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2009年1月

2009年1月31日 (土)

「都合のよい女友達」と「真夜中のラーメン」

突然の飲み会のお誘いに、みんな
何の文句も言わず集まってくれたのは、
暇だったから、ばかりではないと思う。

それでも、みんなそんなことはおくびにも出さず、
いや、暇だったからちょっと顔出してみただけだよ
とでも言わんばかりの態度で、ただただ飲み
散らかしていた。

いつもとちょっと違うのは、いつもよりちょっとだけ
みんな深酒だってこと。

いや、別にお祝いとかじゃなくても、ちゃんとした
飲み屋に行けば、みんなこのくらい飲むのかもしれない。
いつものサイ○リアと比べるから深酒に見えるだけ、
なのかも。

果たしてそろそろ終電も近くなって、にぎやかしが
少しづつ流れ解散を始め、気づけば男女が
向かい合って座る合コンみたいな体制になり、
その会は終了した。

じゃ、またねー。

と帰っていく女子たち。

じゃ、私も・・・

と言いかけた時の男子たちの冷たい視線。

え?何?

と、気づいた時には既にタクシーの中
両側も前も男子に囲まれており、今更
降りられる訳がない。

あーあ、まただ。
また、「都合のよい女友達」

・・・最近、やっとわかったことがある。
私が、上手に家に帰れない訳。

途中で酔っ払って路上で寝る、とかそっちのほうの、
「上手に帰れない」じゃない。
(そんなこと、やったことないですよ実際)

「上手に『帰るね』って言って駅に向かえない」
ってことだ。

その訳が、最近やっとわかった。

大学の時に住んでいた家は、たまり場だった。

誰よりも、大学から一番近くに一人暮らしの家を借りて
いた私。

練習が終わった後みんなで飲んでいると、私以外の
みんなの終電が終わっていることもしばしば。
(あれって、ほんとにみんな終電終わってた?)

今思えば、あのまま飲ませておいて、みんなを置いて
帰ればよかったんだけど、あの頃の私には、そんな
ナイスアイデアはまったく思いつかなかった。

そして、みんな当り前のように私の家に上がりこみ、
朝まで人のうちのゲームをやりつくして、朝方、
徹夜のうえに1限に出なきゃいけない私を横目に、
みんなそれぞれの家に帰って行ったのだ。

そんなことがたびたびあったから、私はみんなを
「帰す」ことはできても、自分ひとりで「帰る」ことが
本当に苦手なのだ

そうして、この日も結局帰ると言いきれずに、
私はタクシーの中にいる。

高速を降りたタクシーは、道路を左折して、板橋の
町中へ。

と、間もなく、何にもない路上で、タクシーは駐車した。

いや、何もなくはない。
タクシーが停まった場所のちょっと後ろを見ると、
なんだかきったないラーメン屋

店に入ると、なんだかツルツルと店の床が滑って、
このままヒールですっ転ぶかと思った。

周りを見回せば、女子なんか誰も、ましてや
ヒール履いてスーツ着てる女子なんかいるはずもなく。

そういえば、さっきしめにそば食べなかったっけか?
と過去の記憶を思い出しながら、ラーメンを注文すると、
店員さんに聞かれた。

麺の量は?

いや、さっきそば食べちゃったんですよ。
その前には鍋まで食べちゃって、はっきりいって、
もうお腹いっぱいなんですよ。

・・・少なめで

周りの男子はふつーとか言ってるけど、こういうとき
くらいは、女子の特権を行使してみる。

でも、ラーメンがやってきて、私はふと不安になる。
あれ?私確かにさっき、少なめ、って、言ったよね?

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これじゃふつー盛りでしょう!
と不平不満をぶちまけながら隣を見やって分かった。

あ。やっぱりこれがきっと少なめ、なんだろう。
だって、ふつー盛りを頼んだ男子たちのどんぶりは、
明らかに
山盛りだったんだから

そして、一口食べた時の、あの麺の何と太いことか。
これじゃラーメンというより、うどんだうどん。

いや、まずくはない。
こってりしていてうまいことはうまい。

でも。でもさ。

そして、にんにくぷんぷんさせながらどんぶりの中を
平らげている男子たちのどんぶりの中をのぞきながら、
私は思った。

まるで、どぶみたいなラーメンだな、と。

そして思い出した。
誰かも、どぶみたいなラーメンって言ってたなぁと。

1年に1度、演奏会(と言っても私たちがやるのは2曲くらいだけど)
をやっていた会場がある。

やたらと待ち時間が長いその演奏会の出待ちタイム中、
飽き飽きした男子たちは、そのうち演奏前なのに酒を
飲み始め、気づいたらみんなでその会場のすぐ近くの
ラーメン屋に出かけていた。

それだけでも由々しき事態である。
大事な演奏の直前に、酒飲んでラーメン食べるだなんて。

しかし、やばいのはそのあとだった。
ラーメン屋で何があったのだろう。
戻ってきた男子たちはみんな顔面蒼白
そして、しばらくおとなしいかと思ったら、そのうちに
みんな腹痛を訴え始めたのである。

そして、「いったい何食べて来たのさ!」と怒る私たちに、
あいつらは言ったのだ。

「・・・どぶみたいなラーメン」って。

あれだ。
これはきっと、あのときと同じジャンルのラーメン。

そう思ったら、急にお腹がいっぱいになってきた。
いや、別にすごいまずいわけじゃないんだけど、
もともと結構食べてからやってきたしさ、それに
食べてるのにどんどん麺の量が増えてくる感じ?

それに何より、これ全部食べたらあいつらと同じことに
なるんじゃないか
という危惧。

結局、ラーメンを2/3も残す、という、
「都合のよい女友達」始まって以来の大失態を
犯しつつ、私たちはラーメン屋を出た。

それにしても。
と、今度は一人で今度こそ家に帰るタクシーに
乗り込んで考える。

今年は卒業しなきゃいけないって言ったのは、
いつのことだっけ?

