っていた。

♪明日は出張で飛行機
 2泊ばかりの旅行記…♪

ふふん。
2泊じゃないもんね。
今回4泊なんだもんね。

って、ちょっと勝った気になったのが
いけなかったんだろうか。

それは、日曜のお昼前のこと。
久しぶりの海外出張にあたふたしながら
飛行機に乗り込んだのだった。

13時間後。
着いた先のアメリカ北部の都市は、
日本で出発した時間とちょうど同じ時間帯。

時差ボケにぼーっとしながらホテルにたどり着き、
とりあえず、寝た。

そして起きたころ、アメリカではWelcome Partyが
始まり、それが終わるころに、日本のビジネスタイムが
動き出す。

そう。日本が月曜の朝になり、ビジネスタイムが
始まったころから、私たちには暗雲が立ち込めて
きていた。

WelcomeParty後、今日はとりあえず時差ボケ直し、
ってことで、部屋に戻った部長を待ち構えていたのは、
その上の部長様からの電話であったらしい。

その内容をわざわざ復唱して私たちにccしている
部長のメールを見て、私はビビった。

そこには、
「緊急事態なので、社の方針に従い、
1日くらい早く帰ることは可能かと思います」

ん?今着いたところだけども、帰る話してるの?

そういえば、部長はずーっと気にしていた。
日本からちゃんとマスク持ってきて、空港から
ホテルに向かうタクシーの中でも、タクシーの
運ちゃんにaskingしていたのだった。

「こっちは豚インフルエンザ大丈夫?」

そう。土曜の夜から若干報道はされていたのだが、
守るべきものなど何もない私は、まったく気にしては
いなかった。
しかしながら、確かにここから南に下がった
メキシコで、豚インフルエンザは大流行しており、
守るべきもののある人たちは、ちゃんと予防措置はとりつつ、
それでも会社の方針で出張にやってきているのだ。

でも、そんなのメキシコの話。
と、タクシーの運ちゃんは予想通りの反応で笑い飛ばした。

そうだよね。
アメリカは関係ないよね。

と、私は楽観的にとらえていたのだが。

その日、CNNニュースはずーっと
SwineFlu=豚インフル
特集を流していて、それを見ながら私は就寝した。

次の日=アメリカ的には月曜、の朝。
早く起きてしまった私は日本でいうところの、
月曜のビジネスタイム終了くらいのタイミングで
メールを開く。

と。

会社の総務部は明らかにあせっているらしかった。

メキシコの人は全員ただちに帰って来い!とその
メールは叫んでいて、ついでに、アメリカへは
出張自粛
、の文字。

自粛ったってもう来ちゃってるけどもね。
来ちゃってるから大丈夫だよね。

と、とりあえず私は状況を、出張手配してくれた
職場のおねいさまにメールで聞いてみる。

そしたら。

5分後になった電話。
相手はメールしたおねいさま。

「大部長様も、そのまた上の大大部長様も
皆さんのことをかなり気にされていて。。。」

とおねいさまは言った。

でですね。
一応、今日明日の飛行機の空きを見て
みたんですけどね、

とおねいさまは続ける。

いや、そんな、急がなくてもいいですよ。
と私は思う。
まだ滞在丸1日たってないし。

でも続けてしまわれるおねいさま。

どちらも結構席に余裕はあるんですよね。

あー、言っちゃったよー。

ということで、部長様と大部長様で今後の
対応について話し合ってもらうよう、私から
部長に一言言っておきなよ。

とおねいさまは最後に私に忠告をして、
電話を切った。

えー。今始まったところじゃない。
やっと今日から本番なのにさー。

そう。会議は今日からなのだ。
昨日は単なるWelcomePartyだけだったので、
お客さんたちも、じゃ明日くればいいやって感じで、
関係者はほとんどいない。
だから、今日からが本番なのだ。
まだ始まってもいないのに、帰る話するなんて、
どういう神経なんだろう。

それでも私だって残念ながら、
「社の方針に従う」サラリーマンの一人で
あるからにして、とりあえず朝食のときに部長に
知らせてみる。

あのぉ。。一度大部長様にお電話されたほうが。。。
気にされているようですので。。。

・・・案の定、部長は朝食もそこそこに電話をするため、
部屋を飛び出していった。

しかしながら、日本はすでに月曜の夜。
電話はうまくつながらず、兵隊といえども
一回それは撤退するしかなかったようだ。

よしよし。
とりあえず急場はしのいだようだ。

しかし。
事態が急変するのは、アメリカ的には
その日の夜、ってことは日本でいうところの
火曜日の朝のこと。

でも、その話はちょっと引き伸ばしてみることに
しようかね。

Joy/Happy Ending

Joy/Happy Ending

アーティスト:BONNIE PINK

Joy/Happy Ending

2009年4月25日 (土)

