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2008年10月

2008年10月28日 (火)

まさかの続編(とある自動販売機での出来事)

まさか、続編があるなんて、先週末誰が思っただろう。

それは月曜の朝のこと。
週末にたまったおもにスパムメールをゴミ箱に入れてる
ところだったから、危うくそれもゴミ箱入りになるところだった。

しかし、すんでのところで私は気づいた。
これは、私がお問い合わせフォームに書き込んだ
文句に対する返信なのだと。

逆切れしてなんかウイルス的なもの添付されてたりして。。。
とかいらぬ心配をしながら、恐る恐るメールをあけると。

ご不快な思いをおかけしまして、誠に申し訳ありません。

と、非常に低姿勢なご挨拶。
こっちが恐縮してしまう勢いではないか。

商品をお求めいただきましたのに別の商品が出来てきたと
いうことで、大変ご不快な思いをおかけしておりますこと
重ねてお詫び申し上げます。

いえいえ。
そんな、そんなに謝られても。

考えられますのは、担当の単純な補充ミスか、自動販売機の
設定ミスだと思われます。 今回は、カルピスソーダの設定が無いと言う事ですので、
単純な補充ミスだと思われます。申し訳ございませんでした。
単純な補充ミス・・・ねぇ。
ふーん。
とか、寝ぼけなまこで恐縮しながらメールを
読み進めていた、ちょうどその時、私の内線が
なった。
電話の相手は、おえらい役員様の秘書様であり、
そんな人が電話かけてくるのは、役員様のご予定が
急に変更になって、かなり前から取っていたアポイントが
あえなくパー、というときくらいなので、私はかなり
覚悟を決めて通話ボタンを押したのだが。
えらくあわてた様子の秘書様は、いきなり切り出した。
「業務外なんですけど、いいですか?」
業務外?なんでしょう。
飲み会のお誘いでしょうか。
それとも合コンでしょうか。
秘書様のお知り合いの男子でしたら、100%身元のしっかりした
素晴らしい男性と存じますので、ぜひご一緒させていただければ。。。
なんていう妄想を抱きながら、先を促すと。
「この前のプレミアムカルピスって、その後どうなりました?」
あ。そうだった。
秘書様は見ていた、あ、いや、ご覧になって
いたのだった

プレミアムかと思いきやソーダ!とか言って私が取り乱していた
あの瞬間を、役員様のお使いになった湯呑茶碗など洗いながら。
「私もやっちゃったんですよ。すっかり忘れて。」
そう。
秘書様ともあろうお方が、やっちまったというのだ。
私のあの狼狽っぷりを間近で見ながら、週末はさんで
月曜になったらすっかり忘れて、朝っぱらから
プレミアムかと思いきやソーダのボタンをプッシュ
しちまった
というのだ。
「その後、どうされました?」
秘書様は私が金曜にどうしたのか聞いてくる。
えっと…金曜日は…
「…飲んで、しまいました。」
すみません!ごめんなさい!
プレミアムがあれだけ飲みたかったのに、
ソーダが出てきたら、結局ソーダに魂を売って、
飲んでしまったのです。
「あ、そうですか。」
秘書様は、微妙に落胆したようだった。
ソーダに魂を売ってしまった私に。
やばい、秘書様を落胆させてしまったら、
役員様のご予定を抑えられなくなってしまうではないか。
しかし、話は思わぬ方向に進んでいった。
「私、電話したんですよ。」
え?!
秘書様自らお電話なさったんですか?
自販機の会社に?
「そしたら、今日の10時から11時の間くらいに、
取り替えに来るらしいですよ」
さすが。
さすが秘書様。アポとりのプロ。
「じゃ、自販機の人来たら呼びますねー。」
人のアポイントを余裕で却下するいつもの対応とは
打って変ってなんと丁寧な秘書様の対応。
あっけにとられていると、すぐに横からお呼びがかかった。
「来ましたよー。」
秘書様!
わざわざこんな庶民の座席まで来ていただいて。
そして、秘書様と私、ありえないコンビで廊下に飛び出した。
自販機の前で待っていたのは、ジュースの補充に来た
お兄ちゃんだった。
とりあえず秘書様は彼から130円を返してもらい、
会社に文句メールを書いたのが私だとわかると、
お兄ちゃんは恐縮しながら、私に差額の20円を返してくれた。
やっぱり110円だったのね。カルピスソーダ。
「どうしてこんなことに・・・」
といぶかしげに聞くと、お兄ちゃんは答えた。
「もう少ししたらソーダを売ることになっているので、
それが間違えて出てしまったようです。」
間違えて出ちゃうことなんてあるのかしら。
いまいちぴんと来ないけども。
「もう補充しなおしたんで、正しいのが出ますよ」
おおおお!
これで念願の、プレミアムカルピスに出会えるじゃないか!
しっかりとその瞬間をお兄ちゃんに見せつけるため、
お兄ちゃんのいる前で130円を投入し、プレミアムの
ボタンをプッシュ!
ゴロゴロと重低音が鳴り響き、出てきたのは…
Dvc00018 
今度こそ、プレミアムカルピス
思えば、金曜の朝、プレミアムのディスプレイと出会ってから、
4日という月日がたち、やっと出会えたプレミアムカルピス。
喜びもひとしおである。
ありがとうおにいちゃん。
ありがとう秘書様。
これで、今週も仕事がんばれます。
以上、まさかの続編、めでたく終了。

2008年10月25日 (土)

とある自動販売機でのできごと

とある金曜の朝。
今日さえ働けば、あとはぐずぐずの週末が待っている。

うれしさ8割さみしさ2割
そんな複雑な気持ちを抱えて、私は自動販売機に
向かった。

お茶を買うために、110円を持って。

しかし、そこで私は発見した。
お茶の数十倍すばらしいものを。

それは、プレミアムカルピス

昨日までは確かにそこには普通のカルピスが
置かれていたのであるが、秋も深まってきて、
さっぱりよりこってりが好まれる時期になってきたので、
さっぱりカルピスからこってりプレミアムに変更
されたのであろう。

カルピス
それは、初恋の味だと人は言う。

じゃあ、プレミアムカルピスはなんなんだろう。
プレミアムな初恋?
でも、初恋ってどっちかっていうと、プレミアムって
いうより、素朴でシンプルなものでしょ?
それがプレミアムってどういうこと?

子供の初恋じゃなくて、大人の初恋ってこと?
落ち着いた、大人の雰囲気漂いまくってるけど、
心はとってもピュア、みたいな。
本来初恋じゃできないような、プレミアムな経験
がついてくるってこと??

そんな妄想で、朝から気分はとてもハイになってきて、
お茶なんかもうどうでもよくなってきた。
プレミアム初恋、もとい、プレミアムカルピスを
買わねばならない。

しかし。
手元には110円
昨日まで110円だったはずのカルピスの居場所は、
プレミアムになったとたん130円

・・・足りない。
そ、そりゃそうだよね。
プレミアムだもんね。
一朝一夕で買えるようなお値段なわけないわよね。

と、とりあえず当初の目的通りお茶を買って、
自席に戻り、仕事を始めることにする。


夕方。
はなきんであらかた空っぽになったフロアを
見回して溜息をつく。

いや。私はがんばれる。まだまだがんばれる。
だって、廊下に出ればプレミアムカルピスが
待っているじゃないか。

プレミアムな気分になって、もう少し仕事がんばろう。

と、今度こそ私は、余裕をみて200円という
大金を持って自動販売機に向かった。

プレミアムな初恋ってどんな味♪
なんて鼻歌ひっかけながら。

人気のない給湯室でプレミアム初恋を購入・・・
よく分からないけどなんかドキドキするシチュエーションだ。

なんだかミョーに興奮しながら200円を投入し、
プレミアムのボタンをプッシュ。






と。

ガチャン!と大きな音をだして出てきたのは・・・




Dvc00017

高級感あふれるプレミアムの外観とは似ても似つかない
安っぽいパッケージ
そもそも、プレミアムの入れ物はペットボトルだったのだ。
どうして缶。

それに、気になるのは値段の問題である。
昨日までここにあったカルピスは110円
プレミアムカルピスは130円

じゃあ、カルピスソーダは??