「都合のよい女友達」から卒業しなきゃ
って言ったのは。

誰かが、マイルストーンを決めなきゃ目標は
達成できない
って言っていた。

そうなんだとしたら、「都合のよい女友達」から卒業する
マイルストーンの1つとしては、まずは、
「今日は帰ります!ってきちんと言えるように
なること」
なんだろうと思う。

よし。がんばらなきゃ。
次からはちゃんと言おう。

と決心するのは天使の私。

でも、その一方で悪魔の私も呟くんだ。

「あのラーメン屋、1回目はすごくまずいけど、
3回行くと癖になるらしいよ」
って。

はたして、2009年の私は、悪魔に勝つことができるのか。

ラーメン富士丸 板橋南町店 (らーめんふじまる【旧店名】ラーメン○二郎 らーめんまるじろう) (ラーメン / 要町、池袋)
★★★☆☆ 2.5

2009年1月26日 (月)

闊歩する男

それはある日ののどかな午後のこと。

少額だけども確実な受注をもらって、
私はおやつ時の空席のめだつ山手線に
座って、まどろんでいた。

電車はそろそろオフィスのある駅に滑り込む。
やれやれ。帰ったら決裁あげないとねーとか
思いながら、なかなか下りる準備をする気に
ならないまままどろんでいると、進行方向の
ほうにある車両と車両の間のドアが、ガラッと
開いた。

あ。

やってきたのは久しぶりだけど見慣れた顔の
(今では)課長様。

お久しぶりです!元気ですかぁ?

って、私は声をかけようとしたんだ。

しかし。
課長様は、まっすぐ前を見て、毅然として
まるで普通の道を歩いているかのごとく、
動いている電車の中を、進行方向とは逆に
闊歩してゆく

その姿を見て、私は思い出した。

もう5年も前のことになるのか。
まだ私が新入社員だった頃。
私と、(今や)課長様は、あの頃は一緒に闊歩して
いたのだ。

それは、ユーザ訪問に行く道中でのこと。
会社の最寄駅からひと駅地下鉄に乗ってから、
JRに乗り換える
、というのがユーザオフィスまでの
行き方であるが、そのひと駅地下鉄がちょっと
くせものであった。

私たちが最寄駅の地下に下りて行くと、そこは
電車の一番後ろの車両
でも、ひと駅先のJR乗り換え口に一番近いのは、
電車の一番前の車両

だから、電車にぎりぎり滑り込んで一番後ろの
車両に乗り込んでしまうと、ひと駅先で降りてから、
ホームの端から端まで歩いているうちに、次の電車が
やってきてしまうのだ。

ユーザとの打ち合わせまで結構ぎりぎりで会社出たのに、
それではもったいない。
と、(あの時は課長じゃなかったけど今は)課長さんは
おそらく思ったんだろう。

毎週1回決まって向かうユーザオフィスへの道中、
地下鉄に乗っているひと駅の間、私たちは歩き続けた。

ひと駅先のホームに着いてからの乗り換えの時間を
短縮するために、私たちはひたすら歩いた。

動いている電車の中を、課長様は何事もないかのように
後ろをゆく私たちはどたばたとたとたと騒々しく

そんな4人の奇妙な姿を、乗客の皆さんは、
奇異の目でみていたものだった。

そんな5年前のこと、私はすっかり忘れていたのに、
たぶん、課長様は毎日変わらず、忙しい毎日の中、
電車の中を闊歩していたんだろうと思った。

5年間、私は何にも忘れていないつもりだった。
でも、確実に何か忘れてきてしまっている。
たとえばほら、電車の中でも、ほんの少しの
時間短縮でも、お客様の所に遅れずにたどり着く
ためなら、人目をはばからず目標に向かって
闊歩するあの心意気。

そんなことをまた座ってボーっと考えていたら、
電車は駅にたどり着く。

久しぶりにうれしくなって、おそらく同じ駅で降りたはずの
課長様の影を探して走るけど、課長様は電車の中より
さらに速いスピードで歩いて行ってしまったのだろう。
横断歩道まで追いかけても、結局再び彼の姿を見ることは
なかった。

覚えているはずですっかり忘れてしまった
昔の私。
それを少しだけ思い出した私は、もう彼の姿は
すっかり見えなかったけど、新しい気持ちで
青になった横断歩道を走った。

そうそう。
仕事しなくちゃね!

2009年1月25日 (日)

楽日@花園

楽日(ラグビー)
みんなでわが社のラグビーチームを応援する楽しい
週末の1日のこと。

日曜の朝8時
普段なら起きているはずのないこんな休日の朝早くに、
私は東海道新幹線の、A席とC席に挟まれたB席で、
縮こまってうとうととしていた。

いや別に、出張はもう先週行ってしまったわけで、
今日は出張じゃない。

今のこの状況を、どこから説明すればいいんだろうか。

初めてわが社のラグビー部の試合を見たのは、
去年の11月のこと。

あれから約3か月。
すっかりわが社のラグビー部の勇士にはまってしまった
私は、あれから、秩父宮で試合のあるごとに、足しげく
ラグビー観戦に通っていた。

そりゃあもう、年末も年始も、田舎に帰るのを1日遅らせ、
はたまた帰ってくるのを1日早めて、なかなか仕事の時は
見せないひたむきさとまっすぐさを持って
、通い詰めて
いたのである。

そして、われらがラグビー部は、私の期待の幅を飛び
超えて、どんどん勝ち進み、ついにプレーオフまで
たどり着いたのである。

でも。
20代後半までになってくると、いくら夢見がちな私だって、
現実的かつ用心深くなるというもの。
さすがにプレーオフは、ねぇ。と懐疑的かつ冷静に
この状況を眺めていたのであった。