いつもの役回り

覚えているだろうか。
白線流しのラストシーンを。

卒業式が終わり、みんなが旅立っていった
そのあとの教室で、酒井美紀が高校の担任の
先生に言うのである。

「私、気づいたんです。
見送られるより、見送るほうが
好きなんだって。

だから私、先生になります。」

見送られるより、見送るほうが
好き。

私も恐らくそんな風なのだろう。
そういう風に見えるのであろう。

自分の送別会まで自分で企画してしまったのは
はめられたにしても、それでも私は、しょっちゅう
送別会の幹事ばかりやっている気がする。

そう。見送るのが、私のいつもの
役回り。

そんなに普段つながりのない輩であれば、
送別会やるにしても、ゲストとして参加すれば
よいのである。

しかし、なぜか私をいいように都合のいい女
友達としてこき使っていた野郎どもに限って、
次から次へと、自分のやりたいこと見つけて
どんどんいなくなっていくのだ。

まるで、学校を卒業していくように。

そして、勝手に卒業していったやつらは、
夏休みとか、冬休みとか、そんなタイミングで
田舎に帰省した大学生のように私のところに
やってきて、まるで昨日の続きのように、私を
都合のいい女友達として、再びこき使う。

どうやら、彼らは全然考えていないようだ。
帰ってきてみたら、私が
いなくなっている可能性
を。

そして、そんな輩が、またひとり、この教室を
巣立っていくのだという。

いつもなら、また私が、大いに楽しくてちょっと
さみしい送別会を開催して、最後まで大騒ぎして
お見送りするところなんだけど、今回は残念ながら、
私は海外出張であって、送別会を企画することも
参加することもできないわけで。

まぁでも、たまにはこういう、いつもと違う
パターンがあってもよいのではないかと思う。

彼らはきっと、私が送別会にいない事実は
分かっちゃいるが、それがどういうことになるか
なんて、考えてもいないに違いないのだ。

ざまぁみろ。

と、強がってはみるけれども、
でもなぁ。と思う。

私がいない送別会が、無事に、いつもどおり、
大いに楽しくてちょっとさみしいまま終了して
しまったらどうしよう。

私がいるとかいないとか、誰も気づかないまま、
ああよかったねー、がんばってねー、って、
送別会が終了してしまったらどうしよう。

送別会にもいなかったしねー、って、
夏休みとか、冬休みとかの帰省のときですら
会いに来てもらえなくなったらどうしよう。

そう。結局のところ、やっぱり私は好きで
やっているのだと思う。

見送られる役より、見送る役を。
そして、戻ってくると当たり前の
ようにそこにいる役
を。

今回は、100%いつもの役回りを演じることは
できないけれども、せめて、戻ってくる場所で
いることは、演じ続けよう、と思う。

・・・ま、それも、私が家庭を持つまでの、
おそらく短い間だけどね。

グローバルに甘えない

とある平日の夕方のこと。

私とSEさんは2人の外人海外の方々を前に、
いらいらを募らせていた。

ことの始まりは半年弱前のこと。

客の要望で、全然知らないけどすばらしいという、
海外の、その筋では有名だという製品を納入
してみた。

ウルトラマンみたいな光を放つその物体は、
地味なラックが林立しているサーバルームの中で
ひときわ目立っており、その時点では私も客も
イケるんじゃないかと思ったのだ。

しかしながら。

連絡が入ったのは2ヶ月ほど前のこと。

なぁんかうまいこといかないんだよね、という
客の問いを代理店さんに伝えたところ、
じゃあメーカー連れて、説明に行きますから、
ってことになった。

しかもしゃちょーさん連れて。

しゃちょーさん、という言葉に、私はもう問題解決
したような気になって、喜び勇んでアポをとって
出かけて行ったのだが。

待ち合わせ場所に現れたしゃちょーさんは、
正しくは、メーカーさんの日本法人のしゃちょーさん
であり、海外のその会社の日本法人ってことは、
しゃちょーさんは本社からやってきている、外人
海外の方であった。

なかなか海外の方と一緒に打ち合わせに行った
ことはないけども、ま、でも、日本語も話せるみたいだし、
いいんじゃないかと思ったのだが。

「たぶん、バグじゃないかと思うんですけどね」
としゃちょーさんは言った。

なんだそのたぶん、って。
状況報告してから、確か1週間はたってるよね。
なんだそのたぶん、って。

で、ですね。
どっちにしろソフトウェアのニューバージョンが
リリースされることになっているので、バージョンアップ
すれば、全部解決するんじゃないかな。

なぁんか、あやしい。
こいつ、絶対バグの説明するんじゃなく、バージョン
アップの説明しに来たよね、今日。

って、いう空気がなーんとなくみんなの中に
流れるけども、客もチャレンジャーであるし、
別にバージョンアップ自体はいいような気がするって
ことで、じゃ、物品が届いたところで社内で
検証してからやろうぜってことになったんだが。