やすっちい外観と薄いカルピス濃度。
どっちかというと、絶対110円のほうが有力だ。

これはただ事じゃない。
対価が同じなら後は好みの問題だけだが、
支払った金に見合わないものを与えられるのは
我慢ならない。

くっそぉ。
どうしたらいいんだ。
この怒り、どこにぶつけるべきか。

と。
自販機の端っこに電話番号を見つける。

こいつだ。
こいつに文句言って、20円返却してもらわねば
ならない。
いや、返せ、なんて子供じみた事は言わない。
これ以上、プレミアムとソーダの取り違えの被害に
遭うかわいそうな同僚を増やしてはいけないと思ったんだ。
(建前)

即座に電話番号を記憶し、自席に駆け戻って
電話をかける。

しかし。
数回のコール音のあとに聞こえてきたのは、
「不在です」という、あたかも普通の家のような
留守電であった。

どうやら受付は18:00までのようだ。

それでも、普通、お問い合わせ用の電話であれば、
「○○会社、お問い合わせセンターです。
大変申し訳ございませんが、ただいまの時間は
お問い合わせをお受けすることができません」

くらい言葉を重ねるのが普通であろう。
それがまた、「不在です」って。

電話がつながらなきゃ、怒りのぶつけようもない。
仕方なく仕事に戻るのだが、いらいらいらいらして、
仕事も手に付かない。

だから私は自販機に書いてあった会社のHPを
開き、お問い合わせフォームに怒りをぶつける
ことにする。

プレミアム押したらソーダが出ちゃったじゃないかと。
プレミアムとソーダは値段が違うだろうと。
そもそも、この自販機にはソーダは売ってないはずなのに
ソーダが出るとはどういう了見か
と。

いらいらしている頭を、カルピスソーダで冷やしながら。

うすら寒い秋の夜長と、それには似つかわしくない
真夏の味、カルピスソーダ。

はてさて。
お問い合わせフォームに書き込んだクレームについて、
回答は返ってくるのであろうか。
そして私の20円の行方は。

回答が返ってきたら次回、あるかも。

2008年10月19日 (日)

初秋の闘病記 最終回

金曜日の夜。
明日のお祭りにはただでさえ人がたくさん来ると
言うのに、母はさらに参加者を増やそうとしていた。

それは、母方の祖母

祖母は、母の兄の家に同居しているのであるが、
なんだか最近ちょっとしたイヂメにあっているようなのだ。

母の兄の息子であるところの、私と同い年の従兄。
従兄は去年私に、「まだ結婚しないのかなぁ?」
嫌味を言いながら一足早く美人の嫁と結婚し、
実家を改築して2世帯住宅にし、私が病気で寝込んでいる
間に、嫁はついに長男を出産した。

ここまで聞くと、なんと親孝行なできた息子であろうと、
私と比較して感嘆の声を上げる人もいるかもしれないが、
素晴らしいのは嫁であって、従兄ではない

従兄は、自分が金払って2世帯住宅にしたのをいいことに、
家で威張り腐っているというのだ。

祖母の部屋は日当たりが悪くて、夕方早めに
真っ暗になってしまう。
だから、日没より前に電気をつけておいたら、
このバカ息子は激怒して部屋に入ってきて、
電気を消してしまったというのだ。

さらには、早めに夕飯作ろうと思って炊飯器のスイッチを
入れれば、これも電気の無駄遣いだと激怒。

昔から思ってたけど、なんて人間の小さい男だろう。

そんな従兄が工場休みの休日に、祖母を家に置いておいたら
またいぢめられると思った母は、祖母をお祭りに招いたようだ。

しかし、祖母は言うのだ。
「おらもいろいろ忙しわさ。」

忙しいって、カラオケ教室だろうか、それともマレットゴルフ?
どちらにしろ、趣味に生きる女は週末とっても忙しいんだそうな。

土曜日。
病気はすっかりよくなったような気分の私は、
同じく病気はすっかりよくなったと思い込んでいる母に
いいように使われて、宴会場の設営を手伝わされていた。

すると、突然鳴り出す電話。

電話は、父の従妹であるところの・・・
私にとっては・・・
親戚が多すぎて、呼び方が分からない。

「今日、行っていいんだよねぇ?」

ん?

母は昨日、「お祭り来てね」ともう1件の親戚には
電話をかけていた。

だって、父は先週そっちのうちに呼ばれてきて、
そっちのうちは誘ったって言ったのだ。

だけど、もう1件のうちは誘ってないって言うのだ。
だから電話しなかった。

しかし。
そのおばちゃんの話によると、父はおばちゃんにも、
「来週祭り来いやな」って言ったようなのだ。

父に聞いても、全然覚えていない。
誘ったのか誘ってないのかも曖昧だ。

でも、こんな電話がかかってきて、まさか「来ないで」なんて
言えないだろう。

だから私は言うのだ。
「もちろん、待ってるよ~」

酔っ払った父は、本当に手に負えない。。。

と、切った途端また電話。

電話に出てみると、なぜか祖母である。
今日はマレットゴルフじゃないんだっけ?

「どうしたの?」と聞くと、

「今長野駅なんだけど、電車行っちまっただよ。」

あれ。今日はカラオケ・・・

「まぁいいや、1時間半後の電車のるからさ。」

・・・どうやら、祖母はやってくることにしたらしい。
気まぐれなB型らしい行動である。

そして夜。

集まった親戚は、祖母を含めて8人。(家族含め12人)
今度結婚式を挙げる、父の従妹の息子(はとこ??)の
嫁も今回から加わった。

嫁、24歳。若いしきれいだ。
お腹には赤ちゃんもいるようだ。

そうなってくると、酔っ払った大人たちは、当然、私に
攻撃を仕掛けてくる。

質問は、毎年一緒だ。

・いつまで東京で遊んでるんだ。
 
(長野に支店はないのか

・彼氏はできたのか。

・いないのにどうして東京から帰ってこないんだ。

・長女なのに、この家どうするつもりだ。

・早く婿捕まえて田舎帰って来い。

問題は、私だって分かっている。
病気にかかって、私だって、このまま東京にいて
どうするんだろう
、とか、病気になるまで働いて
何の意味があるんだろう
とか、田舎帰って地に足付けて
働いたほうがいいんじゃないか
とか、そういうことも考えた。

でも、たった3週間で答えが出るような問題じゃないのだ。
少なくとも、私には、やらなきゃいけない仕事があって
必要としてくれてる人達もいるわけで、そしてその人たちや
仕事は東京で待っている

なんて、そんなこと口じゃ言わないけど。
親戚の前じゃ、お年頃の娘らしく、「ほんとにねー、
どうしようかねー」
とか微笑みながら言ってみるけども。

1週間の田舎療養。
それはとてもあったかくて、とても居心地のよいものだったけど、
そんなこんなで、やっぱり当初の予定通り、私は日曜日に
東京に帰ることにした。
火曜日は祝日だから、あと2日間休めばいいのに、と、
父も母も会社の人も言ったけど、もう3週間も会社休んで
しまったし、何より、このまま田舎に染まってしまったら、
東京の生活に戻れなくなってしまう。
刺激的で楽しいけど、強くならなきゃ生きていけない、
東京での生活に。

だから、私は父の車に乗り込む。
従兄の待つ家に帰る祖母と一緒に。

お彼岸にはちょっと早いけど、祖父のお墓に寄って、
長野駅で解散した。

父母は家に戻り、祖母も同居人に戻り、
そして私も東京ひとり暮らし生活に戻って、
私の闘病記は終了。




あれから1ヶ月

最初は「しばらく残業なし」と言われた仕事も、
3日も経てば終電まで残業に逆戻り
1週間後には、アルコールも再開してしまったため、
「病み上がり」という言葉も自業自得で使えなくなった。

病気の間、あんなに悩んだ問題。
「こんなに働いて、いったい何に
なるんだろう」

それは、まだ全然解決していない。

だけどそれでも私は前に進もう。
答えは、おのずと見つかるはずだから。

初秋の闘病記 その14

水曜の朝、今日も病人を放って仕事に行く
準備をしながら、母は言った。
「今日皮膚科行くんだったら、妹が夜勤から
帰ってきたら連れて行ってもらいなさいね。」

今日は、大学病院から先生がやってくる日である。

夜勤から帰って来た妹も聞いてくる。
「病院行く?」

それでも、私は断固首を振った。

顔から発疹が出始めて早1週間。
発疹の中心地は、腕と脚に移動し、
顔の発疹はもうほとんど治ったようで、
顔の治り度合いからすると、どうやら
あとも残ることはなさそうだった。

それに、いい加減病院に行くのに、疲れてしまった

熱出して3週間強で、行った病院、4つ
病院に通った日数、8日

総じて待ち時間は長く、原因も分からず、
疲弊して帰ってくることになる。

病院通いはもともと好きじゃない。
歯医者だって途中でさぼっちゃうくらい。
それが、この3週間で完全に病院拒否症
なってしまった。

じゃあ病院も行かず、熱も下がらないまま、
田舎のだだっ広い実家に閉じ込められて、
何して過ごそうか。

ウサギと戯れようとしても、まったく人間になつかない
ウサギから、噛む、暴れるの猛烈な反発を受け、
そんな反抗するならこっちだって、とこちらもムキに
なってしまい、交渉決裂。

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それでもがんばってセクシーショットの撮影だけは
許可してもらった。

じゃあ、ゲームでもするか、とも思ったが、
夜勤明けの妹は、昼間寝るでもなく、
ゲームの部屋にこもって、ゲームを始める。
仕事で疲れていないんだろうか。

急いで荷物詰めてとりあえず帰ってきちゃったから、
文庫本の1つも持ってきてないし、さてどうしようか。

こんなとき、病人はおとなしく昼寝でもすればよいのかも
しれないが、ぶっちゃけ3週間病院か寝てるかのどちらか
だったので、いい加減寝たくない。
朝だって6時にパッチリ目が覚めちゃうのだ。