そんなプレーオフ第1戦の先週土曜日。
私たちがラグビーそっちのけで、イケメンが違う女子に
貰われていく様を目の当たりにしながらみんなでフレンチに
舌鼓うちながらたわいもない会話を楽しんでいる最中に
舞い込んできたラグビーの結果。

それは、懐疑的な私の期待をまたしても裏切る、
124-0という、圧倒的勝利の知らせであった。

プレーオフは2試合。
仕組みはいまいちよくわかっていないのだが、うちの
チームは2試合とも勝つと、次の入れ替え戦に挑戦
できるのだという。

ってことは、次の試合ですべてが決まるってことだ。

でも。
次の試合を観戦するのには、とてつもなく高いハードルが
待ち構えていた。

だって、注目のプレーオフ第2戦の開催地は、
なんと大阪の花園

さすがに、大阪までラグビーに見に行くには、20代
後半の女子たちには、お金も元気もなさすぎる。

しかし。
そんな私たちに差しのべられた1通のメール。

それは、指定新幹線の運賃と、ラグビーの観戦代を、
(抽選に当たった社員に限り)会社が負担してくれる
いうものであった。

お金を負担してくれるって言われると、現金なもので、
元気まで出てくるものだ。

そんなこんなで、私は怠惰なはずの日曜日、
朝5時半起床でこの新幹線に飛び乗ったのだった。

新幹線が新大阪に着いたのは、朝10:30

そこから、JRと私鉄を乗り継いで、東花園駅に着いたのは、
それから約1時間後。

さらに欲張ってお弁当を買っているうちに、
試合は始まってしまい、私たちは試合開始約5分後に、
花園ラグビー場に駆け込んだのだった。

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と。
私たちが席について弁当をあけたと同時に歓声が上がる。

すき焼き弁当から顔をあげて状況をうかがうと、
うちのチームが体ごと無理やり押し込んでトライを決めた
ところだった。

やべぇ、これはもしかするともしかしちゃったりする?

しかし、さすがは入れ替え戦である。
そんな簡単に勝たせてくれるわけがない。

それからすぐに、敵もトライを決め、さらにもう1トライ。

空の様子と同様に、危うくなってくるわがラグビーチーム。

そして気づいたのは、秩父宮とは明らかに違う、
おっちゃんたちの怒号である。

うちらの周りに座っていらっしゃるってことは、
うちの会社の関西地方の社員の方、という可能性が
非常に高いわけだが、東京で試合をやったときは、
弊社の社員の皆様はもう少し、おしとやかにラグビーを
観戦していたように思われる。

それに、あまり東京の皆さんはラグビーにお詳しい
方々ではなかったようで(いや、一番詳しくないのは私だけど)
誰かが拍手をするのにつられてやっているって
感じだが、酒の入った彼らの怒号を聞いていると、

「ばかやろー、そこはこうだろ!」

とか

シンビンシンビン!」

とか言ってるから、どうやらみなさんルールも
ご存知のようで。

試合に遅れてしまって、いつもの応援グッズも
与えられず、大阪のおっちゃんの怒号にビビって
いるうちに、わが社のラグビー部は、最後の最後で
健闘を見せるも、最後まで追いつくことができず、
そのまま試合は終わってしまった。
(ま、最後、私たちはおっちゃんを交え、おっちゃんの
解説に基づいて一緒に応援してたんだけども)

そして、試合が終わると時間はもう午後の2時
帰りの指定新幹線は午後の4時前である。

焼き肉も食べたい。
シウマイだって豚まんだって堂島ロールだって、
大阪には食べたいものや買って帰りたいものが
山ほどある。

でも。
でもだめなんだ。

会社がみんなに配ったチケットは、自由席でも
ほかの新幹線に乗ることを許さない、ラグビー観戦
専用の大変厳しいチケット
であり、4時前までに
どうしても私たちは新大阪駅に戻って新幹線に
飛び乗らなきゃいけない。

というわけで、新幹線の待合室でせめてもの豚まんを
かじった私たちは、豚まんのにおいをぷんぷんさせたまま、
帰りの新幹線に飛び乗った。

30分一本勝負!で焼き肉を食べてきたと誇らしげに
語る女性課長様の武勇伝を聞きながら、私たちは
酒の匂いが充満する新幹線の中で、またうとうとと
眠りに着くのだった。

さてさて。
息をつく間もないような弾丸ツアーだったけれども、
スポーツ観戦なんてしたこともなかった素人の私を、
無料でラグビーの聖地花園まで連れてきてくれたわが社の
ラグビーチームに、ただただ感謝である。

とにもかくにも、ここでとりあえず今シーズンのラグビーは
終了。
来年は、きっと、もう少し大きな夢を、このチームは見せて
くれることだろう。

その前に、私が夢つかめよって話だが。

2009年1月24日 (土)

出戻り女のものぐさナポリタン

まるで出戻り女みたいだ、と私は思った。

だって、正月休みが終わってたった1週間しか
たってないのに、私はまたしても実家の炬燵で、
リンゴと野沢菜を交互に食べて父母と3人、
無言でテレビを見てるんだから。

これじゃまるで、新婚早々、喧嘩して実家に
戻ってきた、出戻り女みたいじゃないか

いや、でも私は出戻るどころか嫁に行く家も
見つからないような状況であるので、もちろんの
ことながら、出戻ったわけではない。

スキーに行くのだ。

スキー仲間が長野駅の改札に集合するのは
その日の夜のこと。
スキーを長野の実家に置きっぱなしにしていた
私は、一足早く長野に戻り、長野駅を通り越して
大雪の実家に立ち寄り、今からスキー持って
父の車で長野駅に戻るっていう段取りなのだ。