じゃ、来週すぐにでも検証して、再来週入れ替えで!
って、しゃちょーさんが提案してその日は終了した。

しかしながら。

再来週入れ替えっていっときながら、物品が
本社から届かない
だの、俺の家の引っ越しが忙しいだの、
彼はいろんな言い訳を言い連ね、最終的には、
「大事なのはそんなことじゃない、バージョンアップすれば
大丈夫」
とか論点ずらしやがって、結局入れ替えしたのは
打ち合わせから1ヶ月後。

社内でのテストも成功したし、いけるよ!と自信満々の
しゃちょーさんが自ら交換作業に参加し、うちのSEさんも
何人も現場に駆けつけた。

のだが。

交換作業は終わったけど、結局最初の
「うまいこといかない」のは解決しなかったよ。

という報告がSEさんからあったのが、その日の夕方。

えー。
どうしてよ。
だって、社内ではうまくいったって言ったじゃない。

あいつ、テストなんてやってないんじゃない?
っていうのが、その場にいたみんなの感想だ。

そして、再びしゃちょーさんを呼び出した、
その2日後。

ロビーで、私は愕然とした。

日本人ばかりのロビーに、でかい外人海外の方が
2名。

しゃちょーさんが2人に増えてる!

私の上司です。
としゃちょーさんは言い、
「おれ、今あんたのことをBOSSだって紹介したぜ」
って訳す。

結局、しゃちょーさんは、その日ちょうど日本に
視察に来ていた上司の人を、よりによって謝りに
くるこのタイミングで連れてきちゃったってわけだ。

なんかねー、と思った。
謝りに来るこのときに、どうして、経緯もよく分からん、
しかも、客と同じ言語を話せない人を連れてきちゃう
かねー。

グローバルな時代だから、そりゃあ、海外の方々と
コミュニケーションすることも多々あるし、通常の
ミーティングでは苦手だけどそれもいたしかたない
だろう。

でもね。

今までのいい加減な対応で、結構頭に来ている
客を前にして、どんだけ偉くても、同じ言語の
話せない人連れてきてどうするのよ。

しかも、うちらに説明することより、どちらかと
いうと、うちらのセリフとか、経緯をボスに
説明することに注力しているように見えてしまって。

結局、その日の説明も、
「おれ、会社でテストしたのと客に納入した環境を
そろえてなくて、だから、会社では成功したのに、
客のところで失敗しちゃったんだと思うんだよね」
と、なんともいい加減なことばかりで。

そのとき、私は思った。
こいつらどうも、
グローバライゼーションに甘えてる
ではないかと。

自分たちの文化と言語が尊重される時代になった
ことに甘えて、客にも自分たちの文化を押しつけて
いるんじゃないかと。

いや、ふだんはいいんだよ。
お互い尊重し合うのが当たり前の時代なんだからさ。
でもね、せめて謝罪のときだけはさ。
謝罪のときは少なくとも、こっちの文化と言語を
尊重してくれてもいいと思うんだよね。

じゃないと、理解はできても納得できない。
(いや、今回の場合、理解もできないけども)

というわけで、グローバリズムの波にのって、
私も来週海外出張に行ってきます。

グローバライゼーションに甘えず、ちゃんと
へたくそな英語でコミュニケーションをとって
来ようと思います。

2009年4月20日 (月)

カップヌードルのくせに

大学のころの男友達は、食べ物に対する
もともとのイメージを崩すことを非常に嫌っていた。

たとえばそれは、ダイエットコーク
コーラというものは、カロリー満点が基本であり、
それで太ってしまったとしてもそんなものは当たり前で、
そんなことに文句を言ってはいけないのである。

それが、ダイエットコークとは何事だと。
コーラのもともとの役割が1mmも果たせないじゃ
ないかと。

ダイエットしたいようなチキン野郎は、そもそも
コーラなんて飲まなきゃいいのだ
と。

そんな奴らがいかにも激怒しそうな食べ物が、
再び現れた。

それが、カップヌードル ライトである。

カップヌードルといえば、あの、いかにも体に
悪そうな、よく分からない麺よく分からないスープ
そして極め付けが、あのよく分からない肉塊

あの、いかにもジャンクだけれども、それであるがゆえに
ある日突然、「今日はどうしてもカップヌードルが
食べたい!」
という瞬間がやってきてしまう中毒性。

それが、ライトとはどういうことだと。
198kカロリーってどういうことだと。
体にいいものしか食べたくないのであれば、
そもそもジャンクフードの王様、カップヌードルなんて
食べなきゃいいだろうと。