明らかに退屈した様子の姉を見て、夜勤明けの
妹が手を差し伸べてきた。

妹が抱えてきたのは、大量の漫画本

妹は、ちゃんとした本はハリーポッターしか読まないけど、
漫画本に関しては、やたらめったら持っている。
そりゃあもう、納戸で漫喫経営できるんじゃないかと思うほど。

妹は、漫画本を自分の自室から私の自室に
大量に移動させてきて、私は2階の私の自室から、
1冊づつ、1階の茶の間に持ってきて読書。
1冊終わると、続きを読むためにまた2階に上がって
取ってくる。

これが、意外によいのだ。

発疹の中心地が脚に回ってきた今、最も痒いのは、
足の裏。
その足の裏のかゆみが、30分に1回の階段運動により、
とても軽減するのだ。

すばらしい。
素晴らしすぎて、私はさっきのいざこざも忘れて、
ウサギにえさを与えながら報告するのだ。
「お前も階段上り下りしてみなよ。素晴らしいから。」

そんなこんなで、空白の水曜日は通り過ぎて行った。

木曜日。
相変わらず朝6時に起床してしまう。

しかし、足の裏はまだまだ痒いけど、なんだかこの日は
すがすがしい気分である。

それもそのはず。
熱は、すっかり平熱に下がっていた

そして、熱が下がるとともに、このころから食欲も
出てくる。

素晴らしい。
素晴らしすぎて、ウサギにえさを奮発してみる。
餌の袋を小屋の中で傾けて餌箱に移してやる。

すると。
昨日のいざこざを、ウサギは悪い頭で覚えていたんだろうか。
餌の袋を、ウサギが前足でガツンと蹴った。
飛び散る餌。

そして、今日も朝から喧嘩が始まる。
「もう二度と餌あげないんだからね、このバカウサギ!」

結局、この日から熱は上がらなかった。
まだ発疹は若干残っているけど、どうやら闘病生活
からはなんとか脱出できたようだった

そして、この日、私は思い立つ。
「日曜日になったら、東京に帰ろう」と。

まだ私はおびえていたのだ。
父が私を田舎に閉じ込めようと思ってるんじゃないかという
妄想に。
それに、私自身、この上げ膳下げ膳のお気楽極楽な
田舎療養生活にこれ以上浸かっていたら、この生活から
抜け出せなくなってしまうと思った。

だから、治ったら一刻も早く、普通の生活に戻ろう。
会社行って働いて賃金貰う、あの定型化されていて
つまらないけど人間としてあるべき姿に戻ろう。

だから、夜、私は母に言った。
「日曜日に、東京に帰るよ」

すると、母は言ったのだ。
「じゃあさぁ、土曜日のお祭りは手伝ってね」

あ。
そうだった。
先週は親戚のうちのお祭り、今週はうちのお祭り。
父は先週親戚のうちで酔っ払って、調子に乗って、
「じゃ、来週はうちに来いよ!」とみんなを誘いまくった
らしい。

父は全然覚えてないけど。

というわけで、闘病生活も終わって、
次回やっとこさ最終回

2008年10月13日 (月)

初秋の闘病記 その13

父の座イスで寝てしまった私が起きると、
もうすっかり朝になっており、隣では
日曜なのに日勤の妹が看護師なのに
病人を世話することもなく、朝飯を
ほおばっていた。

相変わらず体中が痒くて、アイスノンで
冷やしていると、やれやれ、といった様子で
妹が言った。

「今日病院で、いい先生がいれば、診てくれるように
頼んでみるから。」

妹は、田舎の病院の内科病棟で働いており、
だから、家族の特権ということで、先生に頼む
ことだってできるのだ。

でも、内科の先生は4人いて、1人はすばらしく、
2人もそれなりだが、1人、大変やばい先生がいるの
だという。
知恵もやる気もなく、いい加減で腰掛で、むくんだ
患者に点滴しまくったり、薬の量を看護師にでも
わかるくらい間違えて指示してみたり。

だから、「いい先生がいれば」、電話するよ、と
言って、妹は家を出て行った。

いや、私としては、もう昨日結果は出てるし、
内科部長さんも家でじっとしてるしかないって言ったし、
だからもう医者に行く必要はないんじゃないかと思ったのだ。

でも、こんだけ2週間も、娘が医者にだまされるところを
横で見ていた
母は、たった一人の医者が言うことなんか
信用できるか、といい、私が地元の病院で問診に応え
やすいように、今までの様子をメモにまとめ始める。

いやお母さん、私もうこの2週間で、問診対応は完ぺき
なんだから、今更メモなんて。

そんなことしてると、妹からの電話。

今日は本来当番は腰かけ先生なのだが、自分の担当患者が
気になったイケてる先生が、休日出勤で病院に出てきたらしい。
そして、妹が私の病状を説明すると、じゃあ連れてきて、って
ことになったんだそうな。

「・・・というわけだから、早く用意しなさい」

と母に言われるが、地元の病院は、気が進まないのだ。

だって、田舎の病院という場所には、知り合いが多いのだ。

東京に比べて、特に女性が働ける場所の少なく、
年寄りが多い田舎では、高校の先生が率先して、
みんなの進路を医療関係にしたがる。
トップクラスの男子は医者、比較的良くできる女子は看護師、
中堅以下の男女にはなんちゃら技師、というように。

そして、先生に言われるがまま進路を決めた素直な生徒
たちは、専門学校・大学を卒業して、田舎の病院で
働き出すというわけだ。

それでも母はもうちゃっかり車を玄関前まで持ってきて
おり、今更断るわけにもいかず、車に乗り込んだ。

案の定、病院で迎えてくれた救急の看護師さんは、下の
妹の小学校の友達(よっちゃん)のお母さん
だった。

あらぁ、どうしたのぉ?

と、それはまるで授業参観で会ったお母さんたちの
会話のようで、なんだかうんざりする。

そして、さらには、そのお母さんが採血しちゃうって
いうんだから、なんだか不思議な気分だ。

なんて思っていると、よっちゃんのお母さんが
私の腕に針を刺して、首をかしげる。

「あれ、なかなか入っていかないねぇ。」

よっちゃんのお母さんは30年も看護師として勤務しており、
今は救急外来の確か師長さんで、その前は手術室に
勤務しており、だから、絶対に採血が下手なんてことは
ないのである。

だから、針が入っていかないのは、私のせい。
2日間はあいたけど、4日間も連続で血を抜かれたため、
傷口が固くなってしまって、針が通らないのだ。

なんとかかんとか血を抜くと、よっちゃんのお母さんは、
待合室を横切って、休日で真っ暗の、売店前と検査室の
あたりのベンチに私と母を招いた。

はしかだったらみんなに感染(うつ)っちゃうから、
ここで待ってて。

やっぱり、そうだ。
これこそが本来の病院の対応だ、と母は満足げだった。

40分後、検査室からお姉さんが出て行って、まもなく
よっちゃんのお母さんに呼び戻された。

病室にいたのは、妹からそれとなく事情は聞いた、
通称「イケてる」先生だった。

紹介状を読みながら、やっぱり先生も言った。

「これだけ日数経って、はしかが陰性であるなら、やっぱり
薬のせいでしょう。家で安静にしてるしかないです。」

「あのー、発疹って、残るんですか?」

「それは僕にはちょっと・・・。
水曜なら、大学病院の先生が皮膚科に来るので、
気になったら皮膚科に来てください。」

やっぱりここも、専門以外はよく分からないか。

そして、最後に先生は言った。
「それにしても、似てますね。」

妹と、似てますね。か。
田舎では、どこか行くたびに家族の話題を出されてしまう。
私は、この瞬間が学生のころ、本当に苦手であった。
今も、笑ってやり過ごせるけど、やっぱりちょっと面倒だ。

さて、家では父が腹を空かせてお昼を待っている。

そういえば、父は、祭りから帰ってきたあと、相変わらず
ずーっとゲームをやっているのだが、昼ご飯のために
2階から下りて来た父は、満面の笑みで私に行った。

「クリアしたぞ!!!」

最後の面で行き詰っていたようだったが、本日、無事
全面クリアしたようだった。

私は最後の面はかなりズルしてしまったのだが、
父はしっかりと、全員で攻め込んでちゃんと2時間かけて
クリアしたとのこと。
さすが、と私は素直に賞賛の拍手を送る。

と、父は、本来の目的を思い出したようだった。

「そういえば、病院ではなんだって?」

あ、思い出した?私がここにいる理由。

「やっぱり薬だって。昨日言われたのと一緒。」

「そうか・・・、なんか納得いかないんだけどな」

病気を治すはずの薬で発疹が出る、ということと、
もともとの高熱の原因は結局「ウイルスだろう」
言うことしかわからないことに、父は納得いかない
ようだった。

納得いかないと言われても、大病院の医者が、
2人も揃って同じことを言うんだから、もう信じるしか
ないのだよ、お父ちゃん。

結局、熱の下がらないまま3連休は終了し、火曜日。
そろそろ私のいるのも日常のことと化してしまったのか、
父も母もまだ熱の下がらない私に気兼ねすることもなく、
当り前のように仕事へと出かけて行った。

残されたのは、本日夜勤で昼間はお休みの妹と、
私、あとは餌をくれろと餌箱をひっくり返すうさぎ

家族の平和な日常が戻ってきた、高熱20日目の朝。

2008年10月12日 (日)

初秋の闘病記 その12

はてさて。
PCを覗く限り、結果の出ていないはしか判定の
結果を、血液検査担当に直接電話した内科部長さん。

電話の口調を聞いている限り、手元に結果はあるらしい。

「はしかのIgMが、0.51。はい。IgGは・・・再検査?
3日ばしかは?IgMが?やっぱり0.51。IgGは、陽性ね。」

素人には何のことやら。

「ところで、IgM0.51って、陽性なの?」

・・・内科部長にも、わからないようだ。

ちなみに、IgMっていうのが、今はしかかどうか、で、
IgGは、昔はしかにかかったことがあるかってことだ。

3日ばしか(風疹)には小学生の頃にかかったので、陽性。
はしかのIgGが再検査なのは、予防接種のせいだろうか。

で?肝心なはしかのIgMは

内科部長の電話は続いていた。

「陽性は。。。0.8から?あ。そうなの。ありがと。」
電話終了。

あれ。
ってことは、0.51は。。。

「陰性ですね。」

え?ええ?