父がついにDSiを買ってしまった、と
母が不満を漏らすのをよそに、当の本人であるところの
父と私は、テレビ鑑賞にふけっていた。

テレビでは、時間短縮をテーマにしたバラエティ
番組が放送されている。

時間短縮といえば、時短勤務だよなぁ

と、私は、いつかやってくるはずの、妊娠中の時短勤務を
夢見ながら、その番組を見ていたのだった。

と、テレビの中では、料理の時間短縮、として、
料理のうまいといわれるお笑い芸人が、
ご飯と海老フライと豚汁とポテトサラダとナポリタンを
4人分、30分で完成させる
、という荒業に挑戦していた。

海老フライをグリルで作り、じゃがいもを電子レンジで
ふかし、豚汁も電子レンジにかけ、ご飯は鍋で作る。

そして。
ナポリタンをフライパン1つで作るお笑い芸人を見て、
母がふともらした。

あら、これいいじゃない。
これならあんたでも作れるでしょ。

えー、でもパスタはやっぱりさ、大きなお鍋でちゃんと
ゆでてから、サッと軽く他の具と合わせて食べるのが
王道でしょ

と、にわかパスタマニアの娘は思う。

しかも、パスタを2つに割って、お湯を沸騰させた
フライパンに突っ込むなんて。
どう考えてもパスタを愛する者のやることじゃ
なかろう
と。

とはいえ。
出来上がったパスタはいかにもおいしそうで、
私の心は複雑になる。

確かに。
コンロが1つしかないしがないワンルームの
アパートにおいて、パスタを作るっていうのは
ほんと、大変な作業なのである。

大きな鍋に水たくさん入れて、塩とパスタを入れ、
7分たったら流しのざるにパスタをあけ、代わりに
コンロにはフライパンを置くが、そうするとまだ
熱い大きな鍋はどこにおこうか。

そして、なんとかがちゃがちゃとパスタを作って
食べて戻ってくると、流しは大きな鍋とフライパンで
あふれており、手をつけるのもおっくうになるような
状況になってしまっている。

それを打破するには、やはりフライパン1つで
パスタを作るのはとても効率的に思われた。

あれから2週間。
スキーも終わって、友達の結婚披露パーティーも
終わり、久し振りに何の予定もない暇な土曜が
やってきた。

いつもは忙しさにかまけて外食だの弁当屋だので
済ませている私も、ものぐさサタディは外食にする
言い訳も思いつかないから、自炊しないといけない。

いや、別に自炊しないといけないわけじゃないんだけど、
女子としての使命感が、ね。

そうして、やりたくない、でもやらなきゃ、とものぐさ
自問自答を繰り返していた時、ふと思い出したのだ。

あの、「ものぐさナポリタン」を。

ピーマンと玉ねぎ、ウインナーとケチャップを買ってきて、
正月に母に分けてもらったお歳暮のハムを出し、
ピーマン以外の材料をとりあえずフライパンに突っ込み、
水を入れて火をつけ、ふたをする。

沸騰したらパスタを入れるわけだが、フライパンが
小さいので2つに割ってみる。
2つに割ればゆであがるまでの時間も短縮される
ような気がした。

そして再びふたをして時々かき混ぜながらパスタが
柔らかくなるのを待って、ピーマンとケチャップを
突っ込んで、あとは水を飛ばして出来上がり。

Cimg0252

盛りつけはいい加減だが、見た目はいかにも
うまそうだ。

そして、素晴らしいのは賞味15分、という異例の
速さである。

そして一口。

・・・ちょっとパスタが柔らかすぎる感はあるが、
普通に、懐かしい味のするナポリタンだ。

パスタが短くて、ちょっとくるくる巻くのは大変だけど、
小さい頃、パスタといえばナポリタンだったあの
味がした。

「ものぐさナポリタン」を食べながら、
あーあ、また実家に出戻ろうかな、なんて、心にも
ないことを呟いてみたりする、ひとりきりの土曜日の
夜。

そしてフライパンの中にはあと半人分のナポリタン。
こいつは明日、ラグビー見に行く前の景気づけに
食べることとしよう。

エコとあまのじゃく

エコって言葉を聞くとなんだかちょっとイラっとする。

別に悪いことじゃないっていうのは分かっている。
そりゃあ、ゴミだって分けたほうがいい。
エアコンだって無駄につけないほうがいい。
排ガス規制に引っ掛かる寸前の父の車なんて
もってのほかだ。

でも、こんだけエコエコって毎日毎日言われると、
はむかってしまいたい気分になるのは、きっと
私があまのじゃくだからだ。

とある日。
私は東京駅から大手町に向かう、ながーい地下道を
出張帰りの大きな荷物を持って歩いていた。

歩いていたのは、新幹線が東京駅に着いてしまい、
東京駅から大手町に向かういけてる交通手段が
なかったから、タクシーに乗る金がもったいなかった
から、そしてなんといっても、この区間を歩くと、
夜万歩計を集計するときに万歩計君にほめて
もらえるから
であって、別にエコのためじゃない

と。
大手町側の、いつもR25が置いてある棚に、
薄緑の雑誌が大量においてあった。

あれ。
よく考えたら今日は月曜日
R25の発売日(いや、無料だから、正しくは発行日?)
毎週木曜日
そして毎週、その次の日(ってことは金曜日)にはすべて
売り切れ(いや、無料だから、正しくは。。何?)になっているもの
である。