そんなことを言われながら育ってしまったこともあり、
私はカップヌードルライトなんて、絶対食べないであろうと
思っていたのに。

と、ここまで書いたところで、前回のBlogの写真
戻った方、正解です。

写真を拡大してよーく見ると分かるのだが、右上のほうに
確かにあるのだ。
カップヌードルライト

料理教室には、いろんな協賛会社がついていて、
行くたびにそういう会社のサンプルを山ほど
配られるのであるが、おそらくカップヌードルの
製造元であるところの日○食品もついているのであろう。
先生も、料理教室でカップラーメンを配るのも
なんかちょっと変よねー
とかいいつつも、みんなに
配布したのであった。

そんなこんなで、絶対に自分で買うことはないと
思われたカップヌードルライトちゃん
偶然にも出会ってしまったので、次の日のお昼、早速
食してみることにした。
(いや、単に食べるものがなかっただけ)

ふたをあけてびびったことには、全然ライトの
雰囲気がないこと。
麺もいつもと同じ麺あの種別の分からない
海老ちゃん
も、なんの卵か分からない卵君も、
そして、あの意味の分からない肉塊君も、ちゃんと
いるのだ。

これじゃまったくもって、ノーマルカップ
ヌードル

(ここではライトちゃんと区別するため、ヘビィ君
呼ぼうと思う)

量だって、パッと見ヘビィ君とおんなじに見える。

疑心暗鬼のまま長い3分がたって、いそいそと
ふたを全開にし、一口。

あ。一緒だ。
ヘビィ君と一緒。

肉塊君も卵ちゃんも、ヘビィ君と一緒。

ここで、私はちょっと感激してしまった。
パッと見ヘビィ君なのに
実はライトちゃん

ってことは。

いつもは飲みたいけど、ヘビィだから、ってことで
女子としては遠慮していたスープも、全部飲んじゃって
大丈夫ってことだ。

だって、スープこみで198kカロリーってことでしょ?

途中で母から電話がかかってきて、スープ飲もうと
思ったところで10分ほど時間をロスしてしまったが、
それでも、198kカロリーをしっかり摂るために、
ぬるくなったスープを無理やり飲み下す。

ああなんて満足。

・・・しかしながら、私の胃に異変が起こったのは、
そのわずか3時間後のことである。

言っておくが、私は飯は人並み以上に食べるけど、
ほとんど間食はしないのだ。

お昼たくさん食べたら、だいたい夕飯までは
何も食べなくても大丈夫。
(あれば食べるけどさ)

しかしながら。

皐月賞が終わったあたりから、私の胃が、
激しく空腹を訴え始めたのだ。

それでも、部屋の掃除とかしながら、1時間くらいは
ごまかしていた。
いや、私、お、お腹なんて、全然空いてないよ。

でも、さすがに1時間たち、このあとバスケで
運動することを考えると、なんか腹に入れておかないと
死んでしまうのではないかと思われた。

そして、私はついにクリーニング屋で。

「あのぉ。ちょっと買い物行ってくるので、その間に
引き取りのものまとめといてもらっていいですか」

と、コンビニに駆け込み、焼きそばとから揚げ
迷うことなく購入する。

結局。

カップヌードルライトちゃんは198kカロリーだったと
しても、焼きそばとから揚げで600kカロリーくらいには
なってしまうと思われ、そうすると、単純計算で、ヘビィ君
2杯くらい食べたのとおんなじ
ってことだ。

これなら最初から、いつもどおり、ヘビィ君+おにぎり
くらいにしといたほうが、カロリー少なかったような。。。

女子向けに、食品会社もいろんなことを考えてくれて
いるのは重々承知なのだが、私はどうしても、そういう
枠にうまくはまることができない。

うーむ。
アラサー女子の結構大きめの悩み。

2009年4月19日 (日)

料理教室5回目~心を入れ替えて~

ウイルス騒ぎ後、結局料理教室は1回しか行かないまま、
年度末のドタバタ騒ぎに巻き込まれて、半年近くも
教室をサボってしまっていた。

もう自分の中では、このままなんとなく入会してから
1年で、自動的に残りのチケットが使えなくなって、
料理教室人生、あえなくしゅーりょー、かな、と、
半分諦めモードであったわけだが、そんな私に救いの
手を差し伸べてくれたのは、大学の友達であった。

前回のブーケ騒ぎの結婚式で久しぶりに会った
友達も、1月から料理教室に通い始めたわけだが、
1回だけ、タイカレーを作っただけで、2ヶ月
料理教室をサボっているらしい。

なぜに1回目からタイカレー。
そして、なにこの似た空気。(やる気と根性のなさが)