予想外の結果に、気が抜けてしまった。

部長さんの言うことには、これはおとといの結果だから、
もしかしたら、今血液検査したら陽性になるかもしれないけど、
熱が出始めてこんなに日数がたって陰性ってことは、
はしかの可能性は極めて低いんじゃないかと。

そういえば、と、カルテを見ながら部長さんは付け加えて、
奥から誰かを呼んできた。

やってきたのは、3日前にお世話になった
駆け出し先生

先生も、たった3日で変わり果てた私を見て、びびったようだった。

「君は、どう思う?」

と、どうやら、部長による、駆け出し先生へのプチ講義が
始まったようだった。

駆け出し先生は、3日前に、私の口の中のできものに
いち早く気づいて、イソジンを処方してくれたのだったが、
もう一度口の中を見ながら、言うのだった。

「はしかとは、ちょっとできものが違うと思うんですよ。
はしかだと、もうちょっとこう、とんがったものが・・・」

やはり、駆け出し先生的にも、はしかは陰性のようだった。

そして、内科部長は「もういいよ」と駆け出し先生を返して、
一度書きかけた地元の病院への紹介状をいったん破いて
はしかは陰性だと書き変えつつ、私に質問した。

「今日は1人で来てるの?」

両親が、というと、呼んでくるように言われ、ドアを開けると、
すでにスタンバっている両親が真ん前にいた。
あまりにも私が長時間診察室から出てこないから、心配して
どんどん中まで入ってきてしまったらしい。

そして、最初に私をはしかだと断定した母に、部長から
残念なお知らせが発表され、私の病気について結果報告が
行われた。

・しばらく抗生物質飲んでいたようですが、おそらく原因は
その薬でしょう。
薬疹っていうんですけどね。
・でも、薬自体は決して変な薬じゃなくて、医者でも病気の
ときは飲む薬なんですけどね。
・薬で発疹が出てるわけだから、あまり薬は飲まないほうが
良い
んですが、熱が下がらないようなら、おとといこの病院で
処方した薬は大丈夫そうだから、それを飲んでください。
・そして、今回発疹が出た薬は、薬の名前を覚えておいて、
もう二度と飲まないように

そして最後に、
「痒そうだから、かゆみ止めだけ処方しておきますね」
言って、3人は解放された。

さて、帰るか
と父は言った。
薬局で薬もらって、田舎に帰ろうか。

母が薬局で薬をもらい、それを2人で車で待っていると、
急に父が言った。

「思い出したんだ、東京で住んでたとこ。」

そういえば、昨日からぼそぼそ言っていた。
昔は東京に住んでたんだけどなぁ、どこだったっけなぁ。

もうちょっとで思い出せそうなんだけどなぁ、って、
喉になにかつっかかっちゃったみたいな感じで。

それをやっと、思い出したんだそうだ。

「しもきたざわだ。下北沢。」

しもきたぁ?
そんなおしゃれスポットに住んでたわけ?

とか言いながら、昔こっそり見た父の若き日の
写真のことを思い出した。

車のボンネットに手をかけてかっこつける父は、
襟足をちょっとのばして、ベストにパンタロン
まるで西●秀樹みたいな恰好だったのだ。

そのやたらと最先端な恰好の意味が、下北ときいて、
やっとわかった気がした。

そんな、よみがえった父の記憶を乗せて、
3人は蒸し暑い東京をあとにした。

散々迷ってなんとか関越道の入口を見つけるも、
3連休の初日の高速はとんでもなく混んでいて、
仕方なくSAに入っても、やっぱりそこも混んでいて、
やっと席に座って(全然食べれないけど)そば啜るも、
目の前では3人兄弟だと思われるガキどもが蹴り合い
殴り合いのケンカを激しく繰り広げており。

そんな散々な旅程で、最後は母も私も転寝をしながら、
日が暮れるころ、やっと田舎にたどり着いた。

もう夜風もひんやりとした、コオロギの鳴く田舎に。

私が茶の間にたどり着いたのを見て、父は
なんだかすごく満足したような顔をして、そして言った。

「おい、俺は祭に行ってくるから!」

そういえば、今日は親戚の地区の秋祭り。
母をアッシー君に、父は上機嫌で親戚のうちに
出かけて行った。

そして、病気であることをいいことに、普段は父しか
座ってはいけない座イスを占領して、こちらも満足した
私は、そのまま眠り込んでしまった。

気づいたのは、もう高熱17日目の朝。
病院通いは、まだまだ終わっていなかった。

2008年10月11日 (土)

初秋の闘病記 その11

金曜は、月曜から続いていた病院4連チャン
血液検査4連チャンからやっと解放され、
私はなんだかすっきりした気分でPCに向かっていた。

発疹は昨日より赤くなってるし、熱もある
(というか発疹が激しく熱を持っている)けども、
病気も、十中八九はしかだと決まったことだし、
はしかは、発疹が出てしまえば3日くらいで
治るって書いてある
し、もう大丈夫、もうじき治ると
思い込んで、それはもう、なんとも晴れやかな
気分なのだった。

で、なんでPCに向かっているかというとだ。
父がやってくると言うのだが、このあたりは
駐車場がない。
アパートの下に1台分の駐車スペースは
あるのだが、あれは、契約してないと使えない場所だ。

そういえば、お父ちゃん、誰の車で来るの?

父の、車高が高くてタイヤがやたらでかい、
オフロード用みたいな車は、15万km走り倒して
しまって、そこらじゅうがたが来ており、挙句の果てに
夏にオイル漏れが発見され、まだ修理していない。
それに、カーナビという仕組みができたばかりの
ころに張り切って買ったカーナビも、なにしろもう
古くて、新しい道が表示されなくて、父は最近ほとんど
道なき道を走っているのである。

そんな車で、東京の、しかもこんなわかりにくいところ、
来れるわけがない。

妹の車で来るんだって。

近くまでちょっとお買い物用の、薄い緑色で、
ipodの差し込み口のある、ファンシーな妹の車。
そんな車でやってくる、いかにも似つかわしくない
父の姿を想像すると、ちょっとおもしろかった。

そしてひととおり、googlemapでこのあたりの駐車場を
調べると、母はそれをメモして、車が止められそうかどうか
散策に出かけて行った。

そうだ、あとはビジネスホテルね。

東京の狭い1DKでは、さすがに3人は止まれないだろう。
そう思って、私は病院の近くに、異常に高いビジネスホテルも
探して、父がやってくるのを待った。

しかし、なかなかやってこない父。
妹に電話すると、もう朝もはよから家を出て行ったというのに、
日が傾いてきても、父はやってこない。

そんな父から電話が来たのは、午後5時過ぎ。
どこから電話してきたのかと思えば、もうアパートの
下だという。

通りがせまいから、近くまで来たら電話してって言ったのに。
どうして父はいつも人の話を聞かないのだろう。

無理やりアパートの1階の1台分しかない駐車スペースに
車を止めた父は、家に入り、私の顔を見て、一言言った。

「おい、ゲームあるか?」

・・・・・・心配して、わざわざやって来たんじゃなかったのか。
目的は、ゲームなのか?

あきれ顔でDSを渡すと、父は薄い布団1枚持って玄関を
入ったところの洗濯機前の狭いスペースに大きな体を
無理やり押し込んで、ひとりゲームを始めた。

そして、私がまた熱さましで転寝を始めれば、二人で
外に出て行き、1時間半後に帰ってきてみれば、なんと
ほろよい

駅前の和●で1杯やってきたらしい。
あれ?ビジネスホテルに行かなくていいんだっけ??