とりあえず、手に取ってみると、
そこには「ecoR25」と書かれている。

またecoかよ。
R25までeco・・・ってこれじゃ完全に流行りものじゃないか。

ecoは嫌い、だけどR25は読みたい

だって、地元の駅にも会社の駅にも、L25はたくさん置いて
あるんだけど、R25は置いてないんだ。

女子としては失格なのかもしれないが、私は断然、
L25よりR25派なのである。

結局、私はecoR25を1冊バッグに突っ込んでしまった。

あ。やべ。
そんな迷っているうちに、打ち合わせまで時間がなくなって
しまったじゃないか。

と思って、いったんはそこを通りすぎたのしかしだが。

そのとき、ふと眼に入ったものがあって、
もと来た道をついつい駆け戻った。

手にした1冊は、こんな表紙である。

Cimg0246

しかし、他の表紙のR25が置いてあるのを発見して
しまったのである。

しかも、もう2種類。

Cimg0247

Cimg0248

分かるだろうか。
右側の表紙がちょっとだけ違うのである。

協賛している会社が違う。
下のほうに載っている記事の名前も違う。
そして写真も違う。

同じようで、違う雑誌なのだこの3つは。

すごい!
なんかすごい!
何がすごいって、この仕組みに気づいた
私がすごい!

あ。まじでやばい。
打ち合わせ遅れる!

と、ちょっとだけの優越感とともに、その場を
後にしたのだった。

打ち合わせ後。
来た道を逆に進んで東京駅に向かう私の眼に
止まるのは、ecoR25を1冊だけPickUPしてゆく
R25を大きく通り過ぎているサラリーマンの
おじさま方。

ふふふふ。
おまいら、忙しさにかまけて1冊しか持っていかない
なんて、愚かだな。

しかーし。

会社に帰って仕事して、さて帰るかね、と思い、
帰りの電車で読む、「本日のR25」を選別していた
(3冊持って帰るのはめんどくさいから)私は、気づいてしまった。

愚かなのは私だったということに。

実は、この3冊、表紙が違うだけで、
中身が一緒じゃないか!

協賛している会社が違う。
→いえ。3社合同協賛だったのですね。

下のほうに載っている記事の名前も違う。
→違いますが、全部の記事が1冊に載っているのでした。

そして写真も違う。
→中には全部の特集記事が。

夜9時。
会社はエコとは相反して煌々と明かりがともっているが、
愚かな私はR25をにらめつけながらどよーんと暗い気持ちに
なり、無作為にR25を1冊持って、夜の街に飛び出した。

でも。
と、電車でR25を広げながら考える。

これは、あまのじゃくな私にはお似合いなんじゃなかろうか

だいたい、ecoを訴えるのに、紙の媒体を使うこと自体が
ecoじゃない

その、ecoであってecoじゃないものを、3冊ももらって
きたってことは、さらに「ecoだけどecoじゃない」ってことを
促進してる
ってことで、あまのじゃくな私としては、
実はecoに逆行している気がして、ちょっとだけ
気が晴れたのだった。

というわけで、私が無作為に持って帰った1冊以外の
あと2冊は、今も会社の机の横に無造作に置いてある。

あまのじゃくとはいえ、ecoと書かれたものを、堂々と
ゴミ箱に捨てるのは気がひけたから。

誰か持って行ってくれないかなぁ。。。

2009年1月17日 (土)

外科医という生き物

その夜、なぜか私たちは長野の端っこで
炬燵囲みながら、テレビを見ていた。

テレビの中では、ヤマピーだのガッキーだの、
外科医のフェローとしては明らかに若すぎる
メンツが、電車衝突事故の救助作業を行っていた。

そして、トリアージをしているガッキーに、
救助隊のお兄ちゃんが言ったのだ。

「意識レベル300!」

って。

そして、その時、私はとっさに反応してしまった。

「あー、それはもう駄目だね」

いつもテレビを見ながらテレビに話しかけてしまう、
一人暮らし特有のさみしい癖。

そのとき、口を開いたのは、本日初対面の男。

「・・・そんなこと、よく知ってるね。」

そう。
こいつ、実は外科医である。

私たちは、部屋を見渡してもふつーのはさみは
見当たらないのに、セッシだのメッツェだの、
テレビの中でヤマピーガッキーが使っている
へんてこりんな道具が散乱しているような、
お医者様の卵のお部屋にて、コードブルーを解説付きで
鑑賞、というある意味贅沢な夜を過ごしていたのであった。

で、なんで私が
「意識レベル300はDOA(Dead on arrival)」なんていう
へんてこりんな医療用語を知っていたかって言うと。

・・・買っちゃったんだ。

ここに来る途中の大宮駅で、
「ジェネラル・ルージュの凱旋」を。

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去年の暮れ、本棚の整理をしていたら埃にまみれて
ハウスダスト症候群になり、鼻水涙ジュルジュルで
レッドクリフを鑑賞することになってしまった反省から、
今年はなるたけ本を買わないことを目標にしていたのにも
かかわらず、年明けたった10日で、しかも衝動的に、
早速今年も本を買ってしまった。

志の弱い自分にあきれながら大宮駅で本を開いた時、
私はやっちまったと思った。

これは、もしや一回読んだ本じゃなかろうか。と。

だってまったく一緒だったんだ。
半年前に読んだ、「ナイチンゲールの沈黙」と。

ナイチンゲールの沈黙(上) ナイチンゲールの沈黙(上)

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でも、軽井沢に着いたころ、私は気づいた。

これは、「ナイチンゲール」の裏で起こっていた、
時を同じくしたもう一つの事件であるのだと。

舞台は、「ナイチンゲール」の舞台の小児科の
1つ下のフロアにある、ICU

そこでは、「ナイチンゲール」の水落冴子の
単なるファンであると思われた、天才外科医、
速水先生が救急で運ばれてきた患者を、
次から次へと復活させていく。

そして、問題の「意識レベル300」が運ばれて
来たときも、速水先生は、驚くべき対応で、
意識レベル300から復活させたその時、新幹線は
長野駅に滑り込んだのだった。