というわけで、2人ともこの、なんとなく
全体的に諦めモードのアラサー体質
を打開すべく、そして私は、ゴールデンウィークに
待っているであろうと思われる、母の期末テスト
耐えるべく、重い腰をえっこらせとあげて、料理教室に
行くことにしたのだった。

場所は、私がいつも(と言っても4回くらいだけど)行っている
教室は何となく避けて、駅をはさんで反対側の、友達の
通っている(といっても1回だけ)教室に行ったわけだが。

何しろ1回しか行ったことのない教室である。
しかも2ヶ月もサボってしまって、さらには迷いやすい渋谷。

うろうろしまくってやっと教室までたどり着くと、
2人とももうそれだけでちょっと疲れてしまっている。
(だってアラサーだから)

さて、本日のメニューは、ご飯とみそ汁と
とんかつとぼた餅

今まで、(特に友達は)結構難解なメニューを作ってきた
わけだが、今回のテーマは、「米とだしを学ぶ」
いうこともあり、4月だからだろうか、かなり基礎の基礎を
教えてもらうことになった。

無洗米を使わない、お米の上手なとぎ方、とか、
ほんだしを使わない、こんぶとかつおぶしでのだしの取り方
とか、炊飯ジャーを使わない、鍋でのごはんの炊き方、とか、
そういう、昔ながらの、本来の主婦がやるべき仕事の
ようなものをきっちり教えてもらい、これだけやれば、
明日結婚しても大丈夫、と錯覚まで起こしそうになった。

しかしながら、苦戦したのはキャベツの千切りである。

この前、深夜番組で、寺門ジモンが、糸のように細い
キャベツの千切り
を出す、取材拒否のとんかつ屋
特集をやっていたけれども、うちらの切ったキャベツの
太さといったら。
それはあたかも、細めの付箋紙みたいな大きさ
であった。

これじゃ、やっぱり結婚できない

隣のギャルが異常に上手に切っていくのが非常に
気になった。

そんなこんなで、古典的な手順を地道に踏んで完成したのは、
生パン粉を使って老舗風に作り上げた、昔ながらの温かい
基本メニューであった。

Cimg0407

そうそう。
とんかつを作りながら、思い出した風景がある。

夕飯の用意をする母親を手伝って、姉妹3人揃って、
お粉と卵とパン粉を順番につけていった、あの小さい頃の
記憶。

卵とパン粉をおんなじ手でつかむと大変なことになるから、
と言って、お粉係と卵係とパン粉係に分かれて、みんなで
わきゃわきゃととんかつを作っていた、あの記憶である。

そう。妹がこっちに来てから丸2年。
私は、8年ぶりに、家族のあのわきゃわきゃした雰囲気を
少しだけ味わったのであった。

でも、そんな楽しいときも、気づけばあっという間。
今月末には、東京でやりたいことを全部やったからって
ことで、妹は田舎に帰るのだという。

そして、気づけばまた私一人。
いや、もともときっと1人なんだけどさ。

料理のチケットもあと1ヶ月で切れてしまうし、また何か
始めようかな。
今度こそ、長く続くものを。

2009年4月12日 (日)

ブーケにまつわるエトセトラ

ブーケをゲットしたのは、この前の結婚式が
人生初である。

ってかあれは、正しくは私がゲットするしか
なかった、とでもいうのであろうか。

だって、まず、こんなアラサーになってくると、
ブーケをゲットしたいがために集まる独身女子が
非常に少ない
のだ。
今回だって、集まったのは10人いなかったんじゃ
なかろうか。

そして、新婦の投げたブーケは私の目の前に、
一度ボトッと落ちた。

あ。どうしよこれ。
みんなに訪れる一瞬の戸惑い。

そして、なんとなく、目の前にいた私が、
拾い上げてしまった、というわけだ。

そして、披露宴で露呈した、
ブーケにまつわる驚きの事実

なんと、本日の新婦は、去年の4月第1週の
友達の結婚式にて
、本日の私と同じように、
ブーケをゲットしたことにより、1年後、晴れて
結婚式を迎えている
、というのだ。

その衝撃の事実に、私のチキンハート
あえなくぶっ壊れてしまった。

確かに、ブーケゲットすると、そのひとが
次に結婚するとはいうけれど、「次」っていうのは
なんともあいまいな定義で、だから私はその
あいまいな感じになんとかよっかかっていた
わけであるが、この事実により、明確に、目標が
1年後に自動設定されてしまったわけである。