そして、父はほとんどしゃべることもなく夜遅くまで
ゲームに励み、そのまま就寝した。

そして土曜日、朝起きた私は、父に聞いてみた。
「ゲーム、進んだ?」

いや、顔見ただけでわかるのである。
今日の父は上機嫌だ。

「もう少しだぞ。」

全面クリアまで、もう少し、ね。

そして、父は言うのだった。

「荷物まとめておけ。」

そうだ。父は私を迎えに来たのだった。

急いで、適当にあるものをバッグに詰め込んで、
3人で病院に向かう。
父は、病院もしっかりカーナビに入力して、
カーナビの性能にも上機嫌だ。

土曜の病院は空いていて、比較的早めに
診察室に呼ばれると、そこにいたのは、
「内科部長」の名札をつけた人のよさそうな
おじさまだった。

大学病院の「~部長」といえば。
思い浮かぶのはドラマホワイトタワーの、
「○○先生の、ご回診で~す」
シーンである。

教授たちを後ろにひきつれて、寝てる患者も
このときだけはたたき起こされ、部長が、大して
病状なんて知りもしないのに、とりあえず各患者を
巡回してまわる、という、あのシーン。

こんな人のよさそうな先生も、そんな風に
午後は病棟を回ってるんだろうか。
そして、時折患者の家族から、いやに重い
菓子折りの箱もらって、中の仕切り1枚めくって、
にやりとしたりしてる
んだろうか。

発疹があったって、熱があったって、妄想力だけは
この2週間、衰えることはない。

そしてその「内科部長」様より、血液検査の結果が
伝えられるわけだが。

「えーと、はしかの結果、はしかは・・・まだ、
出てないみたいだよ」

なにー!!!
今日はしかかどうかがわかるって言うから、だから
わざわざ家族3人でやって来たんだよ!

お前内科部長だからってなぁ、なんでも患者が
言うこと聞くと思ったら、菓子折りの下に金はさんでくると
思ったら
大間違いだぞ!
(偏見)

私は、部長をかさにきて大きな顔をしてるような
そういう権威主義的な考え方が一番嫌いなんだよ!

と、ここまでは言わないまでも、私から発せられる
怒り(熱?)に、さすがに部長もびびったようだった。

急いで、血液検査の担当に電話をかける部長。

そして、血液検査の結果がついに私に告げられた。

さて、そんな高熱16日目
はしかかどうかの判定は、また次回までとっておこうか。

初秋の闘病記 その10

次の日、これ以上寝てられないと思って目が覚めたのは
朝の5時

何しろ、かゆい
体中かゆいのだ。

私につられて起きた母は、寝ぼけ顔で私のほうを向くや、
眠気なんて吹っ飛んだようだった。

体中ぶつぶつじゃない!

そう。
暗闇の中ではかゆいことしかわからなかったけど、
明るくしてみると、確かに体中ぶつぶつ
体中まっかっか

どうしよう。
すぐにでも病院行ったほうがいいよね?
でも、こんな時間に病院やってるかな・・・

・・・やってるよね。
大学病院だもんね。
入院できるところだもんね。

とりあえず電話してみよう。と
私の診察券の電話番号を押し始める母。

そして、看護師となにやら話した母は、
5分くらいして、やれやれと電話を切った。

看護師は、こうのたまったというのだ。

今日内科の予約取ってるんだったら、とにかく
9時に病院に来てください。
ぶつぶつは皮膚科に行かなきゃ内科では分からない
ですが、今日は内科に来るのであれば、今日は内科に
来て、皮膚科は明日にすればいいんじゃないですかぁ

確かに、やれやれ。である。

9時まであと4時間。
皮膚科にかかるために整理券もらうといっても、
それだって7時半からだから、あと2時間半。

だからと言って、もう1回寝てられる状態じゃない。

しばらく呆然としていると、母は言った。

「あんた、もしかして、はしかじゃない?」

・・・・・・・・・・はしか?????????
確かに、去年大学生の間ではやったけども。
予防接種して10年たつと、抗体がなくなるって
いうけども。

えー、はしかぁ?
とか言いながら、時間もあることだし、ネットで
検索すると。

<はしかの症状>
・最初は38~39℃の発熱になることが多く、3~5日間続きます。
→はい。最初の1週間はこんな感じでした。

・その後、半日ほど熱が下がります。
→最初の週の金曜日はいったん熱がさがったなぁ。

・熱が再び上昇しはじめ、同時に、
 麻疹の症状の特徴である発疹が出現します

→それが、昨日から今日の状況でしょうか。

・細かな白色の発疹がみられるのが麻疹の症状の特徴です。
→昨日、同じ名字の若者先生がくれたイソジンは、
 口のなかにできものがあるから、でした。

確かに。
はしかと症状がそっくりだ。

「ね、あんた、はしかなのよ」

母の中では、もうはしかってことに決まったようだった。

そして、医者より早く私の病名を探り当てた名医である
ところの母は、医者の問診に即答するため、父に
電話をかけ始めた。

まだ、7時前なのに。

母は、父に、台所に保管してある母子手帳を持って来いと
指示し、昔々に私が泣きながら受けた予防接種の
記録を読み上げさせる。

そして、復唱する母の言うとおり、メモをする私。
ポリオ、ツベルクリン・・・

そして、最後に麻疹(はしか)
1歳9か月。

まぁ確かに、注射してから2●年。
抗体はなくなってるよね・・・

そして電話切り際、父は言った。
「明日、迎えに行くから」と。
もう、父は決めたようだった。

3日連続の大学病院で整理券を受け取ると、
母は、私を誰もいないところに座らせた。
はしかは感染するから、病人は隔離せねば
いけない。
(母は幼少のころにはしかにかかっているから
抗体あり)

そういえば。
週末うちでゲームしたまま動かなかった妹
あの子も、幼少のころ予防接種をしており、
そろそろ抗体が切れているころだ。

もしかして、感染(うつ)った??

やばいなぁとおもった。
私のようなきちんと会社員であれば、
こうやって2週間休んでも、とりあえず
首にはならない。
でも、なんとなく派遣の妹が、私から
はしかをもらって2週間会社休んでしまったら、
間違いなくそれは首だ。

首になったら、また私が手取り足取り次の
仕事をさがしてやらねばならないじゃないか。

自分で自分の首を絞める、とはこのことだ。

予防接種!
妹に予防接種!

じゃあ、はしかってことになったら、先生に、
妹の予防接種を頼みなさい。
妹にはすぐに病院に来れるよう、用意しておくように
言っておくから。

(都合よく本日は妹の仕事お休み)

しかし、こんなに早く病院に来たにもかかわらず、
皮膚科の看護師から私の名前が呼ばれることは
全然なかった。
皮膚科行ったら次は内科に行かないといけないのに、
一向に呼ばれない。

結局呼ばれたのは、内科の受付がとっくに終わってしまった
11時半

入った瞬間、「はしかじゃないかと・・・」と切り出す私に、
しかし、女医さんは言うのだった。

「はしかはしかっていいますけど、今はしかはやってないし、
薬のせいかも知れないから、即断はできませんよ」

でも、はしかだったら妹にうつっちゃうとやばいんですけど・・・
予防接種・・・

ともごもごという私を、すぱっと女医は切り捨てた。

「ま、それは、はしかだったらね」

とにかく、はしかかどうか、調べてみましょう。
内科行ったら、血液検査ね。成分検査。

・・・血液検査、4連チャン。

とはいえ、その前に内科である。
受付時間はとっくに過ぎていたけど、なんとか皮膚科と
内科の院内連携によりその日に診てもらえることになり、
とりあえず待合室で待つわけだが。

母はこんなのおかしいというのだった。
はしかかもしれない患者を隔離することもせず、
みんなと同じ待合室に入れておくなんて。
田舎の病院では、断定できなくても、そういう疑いが
あるだけで隔離だと。

確かに。
病院の待合室、というよりここは単なる廊下のベンチであり、
内科の奥は小児科になっており、つまり、私の前を
風邪引きの子供たちがぞろぞろと通過していくのだ。

妹だけでなく、私はこの子たちにもはしかを感染(うつ)して
しまうのだろうか。

内科の診察室に入ったのは、もう1時過ぎ。
待合室も気づけば閑散としてきて、私が最後の患者
なのではないかと思われた。

そういえば、今日はリンパ腺の専門の先生に診てもらう
ことになっていたのだが、今となってはリンパ腺に意味が
あるんだろうかと思いながら、診察室に入った私を
一目見て、そのリンパ専門医は言った。

「あ!はしかかな??」

でも、皮膚科の先生は微妙だって言うんですけど・・・
というと、リンパ先生は
「ちょっと待ってて」と皮膚科に走って行った。

専門医、と呼ばれるあんな経験豊かな年配の方が
一目見てはしかというんだったら、それはもうはしかじゃ
ないのか。

それでも、一応血液検査の結果待ちましょう、という
リンパ先生だったが、もう私の心の中は決まっていた。
私ははしかなのだと

もう結果がわかった(勝手に決めた)ところで、先生に
切り出さなきゃいけないことがあった。

「あの、3連休は田舎で療養しようと思うのですが」

まぁそれは別にいいけどね。
いいけどさ、といった顔の先生。

「血液検査の結果、それまでにでるかな。」

そう、これは単なる血液検査じゃなくて、成分検査。
あのまっくらな病院で、1週間かかると言われたものである。
この検査は、さすがに大病院でも、そんなにすぐ結果が
でるもんじゃないらしい。