だから、初対面の医者と、ちっちゃい炬燵囲んで
お酒飲んでまったりしている間も、頭の片隅には
速水先生がいて、ドラマの中のギバチャンを見ながら、
「あー、速水先生って、こんな感じかな、んー、でも
もうちょっとがっちりしてそうな感じもするよね」
とか、
現実社会から若干離脱気味なのであった。

しっかし。
外科医というものは、一般人には到底理解できない
ものなのだと思う。

それはたとえば、意識レベル300の患者を、
心臓切り開いて直接マッサージして生き返らせちゃう
速水先生
の行動であり、脳に血が詰まって圧迫
されている子どもの頭を、その辺にあったドリルで
穴あけて血を出させるヤマピー
の姿であり。

そして、目の前でお酒飲みすぎで顔真っ赤にしている
この外科医も、そんな常軌を逸していると思われる
ヤマピーの姿を見ながら、「正解だね」と、一般人には
理解できない解説をするのであった。

うーん、理解不能。
難しいなぁ。頭の良い人って。

と思いながら眠りに着いた次の朝。

予想に反して晴天の空の下、スキーに出かけようと思って
乗った外科医の車は田舎道には不釣り合いな超かっこいい
マニュアルのインプレッサ

車のシートは素晴らしく体にジャストフィットする
革張りで、すげーすげーと感激する私たちに
気を良くしたのか、不敵な笑いを向けてきた。

このスイッチがすごいんだよ。

ん?スイッチ?

見ると、ギアの後ろ側に、なんだかぽちっと
押せそうなスイッチが。

なに?ガンダム?
それ押すともしかして足生えてきたりするわけ?

とか茶化したのがいけなかったのだろうか。
突然、その医者はそのスイッチをぽちっと
押した。

その瞬間。

ブオーン

車が、あり得ないほど急に加速し、前からあり得ないほどの
圧がかかって、私たちはシートにへばりつけられた。

一瞬の出来事。

でも、一瞬死んだかと思った。
こんな急に圧がかかったら死ぬだろうと。

ふふふ。
これがやりたくて、この車にしたんだよねー。

・・・医者は、不敵に笑った。

うーん、外科医という生き物は、本当に理解不能だ。

2009年1月 4日 (日)

幸せの、半分。

コネタマ参加中: おみくじ引いた? 2009年の運勢と抱負を教えて!

2009年最初の散財は、スキーだった。

まさか、あんたが自主的にスキーを買うなんて
思わなかった、と家族がぽかんと口をあけている
中、私はほとんど迷うことなくHEADとかいう、
確か私の子供のころはなかったと思われるメーカーの
セットスキーを買った。

セットでも、足が痛いと悲惨なことになるので、
ちょっとでもいいやつ、足にフィットしたやつに
しようと思って、足を実測したら、25cmですね、
と、ちょっとカッコイイお店のお兄さんに言われ、
新年最初からイケメンに「足がでかい女」という
不名誉な印象を植え付けてしまったと思ったら
ちょっとへこんで、ぶつぶつ文句を言いながら
向かった先は、もちろん善光寺

そこらへんのアナウンサーよりも全然アナウンスが
うまくて面白い警備員のおじさまのお話を聞きながら
長い長い列に並んで、雪が舞う、から、雪が降る、に
変わったころ、やっとこさ参拝を終えると、妹は早速
いつものセリフを吐いた。

天津甘栗買って帰ろう。と。

妹の大好物、善光寺の天津甘栗。
うん、買って帰ればいいじゃない。
あんた夜は夜勤なんだし。
私は食べないけどね、あんなにべたべたするもの。

しかし。

いつもはあるはずの天津甘栗屋さんが、ない。

いくら探してもない。
おっかしいなぁ、天津甘栗どこにいっちゃったんだろう
と、勝手にマジ凹みする妹をなだめようと思って、提案した。

そうだ。
おみくじやろう。

私はできればおねいさんが占いの棒みたいなのを
差し出してくれて、一本棒を抜くと、下に番号が書いてあって、
おねいさんが大事そうにその番号の紙を持ってきてくれる、
ああいうタイプのおみくじがやりたかったのだけど、
近くにあったのは、おみくじ自販機。

味もそっけもないなぁと思いながら、自販機に100円入れると、
ストン、というなんともつまらない音がして、おみくじが出てきた。

次は妹の番。
同じように、100円を入れようとしたところで、
母が走ってきた。

ねえ、2回やって

仕事の関係で、田舎に帰省できなかった下の妹の分も
おみくじを引いて、送ってやろうというのだ。

そんな、他人が引いたおみくじで、運試しなんかできる
もんだろうか、という疑問が激しく首をもたげているのだが、
本気の母にそんな突っ込みを入れることもできなかった。

というわけで、まず自分の100円でおみくじを買った
真ん中の妹は、次に母からもらった100円で、下の
妹の分のおみくじを購入。

その間に、私は自分のおみくじを開封する。

と。

そこには、近年おめにかかることができなかった、
大吉の文字。

よろこび事十ぶんなり とか、
えんだん吉、産はあんざん とか
書かれていて、その横に最も待ちわびていた、
「待人来たる」のお告げ。

キタ――――!
おねえちゃん、キタ――――!

と、姉が小躍りしながら喜びに浸っている間、
妹は悩んでいた。

どっちが私の100円で買ったおみくじで、
どっちが母の100円のおみくじだっけ。

ま、両方あんたがひいたおみくじだから、どっちでも
よいんじゃない?
と姉。

ねぇ、どっちも、まさか凶ってことはないよね??
凶送ったら怒られちゃうよね?