目標は明確に、というのは、毎年この時期に
よく言われる言葉ではあるが、私の場合、
あれはあえてあいまいに設定していろんなことを
ごまかしているわけなのだ。

そ、その戦法が今回は使えないってことだ。

家に帰って一人になってブーケを眺め、
記念に写真とか撮っていると、どんどん
私のプレッシャーは大きくなっていき、
与えられたノルマに耐えられず、次の日で
あるところの日曜日は、外に出る元気も
なくなって、一日中ごろごろと物思いに
沈んでしまったのであった。

そんな浮かない気分のまま、働いていた
ある日のこと。

担当の飲みでも浮かない私の心に、
一筋の光をくれたのは、担当の先輩女子であった。

ブーケをゲットしてしまったことにより、
来年結婚、というノルマが課せられてしまった、
という私の悩みを、その先輩は笑い飛ばした。

「私、ブーケ3回とって
やっと結婚できたよ!」

あんた、どんだけ毎回やる気だったんだよ!
思う気持ちも若干あったけど、確かにその一言で、
私の心の負担は一気に軽くなった気がした。

そうか。
あと2回ブーケゲットするまで、別に結婚
できなくても大丈夫なのか!

あと2回あるってことは、ペース配分もこれから
考えられるから、次回、来月の結婚式でゲットしてしまう、
なんて超ハイペースなことをやってしまわない限り、
こんな私でも十分にノルマ達成できるってわけだ。

ま、要は、ブーケを1回や2回ゲットしただけで、
そんなに簡単に結婚できるわけじゃない
ってことで、
結局は、自分から目標達成できるように、日々
努力しなさい
、っていうことなんだな。

あたりまえだけども。

とにもかくにも、そうして私はブーケと結婚と努力に
関する人生の真理を理解し、とてもすっきりした
気持で、またしても担当のみんなでカラオケ
吸い込まれていったわけである。

・・・目標から、早くも遠ざかった、木曜と金曜の
狭間の出来事。

Cimg0390

おひとりさまレイトショー

本来であれば、箱根で飲んだくれているはずだった
土曜の夜10:30。

諸事情により小旅行がキャンセルとなり、
あまりの手持無沙汰に我慢がならなくなった私は、
おひとりさま映画館の上級者バージョンとして、
おひとりさまレイトショーにやってきていた。

いや、別にレイトショーが目的だったわけではなく、
もう上映が終わってしまうホノカアボーイ
見ようと思ったら、上映が1日1回、しかもレイトショーのみ、
という悲惨な状況になっていたのだから、仕方ないの
である。

早めに家を出て、ひとりで回転寿司を食べ、
昼間の暖かさとは一変した寒さに凍えながら
シアターに入ったが、客は約10人強。
どうやら、レイトショーである上に、隣のシアターの
ドロップに客を取られまくった結果であるようだ。
(ちなみに私は不良映画には全く興味がない)

その中でも、ひとりでのこのこやってきているのは
私だけのようであり、もう入った瞬間から半分
やけくそである。

でも、映画の最初のほうで、Beeさんが
私にエールを送ってくれたのだ。

「人間は、みんな一人です。」

そうそう。
そのとおり。
だから、おひとりさまでレイトショー来たって、
全然悪いことはないのよ。

「・・・だから、くっつきたくなるん
ですけどね」

あ。はい。
そうです。
それもまた、真なり、ですね。

私だって、くっつきたいのはやまやまなんですけどね。

そんな感じで、ホノカアボーイには、
人生の教訓みたいな名言がちりばめられている。
それはきっと、出演者の平均年齢が異常に高いからだ。

言っておくが、この話、物語の大筋としては、
本当にありがちだし、特別なことはなにもない。

だから、大事なのはディティールなのである。
神は、細部に宿る、だっけか。

それは、あの海と空であったり、ちょっぴり
ウェットでかわいらしいジョークであったり、
Beeさんのかわいらしい衣装であったり、
そしてなんといっても、Beeさんの作る料理
であったり。

そういうものが魅力的であればそれで満足、
と思える人は見に行けばいいと思うし、話の
本筋重視の人は行かなきゃいいと思う。
そういう映画だ。

私は・・・
まぁ1800円だったら行かなかったな、って
思う程度だろうか。
ま、今回はカード特典で無料で見れたのだから、
私はかなり満足だったけども。

しかしそんな御託並べても、結局のところ、
私は映画が始まって5分も経っていない時間に、
南国の海と空を久しぶりに見てしまっただけで
結構号泣していたわけで、こんな状態で観る価値が
あるとかないとか語れるような立場じゃないんだけどさ。

ちなみに私は、南国には思い入れはあるけど、
ハワイには行ったことがない。

でも今回もそんな感じで泣けたので、結婚式ラッシュで
なんとなく少し落ち込んでた私は、真夜中にちょっと
元気になって、南国の空とは全然違うすっからかんの
東京の空を見上げながら、鼻歌まじりで帰ってきた
のだった。