そして、その場で血液検査の担当に電話をかけた先生。

「トラブルがなけりゃ、土曜日ならなんとか」

・・・土曜日、ね。

血液検査を終えたあと、勤務中の父に電話した。
検査結果は土曜日だから、明日は帰れないよって。

それでも、父は言うのだった。
どっちにしろ、明日行くから、と。

そして最後に付け加えた。
お父さん、もうくたびれちゃったよ

父がくたびれたのは、私の病状が分からないことへの
心労だったのか、それとも、母不在の間の家事炊事が
体に堪えたのか。

どちらにしろ、くたびれちゃったという父に、
私はこれ以上反抗することはできなかった。

時刻は、もう午後の3時
お昼も食べられず、結局今日も病気の原因が分からず、
母もくたびれた顔をしていた。
もちろん私も。

そんな高熱14日目
明日は、父がやってくる。

2008年10月 6日 (月)

初秋の闘病記 その9

本来なら、空港で出国審査でも受けているところの
はずだった、水曜の午前9時。

実際にいた場所は、この週はもう行く予定のなかった、
病院の待合室だった。
昨日いたところとは反対側の、内科の待合室。

一度おさまったはずの熱はこの日また39℃を超え、
病院の待合室は昨日と同じく医者を待つ患者でごった返して
いた。

昨日と同じく、1時間も経った頃だろうか。
看護師さんが名前を呼び、とりあえず検査に行く。

検査、とはもちろん採血のことである。
よく考えたら、月曜も血を抜かれ、火曜も血を抜かれ、
本日これで3日連続である。

3日目、ともなると、もう血管なんて全然見えなくて、
しかも病院の待合室にはちょっと病人には寒すぎて
手はかじかんでて、採血にも人より若干時間がかかってしまう。

そのあとレントゲン(今度は女子やつじゃなくて)もやって、
気づけば早くもお昼前。

お医者さんに会う前に、もうなんだかとても、疲れてしまった。
血を抜かれた体には、さらに病院の待合室は冷たくてこたえる。

それからさらに1時間。
なーんとなく待っていたが、これがあとで妹から聞かされる、
血液検査の結果が出るまでの時間、だったのだろう。

やっと呼ばれたのは、もう午後に差し掛かる頃。
ウイルスじゃないかと言われたからには、私の行く科は
内科のはずなのだが、なぜか循環器専門の先生に呼ばれる。

苗字が一緒だから、と理由で私の診療を任されたと思われる
循環器の先生は、まだ30代前半だと思われ、出世が厳しい
状況にある大学病院においては、明らかにまだ駆け出し
先生だと思われた。

再度問診を受けて、うんざりしながらそれに受け答え、
血液検査の結果を参照するも、全然原因が特定できず、
途方に暮れる新米先生。
湯川教授風にいうと、「さっぱりわからない」
といった状況である。
1週間前も、違う病院で見た光景だ。


「そういえば、昨日は外科に来たんですね」

「脇の下がいたくて。。。」

「もしかして、それが熱の原因ですかね?」

いや、私にそれを聞くなって。

「でも、他の先生はみんな関係ないって言うし、
検査結果は来週らしいんですけど・・・」

また行き詰ってしまう新米先生。

だから私はヒントを出してみる。

「昨日の先生が、喉じゃないかって言うんですけど」

体重計が間違っていたんじゃないかという疑惑
(病人の戯言)はやっぱりひた隠しに、とりあえず
昨日の見解を伝えてみる。

そんなとき、昨日は成分検査をしてみたのだが、
もう今日は血をとってしまった。

さすがにもう1回血を抜くわけにはいかないしなー
という顔の先生。
こっちも、1日2回も血を抜かれたんじゃたまった
ものじゃない。

じゃ、喉の超音波とりましょう。
血を抜かなくても、喉の写真を直接とれば状態が
わかるじゃないか。
さすが大学病院。
充実した設備を存分に活用した検査方法である。

そして、2日連続の超音波を撮って診察室に戻る。
時刻ははや午後の2時である。

するとそこには、また湯川教授状態の先生がいた。

「喉は、なんともないみたいですね・・・」

あ、そうですか。それはよかった。

でも、そうすると原因は??

「ちょっとリンパ腺が腫れているようなので、それが原因じゃ
ないかと思うんですが、
僕は専門じゃないのでこれ以上の
ことは・・・」

新米先生、ギブアップ。

明日、専門の先生が来るので、明日また来てもらえますか」

明日、か。
また、明日。

大きな病院は、みんな専門が細かく分かれていて、
小さな病院とはまた違う理由で、なかなか原因には
たどり着けないようだった。

そして、最後に、何もしないのには罪悪感もあったのだろう。
市販もしているうがい薬を処方して、先生は言った。

「この前もらった薬は、食後に飲むんじゃなくて、熱が
出た時だけ
にしてください。それと、あとこの薬

薬局にもらったおくすりマニュアルを指さす先生。

「これは、意味なさそうなんで、もう飲まなくていいです」

この、一見あてずっぽうに見える先生のアドバイスが、
最終的に私の命を救うことになるのだが、このときはまだ
そんなことはつゆ知らず、一日中かかってしまった上に
イソジンしか処方しない病院に憤慨しながら、とぼとぼと
家にたどり着いた。

一方、3日ぶりに出社した母は、結局この日、午前中だけで
仕事を終わらせ、夜に再び上京してきた。
もう、妹のお出迎えがなくても、ひとりで私の家までたどり着ける
ようになってしまったのは、よいことなのだろうが、全然喜べる
気分じゃない。

と、そこに電話をかけてきたのは、父である。

母は、父と何事か、深刻な話をしているようだ。

「田舎に連れて帰ってこいだって。金曜に迎え来るって。」
電話を切った母は言う。

父は、聞く耳持たないようだった。
病院はこっちで大学病院を見つけたって言っても、
こっちのほうがあったかいって言っても。

とにかく、早く連れて帰って来いと。
電車乗れないようであれば、迎えに行くからと。

その父の、「帰って来いコール」に、私は戦慄した。
何しろ、父の帰って来い、は重いのだ。

―――父だって、昔は夢を追って東京に出てきて、
働きながら学校に行っていたらしい。
仕事と勉強の両立はとても大変で、大変ハードな
毎日を送っていた父は、バイト中に事故にあった。
病院で目を覚ました父の横にはおばあちゃんがいて、
そして、父に言ったのだそうだ。
「一緒に帰ろう」と。
その一言で、父は田舎に帰って、今に至る。―――

だから、父の帰って来い、が、私には、
「田舎に帰って暮せ」に聞こえて仕方ないのだった。

もう東京に暮して9年半。
仕事にだって完全に満足してるわけじゃないけど、
責任だってあるし、なんだかんだ言って毎日楽しいし、
急に田舎に戻るだなんてそんな、そんなこと急に
言われても。

なんて、たった父のたった一言に必要以上におびえて
いる私に気づくことなく、夕食の片づけを終えて部屋に
戻ってきた母は、私の顔を覗き込んで言うのだった。

ねぇ、顔、赤くない

え?なに?赤い??
と、洗面所に駆け込むと。

確かに、赤い
尋常じゃなく、
赤い
そして、なにやら
ブツブツしたものが…

なにこの顔!

と、絶叫してしまった、高熱13日目の夜。
そして次の日の朝、とんでもない事態が私を待っていた。

2008年10月 4日 (土)

初秋の闘病記 その8

すぐに名前の呼ばれる真っ暗な病院と違い、
大学病院は呼ばれるのを待つ患者でごった返して
おり、全然名前を呼んでもらえない。

母は、半日中待合室にいて、暇だったのだろう。
「お母さん、売店探してくるわ」
との言葉を残し、売店に出かける。

じゃあ新聞買ってきて。
そういえば、もう2週間近く、社会の出来事から
遠ざかっていた。

その間に、ひょろ長くて無責任な部活の部長は
「俺は、
お前らと違って頭がいいんだから、
これからは受験勉強に励むんだよ」と逆切れして
急に部活をやめ、急きょ代わりの部長決めが
始まった。
次の部長候補は、3年生だけじゃなくて、1年生も2年生も、
中にはマネージャーまで
5人もいるようだが、部員の八割方は、
前から何度か立候補している、口の悪い3年生にしようと
決めているようだ。
まぁさすがに3回も落選してるんじゃ、かわいそうだもんね。

そういえば、1年前も似たようなことが

そうして、新聞も読み終わったころ、看護師さんが
名前を呼んだ。

女子の、女子による、女子のための外科
はずなのに、診察室にいたのは男性の先生。

紹介状を一通り読んだ先生は、
脇の下とこの検査はあんまり関係ないと思うけどねぇ。
と、ここまで来て1時間も待った私の苦労を水の泡と
言わんばかりの失礼なことをのたまい、しかも、
今日は専門の先生がいないので、検査結果は来週だから。
一応予約は朝一に取っておくけど、先生とっても混んでるから、
何時に診てもらえるかは保障しないからね。

と吐き捨てた。

成分検査の結果も来週、女子の検査結果も来週。
今の最新医療って、こんなもんなのだろうか。
これが21世紀の先進国の医療なんだろうか。
病気の原因判定って、そんなに時間かかって
よいのだろうか。