と、下の妹のことばかり気にする母。

真ん中の妹は、母の意見はガン無視して、私の
意見に賛同したようだった。

私、この自販機で凶ひいたことあるよ、と、母が
がっかりするようなことをぶつぶつ言いながら、
とりあえず目についたほうのおみくじを開封する。

そこには、今まで誰も見たことのない、今年の
運勢が書かれていた。

半吉

はんきちぃ?

なにそれ。
半分なの?
何の半分?大吉の半分?
それとも吉の半分?
半分ってどのくらいのことをいうの?

妹のつたない音読を聞いていると、
「願い事叶い難し」とかなんとか言っているので、
あんまりすばらしい運勢でないことは確かだ。

でも、確か中吉もあったよね?
中吉と半吉って一緒なの?
幸せの量でいくと同じくらい?
もしかして最近中吉ってなくなったの?
法律改正?

矢継ぎ早に質問を繰り出す、大吉を手にしている
姉に、相当ムカついたんだろう。

「でも、大吉の人は、大吉引いたっていうことで、
すでにその年の運の
半分は使っちゃったような
もんだよね」

小学生みたいな負け惜しみ。
しかもまた半分とか言って。
だから、その半分ってどのくらいなのさ。

と言いながら、駐車場に戻ってくると、何かをふんづけて
母が言った。

なにこれ、気持ち悪い

誰かがマフラーか何か落としたんじゃない?と妹。

確かにそこには濡れそぼった毛糸の塊。

ま、もうこうなっちゃったら使えないね、と言いながら
特に気にすることもなく車に乗り込んで帰路に着いた。

と、帽子を脱いだ妹が叫んだ。

あーー!
帽子のボンボンがない!

そう。
母が気持ち悪い、と言った毛糸の塊は、ほかでもない、
妹の帽子のボンボンであったのだった。

ボンボンがとれて、半分になってしまった帽子。
これが、いわゆる半吉ってことなんだろうか。

ところで。
あのとき真ん中の妹が選ばなかった、
下の妹用かつ、真ん中の妹のもう1つの運勢であるところの
100円おみくじ。

あれは、私が大事にお預かりして東京に持ってきたのだが、
妹は東京で遊び歩いており、取りに来ていないため、
まだ開封されていない。

私と同じ大吉か、母が恐れている凶か、はたまた
最近はやりの半吉か。

ちなみに、運勢の量としては、
大吉>中吉>小吉>吉>半吉>末吉>末小吉>
凶>小凶>半凶>末凶>大凶

の順番になっているらしい。

ま、本当のところは、1年後、私の幸せと妹の幸せの
量を比べてみないことには分からないんだけど。

2009年1月 3日 (土)

せきへき

ってひらがなで書くと、どうしても「へきえき(辟易)」
見えてしまうのは、私が疲れているって証拠なんだろうか。

そんな、「せきへき」「へきえき」の区別も
ついていない私を、無理やり映画館に連れてきたのは、
父と妹である。

いや、私はいやだって言ったはずなんだ。

1ヶ月くらい前にも、友達に誘われたけど、そのときは
事前に何の知識もない状態で、三国志なんていう
壮大な物語を鑑賞するなんて、三国志に対して失礼では
なかろうか」
という理由でかたくなに断ってしまった手前、
今回も結構必死で断ったのだ。

だって、おねえちゃん赤壁の戦いなんて知らないし。
三国志だって、劉備と張飛と関羽までしか分かって
ないのよ。
曹操ってどこの国の人だっけ?
だいたいさ、映画の主人公ってどこのどいつなの??
中国人のキャストなんて、顔見たってほとんど一緒なんでしょ?
三国志って人が多くて名前覚えるだけでも大変なんだから、
顔一致できなくなったらお話分からなくなっちゃうでしょう。

断る口実を作るために、矢継ぎ早に出した私の
質問に、妹はビックリするくらい何も答えられないのだ。

あんた、よくそんなんで見たいって言えたもんだわね。

と、鼻で笑った姉の鼻を、妹は即座に折った。

え。私この前一回見たんだよ。

はぁ??
あんた、1回見たのにそんなに分からないわけ?
そんなに難しい映画見て、何が面白いわけ?

いやわかんなくてもいいんだって。
映画の最初に簡単に説明は出てくるし、
人の名前だって、その人が再度現れるたびに、
何度も出てくるんだから、途中で分からなくなることなんて
ないんだって。
三国志がどうこうじゃなくて、普通のアクション映画として、
すごい面白いんだってば。

と言いながら、妹は、「この前は字幕だったんだけど、
字幕追うのが大変だから、今度は吹き替えがいいなぁ」

とか意味不明なことを言いながら、その「一回見たけど
全然あらすじが説明できない映画」
の、明日の上映
スケジュールを調べている。

・・・負けた。
こんなバカでも一回みてるんだったら、完全に負けた。
三国志に対してこんだけすでに失礼な振る舞いをしてる
輩がすぐ近くにいて、おそらく全国にも似たようなレベルの
輩が相当数いるのであれば、私一人が多少失礼なことを
しても、そんなもの数のうちに入ることなんてないであろう。

というわけで、三国志を完全に把握していて、しかも
中国マニア
、という、解説にはもってこいの父親を
引き連れて、親子3人、ここ数年のうちに新しくできた県内初の
シネコンに出かけてきたというわけだ。

が。私はここでもうひとつ衝撃的な事実を知る。

買ったチケットの映画の題名のところに、
「レッドクリフ 前編」って書いてあるじゃないか。

ねえあんた、前編ってどういうことよ

と、私は妹を問い詰めた。

今日の話だけじゃ、赤壁が終わらないってこと??
後編はいつやるのよ!