そして最後に。
これからも観たい映画は山ほどあるけども、
別に私はそれらを一人で見ようと最初から思っている
わけでは全然ないので、映画を見たくても一緒に
行く人が見当たらない人は、強がらずに私を誘えば、
不良映画とアクション映画以外だったらたぶん私も
その気になると、思われますよ。

あ。一番強がってるのは私だ。きっと。

2009年4月 5日 (日)

Birthday shoot

そんな出会いの2日後であるところの
28歳の誕生日のこと。

私は、今度は埼玉の寒空の下にいて、
電話しろ!とメールしてきた母に、仕方なく
電話していた。

ひととおり話が済むと、母は私の後ろの
ざわざわした空気に気づいたようだった。

「で、あんた今どこにいるの?」

「えっとね・・・浦和美園。」

しばらく間があいたのは、自分でも、あんまりにも
なれない場所で、実感がなかったからだ。

「なにそれ、どこ?」

「なんか、今日サッカーの日本代表戦
あるんでしょ?

あ。あまりにも実感がなくて、事実関係を何も知らない
親に確かめてしまったじゃないか。

なんで私がこんな実感ないかって、何しろこれは、
突然私に与えられたミッションだったからである。

それは、2日前。
鹿児島からオフィスに帰還していそいそと仕事
している私は、突然呼び止められて、そして
ミッションが告げられたのだった。

「あさって、日本代表戦行くことになったから」

そして、その一言だけを残して、彼は去って行った。

え。日本代表戦って、なんの日本代表戦?
WBCはこの前終わったでしょ?
てかさ、行くことになったから、ってどゆこと?
まずは空いてるかどうか確認するんじゃないの?
その日はしかも誕生日なのよ。
誕生日に、うら若き乙女が、何の予定もないと
思ってるわけ?

あ・・・いや、実際ないんだけどさ。

とか悩んでいると、その彼から再びメールが。

「場所取りするから、早めに浦和美園
来てね」

浦和美園、浦和美園・・・
といそいそとネットで調べだして、私はやっと
理解した。

そっか。サッカーか。

そして、前日のすぽると!で、私はやっと代表戦の
対戦相手がバーレーンだということも知り、それだけの
知識レベルでのこのこ埼玉スタジアムまでやってきて
しまったってわけだ。

はてさて。
そんな初心者の私から見ると、サッカーの試合
応援っていうのは、なんとも不思議な行事だ。

まず、なんなんだあの
たくさんのどでかい旗

Dvc00023

これじゃまるで、大漁でつりから帰ってくる船
じゃないか。

そして、なんなんだあの
青いユニフォームの形したシート(?)
は。

Dvc00022

あれでは、シートの下にいる人たちは、
全然試合が見えないじゃないか。

でも、見てるとだんだんとサッカーの応援の
理念みたいなものが分かってきた。

サポーターは、試合を楽しむために
会場に来ているのではないらしい。

あくまでも、自分たちが必死で応援することに
よって、日本チームに勇気を与え、それによって
試合に勝たせる
、ということが目的らしい。

だから、旗とかシートとかに 遮られて試合が
全然見えなかったとしても、そんなことは問題じゃ
ないのだ。

選手たちがそういうパフォーマンスに満足して、
試合を頑張ることができればよいのだ、という
なんとも自己犠牲的な発想、なのかなぁと
素人ながらに考えた。

だから、サッカーの応援っていうのは、個々が
頑張れ!とか、なにやってんだよ!とか叫ぶような
ものじゃなくて、組織的に、こういうときはどういう
応援をする、ってちゃんと決めてやるのだなぁと。

しかし。
私がそんなことを客観的に考えていたから
いけなかったかのだろうか。

日本は攻めまくっている割に全然ゴールが
入らず、0-0のまま前半終了。

やべぇな。
誕生日の日に応援しているほうが試合に
負けるって、なんだかすごく縁起悪そうだ。
1年間ずーっと負け続ける気がする。

そんな不安の中、後半が始まってすぐのこと。
俊輔に回ってきたフリーキック。

ゴールどまんまえからのフリーキックは、
バーレーン選手の頭に当たって、・・・
そのままスポッとゴールに吸い込まれた。

Birthday Goooooal!!