とはいえ、この非常事態に、医療業界全体の矛盾を
ドキュメンタリーばりに追及するわけにもいかず、
じゃ、来週お願いします、ともう投げやりだ。

とりあえず、今日は女子のレントゲンと超音波を取るだけ、
ってことで、向かったレントゲン室。

そこに、悲劇が待っていた。

さすがに、この部屋で待っていたレントゲン技師は
女子だった。
そう、こんな上半身素っ裸の部屋に、男子を入れられる
わけがない。

そのレントゲン技師は、細くてちっちゃくて、いかにも
力のなさそうなお姉ちゃんだったが、私がレントゲン台の
前に立ったとたん、豹変した。

そのお姉ちゃんは、上から急に万力のようなものを
おろしてきて、女子の命ともいえるところを
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうはさんでくるのだ。

いたいいたいいたいいたい

そして、本能的にちょっと台から遠ざかろうとすると、
遠ざかってちょっとはみだしてしまった部分を万力の
中へ無理やり押し込む。

死ぬ。この痛さで死ぬ

そして、そのままの姿勢で1分。

立っているものだから、もう足ががくがくだ。
もちろん痛みで。

そんな感じで縦横右左計4回
気が遠くなるような痛みを味わって、命からがら
レントゲン室から逃げてきた私に母は言った。

でも、お母さんくらいの年になると、人間ドックで
やることになるのよ。

ありえない。
こんな痛い検査を定期的にやらなきゃいけないなんて、
ありえない。

そして私は決めた。
絶対に、年をとるのは急ぐまいと。
年はゆっくりとるものだ。

一方、超音波の検査はまったく痛くない。
調べるところもほとんど一緒だし、ぶっちゃけ
超音波だけでいいんじゃないのか。

そうして、調べるだけ調べられて、結果のわからない
まま、家に帰る。

気づけばもう陽も傾き始めて、明日から仕事の
母は、田舎に帰らなきゃいけない時間だ。

母はちょっと心配そうな顔をしながらも、
とりあえず熱は下がったし、旅行は諦めたようだし、
自分が上京してきた結果がそれなりにでたことに
満足しながら帰って行った。

見張っている人は誰もいない。
検査結果は来週だから、もう今週は病院に
行く必要もない。

心の葛藤が始まる。天使と悪魔の戦いだ。

悪魔)もしかして、これ、旅行に行っちゃってもばれない
状況じゃない??

天使)いや、でも、これは単なる小康状態であって、
まだ油断はできないだろ、この親不孝者。

と、天使が罰を与えたのだろうか。
体が急に不調を訴え始めたのは、母が帰ってから
1時間後のこと。

急に悪寒が始まる。

今日は調子良かったのに、病院に行って死ぬ思いで
検査受けて、疲れちゃったのかしら。

しかし、もう慣れてしまった悪寒だが、この日は明らかに
勢いが違う。

これは、これはやばい。
中止!旅行は中止だ!

土曜日に家にやってきたとき、母は看病しながら、
ひとつだけ、私に言い聞かせた。
「今度から、具合悪くなったら早く言いなさい」
強がって1週間も相談してこなかったことを、母は
怒っているようだった。

心配させる親不幸と、強がる親不幸。
いったいどっちが悪いんだろう。

そんな心の葛藤はあるものの、この非常事態は
とりあえず親の言うことは聞いておくに限る。

だから、まだ新幹線の中だということは知っていても、
とりあえずメールしてみる。
また熱があがったのだと。

母が電話してきたのは、新幹線を降りてローカル線を
待つ駅から。

とはいえ、こんな時間に逆走して戻ってくるわけにも
いかない母。
今日はご飯食べてもう寝なさい。
で、明日の朝電話するから、その時熱があったら
急患で病院行きなさい。

そして次の日の朝。
母からの状況確認に対し、私は答えた。
「熱は全然下がっていません」

そして、母がいつになく迅速に私に指示する。
「とにかく病院に行きなさい。昨日の真っ暗な病院じゃなくて、
大学病院にタクシーでね。で、できそうだったらとにかく
入院させてもらいなさい。」

そして付け加える。
「お母さん午前中で仕事終わらせて、午後からそっちに
行くから!」

あーあ、また親不幸なことをしてしまった。
強がっても親不幸、心配かけても親不幸。

そんな心の葛藤を胸に、私は病院に行くためタクシーに
乗った。

高熱12日目の朝

思えば、先週の熱がウイルス(?)による第1章
そして、ここから始まったのが第2章である。
思いがけない方向に、病気は進み始めた。

初秋の闘病記 その7

そんな火曜日。

不思議なことに、採血結果を聞きに行く日は、
熱は出ない。

熱もないし、土日月も比較的平和だったし、
栄養もできる範囲で摂ったし、何気にもう
大丈夫なんじゃないかと、またもや甘い
期待
をもって、病院に向かう。

結果がよかったら、とりあえず母に礼を言って
田舎に帰し、旅行の準備をしよう。

・・・そんな親不孝者の甘い考えが、通用する
はずもなかった。

「まだ白血球の値が低いですねぇ。」

その日は内科診療はお休みで、代わりに
外科の診察室に通され、「副院長」の名札を
つけた先生に、のっけから残念なお知らせをうける。

「・・・そう、ですかぁ。」

「えっと、旅行に行くの?」

「あ、はい、できれば・・・明日からなんですが・・・」

「それは、あまりお勧めできないですねー。」

まぁ、医者としてはそうだろう。

「・・・そう、ですねぇ。中止、しようと思います。」
苦渋の決断。

「よし、じゃあ、中止、と」
と、カルテに書きこむ。

結局、母の言う通りってことか。

じゃ、今日はこれで、と思ったのだが、
副院長とおぼしきこの先生は、まだ納得が
いかないようだった。

「具合悪いのはいつ頃からだっけ?」
「8月末から・・・」

と、またもや問診の繰り返し。
カルテに書いてないんだろうか。
だから毎日先生の変わる病院は。。。

うーん、ウイルスかなぁ。
と、喉のあたりをころころさすって、先生は
言った。

「最近体重量った?」

先生、それは聞いてはいけないのだよ。
私、恥ずかしながら、年頃の娘のくせに、
一人暮らしの家には、体重計がないのだよ。

「いや・・・最近は・・・」

もっとも直近で量ったのは、お盆休みに
実家に帰ったときだったかな。
あの時は、養豚場と化した実家でぶくぶく
肥って、父にまで、
「最近ちょっと太ったんじゃないか?」と言われて、
やべえと思って量ったんだよ。

ちょっと体重量って、と看護師に指示し、
体重計に乗せられる。

最近あまり食べてないから、少しは痩せたはず。
服もなんだかでっかくなったような気がするし。

あれ?でも、この体重計・・・
違和感を感じて、私は尋ねた。

「乗っても大丈夫ですか?」

首をかしげる看護師。
「はい。乗ってください。」

うながされるまま体重計に乗ると。。。

驚くべき結果が出た。
養豚場-10kg=ウイルス

-10kgという結果に、明らかに医者も看護師も
あわてていた。

いや、私にだって予想外だ。
服は大きくなったけど、気を抜くとズボン下がってくるような、
そんな非常事態にはなってないんだが。

こんなに体重が急に減るなんて、なんか別の原因なのでは・・・

採血!と先生は言った。
いつもの採血じゃなくて、成分分析が必要だ。

思えば、この病院に通い始めて1週間。
もう3回目の採血だ。

そろそろ血を抜かれすぎて逆に死ぬんじゃないかと
思うのだが、抵抗するわけにもいかず。

がっくりと肩を落として診察室から出てきた私を見て、
母が駆け寄る。

「旅行中止って言った??」

「・・・言ったよ。結果悪いんだもん。それから、
・・・なんか、
別の原因かもしれないって」

母がちょっと凍った。

とはいえ、成分分析の結果がわかるのは、
1週間後なんだそうだ。
(妹の病院では2~3日らしいが)

今日はとりあえず結果は分からない。

熱もないし、時間は大丈夫そうだし、行けるときに
行っておこう。
外科の診断にも。

タクシーで向かった先は、昨日見つけた大学病院

そこにいたのは、先ほどの病院とは比べ物にならない
ほどの、あふれんばかりの患者さんたち。

そのとき、私はまだ知らなかった。
女子の、女子による、女子のための
検査
が、あんなにひどいものだったとは。

高熱、11日と半日目

あ。体重はかるとき、なんであんなに戸惑ってたかって?
いや、白血球の値が低くて、頭ぼーっとしてたから、
自信をもって言えるわけじゃないんだけど、体重計の
メモリ
がね、ちょっとずれてるように見えたんだよ。

120kgまで量れる体重計で、110kgのところにメモリが
あったような・・・

いや、病人の言うことだから、確実ではないんだけどさ。。。

2008年10月 3日 (金)

初秋の闘病記 その6

母が来たときに、報告したことは、
月曜が検査で火曜日結果、のほかにもう1つあった。

水曜から旅行に行く予定、という報告。

もし、火曜の結果が悪かったら中止します。
という私の弁解に、母は聞く耳を持たなかった。

結果がどっちだったとしても、お母さんは中止してほしい。
お友達にはとっても申し訳ないけども。

結局、この点については、土日の2日間で2人の間で
合意を迎えることなく、月曜を迎えてしまった。

月曜も朝から高熱。
相変わらず何も食べたくない私に、母はなんとか
りんごヨーグルトを食べさせて、タクシーで病院に
向かう。

母も、真っ暗な病院をみて、明らかにビビっていた。
そして、待合室でやはり必死で貼り紙を読んでいる。
今日は、どの先生なんだろうねー。

そうして名前を呼ばれてはいると、どこかで見たような
よぼよぼのおじいちゃん先生がいた。
そういえば、待合室の貼り紙に書かれていた所属は、
「元」~大学、だったなぁ。

退職→再就職(派遣として)、みたいな?