4月!
と、なぜかここだけ、馬の合わない父と妹が
急に口を合わせて答えたところで、シアターは
暗転。

・・・おとうちゃん、知っている情報があるのなら、
お願いだから先に言ってください。

とかぶつぶつ言っている間に、やすっちい解説
画面から始まる映画。

この解説画面は、できたものが日本に輸入されて
来てからこっちのスタッフが完全に後付で作った、
っていうのは確かどっかのテレビでやってたな。

とか思っているとあっという間に映画の本編が
始まるのだがそういえば全然調べてこなかった。

あ。すみません、キャストは、キャストは
どんな人が出るんでしたっけ?

金城武はすぐに分かった。
でも、周喩は誰だっけ。
絶対あいつ見たことある。見たことあるよ!

ってぶつぶつ考えること1時間。
そうだ、トニーレオンだ。

そうだ、アジアの俳優にはとっても珍しく、
普通にやってるはずなのに、なんだかちょっとだけ、
エロティシズムを感じてしまうこの感じ
、どこから
どう見ても、トニーレオンだ。

ひげでどんだけ隠しても、隠し切れないエロティシズム、
やっぱりトニーはすごいなぁ。

しかし、分からないのは女性陣だ。

妹が言っていた、「とんでもなく美人な周喩の奥さん」は、
中国の美人で、妹の「多分アジエンスの人」という
話から、完全にチャンツィーかと思っていたけど、全然
違う人だった。

そして、その周喩の奥さんよりも、私が10倍気になった
のは、周喩のじゃじゃ馬な妹である。

黒目が大きくて、男勝りで馬に乗れて、負けず嫌いで
あんまり笑わないけど、何かをたくらんでいるときの
表情がまじでかわいいじゃじゃ馬な妹に、私は
完全にほれてしまった。

しかし、肝心なところの、三国志の話の中で、
赤壁の戦いとはなんであるか、と言うところは
映画では最初の数分の説明でほぼ終わってしまい、
なんとも浅い理解の中でどんどんお話は進んでいく。

まぁこの速度で進んで言ったのでは、妹があらすじを
語れないのも分からないではない。

でも、そんな浅はかな中で、参考になるのは中国風の
戦い方のところである。

この映画で語られている、赤壁の前半部分は、
陸軍の戦い方であるが、この戦いの中で大事な
ポイントがおそらく3つある。

1.忠実な兵隊たち
2.屈強な将軍たち
3.優秀な軍師たち

これは、そのまま企業にも言えることなんじゃないかと
思うのだ。

まずは、忠実な兵隊(=私たちのような若造)が、
上司の言うことを忠実に守って敵をかく乱させて、
敵の攻撃が弱まったところで、将軍(=課長クラスの
方々)が出てきて力で敵をなぎ倒す。
そして、その戦略は、敵の出方を見て、軍師たち
(=企画的な部署の方々)が臨機応変且つ的確に
考えられていることが大事なのだ。

なるほど。
「兵法」が愛読書だという会社の先輩が、
酔っ払いながら、「兵法」はビジネス書だ!とか
豪語してたのを完全に馬鹿にしてたけど、読み方に
よってはそういう読み方もあるんだねぇ、と心の中で
ただひたすらに謝ってみたのだった。

とはいえ、父の話によると、前編はまだ本当に
序の口であって、赤壁の戦いはまだ全然始まっても
いないんだそうな。

矢が足りなくて孔明が矢を調達するために何をしたとか、
神風が吹くとか、そういう有名な話はまだ出てきていないし、
本番は後半にやってくるんだそうな。

4月から後半ってことは、ゴールデンウィークは上映
真っ最中ってことか。

多分また、私はいやだいやだと言いながら、妹と
父に連れてこられてしまうんだろうと思っている私の
横で、前編を2回も鑑賞した妹はのたまった。

これさ、アクション映画なんだから、あの会談の
シーンとか、琴引くシーンとか、ああいう変なところ、
削ってほしいよね!!!

・・・後半は、そういうシーンの意味が分かるくらいには、
三国志、勉強してから来ようね。

2009年1月 1日 (木)

抱負

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

もう年も明けてしまったけども、去年を
振り返ってみると、去年は、いろいろと
新しいことをはじめることができた年では
あったなぁと思う。

それは例えばお料理教室であったり、
母が私に限ってありえないと言っていた
駅伝であったり。

変化を激しく嫌う私にとって、新しいことを
これだけはじめられたのはもはや奇跡に
近いことであって、それは明らかに誘ってくれた
みんなのおかげであるのだけど、これだけは
本当に、自分で自分をほめてあげたい。
(な、なんて使い古されたフレーズ)

でも、その一方で、何事においても成果は
出せない年だったなぁと思う。

特に、仕事の面では、結構がんばっては
みたのだけど、古い成果を今更認められる
ことはあっても、新しい成果を自分で出せたか
と思うと、全然でなかったと思う。

原因のほとんどはもちろんウイルス君が持って
いる。
あの3週間のブランク。
今となってはほぼみんながあのブランクのことを
すっかり忘れている様子で、傍目には多分
あれは何でもないことであったように写っている
ことと思う。

でも、私としては、どんなに張り切って残業しても、
あのときにあのタイミングでやれなかった仕事が、
大事なところで足をひっぱってくるような気がして
仕方ないのだ。

営業はタイミングが大事なので、それはどんなに
あとから取り戻そうとしても、完全には取り戻せない。
しっかり抱えていても、気づくと指の間から、大事な
ものが少しづつ零れ落ちていくのをとめることが
できなかった、そんな去年の後半であった。

だから、今年の目標としては、新しくやり始めたことは
続けて、なんとかして成果を出したい。
あ、その前に、体壊すと治すのも取り戻すのも本気で
大変だというのが身にしみたので、せめて大きな
病気などせずに、元気に楽しく生きていきたい。

そして、できれば、病気などしても、すぐに気づいて
飛んできてくれる、親以外の人が見つけられますように。
昨日名づけられてしまった、「都合のいい女ともだち」と
いう名前から脱却できますように。

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