その時、私は本当に、ほっとしたのだ。
これで、私の1年、負け続けることは
ないなぁ
と。

結局、試合はそのまま終了し、俊輔のおかげで、
私の28歳の幕開けは、とりあえず明るいものに
なったのだった。

そして1週間後。
俊輔のゴールに引き続き、友達の結婚式にて、
私は花嫁の投げたブーケまで受け取り
なんだか今年1年、すごくいいことのありそうな予感が
激しく漂っているのであるが。

さぁ、28歳はまだ始まったばかり。
これからの1年間、何が起こることやら。

2009年4月 2日 (木)

寒空の下の出会い

それは誕生日の2日前のこと。

なぜか私は、朝もはよから、鹿児島のとある山の
てっぺんにいた。

どのくらいの距離なのかよく分からず、市内で
早めにタクシーを捕まえてしまい、予定より
40分も早く山のてっぺんにたどり着いてしまった
私は、向かい側のゴルフ場で平日にもかかわらず
ゴルフに興じるおじさまたちを眺めながら、
途方にくれていた。

鹿児島だから、と、油断して薄着でやってきたら
山のてっぺんはとっても寒くて、周りにあるのは
ゴルフ場くらいで寒さをしのげる場所もなく、
仕方なく背中を必死で太陽の方に向けて、
日光浴に励むことにした。

と、そのとき。

一台の小さい車が私の目の前に止まった。
待ち合わせしてるおじちゃんかな?と思ったのだが、
降りてきたのは1組の老夫婦。

老夫婦?

私の仕事ははたから見れば女子がやるような
ものとは思われないほどマニアックな感じで、
今この瞬間も私の背中の方にはいかにも
マニアックな建造物がたたずんでおり、だから
ここは絶対に老夫婦がのどかに寄り道するような、
そんな場所じゃないのである。

と、その老夫婦は、私のまん前にあったちょっとした
土手みたいなところに侵入していき、何かを採取
し始めた。

それは、つくしんぼ

老夫婦は、土手に生えているつくしんぼを、
一生懸命探し、採取している。

つくしんぼ???

わざわざこんなマニアックな建物の前で?

10分ほど老夫婦はそうしていただろうか。
ある程度の量、つくしんぼを採取し終えた老夫婦は
車に戻っていこうとした。

と、そのとき。

おばちゃんと、私の目が合った。

私が、よほど不審なまなざしで彼らを見つめていた
のだろうか。

おばちゃんが私のほうに寄ってきて、
なにやら説明し始めた。

「これね、つくしなの。」

はい。それは分かってます。

「食べるんですか?てんぷら?」

と聞き返す私に、おばちゃんはニコニコと説明
してくれた。

油でいためるの。
このね、節のところがあんまり黒くなっていないのが、
やわらかくておいしいのね。
で、家に帰ったらこの茎の葉っぱを取って、
きれいにしたのを油でいためて食べるとおいしいの。

それで、つくしをとりにわざわざここに?

ここね、いいつくしが取れるから毎年来るのよ。
あんたもよかったらもって帰りなさいよ。
でもね、ここは秘密の場所なの。
誰にも言っちゃだめだよ。

と、おばちゃんはちょっとだけ声を潜めて、私に
教えてくれた。

私の田舎にもこういうのがあった。
つくしんぼじゃなくて、その対象はこごみ
ふきのとうだったけど、家庭ごとに、おいしいのが
よく取れる秘密のスポットみたいなのがあって、
車で何分もかけて、毎週そこにでかけて行くのだ。

そして、おばちゃんは気がついたように私に聞く。

「おじょうちゃんは、どこから来たの?」

「んーと、私の東京の・・・」

港区って言っても、分からないよね。

「東京タワーの近くから来たんですよー」

「ああ、東京タワーの辺は、去年行ったの。
孫のね、結婚式があって、そのときにね、
あの辺に行ったよ」

と、うれしそーに話すおばちゃん。

そして、おばちゃんは最後にもう一度、私に
言った。

いい?もって帰るのは、
この節のところが黒くなって
ないやつだからね。

もちろん、私はつくしを飛行機に持ち込んでまで
もって買える気はさらさらなかったけども、
おばちゃんの、必死でつくしんぼについて説明する
姿がとってもかわいらしくてなんとものどかで、年度末処理で
ささくれだった私の心はなんだかとっても暖かくなった。

そうそう。
しばらく忘れていたよ、こういう出会い。
心がほんわかするような、こういう出会い。

時は無常に過ぎ去り、27歳は何事もないまま、
あっという間に28歳になってしまうけども、
運命的な出会いに恵まれなかったとしても、
なんてことはないけどちょっとだけあったかい、
こういう出会いを糧にして、小さな幸せを大事に
生きていこう
と思った、そんな晴れ上がった空の下。

そして私はおばちゃんとの約束を守って、
待ち合わせのおじちゃんにも、お客さんにも、
帰りのタクシーのおじちゃんにも、あそこが
つくしんぼの名産地だなんてことはおくびにも出さず、
飛行機に乗り込んだのだった。

おばちゃんたちはきっと今日も、山のてっぺんで
こっそりとつくしんぼを摘んでいることだろう。
にこにこと笑いながら。

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