そのおじいちゃんは、今日のミッションは採血、と
いわんばかりに、熱も測らなければ聴診器も当てる
ことなく、カルテを一読すると、「じゃ、採血よろしく」
と看護師に丸投げした。

あ、そういえば。

私は金曜からどうしても気になることがあった。
それは、金曜の女子の先生に診てもらったときに
言われたこと。

「ほかに痛いところとかは?」と先生に聞かれた
私は、思いついたことをとりあえず言ってみた。

わきの下。左のわきの下が痛いんです。」

―――それはこの時点からはや2ヶ月も前の話。
残業をしてたら担当の飲みに連れて行かれ、
飲んで食べてイタ電して、みんなで楽しく年末の
旅行の話などしてたとき、急に痛みが走った―――
それが、左わきの下。

そんな左脇の下は、それからも少しだけ私の
感覚に違和感を残し続けたのだが、それが、
高熱が出ると激しく痛みだすし、明らかに腫れている。

飲んでたら痛くなったことはひた隠しに、とりあえず
2ヶ月もずーっと痛いんだというと、先生は提案した。

あんまり気になるようなら、外科で診てもらいなさい。
普通の外科じゃないのよ。
女子の、女子による、女子のための
外科
よ。

と、こんな話を、やっぱり大事なとこはひた隠しに
母に言うと、母は言った。
この際、徹底的に調べてもらいなさい。
とりあえず、月曜に病院に行ったら、外科への紹介状
書いてもらいなさい。

というわけで、おじいちゃん先生に頼んでみる。
あのー、紹介状、書いていただけないでしょうか。

うーん、カルテには何にも書いてないけどねぇ。
と怪訝な顔をしながらも、紹介状は書いてくれるようだった。

じゃ、外で待ってて。

待合室に戻った私に、母は聞いた。
紹介状書いてもらえそう?

うん。今書いてる。

薬はもらえるの?

・・・そういえば。
そういえば薬が今日できれるんだった。

でも、おじいちゃんは薬の話は一言も。。。

とか言ってる間に紹介状も書き終わったようだった。
会計のおばちゃんに会計してもらうが、やっぱり
処方箋はもらえない。

後ろでは、母親が明らかに怒っている。
病人に薬を処方しないこの病院に。

板ばさみになった気分で、会計のおばちゃんに
聞いてみる。

「あのー、今日、薬は…」
「特に出てないですけど」
「でも、今日で薬終わってしまうんですが」

しばらく考えて、おばちゃんは診察室に向かった。

そして、戻ってきたおばちゃんは言った。
「じゃあ、同じ薬をあと3日分

今思えば。
前にこの薬たちをもらったときが、1つめの曲がり角
そして、このときもう1回同じ薬をもらってしまったのが
2つ目の曲がり角
こうやって、私はどんどんどんどん迷路に迷い込んで
いったのだ。

でも、まだそんなことわかるわけもなく、とりあえず
紹介状がもらえたことに満足して家に帰ったのだった。

そして、午後。
母はまた模様替えに精をだす。

今日買ってきたものは、つっぱり棚であった。

収納が少ない、というか、9年間の一人暮らしで
ものがたまりまくって収納が足りなくなってしまった
私の部屋に、何とかして収納を増やそうとしたらしい。

熱がちょっと下がってきた私に、母は声をかける。
「ちょっとこっち、もっててくれない?」

母よ。
今は熱下がってるかもしれんが、一応病人なのだよ、
私は。

まぁそうは言っても、熱はいったん下がっているわけで、
元気なうちに、女子用外科のある病院も調べるよう、
私は母に指示されるのだった。

高熱11日目
明日は、検査結果と、恐怖の外科検査。

2008年10月 2日 (木)

初秋の闘病記 その5

前の日、あんなに張り切ってたのに、
北海道旅行のときは無駄に10時に東京に着いたのに、
母がやっと家にたどり着いたのは、お昼ちょっと前。

母は妹を引き連れて、大量の買い物袋を持って
ずかずかと部屋に入ってきた。

早速、「おもゆでいいよね?」と聞いてくるのだが、
相変わらず食べ物は受け付けない。

そんな私に、母は言った。
「一人だから、ご飯食べたくないんだよ。
今日はみんな一緒に食べるから食べれるよ。」

最近母は気づいたようだった。
たとえば妹が夜勤、父は(あまり行かないけど)飲み会の夜。
2○年主婦として夕飯作ってきた母も、どうしたわけか、
1人じゃご飯作る気も、たくさん食べる気もしないんだそうだ。

そう言われると、そうかもしれない、と
昔のことを思い出して、妙に納得し、食卓についた。

とはいえ、久しぶりのごはんを食べきることは到底
できず、ほんのちょっとでもう具合が悪くなってくる。

それでも母は言うのだった。
「大丈夫。ちょっとでも、口に栄養入れてれば大丈夫」

うん。大丈夫。
私はきっと、大丈夫。

午後になって、母がせっせと部屋の大掃除を始める横で、
下の妹は発見した。

DSに入っていた、ファイアーエムブレムを。

そう。これが、下の妹にもしっかりと引き継がれている
父のDNA

もともと大人しい下の妹だが、ゲームを始めると妹は
になる。
何も言わないし、全く動かない。
それはもう、同じ部屋にいてもその存在を忘れてしまう
くらいに。
それはもう、父にそっくりで、ちょっと笑ってしまう。

結局、太陽はそのままの姿勢の妹を残して沈んでいった。

ちょうどそのころ、母はいったん大掃除を終えて、
買い物にでも行きたくなったようだった。

そして私は薬のせいか、眠くなってくる。
熱もまた上がってきた。

そのタイミングを見て、母は妹にいうのだった。
「お姉ちゃん寝るから、一緒に買い物行こう!」

石になった妹も、仕方なく、ゲームをやりながら
出て行った。

そして1時間半も経った頃、戻ってくる2人の荷物を見て、
私はびびった。

母の手には、大量の買い物袋。
しかも、スーパーだけじゃない。
雑貨屋さんやら薬屋さんやら、電化製品らしきものまで、
この状況には直接関係なさそうなものを大量に抱えている。

そうなのだ。
母は大掃除をしまくった挙句、古そうなものは片っぱしから
捨ててしまったのだ。
それはたとえば、8年間使い続けた、思い出いっぱいの
扇風機だったり、3年間使い続けたカセット
コンロ
だったり。

ねえちょっと、捨てすぎじゃない?

夜になると、父親から電話が来る。
電話に出る母。
耳を傾ける私。
ゲームに夢中の妹。

電話を切ると母は言った。
「お父さんは、火曜日までいたほうがいいんじゃないかって」

そういえば先ほど、私は母に言った。
月曜に再度採血して、火曜に結果が出るのだと。
父は、検査結果が出るまで、母についているように
言うのだった。

父は、何しろ私には甘い。
そして母には厳しいと思う。

母だって、働いているのだ。
おもに、銀行のATMの横に立っている母は、
ATMがうまく使いこなせないお年寄りからは、
まじ引っ張りだこである。

そして、月曜といえば、週末に金を使い切ってしまった人が
わんさか銀行にやってきて、1週間でもっとも忙しい曜日である。

そんな日にATMの横に予告もなく母がいなかったら、
銀行はちょっとしたパニックだ。

父は、そんなことわかっちゃいない。
パートのおばちゃんだって立派な銀行員であることを。

それでも、母は言った。
「明日課長に電話して、できそうだったら休みをもらおう」と。

・・・こんな、こんなみんなに迷惑をかけるはずじゃ
なかったのに。

面倒みてもらうのはありがたいのだが、姉のプライド
なんだかやたら傷ついた。

その日、誰か横にいたら私が熟睡できないだろうということで
妹の家に泊まった母は、次の日、またもや、大量の
買い物袋
を持って、私の家にやってきた。

そして、私がうとうとすれば買い物に出かけ、服やら雑貨やらを
大量に買い込んで帰ってきて、私に披露するのだった。

寝て起きるごとにどんどん変貌していく私の部屋。

そして、部屋を模様替えする母の、なんとうれしそうなことか。
もしかして、人の部屋模様替えすることで、経験したことの
ない一人暮らしごっこを楽しんでるんじゃないだろうか。

一方、ちゃっかりこの日も私の部屋でゲームをしている妹。
妹は妹で、もしかしたら久しぶりの実家気分を味わって
いるのかもしれなかった。

そんな、女3人、思えばなんだか平和だった日曜のこと。
高熱、はや10日目
実はまだここが半分だということに私はまだ気づいていなかった。

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